第五十九話 『もう、安心していいぜ』
「魁人、お前は取り巻きを見張ってろ」
「こっちは俺の役目だ」
魁人はその言葉に従い、10数体のウルフ族の方へ歩いていく。そして、ユリウス王はガルアと至近距離で向き合う形になった。
しばらくガルアの顔を見ていたユリウス王だったが、不意にケンタウロス族の方へ顔を向けた。
「ん……全員無傷っぽいな」
「本当に、守り抜いたのか……」
安堵の表情を浮かべるユリウス王に、ロニアが声を上げる。
「クロノ様のおかげでございます」
「彼は約束の為、必死に戦ってくださいました」
「そっか、クロノは信頼に応えたわけだ」
「んじゃ、次は俺の番だよな」
そう言って、再びガルアの方を向く。その表情は至って真面目なものだ。
「あの日以来だよな、こうして顔を向き合わせるのはさ?」
「あんたに助けられなかったら、今この場に俺は居ない」
「俺が獣人種と同盟を組もうと思ったのは、あんたが原因なんだぜ?」
「あの時に俺は確信したんだ、他族とも助け合っていけるって」
ユリウス王の言葉を黙って聞いていたガルアだったが、その言葉に失笑する。
「王ともあろう者が……随分と単純だな」
「あの時お前を助けたのは、ただの気まぐれだ、そんな物で確信しただと?」
「あぁ、そうだ」
「まだガキだった俺にも、あの時のあんたは凄く格好良く映った」
「そして、あの事実を揉み消した親父が……すげぇ汚く映った」
「そんな親父みたいになりたくなくて、王の座を継いで、変えてみようと思ったんだ」
そこまで言って、王は少し表情を曇らせる。
「けど、どうやら俺はそんな親父と大差無かったみてぇだ」
「クロノが、それに気づかせてくれた」
「結局俺は、壁の中でビビッてたんだ、立場を理由にさ」
「最初から俺があんた達と向き合うべきだった、人の代表が聞いて呆れるよな」
「クロノ一人に頑張らせちまった、これ以上腑抜けたままじゃいられない」
「王として、俺も踏み出さないとダメなんだ」
「……で、踏み出してどうする気なんだ?」
「俺を説得でもする気か?」
「そうだな、その為に来たんだし」
「とりあえず俺達と同盟を組んでもらえないか」
真剣な顔つきでそう語るユリウス王だが、ガルアはその言葉を一蹴する。
「何度も言うように、論外だ」
「弱者と手を組むつもりは毛頭ねぇ」
「病に苦しんでいるウルフ族も必ず救う、悪いようには絶対しない」
「だから……!」
「弱者の言葉に意味なんてねぇ」
「これ以上の会話は無駄だ、壁ん中に戻りやがれ!」
その言葉と同時、ガルアの蹴りがユリウス王を襲った。衝撃音が辺りに鳴り響く。
「王……っ!!」
傷ついた体を無理やり起こし、クロノが消え入りそうな声を上げる。
「クロノ様っ! 動いちゃダメなのですよぉ!」
「そうだな、動けば本当に死ぬぞ」
「それに……心配するな、あの王は強い」
セシルがそう言うのと、王がガルアの蹴りを薙刀で受け止めているのを確認できたのは、殆ど同時だった。
「……人間にしてはやるようだな、テメェ」
「あの時のあんたの姿に憧れて、少しでも強くあろうと努力した」
「王子としての立場とかは関係ない、あの壁をいつか破れるようにと……強さを求めた」
「いつの日か、あんた達と向き合えるように……強くなろうとした」
大木すらへし折りそうな蹴りを、片手で持つ薙刀で受け止めた王。その姿を見たカルディナは、王の二つ名を思い出していた。
(巨大な壁で保身を優先していたマークセージに生まれた、改革の種……)
(先代の作った防御優先の考えを否定し、新たな可能性を目指した若き王……)
(隔壁の中に生まれた『戦鬼』……ユリウス・ヴァルゼ……)
(噂には聞いていたけど、本当に強かったんだ……!)
