第五十八話 『大丈夫な理由』
クロノは烈迅風の速度で、一気に距離を詰める。ガルアの背後に回り込み、拳を構えた瞬間に視界の半分が漆黒で埋まった。
それがガルアの蹴りだと気がつき、咄嗟に身をかわす。髪の毛が数本、蹴りで斬れた。
(……っ!? 合わせて来た!?)
(俺の速度が落ちてるのか……相手が慣れてきたのか……?)
あるいは、両方か……。ガルアの距離は危険と判断し、一旦距離を置くクロノ。
だが様子見の時間は無い、間髪入れずに空中に飛び上がり、再び周囲を飛び回る。
(この速度で飛び回れば……っ!?)
数回空中を蹴りつけ飛び回ったクロノだが、その体に激痛が走った。
(クロノ! もう無理だよぉ!!)
(体が速度に耐え切れてないよぉ!!)
この異常な速度が人間の体の耐久度を超えていると言うのも、当然と言えば当然だ。二重接続とやらでそれを補って、初めて運用出来る力と精霊達も言っていた。クロノの体はミシミシと嫌な音を立て始めている、その痛みで速度も落ち始めていた。
「月狂・連獣咆っ!!」
その隙を見逃すほど今のガルアに理性は残っていない、連発で撃ち出された衝撃波がクロノ目掛け襲い掛かった。
「う、おああああああああああああああああっ!」
その攻撃を高速で空中を駆け抜け振り切る、体の痛みは激しさを増すが、知ったことでは無い。
その速度のままガルアの周囲を飛び回る、戦いを見守るウルフ族とケンタウロス族にすら、クロノの姿は捉え切れなかった。
だが、ロニアとガルアにはその動きは既に捉え切れる域だ。特に月狂を使っているガルアには、その動きは既に見切られていた。
(確かに速い、速いが……これなら合わせられる)
(寸前で方向を変えられるのも、限界があるだろう)
(あのガキが本気で攻めてきた瞬間、その瞬間にカウンターを合わせる)
(あのちょこざい護りの技に切り替える前に叩き込めば、それで終わりだ)
月狂により、その思考回路は相手を叩き潰す事だけに働く。冷静さを取り戻した凶暴性の塊は、その爪を相手に突き立てる為だけに動き出す。
そんな漆黒の化け物に向かってクロノが突っ込んできた。高速で突っ込むクロノだが、その姿はガルアの目にはっきりと映っている。
「グルアアアアアアアッ!!」
下手なナイフより切れそうな爪が、クロノの眼前に迫る。クロノは気流を巻き上げ、自身の体を無理やり上に弾き飛ばす事でそれを避ける。
そのまま再び周囲を飛び回り始めた。
(何度でも向かって来い、人間……!)
(何度やっても同じ事だ、テメェじゃ俺は倒せねぇんだよっ!!)
ガルアの目は飛び回るクロノを捉え続けている。奇襲はもう成功しない、何度突っ込んでも迎撃されかねない。
ケンタウロス族は祈るようにその光景を眺め、ウルフ族は自分達のボスの勝利を確信していた。
クロノは自分を捕らえ続けるガルアを見て、微かに笑った。
(やっぱ、合わせてきたな)
(今のクロノは目に見えて弱っている、当然だろうね)
(本当にやるの……? 危険すぎるよぉ……)
最初の速度を失い、もはや満身創痍なクロノに向かってガルアがカウンターを狙ってくるのは、言ってみれば必然の事。
相手の次が分からなければそれは賭けだが、相手が何を狙っているかが読めるのならば……。それに合わせたクロノの策の成功率は当然、上がる。
「勝負っ!!」
失敗すれば間違いなく負けるが、それでもやるしかない。クロノは加速し、ガルアの斜め上空から突っ込んでいく。
(来たな、この期に及んで向かってくるその度胸は認めてやる!)
