第三十一話 『期待に応えたくて』
日も落ち、船は夜の海を進んでいた。
クロノは修行中、集中力の限界を向かえ崩れ落ちてしまっていた。女であるセシルに船室へと運ばれていく様は他人から見ればとても情けなく映っただろう。
「努力家なのは結構だが、集中力が切れては元も子もないぞ」
「無理をすれば修行も上手くいかん、体も冷えただろう……少し休め」
「……うん」
ベットで横になりながら、クロノはセシルの声に返事をする。
「どうしても上手くいかないんだよなぁ……」
左手を見つめながら呟く、あれから修行は進展無しだ。悔しそうにするクロノを尻目に、セシルは考える。
(本来、ただの人間のクロノが物体を浮かせるまで風を操るには数ヶ月はかかる……)
(風の精霊と契約し、風を感じる能力が上がっていると言っても、数時間で体得できる物ではない)
(たった3日で出来るはずのない修行なのだが……まさかな……)
常人を遥かに凌ぐ上達ペースだ、それもコツを掴んでからの飲み込みの速さは異常とも言えた。
「なぁエティル? ヒント無いのか? ヒント……」
クロノはヒントを求めるが、その声に返事は無い。
「エティル?」
頭の中で気配を探る、すると寝息のような物が聞こえた。
「どうやら眠っているようだな」
「精霊も生きている、珍しい事ではない」
「そっか、起こしちゃ悪いな」
そう言って体を起こす、セシルも言った通り休む事も大事だ。
「ヒント頼りじゃ、ダメだよなぁ……」
しかし頭の中は修行の事で一杯である、重要な精神部分が休めていない。そんなクロノを見て、セシルは溜息をつく。
(この馬鹿は、仕方のない奴だ……)
「クロノ、少し話をしてやろう」
「ん、話?」
「ピュアの件が終わったら、少し話をしてやる約束だったからな」
その言葉であの時の事を思い出す、聞きたいことは山ほどあった。
「セシル、お前って幻龍種って種族なんだってな」
「エティルから聞いたか? まぁそれはどうでもいいんだが……」
「俺にとってはどうでもよくない、知らない種族だしな」
「……はぁ、分かった……」
セシルは別の話をするつもりだったのだが、仕方なく説明を始める。
「私は龍王種の父様と、人間の母様の間に生まれた混血種だ」
「エルフで言えば、ハーフエルフのような存在だな」
「龍王種の本来の姿は龍の姿だ、人型を取る事も出来るが基本的には龍の姿をしている」
「だが私は二つの種の特徴を受け継いだ幻龍種、竜人種の様なこの姿が通常の姿だ」
「龍の姿にも、人の姿にも移り変わることが出来る、……まぁこの姿が一番落ち着くのだがな」
「特に龍の姿は嫌いだ、服が破けるからな」
「え、そんな理由?」
「貴様、私は女なのだぞ」
意外に可愛らしい理由で笑ってしまいそうになるが、セシルが睨んできたのでぐっと堪える。
「……それに、この剣を振るうには人型が一番だしな」
『……人間の姿が、一番相応しい……」
そう言って傍らの大剣を尻尾で抱きしめる、その顔は泣き出しそうな表情に見えた。
「その剣、大事な物なんだよな?」
「この剣の事はまだ言えんが……」
「それを私が話そうと思えた時には、貴様は私に拳を向けるかも知れんな」
「へ?」
「まぁこの話はもう良いだろう、本題に入らせろ」
どういう意味か聞こうとするが、セシルが無言の圧力を放ってくる。こうなってはセシルは意地でも話そうとしないだろう、クロノは黙って頷いた。
「貴様に話しておこうと思ったのはピュアの事だ」
「貴様、ピュアの裸を見ただろう?」
「アレは事故です、と言うか見てません」
視界に入れるギリギリで謎の痛みがクロノの意識をシャットダウンしたのだ、見てはいない。
「ピュアの腰の辺りの紋を見たか?」
「ん? ……あぁ、何か不思議な模様があったような……?」
「……見ているではないか」
「お前は俺に何て答えて欲しかったんだよっ!?」
「いや、見ていなかったのなら説明が少し面倒になるからな……」
「見ているのなら何故嘘をつくのだ」
クロノが誤魔化す理由がセシルには分かっていないようである。このままでは話が進まないため、クロノは項垂れながらも話を進めさせようとする。
「あぁ……うん……見たよ、見ましたよ……それが何だってんだ?」
