第五百八十六話 『漏れ出す欲、戦場にて待つ』
「どうぞ、コーヒーです」
「そう警戒するなクロノ・シェバルツ、安心しろよただのクソ不味いコーヒーだ」
店員が目の前に置いたコーヒーに目をやり、クロノは呼吸を整える。相手のペースに流されてはいけない、いち早くこの状況を打開し、セツナ達と合流する。
(ここは敵地、のんびりお喋りなんてしてる暇は無い……悪魔のこいつが堂々としているこの状況が既に異常なんだ……セツナの方にも敵が来てる可能性だってある……!)
「おいおいそんなに睨むなよ、血がグツグツ煮えたぎっちまうぜ」
「狂犬みてぇな目をしてる奴前にして、リラックスなんて出来るかよ」
「はっはっは、それな兄弟」
「まぁ今は所謂、『待て』なんだよ……残念ながらさぁ」
「分かってると思うがこの国には沢山潜んでる、罠同然の舞台にお前達はのこのこ来ちまったわけだ」
コーヒーカップを片手で揺らしながら、災岳はヘラヘラと笑っている。双方精霊が居ない状態だが、あちらは悪魔、身体能力ではこちらが劣るだろう。油断しているが、奇襲を仕掛けても効果は薄い。
(どうにかここを離れたいけど、皆とも連絡が取れないし……最悪他の人を狙われたら庇い切れない……)
「おいおい頭の回転方向を間違えてるぜ、今の俺はマジにプライベートなんだ落ち着けよ」
「相棒達がどうしてもお前の精霊とお喋りしたいっていうからよ、契約者として精霊の我儘を聞いてやったに過ぎないんだ」
「世界共通ルールに敵とお茶しちゃいけないってのはない筈だぜ? 今は火花バチバチさせながら会話を楽しもうじゃないか」
「はっ、悪魔の用意した席で何入ってるか分かんねぇもん飲めって方がおかしいぜ」
「そりゃそうだが、悪いが俺も何が入ってるのかは知らねぇなぁ」
「分かるのは不味いって事だけさ、はっはっは」
カップの中を一気に飲み干し、災岳は舌を出しながら顔をしかめる。そのままカップをテーブルに置き、背もたれに体重を預けた。
(…………隙だらけだ)
「毎晩毎晩忙しくてなぁ、こうやってクソ不味いコーヒーを胃に流し込む毎日さ」
「全く嫌になるぜ、好きに生きるが悪魔のモットー、お前と戦う舞台の為とはいえ命令されるのは大嫌いだ」
「……舞台」
「このままじゃお前等劣勢は間違いなしだ、考えも無しに乗り込んできたなら尚更な」
「俺は嫌だぜ? こんだけ働かされてお前と戦えなくなったら発狂して暴れるね間違いねぇ」
「だからフリータイム利用して会いに来たんだ、敵に塩を送るのも俺の自由だしな?」
「なぁそう警戒するなよ、俺はお前達が大好きなんだ」
「好きに生き続けた結果、俺達を熱くさせる使い手とは長らく会えていない……そこに現れたのがお前達だ」
「四精霊を連れ歩く精霊使いなんてレアな好敵手、そう会えるもんじゃあない、お前達は俺の獲物だ絶対に逃がさねぇ」
「だから俺の前まで辿り着けるよう、贔屓するのは当然だろう」
「その為なら仲間の作戦も知った事じゃないって?」
「知った事じゃないな、俺が満たされるのが最優先だ」
目が語っている、本気だ。悪魔らしい思考回路、己の欲に忠実だ。好ましくない考え方だが、経験上嘘を言っていないというある種の確信はある。
『利用出来れば、幾つか聞き出せるチャンスでもあるぞ』
(……気は進まないけど……やってみるか)
自分の置かれている状況と、仲間の置かれている状況が分からない。悠長に喋っていて良いのか焦りもある。災岳が時間稼ぎに徹し、今仲間達が襲われている可能性だってある。災岳の性格上可能性としては低いのだろうが、敵の襲撃タイミングが偶然重なる場合だってある筈だ。セツナとの合流を優先したい気持ちに変わりはないが、この国の現状を聞き出せればこの後優位に動けるとも言える。駆け引きのバランス次第では、有利にも不利にもなり得る。
「…………ゲルトは墜ちたのか」
「そうとも言えるな、ゲルトに自覚はねぇだろうが」
「不思議に思わないか? 精霊達がやんちゃしてるのは伝わってきてるだろう? 派手にやってるぜあいつら」
「なのに何も聞こえない、ゲルトの傍でやり合ってるのにだ」
確かに戦闘中なのは感じ取れる、それもかなり本気でだ。言われてみると、揺れも音も聞こえない、感じない。それだけじゃない、この国は気配が薄すぎる。先ほどコーヒーを持ってきた店員は何処に行った? 店の中から生き物の気配がしない、今までそれに気づきもしなかった。
(……なんだ? 膜で覆われてるみたいだ……気配が感じ取れない……)
「まぁそういう事だ、術中なのさ既に」
「お仲間と合流したいなら、急いだ方が良い……月が出る前にだ」
「月?」
「お前等もここに来るまでに色々調べたんだろ? この戦いの最重要ポインツは魔方陣さ」
