第五百八十九話 『浄罪の閃光』
セツナの手を引き、レヴィはゲルトから脱出する。後ろ髪を引かれながらも、振り返る様子はない。
「お、おいレヴィ! 本当に良いのか!? 私達も何か……」
「同じ話を二回する暇なんてないよ、一先ず通信機が使える距離まで離れるよ」
「レヴィ達は後続に情報を伝えて、夜まで待機だよ」
「でも!」
「レヴィはマルスを信じる、セツナは器くんを信じてないの?」
「…………うっ」
「力がどれだけ戻ってるのかは知らないけど、マルスなら可能性はあるよ」
「見事に足手纏いだし、器くんには夜までかき回して貰わないと割に合わないよ」
(正直簡単に引かせてもらえるわけなかったし、夜までの囮は必要だったしね)
手の内を知らずに嵌った者と、状況を理解している者とでは稼げる時間も動き方も違ってくる。既に相手の術中というなら、開き直って内から搔き乱すのも時には必要だ。
「信じて夜を待つんだよ、活路を開くにはタイミングも重要だ」
「闇雲に突っ込んで勝てるほど、向こうは弱くない」
向こうにはレヴィと同じ大罪が複数居る上、敵の数も不明だ。戦力をこれ以上分散させるわけにはいかない、増援を待ち、最善を打つ。セツナは通信機を取り出し、祈るようにゲルトを見つめるのだった。
その頃、クロノの身体を借りたマルスは精霊達と共に再びゲルトの街中を駆けていた。
「なぁお前、レヴィと同じように自分の身体はまだ元に戻らねぇのか?」
「レヴィは器との相性が良かったんだ、糧とする嫉妬の感情が効率よく彼女の力を取り戻した」
「クロノの怒りの感情はサラマンダー、ウンディーネの心を司る力で上手くカバーされてるし、僕自身漏れ出さないよう、燃え盛らないようにセーブさせてた、積極的に取り込んで無かったんだ」
「最初の頃は力を貸すつもりはなかったし、復活するつもりも無かった、消えてしまおうとしていたからね」
「それ以前に、今の僕は憤怒の大罪とは名ばかり……冷めきった僕が他者の怒りを糧には出来ない」
「他の感情を糧には出来ないのかい? 腐っても悪魔なんだろう」
「僕達大罪は特定の欲と繋がりが深すぎてね、馴染まないんだ厄介な事に」
「その代わり対応する欲の吸収効率は良いんだけど、僕はその点も錆び付いてるってわけ」
「ダメじゃん!! クロノの身体が悪魔になっただけじゃんっ!!」
「そもそも……力……戻ってる……?」
「正直あんまり、レヴィ程元の力を使える気はしないかな」
「この身体も奥深くに蠢いてる変な魔力が邪魔で、僕自身の魔力を上手く使えない」
「それに僕は精霊使いじゃないからね、君達とのリンク? には期待しないで欲しい」
「聞けば聞く程戦力的不安しかねぇぞ、突っ込んだは良いがまた妙な術中だしどうすんだ」
「クロノの魂奪った奴も、暴食の奴も見失ったぜ」
「感知も出来ない、認知も出来ない、確かにこのままじゃ追いかけるどころか誰にも知られず屠られるのが関の山だろうな」
「……ここからは僕一人でやる、精霊諸君は身体の奥に引っ込んでいるといい」
「……僕達も戦力としては微妙ではあるけど、君のその自信は何処からくるのさ」
「僕以外の大罪は、元の能力が悪魔に墜ちた影響で強化されたものだ」
「だけど僕の憤怒の力は、元の力の派生形じゃない、憤怒の力が戻ってない以上元の力を使うまでさ」
「長くは持たないだろうから、クロノを取り戻したらすぐに交代する……君達の役目はそこからだ」
「狙いすましたように操作コピーをあてがってきてたし、こっちの会話も筒抜けだろう、本格的な戦闘は夜ってのは向こうも分かってる筈さ」
「どうせ長期戦は無理なんだ、果てるまで乱してやるさ」
そう言うとマルスは数回屈伸を挟み、そのまま空に飛び上がる。精霊達は姿を消し、マルスの言う通り身体の中に引っ込んだ。翼を広げ、マルスはある一点を目指し飛翔する。その目には、青白い光が宿っていた。
その頃、クロノから魂を引き抜いた悪魔は暴食の悪魔と共に街中を歩いていた。
「マルスの器になってるガキは、優先で殺せって言ってなかったかァ?」
「そうですね、こうなってしまえば殺すのは容易いでしょう」
「ですが困ったことに、これをここで殺した場合……彼が大暴れしかねない」
「あの精霊使いかァ、難儀な事だなァ」
「幸いこれは向こうにとって重要な存在、憤怒様や嫉妬様は勿論、最も厄介な能力封じも釣れるはずです」
「狩り尽くした後、これは災岳の玩具にすれば良いでしょう」
「便利な力だなァ、幾ら強力な悪魔でも魂への干渉は難しい……黒ずんでない小奇麗な魂すら問答無用で引き抜くとは面白いなァ」
「それを評価され、この国の侵略に抜擢されましたからね」
「しかし愉快ですねぇ、堂々と我等が街中を歩めど、誰もそれに気づかない、変化に気づけない」
「真実を包み隠し、国は崩壊へ進んでいく、ご覧ください暴食様……今もあの城の中では叶わぬ野望の為、愚者が明日を夢見ているのです」
「積み重ねは明日に続かない、終わりへと続くというのに……」
「グリンとか言ったかァ? 良い性格してるなァ本当に」
「目を凝らせば霞の中、日常は続いている……ですが誰も異常に気付かない……」
