第五百七十七話 『顔を上げろ、前を向け』
身を切るような冷気を文字通り焼き尽くしたセシルは、上空で爆ぜた自らの炎を見上げ黙っていた。沈黙を破ったのは、セシルの肩にへばり付いていたディムラの一部だ。
「セシルちゃん、ワイはセシルちゃんがドジなのは知っとる……せやけどこの短期間で目的まで忘れるなんてワイは悲しい、悲しいで」
「なに勝手に失望している、失礼な奴だな」
「霧雨君から鍵を返して貰うのが当初の目的やろ! 穏便に済むとは思ってなかったで? どうせボコスカやり合って暴力の末に奪い取る未来まで予測済みやったわ! ワイは寛大や、終わりよければ全てどうでもよしの精神で黙っとるつもりやった!」
「ぶちのめした挙句燃えカスにしてどないすんねん! 鍵の行方は!? 今日までお仕事手伝ってもろたけどはっきり言ってほぼ雑の一言でなんにも助かってない! しまいにゃ己の不始末すらちゃんとケリ付けれへんならもうどうすんねんっ!!」
「さっきまでの四天王としての在り方云々のキリッとしたセシルちゃんね! ぶっちゃけなってない! 伴ってへんよっ!!!」
「むぅ……一々癪に障るな……!」
「事実! 正論! ワイは間違ってへんよっ!!」
グニョグニョした謎の塊状のディムラはセシルの肩の上でピョンピョン跳ねながら講義する。耳元で騒ぐディムラに対し溜息をつくが、セシルの目線はまだ上空に向けられたままだ。
「まぁ、今日まで一人で魔物界を支え……仕事とやらを頑張っていた貴様に一日の長がある事は認めよう」
「せやな、もっと敬ってもええんやで? ワイこれでも滅茶頑張ってるからな」
「仕事云々まだまだ私は劣るところもある、だが今の私はまだミスなどしていないぞ」
「この程度で、奴が燃えカスになるものか」
空気が震え、冷気が上空に集まっていく。黒ずんだそれは、人型を成し霧雨の肉体を再生する。鬼の次元を超えた再生力は、実態が曖昧な悪魔故だろう。
「そうさ、この程度で悪魔となった俺を滅せる筈がない……だがつくづくイラつくな、俺の氷を易々と溶かしやがる」
「貴様の言う強さとは、随分簡単に崩れるのだな」
「どうした冷気を操る貴様が怯え震えるか? 私の炎はこんなものじゃないぞ」
「未来永劫絶える事ない緋色の火炎、貴様の細胞を永遠に焼き尽くしてやろう……鍵を渡すまで焼き続けてやる」
(やっぱり手段はぶちのめす以外ないんやね……)
ヴァンダルギオンを構え、セシルは迎撃の構えを取る。対する霧雨は、自分の右手を見つめ目を細めた。
(……右手から煙……全身にも違和感がある、永劫消えぬ炎、あながち嘘じゃない)
(どんな種があるのか知らねぇが、こいつの炎はただの炎じゃない、喰らい続ければマジで焼かれ続ける可能性すらある……そうなれば再生するこの肉体があだになる、死にはしないだろうが、火達磨継続なんざ冗談じゃない)
「…………潮時かなぁ」
霧雨が零した小さな言葉、セシルは即座に反応し地面を蹴る。上空に浮かぶ霧雨の背後に回り、振り向きざまに蹴りを見舞う。音を置き去りにした一撃は、正確に霧雨の首筋を捉えた。
「今更逃がさん、貴様に退路などないぞ」
「ははは、手のひらの上でキャンキャン喚くなよ」
耐える可能性や氷のように砕け距離を取られる可能性を想像していた、現実は手応えからして異質なものだった。霧雨の首筋は、ゼリーのように砕け散った。氷とは全然違う、砕けた箇所も影のように真っ黒だ。
「!?」
(なんだ……? 悪魔といえこんな崩れ方は……!)
