第三十話 『船上の猛特訓』
「うむ、潮風が心地良いな」
その真紅の髪を風に泳がせながら、セシルは大海原を見つめていた。そして、クロノはそんなセシルに見惚れていた。
(本当……黙ってりゃ可愛いんだけどなぁ……)
この際、担いでいる大剣は視界に入れないようにしたいものだ。
「はいはい、セシルちゃんが綺麗なのは分かるけどさぁ……」
「クロノはやる事あるんだからね!」
つい最近、自分のプライバシーはこの世から消滅したのを思い出した。
「ほぉ……惚れたか?」
「やかましいっ!」
「つか、やる事って何だよ……?」
ウィルダネスまでは3日ほどかかるらしい、その間は船の上だ。
「勿論、特訓だよぉ!」
そう言って、クロノの荷物をガサガサと漁るエティル。
「おいおい、人の荷物を勝手に……」
「コレ貰うよー」
契約者の言う事を無視し、荷物からメモ帳を取り出すエティル。
「って……メモ帳?」
それでどんな特訓をするというのだろうか。
「元々風の力の真髄ってのは、『自由』って事なんだけどさぁ?」
「クロノはまだ風の声を聞けないし、風の流れに乗るのも下手」
「しかも精霊技能の持続時間もヘニャヘニャだからねぇ」
小さな体でメモ帳を抱え、クロノの目の前に飛んでくる。しかしどうでもいいが、酷い言われようである。
「まぁ、風のコントロールから入ろうと思うよぉ」
「本来は『自由』がモットーの風を縛るような使い方は、真の力を発揮できないからお勧めできないんだけどねぇ……」
「風の扱いの基礎でもあるし、とりあえず今出来る事をしようよ」
「今からする修行が出来れば、少しは風の声も聞こえるかもしれないしね」
「あたしとのリンクも慣れるはずだから、精霊技能の効果も今よりは長くなるはずだよぉ」
そう言いながら、メモ帳から一枚の紙を破り取る。
「よっと」
その掛け声と同時、両手から紙がフワッと浮かぶ。そして空中で紙が紙飛行機の形に折られていった。
「おぉ~……!」
「風のコントロールをマスターすれば、これくらいは簡単簡単♪」
「風はあたしにとって、手足みたいなものだよぉ」
「あ、クロノのする修行は紙飛行機作りじゃないからね?」
「クロノがやるのは、これ」
そう言って掌を上に向け、クロノの顔の前に出す。
「分かる?」
「うん、風がエティルの掌の上に集まってる」
クロノでもはっきり分かる、風の流れが掌の上に収縮しているようだ。
「まずは風の流れを掴んで、操ること」
「ピュアちゃんを助ける時、無意識だったけどクロノは風を操った」
「これはまぁ、頑張ればすぐできると思うよ」
「んでこの次は……」
先ほどの紙飛行機がエティルの掌に吸い寄せられ、その上に浮かんだ。
「自分の作った風の流れに、物を浮かべる」
「最初だから、軽い物ね」
「これが出来たら、次で最後」
掌の上で浮かんでいた紙飛行機が、エティルの周りをクルクルと飛び始めた。船の上、潮風も吹いているというのに紙飛行機はエティルの周りを回り続けている。
「自分の作った風の流れに物を乗せて、動かす」
「この最終段階は必ず、甲板でやることーっ!」
「甲板で?」
「船室でやるのはNGね!」
「とりあえず3日あるし、頑張ってねクロノ♪」
室内での修行が厳禁な理由は分からないが、従ったほうがいいだろう。
「サンキューなエティル、俺頑張るからな!」
「あたしも早くクロノと踊りたいからねぇ」
その言葉の意味もクロノには分からないが、この修行はかなり『それっぽい』修行だ。クロノは早速、エティル案の修行を始めた。
そんなクロノを見て、満足そうな笑顔でエティルはセシルの近くに飛んでいく。
「お前は本当に……天使のような笑顔で悪魔のような事をさせるな……」
「3日であれが出来ると思ってるのか……?」
「勿論、思ってないよ」
「だけど、クロノは諦めが悪いもん」
「出来ると思ってないけど、出来ると信じてるよ♪」
楽しそうな笑顔で、エティルはクロノを眺めていた。
クロノ達を見送った後、ラティール王は城へと戻った。王としての仕事も果たさねばならないので、しばらく自室で作業を進めていたのだが……。
「おーさま! おーさまぁ!」
「んー?」
メイド達と町に遊びに出ていたピュアが、庭に降り立った。
「ピュア? メイド達と遊んでたんじゃないのかい?」
「あそんでた、けどね! まちのひとたちがおおさわぎなの!」
また何か事件だろうか、ラティール王は不安を抱くが。