「鳥人種は親子の間で同じ紋を体に刻むと聞いた事がある」
「家族の絆の証だと、な」
それならばクロノも知っている、図鑑に書いていたからだ。
「あ、ならあれはピュアの家紋か!」
「じゃあピュアのお母さんも、あれと同じ紋が体のどこかにあるって訳だな?」
「そうなるな」
「そしてここからが本題だが、私はあの紋を見たことがある」
「知っている鳥人種の体に似たような紋を見た」
「え……、誰だ!? どこにいる!?」
クロノはその話に飛びつく、ピュアの母親をセシルが知っているかも知れないのだ。
「今どこにいるかは知らん」
「だがクロノ、貴様が旅を続けていけば、必ず奴とは出会う事になるだろう」
「え、なんでだ?」
クロノの疑問に、一瞬答えるべきかセシルは悩んだ。だが、意を決したようにクロノの目を見て答えた。
「奴は魔王直属の部下、四天王の一人だ」
「名はシア=エウロス、『絶風』の異名を持つ鳥人種だ」
また突拍子も無く衝撃的な事を言ってくれる。四天王と言えば魔王の次に『やばい』奴等である。
そもそも四天王の姿を見たことがあるのなら、セシルは魔物サイドではかなりの大物なのではないだろうか……。
「俺の頭じゃ考えが追いつかないんだけどさ……」
「セシル、お前ってマジで何者なんだよ……?」
「……………………」
「私がお前に伝えるべきと思ったのはここまでだ」
そう言うと、剣を持って部屋を出ようとする。
「セシル!」
「クロノ、あまり焦るな」
「聞いた所で、今の貴様にはどうにもできんし、理解も出来んだろう」
「話すべき時が着たら話す、必ずな……」
「私が話しても良いと思える男に、なってみろ」
そう言い残し、セシルは自分の船室へ戻っていった。部屋に残されたクロノは、呆然と扉の方を眺めるしか出来ない。
「何が、何だってんだ……?」
「クロノ、セシルちゃんを疑わないであげてね?」
呆然としているとエティルが姿を現した、目を覚ましてしまったのだろうか。何時から話を聞いていたのかは分からないが、眠そうに目を擦りながらエティルはクロノを見上げる。
「今の話、あたしも初めて聞いたんだよ」
そう話すエティルの表情は、少しだけ寂しそうだ。
「ルーンと一緒に四天王と戦ったのは500年以上前の事だからね」
「今の四天王の事は知らなかったし、何でそれをセシルちゃんが知ってるのかも分かんない」
「そもそも、言いたく無い事だけどさ……、セシルちゃんが今も生きてるのはやっぱおかしいんだ……」
「幻龍種の寿命は人よりは長いけど、500年は生きられない……」
「なのにセシルちゃんは、あの頃と変わらない姿で生きている……」
「昔の仲間だったあたしにも、詳しい事は未だに話してくれないんだ、セシルちゃん……」
昔の仲間だったエティルにも話していない、セシルの秘密。いつかそれを話してくれるのだろうか……?。
「セシルちゃんが話そうとしない事、あたしが言う訳にもいかないし……」
「あたしもクロノに話せない事あるんだ、ごめんね?」
「……ルーンの、事とか?」
「う……」
エティルと契約後、何度か聞いてみたのだが、エティルは話を逸らし続けていた。ルーンとの間に何があったのか、エティルは話そうとしなかった。
「ごめん、みんなとの約束なの……何より、ルーンと約束したから……」
「今は言えないの……」
しょんぼりと顔を伏せるエティル、その頭を優しく撫でてやる。
「いつか、話してくれるんだろ?」
「……クロノが真っ直ぐ進んでくれたら、きっと……」
「それは、セシルちゃんもそうだと思う……」
「あたしにも話してくれなかった事をクロノに話してくれたのは、クロノを信じてるからだよ」
「クロノが旅を続けていれば、きっと話してくれると思う……」
その言葉を聞き、クロノはベッドから立ち上がる。
「クロノ……?」
「修行の続き、やってくる」
「エティルは寝ててもいいからな」
「クロノ……休んだほうがいいよ?」
「もう十分休んださ、それに………」
「俺なんかを信じてくれてんだ、期待に答えてやりたい」
「じっとなんて、してられないんだ」
そう笑い、クロノは船室を出て行った。
(信じて貰ってんだ、じっとなんてしてらんないよっ!)