「色々と得る物はあったよ、最初の『実験』としては大収穫だ」
「お前が俺を追ってこっちまで来てくれたのは感謝しかない、おかげで色んな事を試せた……お前レベルでもこっちの俺を感知してきてくれたんだしな」
「本当に、良い後ろ盾が出来たよ……アハハッ!」
「分からんことをっ!!」
ヴァンダルギオンを振るい、セシルは霧雨の胴体を一閃する。両断され、尚も霧雨は笑っていた。肉体は液状に崩れ、末端から粉のように消えていく。
「チィ……! なんだこれはっ!」
「ゲルトに来なよ、安心しろお前はちゃんと俺が殺す」
「まぁ、鍵さえ持ってりゃお前は俺を追ってくるしかないんだろうけどさぁ……あはははっ!」
「魔王の代わりに、魔を律するだっけ……? だったらお前こそ逃げられない、悪魔の脈動が聞こえてるかぁ?」
「なに……」
「大罪の目覚めに同調するように、悪魔共は欲のままに暴れ出すぞ、人も魔物も関係ない、自分の事だけを考え、自分を優先する奴等が自分の為だけに動き出す」
「ずっと放置されてきた、ルールなんてもう存在しない、意味はない」
「テメェの居場所はテメェで作る、掴み取る、そんな欲塗れの弱肉強食……小奇麗な価値観で収められるならやってみろ、バァカ」
「待て貴様っ!!」
「ハハハハ……良い面だ、いつかその面……血塗れにして真っ赤な氷像にしてやるよぉ……!」
セシルの一撃は無意味に終わり、霧雨の身体は一片も残らず消えてしまう。霞のように消え去った霧雨だが、分身や偽物とはどうしても思えない。
「お得意の氷像分体とは手応えが違う、なによりあの力はオリジナルのものだ……!」
「消え方もけったいやったなぁ、そもそも脳筋の霧雨君の取る戦い方やないで」
「後ろ盾とも言っていた、元四天王が何をしているのか……」
考えても答えは出ない。空中を漂いながら押し黙るセシルだったが、下から声が聞こえてきた。
「セシルー!」
「むっ……クロノか」
山の中腹から、クロノ達がこちらに手を振っている。このまま黙っていても仕方がない為、セシルは翼を広げクロノの元へ向かった。
「お前とりあえず俺に謝ろうよ」
「無事だったのだから良いだろう」
「雑なんだよ! お前はいつもいつもっ!!」
「分かるでークロノ君」
「はっはっは! 麗しき美女と仲が良さそうで大変羨ましいよクロノ少年! ふっはっはっは!」
「それより島の地形が少し変わってる気がするよ、これをスルーするつもりなら嫉妬も呆れるよ」
激しい戦闘の影響か、島の自然が抉れていた。燃えたのか凍ったのか、森の半分が禿げあがっている。
「フローちゃんには謝っておかないとな、環境のケアは後で流魔水渦の非戦闘員がなんとかしよう」
「いつかで良いから、セシルもフローと流魔水渦に謝っておけよな」
「善処する」
「俺の時と対応が違うんだけど?」
「それはそうと、島全体に漂っていた重苦しい魔力の気配が消えたな」
「貴様等、何かしたのか?」
「あー……何かはしたけど何があったか良くわかんないんだよ」
「後ろの山の中、なんか工場みたいになっててさ……レヴィちゃん曰く工場自体がコピーっぽくて」
「コピー?」
「知り合いの能力に似てたんだよ、でも有り得ないんだよ」
「レヴィちゃんの知り合い、大罪の一人なんだ、魔本自体は悪魔側に取られちゃってるんだけど……そんなに日は経ってない、こんな大規模に能力使ってる暇なんて無かった筈だ」
「この島で悪魔が目撃されてるのは、怠惰の魔本を盗られる前からだしね」
だが、コピーという単語にセシルは興味を持つ。先ほどの戦い、説明を付けるにはそれくらいしかピースが無い。
(オリジナルと同等のコピー、それもオリジナルと同じ性格で完全に自立行動……大罪の能力とはそこまで……)
