第三十九話 『揺れる大地、ぶれない気持ち』
「くそっ……何だ今のは……」
戯れのような行動で遥か後方に吹き飛ばされたクロノは、砂を払いながら体を起こす。アルディオンは土俵の中、微動だにしないでそんなクロノを見ていた。
(この距離から速度をつけて……今の俺が撃てる最大威力の攻撃を叩き込んでやる!)
一歩でも後ろに押せればこちらの勝ちなのだ、クロノは地面を蹴り付け走り出す。風の流れに乗り、クロノはアルディオンに向かって猛スピードで突っ込んで行く。
「……ッ!?」
土俵の中に入り、そのままアルディオンを殴りつけようとするクロノだったが、寸前で動きを止めた。
「……それが利口だと思うよ、流石にね」
そんなクロノを見てアルディオンは口を開く。あの勢いで殴っていたら間違いなく、こちらの拳が砕けていた。
「動かざること山の如し……だっけ?」
「よく言ったもんだぜ……」
本当の山と対峙しているような圧迫感を感じる。エティルとのゲームで感じたのが『動』の力なら、アルディオンの力は『静』の力だ。
圧倒的すぎる防御力に、文字通り手が出せない。目の前で立ち竦むクロノを見て、アルディオンは顔を曇らせる。
「何で……君なんだ」
「え?」
「分からない、何でエティルは君を選んだ?」
「精霊の力の扱いも並、普通の人と何も変わらない君が……何故!」
急に声を荒立てるアルディオン、その声は怒りだけではない何かを含んでいた。
「僕等は待った、無い頭を使って……必死に彼の言葉の意味を考えて!」
「微かな希望を信じ、彼の行動に意味があった事を信じて!」
「彼の言った者が、いつか現れると……ずっと待っていたんだっ!」
アルディオンの声に反応して大地が揺れる、大地すら悲しんでいるようだった。
「答えろ人間、答えろエティルッ!」
「僕等は何の為に数百年待った? 何の為に……!」
「君が数百年待って出した答えが、その男なのか……?」
「そんな男が! ルーンの目指した場所に辿り着けるとでも言うのかっ!」
怒りすら霞むほどの悲痛な叫び、様々な思いが篭っているのがクロノにも分かった。クロノは、エティルが何か言いたそうにしているのに気が付いた。
(大丈夫、俺に任せろ)
(ふえ?)
(お前の時も言ったけど、こいつにも言っておいてやる)
(こいつは俺を試してるんだしな、はっきりさせとかないと)
心の中でエティルにそう告げ、クロノはアルディオンと目を合わせる。
「あのさ、一つ良いか?」
「……何だ」
「お前等が何か色々思うことがあって、長い間悩んでるってのは何となく分かるんだけどさ」
「はっきり言って、俺にはそんなの関係無い」
クロノはキッパリとそう言った。
「な、に?」
「勝手に伝説の勇者様と、俺を重ねて話を進めてるところ悪いんだけどさ」
「そんな知りもしない奴と比べて違うだの、無理だの言われてもなぁ」
「伝説の勇者様は尊敬してっけど、そこまで比べられる筋合いはねぇんだよ」
クロノの言葉に、アルディオンの表情が険しくなる。だが、クロノは怯むことなく言葉を続ける。
「ルーンがどうとか、俺には関係無いんだよ」
「……ッ! 貴様っ!」
「うるせぇよ、土くれ野郎」
唐突な暴言にアルディオンだけでなく、エティルや観戦していたセシルも呆気に取られる。
「砂でも目に入ったか? ちゃんと前は見えてるか?」
「お前の前に居るのはルーンじゃない、今はこの俺だ」
「しっかり見定めろよ、すぐに認めさせてやるからさ」
そう言って、クロノは再び構えを取った。そんなクロノを見て、アルディオンは拳を握り締める。
「君は僕に勝てない、絶対に勝てない」
「君なんかに、僕は負けない……」
「負けるはずが、無いっ!」
そして、目の前のクロノに拳を振り抜いた。先ほどのような軽い物ではない、凄まじい力がクロノを襲い、とんでもない勢いで吹き飛ばされた。紙屑のようにクロノの体は500メートル以上吹っ飛び、砂の海に突っ込んでいった。
「はぁ……はぁ……」
「……くそ……くそっ!」
息を荒げ、アルディオンは言いようの無い感情を抱いていた。どうしてあんな男の言葉に、ここまで心を乱されているのだろう。
あんな挑発に乗り、拳を振りぬいてしまった。あれでは、ゲーム続行は不可能だろう。契約者を見定めるゲームであってはならない事だ。
「畜生……っ!」
自分の拳を睨みながら、アルディオンは小さく呟く。その瞬間、クロノが吹っ飛ばされた辺りの砂が巻き上がった。
アルディオンはその音に反応し、顔を上げた。
日も落ち、夕焼けが砂漠を赤く染めている。そんな夕日を背に、クロノが立ち上がっていた。
「ルーンは関係無い、俺は俺の夢の為に、真っ直ぐ進んでるだけだ」
「俺は俺の意思でここまで来た、これは俺の物語だ」
「文句、あるか」
風の力で砂を吹き飛ばし、クロノは立ち上がっていた。額から血を流しながらも、クロノは笑っていた。
(生きてる限り、それは自分の物語だろ?)