(ほらっ! 手伝ってくれっ!)
「ホント、ルーンにそっくりだよぉ……」
懐かしい気持ちで目を瞑り、エティルは姿を消した。大昔、自分達を引っ張って行った、あの勇者を思い出しながら……。
船旅も二日目の夜を迎えた、波音だけが周囲に響く中、クロノは一人紙飛行機と睨み合う。セシルは船室で眠りにつき、エティルも夢の中だ。
あれからひたすらに修行を続けているが、大して進歩はしていなかった。
僅かな風により風は乱れ、すぐに操作が効かなくなる。加減が非常に難しく、もう幾つもの紙飛行機を潰してしまっていた。
「舐めるなよ、俺は諦め悪いんだ……」
強がってはいるが、正直このまま続けても上手くいかないだろう。クロノはその場に座り込んでしまう。
「良い夜だね」
そんなクロノの背後から声が投げかけられる。顔だけを後ろに向けると、一人の青年が立っていた。
クロノ達の他にも何人かの乗客がいたが、始めて見る人だった。
20代の青年と言った所か、落ち着いた様子でその笑顔から優しい雰囲気を感じた。月明かりに照らされた銀髪が美しい、丁度クロノの銀髪に似ていた。
「あ、こんばんわ……」
挨拶をしながら立ち上がる。
「こんばんわ、こんな夜遅くに何を?」
「あ、っと……その、修行……ですかね?」
「修行? 君は勇者さんか何かかい?」
青年はクロノの言葉に首を傾げる。
「勇者、じゃないです」
「夢の為に、精霊の力の修行をしてたんです」
「へぇ、立派だね」
素直に感心してくれるが、クロノは少し顔を曇らせる。
「まぁ、人に言うと笑われるような夢なんですけどね……」
「? どんな夢なんだい?」
自虐気味に笑うクロノ、そんな様子を見て青年は不思議に思ったのか問いかけてくる。
言おうか迷ったが、自分は夢を叶える為に旅に出たのだ。旅の目標を隠すのはおかしい、それに笑われるのには慣れていた。
「……人や魔物……種族関係なく手を取り合って生きていく、共存の世界を成すことです」
クロノの言葉を聞いて、青年は少しの間黙っていた。ほんの少しの沈黙の後、青年は穏やかな笑みを浮かべ、口を開いた。
「良い、夢だね」
「……え?」
自分の夢をこんなに真っ直ぐ『良い』と言ってもらえたのはピリカ以来だ。だが、あまりにも真っ直ぐ言われたので驚いてしまう。
「良い夢だ、君は自分の夢に自信を持つべきだよ」
青年はそう微笑んでくれる、優しい笑みだった。
「あ、りがとうございます……!」
「色々困難が待っていると思うけど、頑張ってね」
「あはは、今まさに困難にぶつかってます……」
そう言って紙飛行機を浮かべ、飛ばそうとするが……やはり風の操作がうまくいかない。紙飛行機は潮風に流され、青年の足元に飛ばされてしまう。
「物体を風の流れに乗せる修行かい?」
「え、は、はい」
青年は紙飛行機を拾い上げると、クロノに向かってヒュッと投げる。紙飛行機はクロノの足元まで飛んできて、落ちた。
「飛んだ」
「え?」
確かに、飛んできた。
「風の力は本来自由な物、難しく考えない方がいい」
「支えなんて無くても、流れを作ってやるだけで良いんだ」
「そっと、導いてやればいいのさ」
「は、はぁ……」
クロノは足元の紙飛行機を拾う為、身を屈める。
「じゃあ頑張ってね、クロノ君」
顔を上げると、青年の姿は消えていた。
「何か……不思議な人だったな……」
「あれ、俺名前言ったっけ?」
色々疑問が残る青年だったが、なぜか怪しい感じはしなかった。青年の言葉が妙に頭に残っている、クロノは拾い上げた紙飛行機を浮かばせた。
(流れを作って、導いてやるだけ……)
不思議と、集中が深まっていく。憑き物が落ちたように、リラックスしていた。
紙飛行機を浮かべるために作り出している風の流れ、潮風が作り出している風の流れ、全てを強く感じることが出来ている。
周囲を埋め尽くす風の道の中に、新たな道を作るイメージ。その道の流れに、自分の作った風を乗せた。
掌の上に浮かんでいた紙飛行機は、普通に投げて飛ばしたかのようにゆっくりと進み、そのまま甲板の上に落ちていった。
「……出来た?」
今までの苦戦が何だったのかと思うくらい、あっさり出来た。自分でも何が何だか分からない。ただ、今の自分は凄く集中出来ている。
(もっと、もっと出来そうだ……!)