「とにかくそのコピー工場の中を調べてたんだけど、俺とティアラで感知を続けてたら隠し部屋があってさ」
「みつ、けた……」
「中に魔方陣があったんだ、ちっさいのが一個だけ」
「プラチナの能力は確かに魔方陣の中で発動するけど、あんな小さいので工場一個は無理だよ」
「そもそも魔力が別物だったよ、あんな魔方陣レヴィ知らない」
「一応このバロンが完璧に模写しておいたから、後でうちの奴等に調べてもらうさ」
「ちょいそれ見せてもろてええかな」
「構わないぜ! 俺の煌めきに目を焼かれないよう気を付けて」
目なんて存在しないディムラ玉がバロンの肩に飛び乗った。肩が軽くなったセシルが心なしかホッとしたような顔をしている。その目線は、クロノ達の背後の山に向けられていた。
「工場はもう無いぜ、消えちまった」
「消えた?」
「セツナの能力で魔方陣消したら、一瞬で消えちゃったよ」
「ふふん! 切り札の活躍ポイントだ! …………唯一の」
「氷のゴーレムぶった切ったろ、頑張った頑張った」
「えへへ……」
「工場が消えちまって空洞が残っただけだ、下手すりゃ崩れるかもしんない」
「ならば、その魔方陣がコピーに影響しているのは間違いないな」
「霧雨の身体が崩れたのも……或いはそれが関係してるのか……?」
「だから、プラチナの能力の筈がないんだよ……レヴィは信じないよ」
「それに生き物をコピーした場合、プラチナの命令かコピー元の動きの再現が精々なんだよ、人格までコピーした自立行動するコピーなんて全盛期越えてるよ」
「むぅ……」
「足し算なら可能かもしれんよ」
セシルの肩に戻ってきたディムラが、そんな事を言い出した。
「足し算?」
「この魔方陣は一人のものやない、複数人の書き手がおるよ」
「例えば能力強化する奴が手を加えてたら、そのコピー能力が強化されてもおかしくない」
「例えば効果を魔方陣の内ではなく、外に広げるタイプなら範囲の説明も付く」
「例えば能力を後から追加出来るなら、事前に空の魔方陣を置いておけば……その怠惰はんが手元に来た瞬間効果を乗せる事も出来るかもしれん」
「そんな滅茶苦茶な術式有り得る訳っ!!」
「ワイも滅茶苦茶な存在やからね、ゴチャゴチャしたもんは見たらわかる」
「長い、長ーい時間をかけて、練りに練りまくった異常なまでの魔方陣、術式なんてグッチャグチャ、せやけどちっこい円の中に欲のままにぶち込まれとる」
「実際、霧雨君は実験とか言ってたわけやしね」
「大罪組の中には、長い時間病的に大罪を信仰している者もいる」
「かけた時間の分、大罪を伸ばす技術も持ってるのかもな」
「…………ディムラの推測が全て正しいかは分からんが、最悪その怠惰の意志に関わらず能力を悪用される可能性まであるな」
「どれだけ自由が利くのか私には分からないが、大罪のコピーや私達のコピー、工場といった大規模なモノも可能というなら国や島のコピーも出来るのかもしれん」
「後出しオッケーなら、事前に空の魔方陣を各地に配置してる意味も通る……こりゃルト様に連絡だなぁ」
予測に過ぎないとはいえ、事態は想像以上にやばいのかもしれない。セツナは青ざめて気絶しそうだし、レヴィはさっきからずっと黙り込んでいる。
(セシルの言う通り、コピーの反則具合によっちゃ取り返しが……)
「何をしている、馬鹿タレが」
「ん……」
「霧雨の奴は最初の実験と言っていた、奴の言葉をそのまま受け取るなら、大罪のコピー能力はこれが初使用の筈だ、魔本を奪われたのは最近なら時期も一致するだろう」
「各地に配置された魔方陣とやらを処理するなら、まだ間に合う筈だ……貴様等数だけは居るのだろ」