「家族が一人、二人と消えても、抜け殻がそこに転がっても、ね」
「ゲルトは気づかぬ内に、滅ぶ運命なんですよ」
「そうだベルゼブブ様、この魂は駄目ですが、ストックしてる魂がこの先に沢山あるんです」
「貴方様の糧にどうでしょう? 少しくらい喰らっても誰もそれに気づきはしませんよ」
この悪魔は、認識阻害に墜ちたゲルトの中を徘徊し、徐々に戦力を削いで回っているらしい。魂を抜き取り、少しずつ国を蝕んでいるのだ。本来悪魔が魂に干渉するには、魂を蝕み黒に近づける必要がある。純正な白の魂を問答無用で抜き取る力は、大罪の目から見ても希少で強力だ。こいつだけじゃない、正直今ゲルトを襲っている悪魔はどいつもこいつも強力な能力持ちばかりだ。人の国をここまで完封し、気づかれないよう徐々に蝕む手腕は見事なモノだ。怠惰や強欲も、リターンを得られると思ったからこの策に乗った。実際自分も、得られるものがあると確信している。
「罪深いなァ、笑えるくらいに変わらねェ」
「はい?」
「この国を舞台に、思うままに欲は巡る」
「お前達も目指すものがあるんだろォ? 結構な事だなァ」
「我等の理想は、大罪の理想です」
「……ボク達に勝手に期待するのは良いけどなァ、ボク達の理想なんざとうの昔に崩壊してんだ」
「突き動かす欲の果ては、復讐と暴れたい衝動のみ」
「欲の果て、欲のままに動く貴方達を見たいのですよ、我々大罪組は」
「そォかい、だったらあいつは天敵だろうなァ」
「あいつは今も、あの時の理想を見てるんだろうしなァ」
「……? 何の話を……」
青白い閃光が振り返りかけたグリンの真横に着弾、全ての反応を置き去りに、閃光がグリンの脇腹に突き刺さる。声も音も出す事を許さず、グリンの身体はすぐ近くの家の壁をぶち抜いた。家の中には、人間の抜け殻が幾つも転がっていた。
「……まるで貯蔵庫だな、何に使う気か知らないが……嫌な気分だ」
「がっ……は……な……何を……!」
「あんまり離れてなかったからなァ、やっぱこいつになったかァ?」
「償うべき罪は、見つかったみてェだなァ」
「……ディッシュ」
「……! ベルゼブブ様っ! お助けを……!」
「言った筈だ、ボク達に期待するのは勝手にしろと」
「ボク達は己の欲の為、お前達に乗っただけだ、使い潰されても文句は言うな」
こいつらがどれほど強くても、優秀でも、自分達には関係ない。使い潰し、己の欲を満たすだけだ。
「そんっ! なばぁっ!?」
青い光が降り注ぎ、グリンの身体が飲み込まれる。物理的な攻撃じゃ滅する事の無い悪魔の身体は、欠片も残らず閃光の中に消えた。残されたクロノの魂を拾い上げ、マルスはゆっくりと暴食に向き直る。
「罪を捉え、自動的に追尾、滅する正義の力……対悪魔特攻とも呼ばれた能力、『浄罪』」
「何様だって話だよなァ、何をもって正義とするのか、自分にとっての悪を滅する自分勝手の極みな力」
「なァマルス、お前にとって俺達は悪か? 人間は悪か? 答えなんてあるわけない、浄罪なんて名ばかりの敵対者抹殺の力だもんなァ」
「あぁ、傲慢な力だよ」
「在りし日の傲慢を止められなかった、無様な力けどなァ」
「……ディッシュ、言葉だけじゃ何も成せない、痛いほど知った、思い知ったんだ」
「君の言葉を噛み締めて、やっぱり諦められない僕が居た」
「だから君の言う通り、力尽くで止めに来たよ」
「息の根をか?」
「復讐の輪廻を、だ」
「やっぱり僕は、君達と一緒が良い」
「あの日から続いているのは、悪夢じゃない……僕は君達と続きを歩みたい」
「もう一度、夢を描きたいんだ」
「……裏切りも絶望も、何もかも消えやしねェんだよ」
「流した涙も、漏らした怨嗟も、何一つ無かったことには出来ねェんだよっ!」
「踏みつけにされた想いは、どうやっても消えねェんだよっ!!」
「それでも、諦められないんだ!」
「諦められないなら、力尽くで止めてみろって言ったのはお前だぞっ!」
「消えやしない、無かったことには出来ない、失敗と絶望の過去からは逃げられないっ!」
「だから背負って、次の夢に繋ぐんだっ!! 僕達はここに居るから、違う未来に繋げるんだっ!!」
「経過で語るなっ!! 結果で語れっ!! 理想で語るな、現実を見ろっ!!」
「過去で止まるな、今を見ろっ!! どれだけ愚かでも、僕はみんなと語った未来を捨てないぞ!」
「あの日語った夢を、もう一度捨てることは無い……! 二度と同じ失敗は繰り返さないっ!」
「僕はもう二度と、君達を失望させないっ!」
「そうかい、だったらやってみろよなァ……!」
「暴食は既に怒りで満ちてる、止めれるものなら止めてみろ偽善者が……!」
「もう憤怒は、腹一杯だってんだよ」
ゆっくりと右腕を持ち上げ、暴食は親指と人差し指で輪を作る。指同士がくっつき、輪が完成すると同時、マルスは身を屈めた。マルスの後方数メートルに至る建物が全て切り裂かれ、一斉に倒壊する。暴食の牙が、憤怒の首に狙いを定めた。
「次はねェと、言った筈だ」
「お前が相手でも、加減はしねェ……喰い殺す」
「ぶちのめしてでも、連れ帰る」
「それが、僕自身の浄罪条件だ」
死闘は夜を待たずして。