護りの国には不釣合いとも言われていた、攻めの思考を持つ王。その強さの秘密は身に纏う魔力だ。
現象を引き起こす為ではなく、自身の強化に全て回された魔力は、いつしか固有技能に昇華していた。
「固有技能、『魂の開放』……身体強化では無く、限界強化だ」
「人としての限界点を引き上げ、強化の底を深める能力」
「俺は魔力の許す限り、強化の魔法で無限に能力を引き上げられる」
「この力で、いつかあんた達と向き合おうと思ったんだ」
だが、とユリウス王は続ける。
「一つ、疑問が生まれたんだが……強さってなんだろうな」
「ガルア・リカント……あんたの言う強さってなんだ?」
「あんたの言う弱者って、例えばなんだ?」
その言葉にガルアは脚を引っ込めると、黙り込んでしまう。
「あんたからすれば、人間は弱者か?」
「もしそうなら、何で人間一人に止められていた?」
ガルアは答えられなかった。人間一人に、何故……。
「多分その答えは、あんたの言う強さとは違う強さを、クロノは持ってたからなんだよ」
「クロノは一人で戦ってんじゃない、期待を向けられ、それに応えようと戦っていた」
「クロノの頑張りがケンタウロス族を動かし、繋いだ絆が今の結果を呼んだ」
「支え合う事、それも強さなんじゃねぇかな」
「あんたは仲間を多く引き連れてきたみたいだが、心から賛同を得ていない」
「頭領としても、個としても……あんたは方法を間違えたんだ」
その言葉に、ウルフ族の1人が前に出ようとした。それを魁人が遮る。
「言いたい事もあるだろうが、今はトップ同士の話し合い中だ」
「邪魔するのは遠慮してくれ、俺はまだ退治屋の感じが抜けてない」
「クロノと違って、手加減出来ないかもしれないからな」
「怪我をしたくないのなら、どうか動かないようにな?」
固有技能・『退魔』の力を纏った魁人がやんわりとウルフ族を威圧する。その姿に獣の勘が、その本能が、勝ち目が無い事を告げた。
ウルフ族は魁人の言う通り、トップ同士の話し合いを黙って見ているしか出来なくなった。目の前の黒い法衣を纏った少年には、威圧感だけで魔物を押し黙らせるほどの力があるのだ。
魔物を滅する力、『退魔』を宿す魁人だからこその芸当だった。その力は魔との共存においては障害にしかならない為、魁人自身今はあまり快く思えていない。
(だが、今はそんな事はどうでも良い)
(後は……王に任せるほか無いからな……)
自分の今の仕事は、話し合いの邪魔をさせないこと。魁人は目の前のウルフ族を警戒しつつ、この話し合いが無事に終わる事を祈っていた。
「支え合う強さ……弱者の傷の舐め合いが強さだと?」
「本気で言ってるのか?」
「事実、あんたはクロノにここまで追い込まれたんだ」
「聞けばこの結果を呼んだ一因には、ウルフ族の兄ちゃんも絡んでるそうだぜ?」
「クロノは、そのウルフ族の心を動かしたんじゃねぇのかな」
「それも一心に、あんたらを助けたいって気持ちからだ」
「……なぁ、本当はもう分かってるんじゃねぇの?」
「後ろのウルフ族達も、あんた自身も、やってる事が無駄だって分かってるんじゃねぇの?」
既に、戦意を喪失しているウルフ族も居た。この場を包む空気が少しづつ、戦いのそれでは無くなっていく。
それでも、黒狼は折れなかった。
「人の王……テメェが何を言っても俺は意思を変えるつもりはねぇ」
「大体、今更どの面下げて助けてくださいなんて言えると思う?」
「俺はボスとして、種を守る義務がある」
「ボスが揺れ動いてちゃな……下の物に示しがつかねぇだろうがぁっ!!!」
体は確かに傷付いているが、その闘志はまだ残っていた。
「誰の手も借りねぇ! 俺は先代に誓ったんだ! ウルフ族の誇りを! プライドを……っ!!」
「……だったら、あんたはボスでもなんでもない……」
「仲間の手すら撥ね退けて、孤独に暴走するあんたは、ただの駄犬だ……っ!」
ガルアの言葉を遮ったのは、ボロボロの状態のクロノだ。レラに支えられ、ピリカに回復の術をかけられながら、必死に声を発していた。
「なん、だと……っ!?」