(だったら、思うままに生きなきゃ損だよ)
「……っ!?」
その笑顔が、重なった。
その言葉が、重なった。
アルディオンに動揺が走る、その一瞬でクロノはアルディオンの目の前まで突っ込んできていた。
「なっ……」
「うらぁ!」
油断した、それは認める。
しかし、クロノの拳はアルディオンに何のダメージも与えられない。逆にクロノ自身の拳が悲鳴を上げる事になる。
「だぁっ!」
しかしクロノはお構い無しに攻撃を続けてくる。無駄な攻撃を、ひたすらに。
「……っ! 何度やっても無駄だ!」
腕を振り抜き、クロノを再び吹き飛ばす。しかし、吹き飛んだクロノが空中を蹴って跳ね返ってきた。
「なっ!?」
「うりゃあっ!」
そのまま顔面を蹴り飛ばされる、当然だがダメージは無い。
「このっ!」
何度吹き飛ばしても、クロノは何度も戻ってきた。ボロボロになっても、何度も向かってきた。
「ゲホッ……まだまだぁ!」
「はぁ……はぁ……しつこいぞ!」
「無駄だって言ってるだろっ! 何で向かってくる!」
クロノはその言葉に、不思議そうな顔をする。
「無駄かどうかなんて、やりきる前に決めてどうすんだよ」
「やる前から決めちゃ何も始まらない」
「やりきる前に決めちゃ、結果は結局分かんねぇだろ」
「無駄かどうかで悩む奴が、共存の世界なんて成せるかってんだ」
クロノには、悩む時間は勿体無いのだ。止まっていた時間の分、前に進む必要があった。自分の頭じゃ悩んでも答えは出ない、だから進む、何があっても。
「俺は、無駄じゃないって信じてる」
「絶対に、お前を認めさせてやる!」
クロノは力強く宣言する。そんなクロノをアルディオンは、僅かに悲しみが宿る顔で睨みつけた。
「口だけなら、誰にでも何とでも言えるんだよ……」
「ルーンですら……あの男ですら……」
ギリッと歯軋りする音か聞こえる。
「……強がっていても、君の体はもう限界だ」
「何を言っても、君は僕に勝てない」
「それが現実、君の限界だ」
そうだ、目の前の人間は限界だ。立っているのもやっとだろう、そんな人間が自分に勝てるわけが無い。
「だったら、試してみろ!」
そう叫び、クロノはアルディオンに突っ込んでいく。何度やっても無駄だったのが、まだ分からないのだろうか。
クロノの拳がアルディオンに叩き込まれるが、当然ビクともしない。攻撃後の硬直を狙い、アルディオンが右拳を振るう。
(これで、終わりにしよう)
(この一撃で、気絶させる)
それで心を折って、この勝負は終わりだ。所詮、ただの人間の限界はこの程度だ。
アルディオンは何かを諦めたように、目を閉じた。右拳がクロノの額に叩き込まれる、次はどこまで吹き飛ぶだろうか。
「だらあああああああああああああああっ!!」
そんなアルディオンの予想が逆に吹き飛んだ。クロノはアルディオンの拳を受け止め、その場に踏ん張ったのだ。衝撃を受け止め、クロノの後方で砂が巻き上がる。
「何っ!?」
(有り得ない、ただの人間が大地の力を乗せた拳を受け止めるなんて……)
アルディオンが目を見開くと、クロノはこちらを見てニヤッと笑った。
「だから、無駄じゃないっつったろ……!」
「口だけじゃないってのが、分かったかよ……?」
「……っ!」
「受け止めたから、何だって言うんだ!」
どうやって踏ん張ったかは知らないが、受け止めたからと言ってどうなる訳でもない。アルディオンは左拳を振りかぶる、この追撃で今度こそ止めだ。
しかし、その左拳はクロノに当たる事は無かった。目の前のクロノの体が崩れ落ち、アルディオンの攻撃が空振りしたのだ。
(倒れた……!?)