(人間の癖に大した奴だ、だが……)
「お前に俺は止められねぇっ!!」
ガルアは突っ込んでくるクロノを迎撃する為、拳を振りかぶる。このまま突っ込めばカウンターを喰らい、クロノは負けるだろう。
だが、ガルアは気がついていない。自らを囮に、クロノが仕掛けた最後の策に。
クロノが飛び回っていた空中に、多数の気流の線が残されている事に。
「飛べえええええええええええええええええええっ!!」
空中に停滞していた気流の線が、渦となって周囲を巻き上げる。一瞬で巨大な上昇気流を生み、ガルアとクロノの体を上空高くに吹き飛ばした。
「なっ!?」
拳を振り切ろうとしていたガルアは、完全に体勢を崩された。クロノはその隙にさらに上空へ飛び上がる。
そして、十分高所へ上がったクロノは、そこからガルア目掛け弾丸のように突っ込んできた。当然だがガルアは空中では動けない、突っ込んでくるクロノを避ける術はないのだ。
(くだらねぇ……! この程度でどうにかできると思ってるのかよ!!)
「月狂・連獣咆っ!!」
突っ込んでくるクロノに向かって、多数の衝撃波が飛ばされる。既に何度も加速を繰り返しているクロノは、その衝撃波に突っ込む形になった。
(そしてまた、方向を変えるってか?)
(それの繰り返しだ、何も変わりはしねぇ)
そう思っていたが、クロノは突っ込んでくるのを止めない。そのまま衝撃波と衝突してしまった。
連続して衝撃音が鳴り響き、空気が揺れる。舞い上がる煙の中から、一切速度を落とさずにクロノが飛び出てきた。
「何っ!?」
衝突の瞬間に巨山嶽に切り替えた、そして今は落下中。乗り切った速度は精霊技能を切り替えても、簡単には落ちはしない。
「金剛穿駆っ!」
その勢いのまま、ガルアの腹部目掛け拳を叩き込んだ。その一撃で、ガルアの体は地上目掛け吹き飛ばされる。
「交代っ!」
その瞬間に烈迅風に切り替え、吹き飛んだガルアを追いかける。追いつく瞬間に再び切り替え、巨山嶽の力で殴りつける。
「交代! 交代! 交代、交代、交代……っ!!」
一回の交代、一回の追撃……その度に体が悲鳴を上げる。既に、左手と右足が痛みを通り越して感覚が無い。
それでも、ここを逃せば勝ち目なんか無い。地上に落ちるまで、クロノは何発も何発も拳を叩き込んでいく。
「ガッ……ハッ……!!?」
「うりゃあああああああああああああああああああああああああああっ!!」
初めて、黒狼が苦悶の表情を浮かべた。地上まで残り数メートル、これが最後の一撃だ。
「金剛穿駆・迅式っ!!!」
渾身の一撃が、ガルアの顔面を捉える。強烈な一撃をまともに喰らった黒狼は、地上に向かって叩き落された。
凄まじい音と煙を巻き上げ、ガルアは地上に叩きつけられた。そのすぐ後、力無くクロノも落下してくる。
(……っ!!! う、ぐぁ……っ!!)
落下後、クロノは自分の体を押さえ悶える。謎の強化も切れた様で、第二リンクは消え去っている。
心身共に完全に限界を超え、既に戦える状態では無い。意識が残っているだけで奇跡的だった。
(無理……もう無理だ……体が砕けそう……だ……)
(うわぁ……人間の体ってこんなに痛くなるものだったのか……!?)
過去感じたことのないレベルの痛みに驚くが、今はそれも後回しにしなければならない。
(ガルアは……どうなった……?)
痛みを堪え、顔を上げるクロノ。顔を上げた瞬間、クロノに影がかかった。
ガルア・リカントが……そこに立っていた。
(……っ!?)
