第五百九十七話 『反撃態勢』
悪魔が右腕を一振りすると、小さな正方形が幾つも宙に現れる。それは一瞬で加速し、シフォンの眼前に迫った。
(んー……なんだこれわっかんね……ただ後手に回るのは嫌だしとりあえず刻んで……)
「潰れろ」
眼前に迫った数個の箱型が巨大化し、質量が物量で襲い掛かる。咄嗟に五指から魔力の糸を放出、前方を薙ぐように払い黒い箱型の魔力を叩き切る。
「やーなこった、うちに命令していいのはカラカラだけ、お願いして良いのは友達だけだっつの」
「野蛮な猿だな、我等悪魔の糧風情が」
「見下し系悪魔って見飽きてんだよねぇ、イレギュラーの掃除役にしては力不足じゃないかしら」
「見たとこ結界系の能力、閉じ込めて口封じですか?」
「いいや、閉じ込めて始末までが俺の仕事だ」
瞬き一回の間に、シフォンの視界が黒ずんだ。一瞬で、黒い箱の中に閉じ込められている。
(ふぅむ、視界内なら発動は一瞬かい)
「言い残す言葉はあるか?」
「あんたに価値のある気の利いた言葉は、生憎持ち合わせてねぇなぁ」
「そうか、なら大した価値もなく死ね」
箱の内部に小さな箱が幾つも生み出され、一息で巨大化、シフォンは無数の箱に押し潰されてしまう。
「ここまで踏み込んできた割に、呆気ない侵入者だな」
「止め刺した後にペラペラ喋ってると盛大なフラグに聞こえるよ?」
目の前の箱の中から、変わらずシフォンの声が響く。妙に辺りに響いた声は、悪魔の胴体に巻き付いた一本の糸が震えることで聞こえていた。箱が砕け、悪魔の身体が思い切り引き寄せられる。反射的に腕を上げ、そのガードの上から右腕を振り抜かれた。
「っ! 品のない女だ……!」
「それって戦闘に必要かな?」
殴り飛ばされた悪魔は翼を広げ、天井すれすれを飛びながら体勢を整える。もう一度糸を引こうとするシフォンだが、爪で魔力の糸を断ち切られた。
「ありゃりゃ、つれないわねお兄さん?」
「初対面で殴り掛かってくる女と密接に関わるのは御免だな」
「初対面で殺しにかかってくる悪魔なんざ願い下げだっての」
廊下を埋め尽くす黒い箱の猛襲を、シフォンは十の指から伸びる糸で切り伏せる。手数と手数のぶつかり合いは暫く続き、両者決め手のないまま一旦息を整え距離を取る。
「ふぅ、大体分かった……結局この戦いで得られるものは少なそうね」
「大体始末するのが仕事とかさ、大層な言い方してるけどあんた下っ端でしょうに」
「あ?」
「どう見てもここ固めてるのあんたじゃないし、とりあえずで回されてきた下っ端でしょ」
「知ってる事聞き出そうと思ったけど、下手すりゃ遠回りになりそうだし時間の無駄だねこりゃ」
(つうかこいつの登場シーン的にさ、カラカラ側にポンと増援直接出ても全然不思議じゃないし……足止め食らってるのむしろこっちじゃんね……まぁどうせあんにゃろう分かってやってんだろうけどさ)
「随分舐めてくれるなぁ……言っておくがお前を始末するなんて赤子の手を捻るくらい簡単に……」
「もういいから、悪魔A君もう十分喋ったろう」
言葉を待たず、シフォンの拳が悪魔Aの顔面を殴り抜いた。凍り付いた廊下の中を何度も跳ね、グチャグチャになった悪魔が床に転がる。魔力で凍った廊下にはヒビすら入らないが、悪魔だったものは原型が崩れかけている。
(なんだ……この威力……人の力じゃ……)
「人の力とは思えないとかつまらない事考えてそー……三下極めても良いことないぜ?」
「うちは迅魔旋風のシフォン・セル、メリュシャンの鬼畜王の右腕さ」
「れっきとした人間だから安心して? それも親に捨てられたり割と散々な人生歩んできた苦労人だからさ」
「悪魔程度じゃ乱せないメンタル持ちなんだなこれが、はっはっはっと」
魔力の糸で編んだ拳が、尋常じゃない速度で空を切る。転がっていた悪魔の胴体が殴り上げられ、天井に叩きつけられた。
「げふっ!?」
「この国に悪いことしてる奴、上から順に何人いるか教えてくんない?」
「言うわけ……!」
(とんでもない威力だが、悪魔に物理攻撃は大して意味を成さない……! 隙を見て……)
思考を遮るように、嫌な音が悪魔の耳のすぐ近くで鳴った。視線をゆっくり右に向けると、自分の右腕が糸で切断されている。しかも、断面が縫い付けられている。
「~~~~~~~~~~~っ!?」
「一応聞いてみてるけど、時間の無駄になるかもしんないから早々に見切りは付けるよ?」
「死なないって、利点じゃないからねこの場合、分かってる?」
「おま、ふざけ、ぎゃああっ!?」
左足が切断され、一瞬で断面が縫われた。再生出来ない、激痛だけが思考を染め上げる。
「四肢を落として、最後には首を落とす……荷物増えるけど首だけになったら持ち運んで殴りながらカラカラ追いかけるよ」
「ひっ……お前、人の心ってもんが……」
「悪魔なら見えるんじゃない? ちゃんとうちにもあるよ? 良心とかしっかり残ってますとも」
