第五十五話 『間違ってるのは…?』
ケンタウロス族の集落から南西に位置する岩場、本来なら風の音だけが聞こえる筈のその場所から、鈍い打撃音が響いた。
クロノの鳩尾にワーウルフの蹴りが深く叩き込まれた音だ。体がくの字に曲がり、肺の酸素が口から吐き出される。
「これならどうだ、確実に……っ!?」
蹴りを放ったワーウルフが言い終わる前に異変に気づく、悶絶している筈の人間が自分の足を掴んできたのだ。顔を上げた人間の表情は、口の端から血を流しながらも笑っている。
「うらあああああああああああああああああっ!!」
咆哮と共に、クロノは足を掴んだ左手を振りかぶる。大地の力を借りていなければ出来ない芸当だが、ワーウルフを上空に投げ飛ばした。
何が起きたのか理解できないワーウルフの少年は、空中で手足をバタバタとさせている。……まぁ理解できていても、何も出来ないのだが。
投げ飛ばしたワーウルフに背を向け、クロノは地面に左手を付いた。
(……果たして上手くいくのだろうか)
(2日の休息時間であれだけ練習したんだ、上手くいってもらわないと困るよ)
(あれを休息と認めるのは、俺には出来ねぇ……)
(それに何度も言うように俺は魔法の才能がねぇんだって、感覚も何も分かんねぇんだよ)
ケンタウロス族の集落での2日間、クロノは精霊達とある修行を行っていた。それは魔法の才能が皆無なクロノには無理難題に聞こえる修行、『精霊法』の修行だ。
『精霊法』とは精霊使いが使うことの出来る、自然の力が主体の魔法のようなものである。
これまでクロノが使ってきた精霊の力は『身の置き方』から成る身体能力強化だ。自然を身に宿すその極意は、相当な実力者でなければ感じすら掴めない。
その初歩を精霊と契約する事で掴み、下手糞ながらも運用してきたのだ。そしてその初歩クラスの身の置き方を精霊技能でドーピングして何とか戦ってきたわけだ。
『精霊法』は身体的な物ではなく、自然の力を現象として引き起こす物。それは魔法となんら変わりなく使うことができ、使用者の精霊とのリンク次第でその力は高まっていく。
自身の魔力と繋ぎ合わせ、さらに強力な魔法にする事も可能であり、それが魔術に長けた物が精霊を求める理由でもある。
シルフ、ノームと契約をしているクロノは彼らの力を借り、風・土の精霊法を使うことが出来る筈なのだ。
(筈……と言うのも、練習じゃまともに発動してくれなかったんだよなぁ……)
以前の船上での風の修行時、紙飛行機を浮かしただけで内心で『やべぇ、魔法じゃねこれ……?』と思っていたクロノにとって、精霊法などおこがましく思えてしまうほど敷居が高かったのだ。
(クロノ、自信持ってよぉ)
(今は精霊技能使ってるでしょ? これで出来なきゃ病気だよぉ)
(練習時は疲労を避ける為に、精霊技能は無しだったしね)
(リンクしてる今なら、そこそこの精霊法は使えるはずだ、僕達と自分を信じろ)
自分の事は勿論信じているが、それ以上に仲間の言葉を信じないわけにいかない。何より当たって砕けろ精神で現在戦闘中だ、もうなるようになってしまえばいい。
(精霊法はイメージが大事……だったよな……)
精霊法に明確な形は無い。風を起こす、風で吹き飛ばす、風で切り裂くなど、運用方法は使用者のイメージと力量で決まる。
己の魔力の属性で縛られる魔法や、特異な能力に昇華した固有技能には無い、何にも縛られない大自然の様に自由な力、イメージ次第で凄まじい力となるのが精霊法なのだ。
クロノは目を閉じ集中する、大地の息吹を左手で感じ、それを力として具現する。魔法の才能が悲しくなるほど無いクロノに『魔法使う感じだ』、と言っても分かるはずがない。
だから、自分の感じを掴む事から始めた。その感じは既に、二日間で掴んでいる。
「そこから1ステップ進ませるのが、精霊技能だ」
アルディの声の通り、イメージが現実の物になった。クロノの足元が揺れ、次の瞬間ビックリ箱のように勢い良く地面が迫り上がった。
それは発射台のようにクロノを空中に撃ち出し、空中のワーウルフ目掛け突っ込ませる。
「金剛羅刹っ!」
その勢いのまま、肩からワーウルフに突っ込むクロノ。空中で回避の術が無いワーウルフはそれをまともに喰らい、ぶっ飛ばされてしまう。
二人して地面に落下するが、立ち上がったのはクロノだけだ。攻撃をモロに喰らったワーウルフは完全に気を失っている。
「落下しても大して痛くないのはいいんだけど、何か締まらない……」
「……ってアホな事言ってる場合じゃねぇんだよな」
