第五百七十三話 『虚像の中、今の中』
襲い掛かってくる影のような何か、その間を潜り抜けバロンは虚空より剣を掴み取る。踊るような足捌きで剣を振るい、周囲の影を両断する。
「へぇ、そこそこ戦えるんだね、その剣はどうやって出したのかな」
「伊達に絵札は名乗ってないさ、そして手札はまだ秘密さ」
「今晩同じ時を過ごしてくれたら、教えてあげても良いけどね」
「この状況で良く口説けるね、嫉妬しちゃうよ」
「退路は塞がれたわけだし、強行突破で異論はないよね」
レヴィは翼を広げ、両手に魔力を集中する。炎と氷の渦が前方を薙ぎ払い、影は粉々に吹き飛ばされる。
「…………」
「いやはや、つくづく味方で良かったと思うよ」
「しかし妙な手応えだ、悪魔の気配はするが生き物の気配が全くしないぞ」
「魔力の気配は全然別のものなのに、どうしてかな嫉妬しちゃうよ」
レヴィは消し飛んだ影のようなモノを睨み、小さく呟いた。翼を折りたたみ着地すると、そのまま壁の方へ歩いていく。
「どうしたんだい嫉妬レディ、そっちに道はないぜ?」
「知ってるよ、でも、ねっ!」
爆炎を壁に押し当て、壁の一部を破壊するレヴィ。機械の壁が剥がれ落ち、岩肌が晒される。
「やっぱりおかしいよね、嫉妬が巡るよ」
「どの辺りに嫉妬しているのか、一般俺にも伝わるようにご解説願えるかな?」
「山の中の秘密のアジト、壁を捲れば岩肌なのは良いよ当然だよ」
「問題は整備も何もされてない、人の手が加わってない自然のままの岩肌が出てきてる事だよ」
「地層がそのままだ、まるでこの施設をここに上書きしてはめ込んだみたいだよ」
「それにこの壁の断面、材質を感じられない、希薄な魔力を感じる」
「つまり?」
「最近までこんな施設は無かったんでしょ、さっきそう言ってたよね」
「レヴィはこんな事が出来る奴に心当たりがあるんだよ、でも早すぎると思うんだ」
不機嫌そうにレヴィは施設の奥へ歩き出す。暫く進むと、ベルトコンベアが部品のような物を運ぶ大きな部屋に出た。コンベアの周囲には、人型の影のような者が数人作業を進めている。
「あれは……」
「コピーだよ」
「コピー……? まさか、怠惰の……!?」
「怠惰、プラチナの『仮身保身』で生み出されたコピーはね、プラチナの意思が無くてもオートで動かせる」
「命令した通りに動かすセミオート、コピー元の動きを再現するフルオート、手を加えれば使い方は多種に渡る」
「あの人型は、ここで働いていた人のコピーなんじゃないかな、その動きを再現してる」
「…………まさかとは思うが、この施設その物も……」
「そうだと思うよ、別の場所にある本物の工場をコピーして、丸ごとここに上書き配置したんじゃないかな」
武器を製造する工場を、人員や物資ごと丸ごとコピーしたというのか。想像を超える規模のコピーに、流石のバロンも冷や汗を流す。これは確かに対処を間違えれば一手で勝負が決まりかねない。
「反則じゃないかな、絵札として泣き言は漏らしたくは無いけどさ」
「でもレヴィは納得出来ないよ」
「ん?」
「まず能力はプラチナのモノで間違いないけど、プラチナのコピーは範囲を魔方陣で指定しなきゃ発動しない……コピー元もコピーを配置する場所も範囲内じゃないと駄目なんだ」
「ここに漂ってる魔力はプラチナのモノじゃないし、そもそも魔方陣なんて見当たらない」
「この工場は山に埋め込まれてるから、山を囲むほどの魔方陣が無いと説明が付かないんだよ」
「……そんなモノ無かったね、地上にも空中にもそんな形跡はなかった」
