第五百八十五話 『四色の戦い』
ゲルト・ルフより4つの光が上がり、それぞれ別方向へ飛んでいく。その内の一つが空中で爆ぜ、ゲルトの上空で暴風が巻き起こる。
「あははははっ! 凄いやちっさいのに力強い風だ!」
「ちっさいのはお互い様でしょ! 急に何するのさ!」
「えぇ? 僕達風の精霊は自由が売りでしょ? 何処に吹こうが流れようがとやかく言われたくない」
「僕は僕の思うままに、吹き荒れたいだけさ!」
そう言い放ち、ランは両手で風を集め始める。悪魔と化したシルフの操る風は次第に黒ずんでいき、重く息苦しさを感じさせる。狂ったように笑い、ランは両腕を竜巻のような風で覆ってみせた。
「今は楽しくお散歩気分なんだ! 同じシルフのよしみで少し付き合ってよ!」
「あのねぇ……!」
風を纏いエティルに殴りかかるラン、エティルはその一撃を片手で払い飛ばす。クルクルと回転しながら吹き飛んだランは、楽しそうな笑みを崩さない。
「女の子を誘うなら、方法考えた方が良いんじゃないかな」
「やっぱりそうだ、あの人間はマスターより精霊使いとして劣ってる」
「けどこの風の使い方、精霊としての格の違い……ちっさいのに君の内に秘めた風は規格外だ」
「あの人間との契約で枷が付いてるけど、本来はどれほど自由なんだろうね」
「……確かに今は、クロノの力不足でエティルちゃんは全力出せないよ」
「けど、クロノはいつかエティルちゃん達を超えていく、そこに疑いも不安もない」
「そもそも、今の状態でも君に劣ってるつもりはない……あんまり怒らせると容赦しないよ」
「分からないなぁ、全力で飛べない重荷を背負わされてるのに不満が無いって?」
「僕は全力全開の君が見たい、一緒に飛べばどれだけ楽しいか……100%を封じられてどうして満足出来るのさ?」
「無能な契約者のせいで、君の翼はもがれているのに」
次の瞬間、ランの右半分が風によって抉られた。無言で風を放ったエティルの周囲に、風の刃が集まってくる。
「契約者への侮辱はご法度、精霊の基本だよね」
「あんまり年上をからかうとさ、お仕置きしちゃうよ」
消し飛んだ半身を再生し、ランの肉体が変色していく。黒い翼を顕現し、悪魔化したランは歓喜したようにエティルの殺気に向き合った。
「あは、あははははっ!! 何処まででも飛べそうだよ! 君の風は本当にすっごいなぁ!」
「叱ってみろよ、ババアッ!!」
二つの影が激突し、ゲルト上空で嵐が吹き荒れる。荒れ狂う風の余波を受け、アルディは視線をゲルトに向ける。彼は今、海沿いで災岳のノームと対峙していた。
(エティルの奴……派手にやり合っているなぁ……)
「わざわざ契約者から引き離して、君達は何が目的だい?」
「ふふふ……ふふ……」
「確かシンと名乗っていたね、用がないなら僕はクロノの元に戻らせてもらいたいんだけど」
「うふふふ……まるで巨山、契約者の力量に縛られてはいますが、秘めたる力は私を遥かに上回る……」
「あぁ素晴らしいですわ、このような愉悦過去に数えるほどにしか……」
「……出来れば会話くらいは成立させて欲しいなぁ」
「あぁ申し訳ありません、悪い癖ですわ、楽しい事があるとすぐ夢中になってしまいますの」
「我等がマスターはそちらの契約者と楽しいお茶会の真っ最中、その為貴方達のお相手を承りました」
「危害は加えませんので、どうかごゆるりと」
「面白い冗談だね、敵対している相手とのお茶? 警戒するなって方が無理な話だ」
「それにゆったり出来るわけもないだろう、少しは殺気を隠したらどうだい?」
「そっちの精霊の中で、君が一番血生臭いよ」
「あら、あらあらあら……どうしましょう……」
「そんな、ダメですわ、そのような目で見られたら私……」
丁寧な振る舞いを見せていたシンの瞳が、紅く光った。一瞬で黒い翼を広げたシンは、周囲の地形を捻じ曲げアルディを襲う。腰を落とし、アルディは大波のように形を変えた地面を一撃で粉砕してみせた。
「うふふ……ふふふふ……」
「無視して帰るわけにはいかないかな、どうもね」
「ノームの本質は守りの力、契約者を守護する堅牢なる力」
「ですがどうでしょう、守りとは、力とは、ただの見る者の見方に違いないでしょう?」
「最強の盾は最強の矛でもある、ご覧ください! 貴方は今防御の為に地を砕いた! 防御の為の破壊です!」
「最強の防御とは全てを粉砕し、無力化する絶対な破壊……ノームの真髄は全壊だと私は悟ったのです」
「悟ったあの日から、私は目覚めてしまったのです、この衝動に……」
「ねぇ、貴方なら、それほどの力を秘めた貴方なら分かってくれますよね? 同じノームですもの!」
シンの立つ地面が隆起し、ボコボコと形を変えていく。変化の速度も範囲も広く、アルディの前に山のような大地がそびえ立つ。アルディは表情一つ変えず、ただ拳を握り締める。
「僕は契約者の為なら、どんな困難も強敵も打ち倒す覚悟は出来てる」
「うふふ……そう、苦難も困難も砕くのが私達の……」
「けれど、この手は己の愉悦の為に血に染めるものじゃない、地に付け、再び立ち上がる為にある」