クロノが大地の力を使い始めてから警戒の色を強めたのか、ハーミットは適度な距離で身を低くしていた。
既に部下と思われる二体のワーウルフは倒した、後はハーミットだけだ。
クロノはハーミットに向き直る、最後に彼を残したのは少しの期待からか。クロノは構えを解き、口を開く。
「言葉じゃ、止められないんだよな」
「じゃあ止まらなくていい、止まらなくていいからさ、話してくれないか」
「事情も知らないで止めようなんて、そんなの俺もねぇと思う」
「……だから話してくれ、何でこんな事するんだっ!」
ハーミットは黙って聞いていた、襲い掛かってくる様子は無い。
「黙ってちゃ分からないんだ、話してくれないとさ……俺は馬鹿だから分かんないんだよっ!」
「そっちにとっては迷惑なのかもしれない、助けたいとか俺の偽善なのかも知れない!」
「それでも助けたいんだよっ! いいから助けさせろよっ!」
やはりハーミットは動かない。黙って、聞いていた。
「理由があるんだろ? お前等は本当はケンタウロス族と戦いたくないんだろっ?」
「……何勝手に決め付けてる、馬鹿じゃねぇの」
ここで初めて、クロノに返答した。
「そりゃお前の勝手な思い込みだろ、俺達は迷ってなんかいない」
平坦な声、クロノの言葉を切り捨てるように言った。
「理由? そりゃ領知を広げる為だろ、決まってるぜ」
当然のように。
「それなのに深読みして善人気取りで何してんだか……うざすぎるわお前……」
鬱陶しそうに。
「助けさせろ? じゃあそこ退いてくれよ、そしたら助かるわ」
嘲るように。
「大体人間のお前に関係無いのにマジうぜぇんだよ、うぜぇうぜぇうぜぇっ!」
吠えるように、言葉を繋ぐ。そんな言葉に、クロノは当たり前のように答えた。
「関係ある」
「人と獣人種は同盟を組むから、関係ある」
その言葉が、僅かにハーミットを切り裂いた。
「……っ! それがうぜぇんだよっ!!」
「そんなモン組む気はねぇっ! 何度言わせるっ!」
「何か察したみたいな顔しやがってムカつくんだよっ! テメェに何が分かるんだっ!」
「ケンタウロス族なんざ雑魚だ、ぶっ飛ばすのなんて簡単なんだよ!」
「弱者に土地は必要ねぇ、強者が全てなんだっ!」
「だから奪う、だから襲う、だから戦うっ!」
「それ以外に理由なんてねぇっ! 分かったらそこを退けっ!!!!」
吐き出すように、叫んでいた。平坦だった声には、一つの感情が含まれている。
それは怒りじゃない。
「……それがお前等の戦う理由か?」
「お前等が決めた道なら、迷いなんて無いんだろ?」
「……それなのに、何でそんな辛そうな顔してんだよ」
ハーミットの顔は、泣き出しそうな顔だった。クロノの言葉を聞き、ついに涙が零れた。
「……っ!!」
「……なん、で……っ!」
「邪魔……すんなよ……っ!」
ハーミットは搾り出すように言うと、地面に力無く膝を付いた。俯き、震える声で言葉を紡ぐ。
「俺達は……止まれないんだよ……」
「これしかねぇんだ、頭領が決めた事に間違いはねぇんだよ……!」
「やるしかねぇんだっ……やらねぇと……仲間が死ぬんだっ!!」
「もう、時間がねぇんだよぉっ!」
心の底から搾り出したような声に偽りの色は無い、事実なのだろう。仲間の為、……それがウルフ族の理由。
「どういう、事なんだ……?」
「……疫病だ、俺達の中で広がりつつある……」
「このままじゃ俺達は全滅する、仲間は今も苦しんでる」
「薬になる草は知ってる、だけど俺達の領地は乾燥地帯だ、その草は生えてない」
ここまで聞いて理解した、その草はケンタウロス族の領地にあるのだろう。だが、そんな理由ならば苦しむ必要なんか無い。
「そんなの、助けを求めれば済む話だろ」
「同盟の話を受ければいい、そうすれば解決だ!」
「人間も、ケンタウロス族も、ウルフ族を見捨てたりなんか絶対にしない!」
「まだ間に合うんだろ? だったら急いで……」
「……頭領は、その選択肢を捨てた」
「俺達はそれに従う、……だからこれは、俺の反逆行為に等しい……」
それでも信じたいと、すがりたいと思ってしまったのは……迷っていたから。心のどこかで納得できなかったから……。
「なぁ……やっぱ、間違ってるのは俺達だよなぁ……」
「どうすりゃ、いいのかな……」
「なぁ、おい……教えてくれよ……」
途切れそうな声を、俯きながらクロノに飛ばす。
「……助けて、くれよ……っ」
若き獣人種は、助けを求める声を絞り出した。
「うん、助ける」
当然の様に、クロノは笑顔を浮かべる。
「つか……最初から助けさせてくれって言ってんだろうが」
「それに、お前は間違ってなんか無い」