(限界か、まぁ……当然と言えば当然だが……)
違う。
倒れたと思ったクロノは、右の膝をついただけだ。
そして、その表情は笑っていた。
アルディオンは左拳を振り抜き、体が流れている。『今ならいける』、クロノは右掌に風を集めた。
「作戦通り……上手くいったぜ……」
「風昇打・昇籠!」
風を集めた右掌を、地面に向かって叩き込む。そして、ワンテンポ遅れてアルディオンの足元から風が巻き上がった。螺旋状に巻き上がる風がアルディオンの体を10センチほどだが浮かばせた。
「なっ!?」
アルディオンは体が堅いだけでなく、まるで地面に張り付いているかのようだった。だからこそ、押しても殴ってもその場からビクともしなかったのだ。
だからクロノは、『足場の砂ごと』上空に巻き上げた。今のクロノの風の力では、そんなに高くは浮かばせることは出来ないらしい。
だが、ほんのちょっとでも浮かべばそれで良いのだ。アルディオンは大地の力で防御力を上げていた、自分の体を重くしていた訳じゃない。
『地面から切り離せれば』、それで良い。
「流石に、空中で押せば動くだろっ!!!」
クロノはその体勢のまま、空中のアルディオンに飛び込む。左手の掌底がアルディオンの体を後方に押した。
後方にゆっくり体が流れ、アルディオンは円の外に尻餅をついた。
「……あっ……」
呆然としているアルディオンに、クロノは額から血を流しながら笑いかける。
「見たか、無駄じゃ……なかったろ?」
「へへ……へっ……」
そう言って、クロノは今度こそ本当に倒れ込んだ。
大岩の上から観戦していたセシルは、決着の瞬間を見て様々な思考を巡らせていた。
(何度も向かって行き、吹き飛ばされたのは一度でも攻撃を受け止める為……)
(その感じを掴む為か……)
(まともに喰らえば、頭蓋骨にヒビが入るほどの一撃だった)
(それを自分の前方に風の壁を作り、威力を軽減、後方から風の流れで体を支えたのか)
(風の流れを操る修行の応用とはいえ、ついこの前覚えた男が無茶をする……)
(最終的にクロノが誘ったのは、アルディオンの動揺と油断)
(結果アルディの奴はクロノのペースに乗り、最後の策に嵌った)
「真っ直ぐすぎる性格故の奴の弱点、数百年経っても直っていないようだな」
四精霊で一番真面目で冷静なアルディオンだったが、それ故か絡み手に弱かった。一度焦るとすぐテンパる所は変わっていない、冷静になればクロノの狙いは読めただろうに。
「やはり、アイツは馬鹿と一緒に居ないとダメのようだな」
大馬鹿の後ろで参謀ポジションをしてるのが奴には似合っていた。丁度、クロノもルーンと同じくらいの大馬鹿だ。
セシルは大岩の上から飛び降り、呆然としているアルディオンと倒れているクロノの方に向かっていった。
何はともあれ、ゲームはクロノの勝ちだ。ゲームに負けたアルディオンが何を思っているかはさて置き、気絶しているクロノをどうにかしなければならない。
「もう少しスマートに勝てないものか、馬鹿タレが……」
そう零すセシルだが、その表情は優しいものだった。