「守りの見方は各々の解釈があるだろう、そこにとやかく言うつもりはないけど……君の守る意思はどうだろうな」
「君は、自分の楽しみの為に壊したいだけじゃないのか?」
「現に今、僕を見る君の眼は獲物を前にした獣のそれだ」
「あらあら……うふふ……」
「悪魔と化したあの日から、どうしても隠し切れないのです」
「えぇ、私は全部を、壊したい……貴方も私の中で、千切れて、潰れて……楽しませてください」
「ノームの在り方なんて説くつもりは無いけどさ、君は放置できないな」
「僕等の契約者に近づけたくない、教育上ね」
地鳴りがゲルト周辺に鳴り響く中、ティアラは海の中に居た。向こうのウンディーネに引っ張られ、上空から海に投げ落とされたのだ。
「…………不快…………」
「お前の心は分かっている、契約者と引き離された事に対しての不満」
「俺はお前に聞きたい事がある、お前は満たされているのか」
「…………?…………」
「俺は乾いている、ただの精霊だった時も、悪魔と化した今も」
「俺達ウンディーネは心に敏感だ、考えている事が透けて見える……故に分かる、この世がどれだけ薄汚れているか」
「求め欲する物がどれだけ曖昧で、現実味の無い物か、乾き続けるのが苦痛ではないか」
「…………良く、分からない……けど」
「私は、クロノと一緒、みんなと一緒……それだけで信じられる……だから苦痛じゃ、ない」
「苦しいなら、見限ってるなら……どうして、貴方は、まだ契約を続けてる……?」
「求めてるから、悪魔になるほど、欲が渇いていないから……じゃ、ないの?」
「…………このウツロを突き動かす欲は、本当に俺の物なのか」
「諦めたくないと求め続けた契約者に応え、俺は今もここに居る」
「この欲が俺の物なのか、欲した先に、乾きが癒える何かがあるのか……俺は確かめたい」
「故に、強い何かを秘めたお前と戦いたい……同じウンディーネだというのに、お前にも汚れが見えている筈なのに……その目はどうして透き通っているのか……」
「乾くばかりの俺は、お前を通して答えを見つけたい」
「…………汚いものは、沢山見てきた……うんざりだって、したよ」
「それを拭ってくれたのは、絆と、繋がり……教えられる事なんて、あんまりないけど……」
「私が貰った温もり、それで得た力……見せてあげるよ……」
「貴方の曇りを、渇きを、拭ってみせる」
水を刀のように変化させ、ウツロは静かに構えを取る。両手で水を操り、ティアラもその動きに応えた。二つの力がぶつかり合い、海が荒れ始める。波と波がぶつかり飛沫を上げる中、フェルドは海の上で呆れたように笑っていた。
「わざわざこんな場所まで引っ張ってきて、何が目的だ?」
「タイマンッ!」
「地に足付けてやりたい所だけど、うちらがガチでやり合えば地形が変わりそうだしね……」
「それに時間切れになったらウツロを連れていかないとだから、ここでやろう!」
「そっちの都合を押し付けまくってくるじゃねぇの、どうして俺がお前とタイマン張らねぇと駄目なんだ」
「だってさぁー! これからマスターとそっちの契約者は戦うことになって、うちらも戦うことになるけどさぁ、それって団体戦でしょお」
「うちはあんたとやりたいんだ、燃え盛るようなあんたの力とうちの力を比べたいんだ!」
「悪魔になるほどうちは強さに飢えてる、毎日毎日それしか考えてない」
「そんなうちの欲に負けず劣らず、マスターやみんなも欲深い、同じように深みに墜ちて、求めて、欲して、最高じゃんっ!?」
「止まってらんねぇんだよ! 少しくらいは理解出来ないかな!?」
「そうだなぁ……」
フェルドは天を仰ぎ、数秒考えを巡らせる。脳裏に浮かんだ記憶は、胸の奥底を冷たくした。大きく息を吐き、少しばかりのお節介を焼いてやる事にする。
「来いよ、相手してやる」
「そう来なくっちゃっ! 話が分かるぅ!」
「求めるばかりじゃ、いつか燃料は尽きちまう」
「ん?」
「燃え続けるにはどうすれば良いのか、お前はもう分かってるらしい」
「仲間がいるってのはあったけぇよな、有難い事だぜ」
「だから貰った分、熱を返してやらねぇといけねぇ」
「仲間を引っ張っていくのが、サラマンダーの役目だ」
紅蓮の炎を纏ったフェルドは、その熱で海の表面を焼いた。同じサラマンダーの筈なのに、規格外の力に威圧される。
(くはは……! 怖気づいたわけじゃない、今も心はメラメラさ……!)
(だけど、マジか……! 燃える魂が、圧だけで焼ける……焦がされる……! 枷を嵌めた状態でこれか……!)
「先輩として、稽古つけてやるよ」
「最高に燃えてくるよ、長く生きて燃えカスになったサラマンダーは沢山見てきたけどさぁ……」
「ここまで洗練された炎は、初めてだっ!! サラマンダー、カゲリ……いっくよおおおっ!!」
黒い炎を纏い、カゲリは螺旋状に回転しフェルドに突っ込んでいく。フェルドは黒炎を力任せに殴りつけ、海上で大爆発が巻き起こる。ゲルト・ルフ周辺で精霊同士の激戦が続くが、国は反応を示さない。大気が揺れ、大地が鳴く程の衝撃が続いているのにも関わらず、国は沈黙を続けている。
それは、分かる者には分かる異常だった。