「まちのいりぐちに、まものがきたの!」
「……どんな魔物か見たかい?」
「そらからみたよ! みどりいろのかみでみみがながかったの!」
「何人だった?」
「に!」
(クロノ、ギリギリでも話しておいてくれて感謝するよ……)
恐らく、クロノの友人と言っていたエルフだろう。
「ピュア、僕も今からそっちに行くから、町の人やメイド達にそれを知らせてくれるかい?」
「その2人の魔物には、僕が行くまで待っていて貰ってくれ」
「わかった!」
そう言ってピュアは飛び立って行った、飛ぶのが不慣れでもそのスピードは凄まじい。
「ははっ……頼りになるな……」
そう言いながら部屋を出る。護衛の兵を何人か連れ、町へと急いだ。
町の入り口部分には人が集まっていた。人混みを退かし、前に進むと、二人のエルフが言い争いをしていた。
「だーかーらー! わたし達は敵じゃないのですよーっ!!」
腰まで伸びた緑の長髪、翡翠の様な瞳、横に長く伸びた耳、間違いなくエルフ族だ。大きな弓を背負った少女は、とても可愛らしい子だった
「やかましい、待っていろと言われただろう」
「人間全てがクロノの様な奴じゃないんだ、少しは黙ってろ」
同じく横長の耳に緑色の短髪、軽装の少年は腰の剣を見るからにエルフ族の剣士だろうか。
「うぅ~すぐ近くに未知の世界が広がっているというのに……!」
「クロノ様がいれば、こんな生殺し状態にはならなかったはずなのにぃ……!」
「クロノにはクロノの旅がある、仕方ないだろう……」
「大体、レー君が旅の準備に時間かけすぎなのが悪いんだよ!」
「ちっちゃい頃にわたしが作ってあげたお守りとか、いらなくない?」
「……!? なんで持ってきたの知って……じゃなくて!?」
「新しいのなら作ってあげるのに……」
「や、やかましい! 俺は剣の手入れをだな……」
「あぁ、うん……それで指、切ったんだよね」
「焦ってやるからだよ、後で治してあげるね」
「……!?」
「……じ、自分で出来る!」
「自分で治そうとして魔素のコントロール間違えてさらに傷大きくなったんだよね」
「レー君の事なら何でも分かるんだから、意地張らないでよー……」
「…………ッ!」
「泣かないのー」
「泣いてないっ!!」
(なんというか……実に面白い友人だね、クロノ……)
あまりの勢いに圧倒されてしまった。気を取り直し、ラティール王は二人のエルフに近づいていく。
「待たせてしまって済まない、クロノのご友人だね?」
「はいはいはいーっ! そうなのでぐはぁ!?」
ハイテンションで答えようとするピリカを押し退け、レラが前に出る。
「貴方は?」
「申し送れて済まない、僕はラティール・トラスト、この国の王だ」
「そして、クロノの友人でもある」
「クロノの……、ご無礼をお許しください」
「我はレラ=エムシ、エルフ族のゴフッ!?」
背後からの急所蹴りにより、エルフの少年は崩れ落ちた。
「クロノ様のご友人! 人間の王様! お会いできて光栄の極みなのですよーっ!」
「あ、握手いいです?」
素晴らしい笑顔でこちらの手を握ってくる、しかし足元で悶絶する少年が気になって仕方なかった。
「わたしはピリカ=ケトゥシと申します、クロノ様は恩人なのですっ!」
「ビ、ビリガァ……最初が肝心なん、だぞ? ましてや、王に向かって……」
「レー君は硬すぎなのーっ!」
「いや、まぁ、普段通りで構わないよ?」
自分も相当マイペースな方なのだが、この子相手だと自分のペースが保てそうになかった。とにかく早く本題に入ろう、そう心で決意する。
「クロノから話は聞いているよ、図書館にでも案内してやってくれとね」
「クロノ様大好きですーーーーっ!!!!!」
明後日の方向に向かって、ピリカと名乗った少女は叫んでいた。
「なるほど、話が早くて助かる……」
レラと名乗った少年も立ち上がったが、足が震えていた。
「その代わりと言っては何だが、君達の話を聞かせてくれるかな?」
王の提案に、二人のエルフは快く応じてくれた。
海を行く大型船の甲板、一人の少年が大の字で倒れていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……クソッ……」
クロノは荒い息を吐きながら体を起こす、そして左の掌に意識を集中する。周囲の風を感じ取り、その流れを掌に導くイメージだ。
掌の上に、風が集まってくる。
(ここまでは、なんとか出来るんだ……!)