「あんたには、分からねぇんだろ……? 何でハーミットさんが泣いてたのか……!」
「あんたの連れてきたウルフ族が何でそんなに辛そうなのか、分からねぇんだろ……!?」
ガルアはその言葉で、背後の同胞達に目を向けた。皆、辛そうな、悲しそうな顔をしている。
「っ!! 腑抜け共がっ!! 何を躊躇してやがるっ!!」
「誇りはどうしたっ! 俺達は強さで存在を主張してきたはずだっ!」
「苦しむ同胞を救う為に……俺達は……」
「本当に馬鹿なのかこの糞狼っ!!!!!!!!!!!!!」
「そいつらが苦しい理由は、お前が理由だろ!!」
「お前のやり方に反対して、それで苦しんでるんじゃないっ!」
「お前が心配だから、辛いんだろっ!」
「ハーミットさんは助けてくれって言った! お前を助けてくれって意味だっ!!」
「自分を心配してくれてる仲間の事にすら気がつかないで、何が誇りだ、何がボスだっ!!」
「助けを求めることが弱い事だって思ってるお前なんか、ちっとも格好良くねぇ! 全然ボスらしくない!」
「……そんなの、絶対……絶対絶対、間違ってる……っ!!」
「ゲホッ……!?」
言いたい事を全て吐き出したクロノは、次に血を吐き出した。
「クロノ殿っ!?」
「ピリカッ! もっと気合入れて治療術使え!」
「レー君こそ気合入れて魔素回してよ! 森の中と違って魔素は無限じゃないんだよ!?」
クロノを取り囲む他族の者達が、慌しく騒ぎ始めた。その騒ぎと対照的に、ガルア・リカントは沈黙していた。
そんなガルアに、ユリウス王が近づいていった。
「なぁ、あんたが俺を助けてくれたのは気まぐれって言ったよな?」
「俺の記憶が確かならさ、あの時あんたは俺にこう言ったはずだぞ?」
「『大丈夫か、もう安心していいぞ』ってさ」
口を塞がれ、荷馬車の中で泣いていたあの時、獣人種だったからこそ聞こえたその泣き声。種族が違うのに、明らかに自分の意思で、助け出してくれた。
その姿は種族なんて関係なく……少年の目にはヒーローに映っただろう。
「助けを求めることもさ、助けようとする事もさ、弱いって事じゃないはずだろ」
「それに、例えそれが弱さでも俺は構わないと思う」
「自分の弱さを知った奴は、もっと強くなれると思うからな、……俺がそうだったし」
「大体、一人より二人でやった方が良いに決まってる、大勢で強力したほうが強いに決まってる」
「独り善がりなんて、間違いに決まってる」
「仲間を切り捨てて守った誇りなんて、間違ってるに決まってる」
「それで仲間を守れても、守られた方が笑えないっての」
ガルアは、黙って聞いていた。しばらく続いた沈黙を破ったのは、ガルアの連れて来たウルフ族の一人、若い女のウルフ族だ。
魁人はそのウルフ族の表情を見ると、黙って道を譲った。
「頭領……もう休んでください……」
「先代の言葉は、既に頭領にとって呪いと言ってもいいですっ!」
「私達は一人で傷付いていく頭領なんて見たくないっ、悪役になろうとする頭領は見たくないんですっ!」
「……優しかった頭領に、戻ってください……っ!」
顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、必死に訴える女のウルフ族。その言葉にユリウス王も思い出した、幼い頃の記憶を。
自分を救い出してくれた、あの優しい笑顔を……。
「……同盟についてはさ、どうなるかも分からないし、どうしていいのかも分からない」
「完全に手探りでやっていかないとダメだからな……」
「だから、同盟を組むのが抵抗あるならさ、まずは借りを返すって事で手を打ってくれねぇ?」
そう言うと、ユリウス王は沈黙し、俯いているガルアに手を差し伸べた。
「今度は俺があんたを助けたいんだ、あの時の借りを返したい」
「それじゃあ、ダメか?」
ガルアはその手をしばらく見つめていた。そして、空を見上げる。
その目に満月が映るが、心はもう荒立つ事はなかった。
(間違っていたのか……? 俺は……)
(一番守りたかった物を、俺が傷つけていたのか……)
(助け合う事が、弱い事なら……同胞達と助け合うのも、弱い事か……?)