「優しくされたいならさっさと吐けよ、時間ねぇんだよこっちにはさ」
「手段を選べる状況じゃねぇし、チマチマ選ぶほど甘くねぇんだよ分かれよ」
シフォンの背中から、魔力の糸が噴き出してくる。糸は地を這い、転がっている悪魔の腕や足を巻き取り持ち上げていく。床に転がる悪魔にも見えるように、無数の糸が悪魔の腕と足を串刺しにしていく。ハリネズミのようになった自分の四肢を見て、悪魔の心にヒビが入る。
「頭もこうなりたいなら意地を通しな? そうじゃないならさっさと吐け」
「………………あ、…………は……ぁ……」
その頃、カラヴェラとミルメルは城の中を彷徨っていた。
「おーさま、どこいくの?」
「何処にもいかないよ、ただの散歩さ」
「シフォンがさっきの……モブ悪魔をボコボコにするのが先か、それとも地上のトラブルメーカー達が炙り出すのが先か、痺れを切らしてお相手が動くのが先か……楽しみだねぇ」
「ほらミルメル、窓から見える景色の絶景かな」
「くもくも」
妹と共に凍った窓から外を覗くカラヴェラ、そこに映るのは黒ずんだ雲だけだった。その雲の下では、絶賛クロノ達が猛進中だった。
「クロノ少年! 反応は近いのか!?」
「感知が仕事してないから、良く分かんないけど……マルスが近いって!」
それを裏付けるかのように、湧き出るコピー体の数が増えた。暴食を操っている奴はもうすぐ近くだ。
「いよぉし! 煌めくステージはすぐそこだ! いざっ! 猛進っ!」
「スピード勝負だ! 出来るだけ速攻で突っ込み! 瞬殺させてもらおうっ! 理想は不意打ちさ!」
「どっちが悪党なのかわっかんないセリフだなぁ……」
「戦争に卑怯も何もないのだ! 実際余裕は全くない上に~っ!」
コピー体の群れを吹き飛ばした瞬間、悪寒がした。吹き飛んだコピー体が一斉に崩れ、周囲の魔力が一点に集中する。前から、力が面で飛んでくる。黒い正方形が近くの建物を削りながら、無数に飛んできた。
「なんだこりゃああっ!?」
「結界魔法だな! サイズが変化しながら飛んできているっ!」
「悪魔、それも能力持ちのコピーだっ! 本体じゃないところに絶望を感じるなぁ少年!」
前方から、悪魔のシルエットが多数湧き出てきた。翼を広げ、既に臨戦態勢だ。ここがどういう場所なのか、自分がどんな場所に踏み込んできたのか、理解するまで長くはかからなかった。
「ふぅ……!」
「どうした少年! 深呼吸か!?」
「あぁ、気合十分……いつでもいける」
「何が出ようと問題ない、戦況をひっくり返すには……あれを薙ぎ倒して進まねぇとだろ」
「その通り! やるべき事は変わらない!」
「過剰に反応したところを見るに、この先に間違いなく核はある!」
「コピーで増えてるかもしれんがな! はっはっは!」
「…………なぁ、暴食に何かしてる奴が増えてたら倒しても意味ないんじゃ……」
「問題ない! 干渉系能力なら、現時点で術をかけている術者を倒せば良いのだ! 後出しで術者のコピーを作っても、能力の前後が重要だから大丈夫だ!」
「その点は! 憤怒の力で判断出来る! 現時点で暴食に干渉しているのは間違いなくこの先の一人! コピー体が何人いようが見分けも付く!」
(そういう事だ、だからお前は突破し、救い出す事だけ考えろ)
「なるほどね、単純かつ一番難しいところを任された」
「んじゃ、急ごうかっ! セツナに残された時間は少なそうだしな!」
コピー悪魔の軍勢目掛け、クロノとバロンは臆することなく突っ込んでいく。丁度同じ頃、セツナはここ最近で一番絶望していた。
「なぁ……なぁ……なぁ……なぁ……なぁ……」
「新種の生き物みたいに鳴かないでよ、嫉妬しちゃうから」
「なぁああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
沈黙する暴食に剣を押し当てながら、セツナは喉が潰れる限界すれすれの声で絶叫する。セツナの足元には、深い亀裂が走っていた。
否
「あれ、あれあれれあれあれあれあれあれーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
「分かってるよ、ディッシュを縛りながらはきっついけど……やるしかないよ」
「むーーーーーーーーりーーーーーーーにーーーーーーーーー決まってんだろうがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
亀裂ではない、歯型だ。
「私でも分かるっ!! あの黒いのっ!!! こいつのコピーだろ絶対!!! 大罪のコピーだろおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「うっさいな……そうだね、ディッシュのコピーだよ」
「本当に、罪深いね……嫉妬しちゃう」
暴食の複製が、嫉妬と切り札に喰らい付く。ここは戦場、安全地帯なんて存在しない。