「本当に間違ってるのは……」
「獣咆っ!!」
クロノの声を吹き飛ばすように、衝撃波の様な物が周囲を襲う。その力がハーミットを撃ち抜き、ボロ雑巾の様に弾き飛ばした。
クロノが差し出していた左手に、ハーミットの吐き出した血が付いた。吹き飛ばされたハーミットの体が、クロノの横に倒れこむ。
「……っ!」
誰がやったか、クロノはそれを瞬時に理解した。今の会話も、最初から筒抜けだったのだろう。
「そうだよな……本当に間違ってるのは……アンタ一人だ、ガルア・リカントッ!!』
そう声を荒げ、衝撃波が飛んできた方向を睨み付ける。月を背にした複数人のウルフ族が、岩の上に見える。
その先頭に立つ一際大きく、夜の闇に溶け込みそうな黒毛を纏ったウルフ族。ウルフ族の頭領、魔核固体のウェアウルフ……ガルア・リカントだ。
「ベラベラといらねぇ事くっちゃべりやがって……」
「ウルフ族の恥晒しが……!」
吐き捨てるように言うガルアに、クロノがキレた。
「助けを求めて、何が悪い」
「仲間を想って、感情を押し殺して言いなりになって……」
「群れのボスの言う事は絶対だって……っ!?」
「ふざけんなよっ!! テメェの勝手なプライドでこいつは苦しんでんだっ!」
「詰まらないプライドや意地で仲間を守れるのかよっ! 逆に苦しませてるじゃねぇかっ!」
「お前はボス失格だっ! 仲間を苦しめて何が頭領だっ!!」
その言葉に反応し、ガルアは岩の上から飛び降りてくる。クロノから少し離れたところから、クロノを睨み付け口を開いた。
「人間のガキが……知った風に言うじゃねぇか」
「口だけなら、何とでも言えらぁ」
「俺は先代にウルフ族の誇りを守り抜く事を誓い、この座に就いた」
「弱者に救いを求めるなんざ、恥を晒す事に他ならねぇ」
「受け継いだもんも貫き通せない俺達には、そもそも生きる価値もねぇんだよっ!!」
「俺は、俺の力でウルフ族を救うっ! 邪魔はさせねぇ、誰にもだっ!!」
言葉に込められた怒気が槍の様にクロノを貫く、対峙しているだけで寿命が縮む気がする。僅かに怯んだクロノに、精霊達が語りかけてきた。
(クロノッ! ここは引くんだっ!)
(勝ち目が無い、本当に死んでしまうぞっ!)
(クロノ、逃げようよぉ!)
(悔しいけど戦っても無駄だよぉ…)
そんな事、言われなくても分かっている。目の前のウェアウルフには、天地がひっくり返っても勝てないだろう。
冷静に考えれば、ここは戦闘を避けるべきだ。それが賢い者のする事だ。
そして、クロノは賢い男では無い。
「エティルッ! アルディッ!」
「ひゃいっ!?」
「うっ!?」
突然のクロノの叫び声に、精霊達は声を上げてしまう。そんな事は気にもせず、クロノは続ける。
「力を貸してくれ、どうしてもこの男を殴ってやらないと気が済まない」
「勝ち目云々とか、死ぬとかは後回しだ」
「ここは引けない、約束を守る為、誓いを果たす為、そして男として!」
「……絶対に引きたくない」
意地でも殴ってみせる、クロノの頭の中はそれで一杯だった。
ガルアの背後の大岩の上には、10人近くのワーウルフの姿が確認できる。この状況は間違いなく、絶体絶命という奴だ。
その状況で、クロノの頭の中はそんなアホな事で一杯なのだ。
「……はぁ」
アルディは頭を抱える、出来ればこういった所は似ていて欲しくなかった。だが、懐かしさを感じ……少しだけ嬉しいと思っている自分がいるのも、事実だった。
「……分かったよ、付き合ってやる」
「ただし、絶対に死なせないぞ、クロノッ!」
その言葉に続くように、心に優しい風が吹いた。以前にも感じた事がある、エティルが心に直接寄り添ってくれているのだ。
(約束一つ、絶対に死んじゃダメッ!)
(破ったら、嫌いになるからねっ!)
自分の無茶に付き合ってくれる2体の精霊に心から感謝をし、クロノは目の前に視線を向ける。怖くない筈が無い、だが絶対に視線は外さない。
目の前の黒狼をしっかりと視界に捕らえていた。
「俺と戦う気か……?」
「面白いじゃねぇか、夢を見るのも大概にしろよ糞ガキが……」
「月の夜はちっと血が疼くんでなぁ……いいぜ、相手してやるよ」
「ロニアがお前に何を見たのか、ハーミットが何故人間なんかに話したのか……」
「答えを示せるなら、示して見せろっ! 人間っ!!」
「……っ! 出来る限りを尽くす、それだけだっ!!」
月に吠える黒狼に向かい、クロノは大地を蹴り突進する。勝ち目が見えないのなら、それ以外の何かを生み出すしかない。
月明かりが照らし出すのは絶望か、希望か。それはクロノ次第だ。




