第五百九十一話 『戦況反転』
(あれ……? 俺何して……どうしたんだっけ……?)
(何をボサッとしているんだ、精霊達も呆れているぞ)
気がつくとマルスが目の前で溜息をついていたが、記憶が途切れていて状況が分からない。視線を巡らせると、背景が真っ白だ。どうやらここは現実ではなく自身の精神世界らしい。周りには精霊達も居るし、間違いないだろう。
(父さんと話した場所は真っ暗だった筈……前にマルスとあった場所も黒に近い場所だったような……)
(僕の記憶が再現された時もあっただろう、心の情景はその時その時で移ろうものだ)
(マルスはいつも奥底に沈んでんだが、今は俺達と同じくらいの浅瀬まで登ってきてんだ)
(協力的で喜ばしいけど、状況はとても喜んでる場合じゃないよ)
(えっと……俺レヴィちゃんを庇った辺りから記憶が無いんだけど……)
(クロノ魂引っこ抜かれて抜け殻だったんだよぉ……)
(え……)
(今のところ……一番、役立たず……)
(まぁマルスの頑張りでこうしてクロノは戻ってこれたんだけどね)
(お前を抜き取った悪魔も瞬殺してたしな)
(うわぁ……マルスありが)
(悠長に喋っている場合じゃないんだ、意識を外に向けてみろ)
お礼の言葉を遮られ、マルスは目の前から消えてしまう。言われた通りクロノは目を閉じ、感覚を外に向けてみる。再び目を開くと、自分の肉体の視界が戻ってきた。だが身体は勝手に動いている、どうやらマルスが身体を使っているらしい。何やら背中から翼が生えているらしく、違和感が物凄い。自分はバロンを片手で引っ張りながら、空を飛び回っているようだ。後方から、正気を失った暴食が両手を振り回しながら追いかけてきている。腕を振るうたび目に見えない何かが空間を抉り割いている、直感で分かるがあれに当たれば即死だろう。
(ひゃあ……)
(状況は見ての通りだ、ディッシュの、暴食の能力は簡単に言えば防御不可の即死能力、当たればその部分を失うと思え)
(身体の部位で円を作り、閉じる事で距離強度関係なく万物を喰い割く……筈だったが……今はあの通り振るった軌道上にあるもの全てを薙ぎ割いてる、動きを先読みして動作の軌道から外れないと簡単に真っ二つだ)
(もっとも、軌道上及び視界が通ってないと能力は上手く働かない、炎や水で壁を作れば壁は一撃で割かれるがそこで攻撃一発分は止められる)
(まぁ、魔法や能力の類を抉られるとその分の魔力がディッシュに喰われて奴自身強化されるんだがな)
(暴食の名は伊達じゃないな!?)
(更に言うと僕は今僕本来の能力を駆使し先読みに近い形で自動回避してるんだが、このまま続けると魔力切れになるだろうな、とてもじゃないが夜までは持たない)
(マルスさん!?)
(お前を取り戻す為に一人奮闘したんだ、多少の消耗は仕方ないさ)
(状況は良くないが、悪くもない、今のディッシュが正気じゃないのは明らかだし、その原因らしき力も僕の力で暴けた、ついでにこの男も拾えた)
そういえば、マルスはバロンの首元を掴みながら逃げ回っている。セツナの力も無しにどうやって合流したのだろうか。
(ディッシュの力を御する事が出来てない証拠さ、認識阻害をディッシュ自身が切り裂いたんだ)
(もっともあれを引き連れて地上を動き回るのは危険すぎる、街中にお前と同じような魂を抜かれた奴等がいるし、抜かれた魂もきっとどこかにあるだろう、被害を出さない為にこの男を掴んで上空に逃げたわけだ)
(飛び回る事で距離を開ける事は出来ても、どこまで横に飛んでも国から出れない、高度を上げても国の中央にある塔の高さが変わらないし近づきもしない、そこに疑問を抱くまで思考も鈍い、この国にいるだけで厄介な効果を幾つもかけられてる)
(ここで足踏みしている場合じゃない、状況を変えるには大きなヒビを入れる必要がある)
(……ヒビ……?)