「それにプラチナは持ってかれてからそんなに時間が経ってないよ、人と敵対する理由はある、だから大罪組に手を貸す可能性だってある、だけど早すぎるよ」
「あのクソ面倒臭がりな……悪魔化する前から怠惰の権化だったボケナスがこんな短い間に大立ち回りする筈がないよ、レヴィの嫉妬を賭けてもいい」
「昔からのお仲間の言葉だ、信じるに値するとは思うけど……そんなに怠惰は怠惰なのかい?」
「ご飯食べるのすら面倒で餓死寸前になってたところをマルスに保護されたんだよ、レヴィ達が世話してなかったら百回は死んでるよ」
「ははは、凄まじい強敵のイメージが一瞬で崩れ去ったね」
「君の顔を見ていれば分かるよ、手がかかるけど良い友人だったんだね」
「うちにも手のかかる愛らしい切り札が居るから気持ちはわかるよ、うんうん」
「…………一緒にしないでよ」
顔を背け、レヴィは施設内の探索を進める。そんな小さな背を、バロンはゆっくりと追いかける。
「仲間の事を語る君は、その愛らしい姿に相応しい楽しそうな顔だ」
「海よりも深い嫉妬でも隠し切れない程に、親愛の気を感じるよ」
「大罪と呼ばれる悪魔である君達には、俺達と同じように仲間同士の絆がある」
「何が違うだろう、何も違わない目を見れば分かる、君達は俺達と……」
「違うよ、何もかも」
「…………!」
「臭いで分かる、お前だって人間じゃないだろ…………端から人じゃないお前と、レヴィ達は違うんだよ」
「まぁレヴィも元はドルイドだからさ、マルス達とは違うんだけど……それでもさ、やっぱり違うんだよ」
「最初からそうだった奴と、途中から道を踏み外した奴じゃ向けられる視線が違うんだ」
「例え目指した目標が、掲げた夢が同じだったとして、歩いてきた道はかけ離れたものだよ」
「レヴィ達はそれでも頑張って進んで、待っていたのは盛大な裏切りだった」
「マルスは違うかもしれないし、レヴィだって仲間を優先するくらいには心ってものが残ってるけどね?」
「根っこの方では、この身体の底には、恨み憎しみ絶望怨念、真っ黒でいっぱいだよ」
「何度でも言う、今はこうした方が効率的だから一緒に行動してるだけ」
「分かり合えるなんて思わないで、レヴィは悪魔、嫉妬の大罪…………人への憎しみはほんの少しだって消えちゃいない」
「レヴィ達はね、もう取り返しのつかないくらい『敵』なんだよ? この立ち位置は変わらない」
「みんなが揃ったら、レヴィ達はきっとお前達と戦う事になるよ」
「ふむふむ、なるほどね嫉妬レディの言い分は分かった」
レヴィの後に続いていたバロンは、明確な敵意を真正面から受け止めていた。譲れない、引き返せない、覚悟にも似たレヴィの想いにバロンは当然のように言葉を返す。
「それでも、俺達は君達を諦めないぜ」
「俺個人としてもどん底のレディを放っておくなんて出来ねぇし、ルト様も見捨てるなんて選択はない」
「君とぶつかったクロノ少年もそうだ、そっちが拒んでも手を差し出す筈だ」
「だから、そんなの……」
「憤怒の悪魔も、そうだろう」
「嫉妬レディよ、取り返しのつかない事なんて何一つねぇんだぜ」
「心が途切れて、信じられなくなってもよ、もう一度もう一回って生き物は手を伸ばすんだ」
「払う手もあれば、掴む手もあるんだ」
「……レヴィ達は、払われて終わったんだよ」
「いいや、今も続いてる」
「バッドエンドを書き換えようぜ、俺達みんなでさ」
「…………っ」
(俺達みんなで、描いた夢だ! だからみんなで掴もうっ!)
