第三十八話 『押し相撲』
「エティル、僕は陽気な君は嫌いじゃないけどね」
「だが、まさかルーンの想いを無に帰すような奴だったとは思わなかったよ」
そう語るアルディオンの目は冷たくエティルを睨んでいる。その言葉にエティルは反応し、クロノの手から飛び上がる。
「ルーンの言葉を忘れるわけないっ! 数百年間、一度だって忘れてないよぉ!」
「だったら何故そんな男と契約している!」
「一目で分かる…その男は弱い……」
「そんな男が、ルーンの待つ男だって言うのか!」
散々言われているが、睨み合う2体の精霊の気迫に押されクロノは声も出せない。いつもはニコニコしているエティルも、今はちょっと怖い。
「クロノは弱いよ! ルーンと比べたら凄く弱い!」
「けど、ルーンはただ強い人を待ってるわけじゃない!」
「アルディ君こそ、ルーンの意思を汲み取れてないよぉ!」
「……ッ!」
「……なら、君はその男がルーンの言う男だと……本気で思ってるって事か」
「その男が、そんな普通の人間が……!」
納得できない、そんな表情でクロノを睨んでくるアルディオン。それは鬼ごっこ中に散々騒いでいた時のエティルの目に似たものを感じさせた。
「……あたしは、みんなと比べてお馬鹿だからさ」
「ルーンの最後の言葉の意味、全然分からない……」
「けど、あたし達はルーンの精霊だもんっ!」
「あたし達なら出来るって、ルーンは信じて言った筈だよっ!」
「だから、数百年待った……そして、クロノに出会えた」
そう言い、エティルはクロノの顔の横まで飛んでくる。
「ルーンと全然違うけど、凄く似てる人間に会えた」
「ルーンと重なって移ったんだ」
「まったく同じ人間なんて居ない、だけど……クロノの言葉は確かにあたしを動かした」
「数百年ぶりに……すっごく懐かしい感じがしたんだよ!」
数百年の間、多くの者が契約を望んでエティルを訪ねてきた。人だけではない、エルフなどの他族も含めて沢山の者と出会った。
だが、エティルが認めた者は居なかったのだ。数え切れないほどの契約志望者を見たが、ルーンが言ったような者は居なかった。
だからこそクロノとの出会いは、クロノとの契約は、エティルにとってとても大きな出来事だった。嘗ての四精霊にとって、次の契約者は『ある理由』で非常に重要な問題となっていた。
言ってみれば、エティルにとってクロノは数百年待ってようやく出会えた契約者。数百年間待って、始めて信じられた契約者なのだ。
「だからあたしは、クロノを信じるよ」
「アルディ君が何を言っても、あたしはクロノを信じる」
「ルーンの言った、次の可能性だって信じてる」
キッとした表情で言い放つエティルに、僅かだがアルディオンは怯む。そして、背後のセシルに声をかけた。
「セシル、君も同じ考えなのかい?」
「君が数百年経った今も生きていられている理由、それは分からないけど……」「君がエティルと行動を共にしているのは、君もこの男を信じてるからか?」
セシルは『ここで私に振るか……』と呟きながら瞑っていた目を開けた。
「……私がここに居られる理由は言えんが、そもそも私にはお前等のような使命は無い」
「お前等の言葉から察するに、お前等はルーンから大雑把ではあるが何かを受け取っているらしいな」
「私が最後にルーンから受け取った言葉は、はっきり言って意味が分からんものだ」
「だから、私自身何故生かされたか分かっていない」
「その理由を探すついでに、そこの馬鹿に出会ったのだ」
「そして、興味が出来てな」
「ルーンと同じ夢を語る馬鹿の行末を見てみたいと思った、それだけだ」
その言葉を聞き、アルディオンはクロノを見る。少しの間黙り込み、唐突に背を向けた。
「人間、付いて来い」
「え?」
それだけ言い残し、歩き出すアルディオンをクロノは慌てて追いかける。岩場から離れ、障害物の何も無い砂漠のど真ん中で、アルディオンは歩を止めた。
「はっきり言うが、僕は君を信用していない」
「だが……嘗ての仲間達の言葉を無視する事も出来ないからね」
「エティルが何故、そこまで君を信じるのか」
「セシルが君に何を見たのか」
「僕はそれを、確かめなければいけない」
その言葉と同時、アルディオンは右足で地面を踏み付ける。その瞬間、周囲に砂柱が立ち、視界が砂埃で包まれる。
「なっ!?」
「人間、僕にも見せてくれ」
「君の力を、君の可能性を」
周囲を覆った砂埃が一気に吹き飛び、視界が開ける。見るとクロノとアルディオンを囲うように、円形の跡が砂漠に刻まれていた。
「これは、土俵だ」
「土俵?」
「エティルと契約を結んでいる以上、君はエティルとゲームをしてその力を認めさせたということだ」
「だから、僕ともゲームをしてもらう」
「このゲームで、君を見定める」
その顔は真剣そのものだ、向かい合っている精霊は自分より遥か格上の相手。ゲームの内容次第では、大怪我も考えられた。
だが、逃げるわけにはいかない。
「……ゲームの内容はなんだ?」
「押し相撲だ」
「この円の中から、どんな手を使ってくれても良い……僕を押し出せれば君の勝ちだ」
「殴ろうが、蹴ろうが、斬ろうが、爆破しようが構わない」
「とにかく、僕を押し出せれば君の勝ちだ」
なるほど、シンプルな勝負である。
ということは、こちらの敗北条件は……。
「じゃあ、俺が押し出されたら俺の負け?」
「いや、それだと勝負にならないからね」
「君の敗北条件は、折れた時だ」
「心が折れ、勝負を諦めた時が君の負けだ」
「当然、僕との契約は諦めてくれ」
「円の外に吹き飛ばされても、円の中に戻ってこれたら勝負は続行だ」
「君が諦めるか、僕が押し出されるか……決着はそのどちらかだ」
エティルの時と同じ敗北条件だ、それならば……。
「諦めなきゃ負けじゃないなら……俺の負けは有り得ない!」
「俺は、諦めだけは悪いんだからな!』
「……言葉は要らない、君はそれを行動で示せ」
「……じゃあ、始めようか」
アルディオンはそう言うと、クロノから離れていく。そして、後一歩下がれば円の外に出てしまうギリギリの位置に立った。
「なっ……?」
「見ての通り、僕のすぐ後ろは円の外だ」
「ほんの少し押す事ができたら、君の勝ちだよ」
「それじゃあ、ゲームスタートだ」
開始の合図が切られたが、クロノは動き出すのを躊躇っていた。わざとギリギリの位置に立っているのだ、挑発しているのだろうか。
(いや、精霊は契約者の力を試す為に勝負を挑んでくる……!)