「そこで俺の出番というわけだ! クロノ少年!」
さっきから腕組みした状態で成すがまま引っ張られていたバロンが、急に大声を出してきた。
「既に俺は憤怒の大罪より状況を聞かされている! まんまと敵の術中に嵌っているこの状況を一刻も早く脱しないと俺はルト様に顔向けできない上にメイドちゃんに冥土送りされてしまうだろう!」
「憤怒の大罪は君を救い出す為消耗している! 長丁場な今作戦において情報、実力共に兼ね備えた憤怒をこれ以上消耗させるのは頂けない!」
「つまりここからは俺の、バロンの、絵札の! 見せ場というわけだっ!!」
(身体はまだ僕が動かす、口はもう動かせるから自分で話せ)
「……っぁ! バロンさん! 何か策があるのか!?」
「あるっ! とびっきりの煌めいた奴がな! 惚れてくれるな、なんせ俺は絵札だからな!」
「クロノ少年に情報を渡した精霊使い然り! 魂抜きの悪魔の襲撃、明らかな誘い然り! 今の暴食の暴走然り! 敵勢力の行動には統一性がない! 悪魔らしく各々の欲のままやりたい放題やっている! そもそも夜に本格化するって話だがそれはそれ! 過程は各々好き勝手と俺は見ている!」
「暴食の動きも、影で操っている奴の試運転だろう! 余裕を持った動きだが、それは敵の油断、慢心に繋がる! ここをひっくり返せば事態はまだ十分に巻き返せるのだ!」
「でもどうやって!? 現状逃げ回るので精一杯だし、マルスをこれ以上消耗させられないなら……俺達で暴食を倒すのか!? やれないなんて泣き言は言わないけど、どっちみち滅茶苦茶消耗しそうだぞ!」
「それに、まだ国中で敵の罠に嵌ってる奴等が……」
「情報は共有し! 立て直す! そして暴食も捕らえる!」
「あれが正気じゃなく、利用された結果ならば! 俺はルト様の想いのまま救う選択に賭ける! こちらには想いを組める者も居るわけだしな!」
「救うって……勿論それに異論はないけど……! この状況でどうやって……!」
「こちらには切り札がいる、セツナちゃんを信じろ!」
「あいつ今国の外っ!! それにあんな化け物にセツナが近づけるわけ……!」
クロノ達の会話中も、暴食の悪魔は狂ったように腕を振り回しながら追いかけてきている。マルスがクロノの身体を動かし、飛んでくる無数の牙を避け続けているが、長引けば長引くほどマルスの魔力は減っていく。後だしでの避けは意味を成さない為、先読みで軌道から外れるしかない。正直、身体のコントロールを返されても100%避け続ける自信がクロノには無い。水の自然体を少しでもミスれば、身体のどこかが無くなるだろう。
「脅威を封じるのが切り札のセツナちゃんの役目、そしてそれを成し遂げさせるのが俺達絵札の役目さ!」
「今は頼りになるクロノ少年や、まさかの大罪フレンドが付いてるんだ、失敗する方がどうかしてる!」
「もう一度言うぞ少年! ここから巻き返す! 俺の煌めきを信じろ!」
「……っ! どうすればいいっ!?」
このギリギリの状況でも、バロンはいつもの調子を崩さない。絶対的な自信が、クロノの今までの経験が、この男を信じるに値すると判断した。
「長々と話している時間も無い! そしてその必要性も無い! 良いかクロノ少年! 今から俺は切り札と入れ替わる!」
「おう! …………おうっ!?」
「すぐ戻る! 少しの間セツナちゃんを抱えて逃げ回れ!!」
「いやわけわかんねぇっ!!」
(じゃあ身体返すよ、魔力的にも限界だし)
「は?」
(魔力回復するから、頑張って逃げ回って)
「嘘だろっ!?」
背中の翼が消え、クロノの身体は全感覚が戻ると同時に落下を始める。しかも掴んでいたバロンが、一瞬でセツナになってしまった。
(うわマジかっ!?)