効いていないのか、自分の全力を超えた攻撃も全て無駄だったのか。一瞬そんな考えが過ぎるが、よく見るとガルアの息は切れている。
肩で息をしているガルアは、どう見ても余裕があるようには見えない。眼帯は外れたままだと言うのに、月狂も解けてしまっていた。
「ぐっ……!」
その姿を見て、クロノは無理やり立ち上がる。そして、両手を左右に広げた。
厳密には広げようとした、左手が上がらずに右手だけを広げた形になる。背後のケンタウロス族を庇うように、クロノは立ち上がった。
「……どうしてそこまですんだよ、テメェは……人間だろうが……」
「他族の為に……なんだって……」
「夢の為、だから」
「絶対に、捨てられないから……」
言葉を発するだけで苦しい事に少し驚いたが、クロノは口を開く。
「それに、アンタは……間違ってる……」
「何……!?」
「先代に、誇りを守り抜く事を誓ったとか……言ってたな」
「その誇りに、どんだけの価値があるんだよ……!」
「同胞を守ることより、誇りを守る事が大事なのかよ……!」
「何が頭領だ、ふざけんな……!」
「そんなにプライドと心中したいなら一人でしろよっ! この、馬鹿犬がぁ!!」
クロノの搾り出すような咆哮が、ウルフ族達にほんの少しの波紋を呼んだ。
「……黙れ……黙れっ!」
「弱い奴等に助けを求めるなんざ……できるかっ!」
「俺達は弱者を踏み越え、生を掴むっ!」
「……邪魔を、するなぁっ!!」
ガルアの右爪が、クロノに向かって振るわれた。避ける事など不可能だ、クロノはもはや一歩も動けない。
絶体絶命の状況で、あの青年の言葉が脳裏に過ぎる。悩んでも、落ち込んでも、行き詰っても、大丈夫な理由がある、そう青年は言った。
それが何故か、今分かった。
(あぁ、そっか……)
ガルアの爪が、虚空を切る。
攻撃を空振りしたガルアの背後に、クロノを抱えたカルディナが膝を付いていた。
(皆が、居るからか……)
一人じゃないから、それが大丈夫な理由だ。
「クロノ君生きてる……! 良かった……間に合った!!」
「あの時の勇者……邪魔をすんじゃねぇよ!!」
カルディナの背に向かって再度爪を振るおうとするガルアだが、その爪を魁人が札で受け止めた。
「悪いが、この男にはもう手は出させない!」
「次から次へと……!」
黒狼の爪を弾き飛ばした魁人が、クロノに目をやる。ボロボロだが、息はあるようだ。
そして、目の前のウェアウルフも確かなダメージを抱えている。
(信じられないな……満月の晩のウェアウルフと戦い、ここまで渡り合ったのか……!?)
「女勇者! クロノをこっちに連れて来い!!」
魁人が感心していると、セシルが声を上げた。その声にカルディナが慌てて反応する。
「うわわわっ! 了解了解!」
「スライドッ!」
そして、クロノを抱えたまま高速でセシルの所まで滑るように移動していく。
「クロノ君生きてるよっ!」
「見れば分かるわ、エルフ×2! クロノを回復しろ!」
「その纏め方むかつくなおい!?」
ボロボロなクロノに、ピリカとレラが駆け寄ってくる。
「うわぁ! クロノ様ズタズタなのですよぉ!?」
「レー君魔素貸して! わたしの魔素じゃ足りないっぽい!」
「あ、あぁ!」
二人してクロノに手をかざし、治療の魔法を発動する。その光景をクロノは呆然と見ていた。
そんなクロノに、セントールが近寄ってきた。
「クロノ殿……よくぞご無事で……!」
「……何で、皆が?」
「てか、何でここにピリカとレラが居るんだ……?」
「今のボロボロな貴様の頭に説明出来る時間は、無い」
「貴様はとりあえず休んでいろ、……良く頑張った」
「後は、代表者同士の仕事だ」
その言葉と同時、クロノは隣に気配を感じた。何とか顔を向けると、ユリウス王がそこに立っていた。
「……ウルフ族が抱えてる問題については、セシルから聞いた」
「クロノ、本当にご苦労さんだ」
「後は、任せとけ」
クロノの身長より遥かに長い、巨大な薙刀を携え、ユリウス王がガルアに向き合った。
「……お初にお目にかかるぜ、ウルフ族の長よ」
「マークセージの王をやらせて貰ってるユリウス・ヴァルゼだ」
王を睨み付けるガルアだったが、何かに気がついたような表情を浮かべる。
「……テメェは……」
「やっぱりか、黒狼って聞いててもしかしてとは思ってたんだよ」
「久しぶりだな、恩人さん?」
その言葉にクロノは正直驚いた。ユリウス王が子供の頃、誘拐犯から救い出してくれたという獣人種……。
クロノはてっきりケンタウロス族だと思っていたのだが、ウルフ族……しかもガルアだったらしい。
「あの時のガキか……何の因果だこりゃあ」
「まったくだよな、まぁ俺は再会できて嬉しいんだが……」
「残念ながら、喜んでる場合じゃねぇっぽい」
「……代表者も出揃ったし、そろそろ幕引きにしようじゃねぇか」
終戦の時間が、迫ってきていた。