(……そんな訳、ないよな……)
(何でだろうな……)
力が抜けたように、ガルアは僅かに微笑んだ。
「今は、お前達の声がよく聞こえる気がするな……」
「同盟を組めば、お前も同胞になるわけだ」
ユリウス王の顔を見て、そう言った。
「あぁ、対等な関係で、助け合って行くわけだぞ」
「俺達人間と、ケンタウロス族と、ウルフ族がな」
あの時のガキに説教されるとは、世の中は分からない物だとガルアは思った。それ以前に、雑魚と思い叩き潰そうとした小僧に、あそこまで怒鳴られるとも思わなかった。
不思議と、あの言葉で目が覚めた気がする。
「助け合い……ねぇ」
「……悪くねぇのかもな」
そして、ガルアがユリウス王に向き合った。ウルフ族達に背を向けたまま、ガルアが口を開く。
「すまん、方法を変えてみようと思う」
「もう一度だけ、俺について来てくれるか?」
ウルフ族達から、歓喜と同意の声が上がった。
「とりあえず様子見だからな、場合によっては普通に抜けるぞ」
「だが、組んでやるよ、同盟っつーのをよ」
その言葉と同時、ユリウス王の手を取った。ユリウス王は薄く笑うと、ガルアにしか聞こえないように小さく口を動かす。
『もう、安心していいぜ』……と。
クロノはその光景を、ギリギリ繋ぎ止めていた意識の中で確かに目にしていた。
「クロノ君……やったよ! 凄い! 同盟組んでくれたよっ!」
カルディナが笑顔で駆け寄ってくる。
「なぁ、俺達ロクに説明されないままここにいるんだが……」
「同盟って何の話なんだ?」
「レー君魔素足りない!!!」
「俺が枯れるだろアホッ!」
少し懐かしいエルフの2人組の声が、すぐ近くで聞こえる。
「主君っ! 大丈夫ですか!?」
「俺は平気だ、それよりクロノは……」
離れたところから、魁人と紫苑の声が近づいてくる。
「クロノ殿……私は……感動しております……!」
すぐ近くでセントールの声も聞こえる。朦朧とする意識でも、面倒な事になる予感がした。
「やったぁーっ!! クロノッ! やったやったやったっ! 同盟だよぉ!!」
「凄いよ……本当に上手くいくなんて……!」
精霊達が姿を現し、片や大はしゃぎ、片や歓喜の表情を浮かべていた。
そして、セシルが無言でクロノの前に歩いてきた。目の前まで来ると、クロノの目線に合わせるようにしゃがんでくる。
そして息を吸い込むと……。
「人の忠告を片っ端から無視して突っ走りよって、馬鹿タレが」
「無茶するという次元を超えているだろう、何回死にかければ気が済むのだ、馬鹿タレが」
「勝てると本気で思っていたのか? 貴様の頭には紙くずでも詰まっているのか、馬鹿タレが」
「貴様の軽い命一つで何を成せるというのだ、少しは考えろ、馬鹿タレが」
「大体他にやりようもあっただろうが、一番リスクを負う方法を取りよって、馬鹿タレが」
「そこの森の引きこもりが居なければ本当に死んでいたんだぞ、馬鹿タレが」
「貴様はあれか、実は死にたがりの自殺志願者か、馬鹿タレが」
「貴様の無茶に付き合わされた精霊達が哀れでならんわ、馬鹿タレが」
「えぇい言い足りん! 馬鹿タレ馬鹿タレ馬鹿タレッ!!」
限界ギリギリのクロノに、この連呼はかなりキツイ。周りが若干引き気味になる勢いで攻め立てられた、クロノは白目を向いて意識を手放した。
意識が途切れる瞬間、クロノの耳に最後の言葉が届いた。
「……見事だった、ゆっくり休め」
長い夜が、終わった。
次回、獣人種編完結っ!