「お?」
当然、セツナはキョトンとしている。死が間近に迫っている事にすら気づいていない。クロノは咄嗟にセツナの首根っこを掴み、ティアラ、エティルとリンクする。相手の動きを背中越しに感知し、宙を蹴り不可視の牙を掻い潜る。右足を僅かに掠め、ズボンの足首辺りが少しこの世から消えた。
「あっぶねええええええええええええええええええええええっ!?」
(頭下げさせろ)
(指示が雑だなっ!)
フェルドが腕だけ具現化させ、クロノの頭を上から殴りつける。さっきまでクロノの頭があった場所を牙が通過した。
「指示も雑だけどフェルドだって雑じゃんかっ!」
(しゃあねぇだろ、あれが当たれば俺達だってタダじゃ済まねぇんだ)
(ほら止まってると死ぬぞ、暴食舐めるなよ)
「お前そんなキャラだったのかっ!?」
「…………うん、なるほど全く意味が分からないな」
「なんだこの状況はああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
切り札の絶叫が響く中、ゲルトから離れた場所で待機していたレヴィは唖然としていた。さっきまで通信機をカチャカチャ動かしていたセツナが、急に煌めきウザ男に変わったからだ。
「どうも、貴女のバロンです」
「奇跡的なうざさに嫉妬も枯れるよ」
「なに? セツナは?」
「死地のど真ん中だね、俺としても切り札ちゃんを危ない目に遭わせるのは不本意だ」
「でも嫉妬ちゃん、俺のサイン消しちゃってたからさ、選択の余地がなかったわけよ」
「ままま、とりあえず嫉妬ちゃんこれ持って?」
バロンがレヴィに無理やり握らせたのは、バロンのサインが入った謎の機械だった。手のひらサイズのそれは、妙な魔力が込められている。
「アゾットで作った、俺専用の媒体さ、俺の能力は俺を含めた位置替えなら魔力消費は軽いんだが……俺を含まない位置替えはそりゃあもうとんでもない魔力を喰うんだ」
「この媒体はそれ対策、簡単に言っちゃえば俺の身体の一部を使って作った媒体だから、これは俺として扱われるの」
「いつもいつでも、君と一緒って事さ」
「廃棄するよ」
「照れなくっていい、なんせ今すぐ役に立つんだから」
「今から暴食を捕らえる、ここで伝えた作戦を切り札ちゃんにも伝えてね」
「は……?」
「ここは良い位置だね、ゲルトから程よく離れてる……よっと」
懐から取り出した媒体を、バロンは幾つもその場にばら撒いた。その表情は、いつも通りのにこやかな物。ただし、纏う圧は別次元だった。
「俺のステージは、俺自身が輝かせなきゃね」
その頃、ゲルト上空ではクロノがセツナを背負い、命がけで暴食の攻撃を掻い潜っていた。
「もうやだぁ……」
「泣き言抜かすなセツナッ!!」
「決意を固める暇も無く地獄に放り込まれた私になんてこと言うんだっ!! でもクロノが無事で良かったッ!!!」
「情緒よ」
(しかし……距離を取ると逆に攻撃に晒される……! いっそ近くでいなした方が……!)