そして右手で、紙飛行機を乗せる。
(これを、浮かせる……!)
紙飛行機はゆらゆらと左右に揺れるだけ、そのまま掌から落ちてしまう。何度試しても、この段階がうまくいかない。
そもそも浮かばなかったり、浮かんでもすぐぶれて落っこちたりだ。
「あークソォ!」
風のコントロールがここまで難しいと思っていなかった。正直舐めていた、第二段階でこの様である。もう数時間続けているが、まったく進歩無しだ。
「お前は本当に意地悪だな、『浮かせる』なんて言いよって……」
「そろそろヒントあげよっかな~♪」
そう言って、フヨフヨとクロノに近づいていく。
「クロノー、ヒントあげるよぉ~」
「へ?」
「クロノ、両手の指の先っぽくっつけてー、同じ指同士ね」
「? こうか?」
両手でボールの骨組みのような形を作る。
「その中に、さっきみたいに風を集めてみよー」
クロノは言われた通り、風の流れを両手の間に集めた。
「てりゃ」
エティルはその中に、メモ用紙を千切って丸めた物を投げ込んだ。
「え、これって……?」
丸まった紙は、クロノの両手の間でグルグルと乱回転していた。落下することなく、風の渦に囚われているように。
「はい、集中してねー」
「風の流れが感じれるだけじゃなく、これなら見えるし楽でしょ?」
「紙が中央で安定するように風の流れを操ってみて」
「……ッ!」
これはどちらかと言うと、浮かべるではなく、包み込むだ。クロノはさっきから、下から紙を持ち上げようと風の流れを操っていた
だから左右に揺れたりと安定しなかったのだ。
ターゲットの全方位を風の流れで包み込み、風のボールを作り出すイメージ。そのボールを、もう一つの風の流れに乗せ、操るのだ。
「ん、安定したね……手をゆっくり離してみて?」
「あ……」
丸まった紙はクルクル回転しながら、クロノの前に浮かんでいた。
「オッケー、後は掌の上で同じ事出来るようになろうね♪」
すぐにクロノは紙飛行機を拾い上げる。そして、左掌に風の流れを集め…。
「出来た……出来た!」
(!? 早っ!)
クロノは数秒で、紙飛行機を掌の上に浮かせていた。
今のヒントは、ちょっとした感じを掴む為のものだ。
紙飛行機は丸めた紙屑より、面積が圧倒的に広く形も複雑だ。その物体を安定させる風のコントロール、それを浮かせる風の流れのパワー……。
そう言った要素を、クロノは今のヒントとほんの少しの感じで掴み取ったのだ。
「うおおおおおぉっ! 出来たぁああっ!」
はしゃぐクロノを見つめ、セシルは微かに笑みを浮かべていた。
(才能が無いのか有るのか、さっぱり分からん男だな……)
(まぁ、問題はここからだが)
「よし、後はこの浮かせた紙飛行機を動かせばいいんだな!」
風の流れで浮かせているのだ、風の強さを調整しつつ横から動かしてやればいい。エティルのように自然にスイスイと動かすのはまだ無理だろう、まずは感じを掴む。
(まずはゆっくりと動かして……)
その瞬間、潮風に煽られ紙飛行機は飛ばされてしまう。
「あ……っと、いかんいかん……」
飛ばされた紙飛行機を拾い直し、再び浮かべる。
動かそうとすると、紙飛行機を包み込んでいる風が不安定になる。その瞬間に潮風に煽られると、飛ばされてしまう。
(なら、もうちょっと強く風の流れを集めて……!)
周囲の風を集め、紙飛行機をコントロールしようとする。しかし、今度は自分の操る風が強すぎて、紙飛行機が潰れてしまった。
「なっ……!?」
この段階は今までの修行と比べると、風のコントロールが段違いに難しい。弱すぎれば自然の風に飛ばされる、強すぎれば押し潰してしまう。
「クロノ、ファイト♪」
笑顔でそう言うエティルだが、潮風は嘲笑うように吹き続けていた。
「船室でやるなって、そういうことか……」
この風が拭き続ける中でやり遂げなければいけない、そういう事だ。クロノは冷や汗が出るのを感じていた。