濁った心、黒ずんだ精神、それでもあの時の夢は、今も心のどこかに沈んでいた。投げかけられた言葉は、真っ黒な心に波紋を広げる。底に眠っていた、あの時の鼓動を揺さぶった。それでも、簡単には振り返れない。負った傷は、そんなに浅くない。レヴィは息を吐き、衝動を追いやった。
「無駄話は、終わりだよ」
「なに?」
「コピーされてるのは、作業員だけじゃないみたい」
「それに明確な敵意、これは侵入者を排除しろって設定されてるね」
壁から再び影のようなモノが染み出し、複数の悪魔を形作る。シルエットがそのまま膨れ上がり、ボコボコと立体になっていく。赤いランプだけが頼りの薄暗い通路が、気味の悪い影人形で埋め尽くされた。
「手抜きコピーだな、このクオリティじゃ俺のコピーは永遠に出来そうもない……大罪の力もこの程度か」
「まぁプラチナの目が届く範囲なら本物そっくりなコピーも出来るんだけど、お前のコピーとかうざいからして欲しくないかな」
「そ、それはともかく……この先に見られたくないモノがありそうだ、この警備の厚さは匂うぜ」
「嫉妬レディの力なら、この数も一瞬では? 多い少ないとかそういう感じで……」
「そだね、でもごめんね」
力任せな炎撃が、通路を埋め尽くし影人形を消し飛ばす。その威力は、先ほどの比ではない。
「デリケートなところを突っつき回すデリカシーの無い奴がストーキングしてきてさ、レヴィはとっても暴れたい気分なんです」
「その気になればこの世の理はレヴィの思うままに動かせるけど、今は自力で捻じ伏せたい気分だよ」
「大罪前は天才魔法使いとも呼ばれてたんだ、女の子の機嫌を損ねると怖いんだよ」
次々と影が壁から染み出してくるが、人型を取る前にレヴィの魔法で消し飛ばされる。クロノと戦った時とは違い、純粋な攻撃魔法を連発しているだけだから回転が桁外れだ。通路の壁が剥がれ飛び、熱で天井や床の色が変わっていく。
「おぉう……」
「なに呆けてるのさ、レヴィ達を助けるとか偉そうな事言ってた癖に」
「だったらレヴィに嫉妬させるくらい、頼れるところ見せてよ、流魔水渦っ!」
「レヴィ達は、そう簡単には救えないよっ!」
「…………ははっ、面白い」
「俺ほどじゃないが、流魔水渦は男女問わずイケメン揃いさっ!!」
「俺達は必ず、大罪を救ってみせるっ!! ぬおりゃあああああああああああああああっ!」
「あちょ、斜線に出たら……」
気合いの咆哮と共に、バロンは前方に飛び出した。レヴィの放った炎は狭い通路を埋め尽くす規模、前に出たバロンが避ける術はない。
(アホだ……丸焦げに……ん?)
バロンの剣が、レヴィのすぐ隣に浮かんでいる。バロンは剣を宙に放り、前に飛び出したらしい。
「神速移転……”集め狩り”」
それは瞬き一回にも満たない速度、一瞬を十等分した程度の時間。バロンが立っていた場所に影が集まり、その全てがレヴィの炎で消し炭になった。当のバロンは、剣の浮いていた場所でポーズを決めている。
(……まだ壁から出てきてない影まで、自分と位置を入れ替えて一か所に集めた……レヴィでも見えなかった……?)