(辞めた方が良いよ、直接掴まれても抉れるし……ディッシュの能力は円を閉じる事で発動してたから、僕の知る能力の範囲だったら閉じ切る前に弾けば無力、十分クロノの反応速度でもそれは出来るはずだったんだ)
(でも今のディッシュの能力はその限りじゃない、多分振られた指に触れるだけで喰われるね)
(そして距離を詰めた場合、ディッシュの牙は空間を喰らい距離を無に変える、適正距離でディッシュの攻撃性から逃れられる生き物は僕の知る限りこの世にいない)
「なるほど? 俺は思ったよりヤベェ奴に追われてるわけだ」
「暴食の権化め……あいつの影響で生まれた森があんな風になるわけだよ……!」
多少トラウマになっている修行の日々が脳裏に蘇る、まぁあの修行がなければ今自分はここに居ないし、この鬼のような猛攻を凌げてもいないのだが。そんな事を考えていると、急に背中が重くなった。クロノが確認するよりも早く、バロンがクロノの背を足場に空に飛び上がる。剣を片手に、何やらポーズまで決めている。
「あぁ……殺伐とした戦場に太陽の如く現れる希望の煌めき……その名は、俺っ!!!」
「ちょっとぉっ!?」
「死に晒せェッ!!」
暴食が大きく腕を振るう、その軌道上にはバロンが居る。後出しじゃ、避けれない。
「バロンさ……!!」
「ほら、俺の煌めきに気を取られた」
バロンの身体が消えた。いや、何かと位置を入れ替えた。ポーズを決めた瞬間、片手で何かを宙にばら撒いていたのだ。暴食の牙を回避したバロンは、再び手のひらサイズの何かをばら撒いた。何だろうと関係ない、暴食はその何かごと抉り取る為腕を振るう。腕が振り切られる前に、バロンの位置はその小さな何かと入れ替わる。位置変えを繰り返し、バロンは空中を舞うように暴食と距離を詰める。懐に入ろうとするバロンの身体を掴もうと、暴食は右腕を伸ばしてくる。
「お触り厳禁ってね」
いつの間にか、バロンの剣が飛翔し暴食の後ろを取っていた。刀身にはさっきからばら撒いている何かが一つ乗っており、バロンはそれと自身の位置を入れ替える。剣を片手で掴み、もう片方の腕で軽く暴食の背を押した。
「さぁクロノ少年! 俺のステージの最前列にご案内しよう!」
「え、は!?」
「瞬き厳禁っ!」
バロンが指を鳴らした瞬間、クロノの視界が大きく揺れた。気が付けば、自分は空中じゃなくて地に足を付けている。すぐ近くにはレヴィやセツナも居る。ここは、国の外だ。
(位置が入れ替わった……? バロンさんの能力……)
(ん? なんだこの足元に散らばってるものは……)
自分の足元に大量に転がっている物は、先ほどバロンがばら撒いていた何かと同じ物らしい。手のひらサイズの、丸い機械のようなものだった。
「やあやあクロノ少年、俺のサインを掌に刻むほど俺のファンになっちまったかい?」
「いやこれはあんたが勝手に……」
「そんなクロノ少年には、最前列で俺の煌めきを御覧に入れようじゃないか」
「嫉妬レディ、セツナちゃん、準備はいいかい?」
「良いよ」
「準備は良いけど後で覚えておけよっ!!」
「ふふっ! 1・2の……ほっ!」
涙目のセツナにウィンクで返し、バロンは拾い上げた機械をセツナの前に放る。カウントと同時に指を鳴らし、次の瞬間機械は暴食の大罪と入れ替わる。
「!?」
「さぁ、ショータイムだ」
「うおおおおおおおおおお! 切り札スラ―ッシュッ!!」
突然の位置替え、正気を失い暴走状態であっても混乱は避けられない。結果、セツナに先手を許す致命的な硬直が生まれる。セツナの放った一撃は鞘に剣を収めたままの一撃、殺傷力は0だ。だが、切り札の一撃は大罪と呼ばれる所以となった、強力な能力を無に帰す。暴食の牙が、この一瞬で引き抜かれる。
「……ッ!? 何が……!」
能力を封印され、暴食の大罪は一瞬困惑した。だが、すぐに背後のセツナを殴り飛ばそうと拳を握る。それを、嫉妬の大罪は許さない。
「レヴィ立ってるからさ、ディッシュは跪いて」
「ッ!!」
嫉妬の見下すような視線の元、暴食の大罪が膝を折る。能力を封じられ、能力の範囲に入れられ、大罪は無力化された。
「うわ……」
「さて、俺のステージにはまだまだ観客が足りていない」
「とりあえず、演出は連れ戻しておこうか?」
バロンが指を鳴らすと、近くに転がっていた機械がコロンとシトリン入り段ボールになった。そういえば二人にはバロンのマーキング済みだ。
「およ? リーダーどったの?」
「無事だって分かってたけど、まぁ一度状況整理だ」
「さぁクロノ少年、立て直そうじゃないか? まだまだここからだろう」
初めて、この男の笑顔に震えた。戦況は、間違いなく動いた。そうだ、まだまだここからだ。
反撃の狼煙を上げろ、戦いは始まったばかりだ。