(このゲームは真剣勝負、ふざけてるわけじゃない!)
それでも、こっちから向かわなければ勝ちは無い。相手が何を企んでいても、こちらは力を示すだけだ。
クロノはアルディオンに向かって走り出す。円の広さは大体5メートルほど、全力で走れば端から端まではすぐだ。
「何でも有りって言ったのはそっちだ、悪く思うなよ!?」
勢いをつけ、クロノはアルディオンの鳩尾目掛け拳を叩き込んだ。その拳は間違いなくアルディオンを捉えたが、その手応えは想像とは違っていた。
「……うっ?」
「あぁ、どんな手を使ってくれても構わないよ」
「……ただ、どうなっても責任は取らないけどね」
拳から嫌な音が聞こえる、アルディオンはビクともせず、クロノの拳に激痛が走った。
「……!? 痛ぇ!!?」
(なんだこの硬さ……岩みたいだっ!)
岩の塊を殴りつけた様な感覚に、クロノは後ずさりしてしまう。
「どうした、まさか終わりとは言わないよね」
「……ッ! 当たり前だろ!」
挑発に乗り、クロノは回し蹴りをアルディオンの首に叩き込む。腕組みをしたまま立ち尽くすアルディオンはビクともせず、逆にクロノの脚が悲鳴を上げた。
(ふざけんなっ! こんなの……こっちのほうが持たないって!)
まるで巨大な岩石……いや、大山と向かい合っている錯覚に陥ってしまう。クロノには目の前の精霊が一回りも二回りも大きく見えた。
「動かざること山の如し、大地の力を宿す僕を力で動かす事は不可能だ」
「僕等ノームの力は大地の力、それ即ち堅固の力」
「防御に関しては四精霊で最強、君の力じゃ砕けないよ」
「ぐっ!」
確かに闇雲に攻撃していては、こちらの拳が先に砕けるだろう。圧倒的な防御力の前にクロノは早くも手が出なくなっていた。
「エティルッ! 精霊技能だ!」
「うん!」
風の力を宿し、クロノは一旦後方に飛び退く。
(どれだけ防御力が高かろうが、一箇所確実に攻撃が効く場所があるぜ!)
(正直気が引けるが、悪く思うなよ!?)
そして、一直線にアルディオンに突っ込んだ。
「喰らえ! 疾風穿駆!」
そしてその勢いを乗せた飛び蹴りを『男の急所』目掛け叩き込んだ。
(……え……ちょ……クロノッ!?)
「同じ男としてかなり引け目を感じるが、流石にこれなら効くだろう!」
頭の中でエティルが慌てているが、半分勝利を確信してクロノは言い放つ。しかし、アルディオンはビクともせず、呆れた顔でクロノを見ていた。
「馬鹿な……化け物かっ!?」
「あのね……一応言っておくが、精霊に生殖器は無い」
「ついでに言うと、性別の概念も人間と違い薄い」
「その攻撃は何の意味も無い、一言付け加えるなら……」
「間抜けか、君は」
久々に、心底冷え切った視線を向けられている気がする。
(クロノの馬鹿っ! 馬鹿馬鹿馬鹿っ! 最低だよぉ!!)
(さっきのあたしのクロノへの言葉を返せっ!!)
頭の中ではエティルが悪口を連呼していた、正直申し訳も立たない。クロノは顔を赤く染め、今の行動を無かった事にしようとアルディオンに拳を振るう。
半分以上はヤケクソであるのは間違い無い。当然、その拳はアルディオンを捉えるが、ダメージは一切無い。
「く、くそっ!」
「はぁ……」
呆れを通り越した感じで、アルディオンは右手をクロノに向かって伸ばす。ずっと立ち尽くしていたままだったアルディオンの唐突な行動に、クロノは一瞬反応が遅れた。
そして、クロノの胸をアルディオンは人差し指でつんっと軽く押した。それだけでクロノの体は遥か後方に弾き飛ばされる。
「う……ッ!!!?」
「どわああああああああああああああああっ!!?」
声だけを残し、クロノは200メートルほど吹き飛ばされてしまう。砂漠に頭から突っ込み、大量の砂を巻き上げてようやくその体は止まる。
アルディオンは腕組みをしたまま、それを眺めていた。
(攻撃は最大の防御、という言葉があるが……)
(ならば防御は最大の攻撃、と言い直すことも出来る)
(大地の力による最強防御、そしてその最強の盾による打撃はどんなモノだろうと打ち砕く無敵の力)
(クロノ、今の貴様ではまともにやって勝ち目は無いぞ)
(貴様がこの山をどう登るのか、見せてもらおうか)
一際大きな岩の上から吹き飛ばされたクロノを眺めながら、セシルはそんな事を思っていた。