「それに得る物もあった、魔方陣自体を消せば範囲内のコピーは消えると分かった、貴様やそこの切り札の活躍の場が増えたな」
「ぎゃああここで私にスポットライトがっ!?」
「それに能力にはルールがある、この複合魔方陣が複数名の能力山盛りならそれはそれ自体が不安定だ」
「能力元を潰せば、恐らく魔方陣の持つブーストは一つ一つ剥がれていくはずだ」
「……! そっか、プラチナは良く言ってた……自分がやられちゃ元も子もないし面倒だから、コピーで自分を守ってるって」
「プラチナの能力をブーストしてる奴が複数人居るなら、弱点も増えてる、場合によっちゃブースト先を一人潰せばチートコピーの根底は破綻するかも……」
「いや何でもありなコピーならブースト先もコピーして増えてるかもしれないぞ!! もう駄目だおしまいだぁっ!」
「えぇい泣き言を漏らすな切り札だろう貴様っ!」
「ぴぇあっ!」
「絶望する暇があるのなら、残された光を手繰り寄せろっ!! 顔を伏せる暇があるなら。前を見て希望を探せっ!! まだ動けるのなら! 諦めるな馬鹿タレがっ!」
絶望して、部屋の隅で蹲っていた頃があった。顔を伏せて、夢に手を伸ばして、届かなくて、泣いていた情けない時期があった。全てが終わったと決めつけて、挑戦もしないで、下ばかり見て、格好悪いなぁと今は思う。優しい言葉なんて欠片も無かった、それどころかぶん殴ってきたんだこいつは。だから今、自分はここに居る。諦めが悪いと胸を張って言える、自分がここに居る。
「しゃーない、きついけどやったりますかぁ」
敵の数は最悪無限、薄々想定していた予測は着々と現実の物となっている。時間が経てば経つ程、事態は悪くなる一方だ。だけど今この瞬間だって、自分以外の誰かが頑張っている。必死に最悪を阻止しようとしているんだ。
「レヴィちゃんの仲間、プラチナさんの奪還、それさえ達成出来ればこの劣勢は覆る」
「手が届きさえすれば、一気にひっくり返せるんだ、諦める理由になんてならないよ」
「…………そういうことだ」
「じゃあなクロノ、私はもう行くぞ」
「ぬえぇえっ!? 四天王さん一緒に行かないのか!?」
「ゲルトに来いって元四天王言ってたんだろ!? 目的地が同じならこの切り札と一緒に戦ってくれても良いんだよ!?」
「馬鹿言うな、私には私のやるべき事があるんだ」
「そこのノロマに合わせて飛ぶ気はない、私のペースでゲルトへ向かい……奴を叩き潰す」
「これは私のストーリーだ、手出しは無用だし……そっちに手は貸さんぞ」
「あぁ、余計なお世話は遠慮するよ」
「お前は、背中を見せてりゃそれでいい」
「うん、全速力でな」
「また会おうクロノ、死ぬなよ」
「誰に言ってんのさ、死んでも死ぬかよ」
「安心して待ってろ、追いつくから」
翼を広げ、セシルは空に消えた。最後に見えた横顔は、笑っていたように見えた。
「良い女だねぇ、ルト様には及ばないが」
「言いたいだけ言って飛んでっちゃったよ、嫉妬するなぁ」
「うぅ……極大戦力が飛んでいく……」
「まぁまぁ、お相手に属してる元四天王をぶっ飛ばしてくれるだけで大助かりと思おうぜ」
「クロノ前向き過ぎるよぉ……」
「まぁね、見ての通りあの背中遠いんだ」
「だから、俯いてる暇なんてないんだ」
セシルの残した言葉の通り、やりようはある。苦しい戦いの中、残された希望を束ねなければ勝機は無い。ここからは、全身全霊で挑むまでだ。やる気を補充したクロノに対し、セツナの無表情は優れない。目標の背中を追うクロノの背が、セツナにはとても遠く見えていた。
(理想と現実は、重ならないなぁ……)
揺れ動く心を、現実は待ってはくれない。欲は既に溢れている、想いは既に交わろうとしている。流れに乗った先で、各々が理想を奪い合う。