自分でもよく分からないが、押さえ切れない何かを感じていた。心臓の鼓動が早くなっていく、クロノは興奮していた。その夜、クロノは徹夜で風の流れを追い続けていた。
「うーん……?」
ぐっすりと眠っていたエティルは、朝日が直接当たっている事に気がつき目を覚ました。
(クロノ、徹夜したのかなぁ?)
(体に悪いって言ったのにぃ……)
そんな事をうつらうつらと考えていると、すぐ近くを何かが飛んでいるのに気がついた。
(え?)
周囲を紙飛行機が飛んでいる、それも一つではない。合計8つの紙飛行機が、クロノを中心に円を描いて飛び回っていた。
「えぇ!?」
驚きの声と共に姿を現すエティル、クロノは目を閉じたまま左手を前に突き出している。凄まじい集中力だ、エティルが目覚めた事にも気がついていないようだ。
「うそぉ……」
3日で出来るはずが無い修行だった、キッカケを掴んでくれればそれで良いと思っていた。それをクロノはやってのける所か、予想外の成長を見せたのだ
驚いたのはエティルだけではない、エティルが目覚めるとほぼ同時に船室を出たセシルも驚愕に顔を染めていた。
(まさか、本当に風のコントロールをやってのけたのか……!?)
(この上達の速さは……ルーンを凌ぐぞ!?)
集中して紙飛行機を操っていたクロノはゆっくりと目を開ける、そして突き出していた左掌を上に向け、飛んでいた紙飛行機全てを左手に集めた。
「ふぅ……何とかここまで、形に出来たかな……」
そう呟き、船室から出てきたセシルの方を向く。そしてセシルに向かって笑顔でピースサインを送った。
(風で感知したのか……なんて奴だ……)
凄まじい成長速度に、セシルは素直に感心した。
「クロノ凄い! 凄いよぉ!!」
エティルがおおはしゃぎでクロノの周りを飛び回る。
「へへっ、何とかモノに出来たよ……」
「少しは、期待に応えれたかな?」
そう言って笑うクロノを見て、エティルも思わず笑みを浮かべた。
「うん! クロノ凄い、凄い!」
惜しみの無い賞賛の言葉に、流石に照れてしまう。
「いやぁ~……あはは……」
「キモイな」
「ねぇ、ちょっとくらい褒めてくれてもいいんだぞ?」
本当は少し褒めてやろうと思ったのだが、セシルは反射的に突っ込んでしまっていた。
「む……いや、……そうだな、見事だ」
「あ……どうも……」
素直に褒めてもらい、どう反応すればいいのか分からなくなる。
「あーっ! 見えてきたよぉ!」
いきなりエティルが声を上げる、その視線の先は水平線だ。その水平線に大陸の影が浮かんでいる。
「見えてきたようだな、あれがウィルダネスだ」
カリアから船に乗り3日、ついにウィルダネスが見えてきたのだ。
「いよいよだな、待ちくたびれたぜ」
「よぉし……待ってろよ、ノーム!」
修行の三日間を経て、クロノ達はついにウィルダネスへと上陸しようとしていた。
しかし、上陸する港では怪しい影が2つ……。
鬼の血を引く少女と、魔を滅する力を持つ男、ウィルダネス最初の物語が幕を開けようとしていた……。