「タッチの差で俺の勝ちな」
「は?」
言葉の意味が分からず、レヴィは眉間にしわを寄せる。だが消し炭になった影に目を向けると、散る前の灰が不自然に分かれている。まるで、中心から両断されているかのようだ。そして丁度灰の間から、剣が一人でに飛翔しバロンの手元に戻る。剣には焦げ跡一つなく、キラキラと輝いている。
(……こいつ、自分との位置変えで敵を一か所に集めて、剣と位置を変えて自分は安置に、その後飛翔する剣でレヴィより早く影を斬ったのか……)
「どう? 嫉妬してくれた?」
「ぷっ……良いね、どっちが多く倒せるか勝負しようか」
「このままじゃ、嫉妬で狂いそうだよ」
「仰せのままに、お嬢さん?」
両者同時に前に飛び出し、肩を並べて襲い来る影を蹴散らしていく。その頃、内部に工場を抱える山はその姿を大きく変えていた。
「おいおい……バロンさん達大丈夫かこれ……!」
「クロノ、私はもう帰りたくなっている、というか帰ろう、もう十分異常なのは分かっただろっ!!!」
「やれやれ、これは想定していた以上に大がかりな仕事になりそうだ」
「セシルちゃんの自業自得なんやけどねぇ」
もう少しで山のふもとに辿り着くといったところで、急に氷の攻撃が止んだ。その代わり、目的地である山全域が氷で覆われてしまったのだ。氷山と化した山の周囲は、魔力を含んだ吹雪が吹き荒れている。肌を刺すような寒さだが、それ以上に肌を切り裂く殺気が辺りを包み込む。
「貴様には関係ない、手は出すな」
「そうはいかないよ、こっちだってあそこに用があるんだし」
「ぎゃああああああああああ嘘だろなんだあれはあああああああああああっ!?」
牽制し合うクロノとセシルだが、両者の前で氷山が揺れ動く。氷に覆われた山が若干持ち上がり、地表から持ち上がった氷の塊が腕のように形を変える。空を覆い、地に影を落とす巨大な氷のゴーレムだ。
「警告、切り札は3秒後に気絶します、気絶させてください」
「何々? セシルの前の四天王ってのはあんなのに引きこもって戦う奴なの?」
「曲がりなりにも元四天王を前に、貴様随分と余裕だな?」
「言っておくが、私はお前を庇ったりしないぞ」
「必要ねぇよ、俺はお前の背中を追ってるんだぞ」
「お前に負けた奴にビビってられない、そんな時間はない」
「…………そうか」
それよりあの山に向かったバロンやレヴィの方が気掛かりだ。もし山の周囲に居たのなら氷に閉じ込められている筈、少なくてもあれに巻き込まれたなら放っておくわけにはいかない。
「とにかく、俺はあのデカブツをぶっ壊す」
「氷引っぺがして、山を元に戻さないと……セツナ頼んだぜ?」
「お前はこの状況で私を戦力に数えるのか……? いや切り札だけど、そうなんだけどっ!!」
「なら私は当面の目的を果たそう、貴様が氷を剥がす前に、あの中に居るであろう本体を叩きのめす」
「いいや、俺が氷を剥がすのが先」
「貴様私に勝った事があったか? なんならそこで見ていても良いのだぞ?」
「セシルこそ、四天王相手なんだし体力温存しておけば?」
「君等、仲ええなぁ……」
「「まぁなっ!!」」
追いかけるから、追いかけてくれるから、今よりずっと強くなれる。どんな困難だって、超えていける。文字通り山のような怪物を前にしても、クロノは一切怯まない。振り下ろされる巨大な氷塊のような腕を避け、腕の上に着地し一気に駆け上る。
(これだけデケェなら……末端に力をぶち込んでも本体まで届くか微妙だ……!)
「力の核……本体の気配……感じ取って出来るだけ近い位置にぶち込む……!」
「一気に距離を詰める! 構えておけよセツナァッ!!!」
「ふっ……クロノ……?」
「無茶言うなボケエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!!」
山のような怪物を前にし、セツナは終始怯みっぱなしだ。セツナの悲鳴が響く中、若干困惑気味でセシルが空に飛び上がる。
「……あの娘、昔のクロノのようだな……」
「さて……派手に歓迎してくれたな、すぐに引きずり出してやる」
構えた大剣に焔が灯る、空気がピリピリと張り詰めていく。大規模な戦いが、幕を開けた。