「範囲内がデンジャーだ、劣勢、混戦、大激戦ってな……嫌だねぇ、火花散らせるガチバトルが俺好みなのにさぁ」
「圧倒的優位から踏み潰すのはどうにも、つまらねぇ」
「……お前はどうしたいんだよ」
「クロノ・シェバルツ、お前とガチで殺し合いたい、それだけだ」
「ただこのままじゃそれは叶わない、俺は控えだからなぁ」
「策の要を守る位置なんだ、だからお前にそこまで切り込んで欲しいんだよ」
「要がピンチになるけど良いのかよ」
「知った事か」
とんでもない奴だ、絶対に味方にしたくないタイプじゃないか。恐ろしい事に、こいつは本気で言っている。裏切りに等しい情報を、戦いたいという己の欲の為に垂れ流している。
「これ、バレたらお前の立場がやばいんじゃないの」
「面白い事を言うな、悪魔に立場なんざねぇよ」
「俺達は己の欲の為に集まってるだけだ、目的が同じだから同じ場所に居るだけで仲間でもなんでもねぇ」
「各々が欲を満たす為に動いてる、多少のズレなんて気にも留めねぇのさ」
「自由だな」
「そう、自由だ」
「月が出れば、この国は顔を変える……いや、もう既にコリエンテ中がそうかな」
「昼間は駄目だ、もう認識も薄いだろう、覆い隠されて核には届かない」
「月光の中、この国は戦火に染まる……真実も照らし出されるだろう、切り込める時はそこしかない」
「四面楚歌の中、もし亀裂を入れる事が出来たなら……そっちにも希望があるかもなぁ」
「良く分かんねぇな、こりゃあお前の前に辿り着く前に死んじまうかも」
「夜の間は俺達活発だけど色んな魔方陣が見つけやすくなるからそれぶち壊せばお前等結構有利になるから今夜中にかましてやれば十分勝負になると思うぜ」
「なるほどなるほど? 清々しいくらい情報吐き散らかすね」
「お前と戦えないなら俺の存在意味がねぇからなぁ……」
「認識阻害に分身召喚、異空転移に時間停止、バフとデバフ満載の戦場だ、このままやり合ってもお前等は秒殺間違いない」
「月が出た瞬間全ての効果が表れる、そこが一番きつい時間帯だが、魔方陣を一番見つけやすい時間帯だ」
「コリエンテ中が飲まれるまで時間的に猶予はねぇ、お前達が今夜どれだけ効果を打ち消せるかで結果が決まるだろう」
「お前等の頑張り次第じゃ、朝日が昇ると同時に大きく運命は変わるかもなぁ」
「朝が来る前に、出来る限りの魔方陣をぶち壊せば良いんだな」
「出来れば魔方陣に効果を乗せてる術者もぶっ飛ばしてやれば、再配置も防げるかもな」
「一番重要な奴は、俺が守ってるから……来いよ、クロノ・シェバルツ」
向けられるのは、純なる敵意。クロノはおもむろにコーヒーカップに手を伸ばし、中身を一気に飲み干した。ドブの味がした。
「うぇ……クソ不味い……」
「子供だな! はははは!」
「そういう問題じゃねぇよこれ、うーえ……」
吐き気を抑えるクロノと笑う災岳、両者の周囲に精霊達が戻ってきた。双方息を乱しているが、どうも災岳側の精霊達の消耗が激しい。
「みんな!」
「おぉう戻ったか!」
「がああああああっ! ババアテメェぶち殺してやるぁっ!!」
「まーだキャンキャン喚けるんだねぇ」
向こうのシルフが相当荒れているが、災岳に身体を掴まれ無理やり後ろに下げられる。対するエティルも、いつもの様子と違いかなりピりピリしていた。
「みんな、平気だったか?」
「まぁ、ね」
「戦ってたら急に姿を消したから、とりあえずクロノの傍に戻ったんだけど……どうやら他のみんなも同じタイミングで同じような事になってたみたいだ」
「放っておけばいつまでもやってそうだったからな! 最初から時間制限ありでの自由時間だったわけだ!」
「続きはまた今度にしましょうね、アルディオン様、貴方は必ず……必ず我が大地の糧にしてみせますわ」
「渇きの答えは、次の機会だ」
「ぜぇ……ぜぇ……次は絶対、リベンジ……ぜぇ……」
「おいおいカゲリ、随分やられたじゃねぇの」
向こうのサラマンダーが特に息を切らしている、よく見れば肌がまだ再生しきっておらず焦げている。一方、フェルドはまだ余裕を見せていた。
「自分の精霊ながら恐ろしいぜ」
「そこは頼もしいじゃねぇの?」
「はっはっは! 能力に枷がある状態で、俺の精霊を圧倒するか!」
「クロノ・シェバルツ、お前はまだ強くなる……精霊使いとして成長すれば精霊達の能力の枷も外れるだろう!」
「楽しみだ、本当に楽しみだ……やはりお前は俺達の獲物だ!」
「…………その暑苦しい敵意に応えてやる義理もないけどさ、情報は感謝するよ」
「だからお返しに、一言だけ返してやる、こいつ等も同じ気持ちだからそのつもりで受け取って帰れ」
空になったコーヒーカップを災岳の前に置き、クロノははっきりと宣言する。
「勝つのは俺達だ」
「上等、戦場にて待つっ!」
今宵、開戦。




