第二十八話 『もう一人じゃない』
「うおおおおおおおっ!!」
地面を蹴り、勢いをつけて崖から飛び出すクロノ。その姿が、崖下に消えた。
「クロノッ!」
その光景を目の当たりにし、ラティール王は崖へ向かって走り出そうとする。しかし、それより早くセシルが、ラティール王の肩を掴んだ。
「なっ!?」
「人の王、今から少しの混乱が起きるだろう」
「それを鎮めることが出来るのは、恐らく貴様だけだ」
『頼んだぞ』と言い残し、セシルは剣をその場に残し、崖へ駆け出した。
(まったく、あの馬鹿タレが……!)
(世話をかけてくれる……!)
その馬鹿タレはと言うと、空中でピュアに向かって手を伸ばしている真っ最中だった。
(クソッ! やっぱり届かない!)
だが、距離が開きすぎている、風の力で加速をつけ飛び出しても、まだ手は届かない。
しかも現在進行形で落下中、体のバランスが上手く取れず視界がぶれる。落下しきるまで、後数秒ほどしかない、絶体絶命という奴だ。
(クロノッ! このままじゃ!)
(分かってる! 分かってるけど……ッ!)
手を伸ばしても、届かない。
小さな体は海に向かって、落ちていく。
届かない、自分は何て無力なのだろう……。助けるどころか、このままでは自分も、あの世行きだ。
(何で届かない……何でだよ……ッ!)
(何で、俺はいつもこうなんだよ!)
エルフの森でも結局、最後は何も出来なかった。
旅立ちの決意も、一人では出来なかった。
夢を諦めずに手を伸ばし続け、それでも勇者にはなれなかった。
絶対に諦めないなどと偉そうに言っても、結局自分はいつも中途半端だ。
(また失敗すんのか……また……!)
(ふざけんなよっ! 失敗して良い事と、悪い事ぐらい、分かんだろっ!)
(頼むよ……届いてくれよっ!!!)
頭の中がマイナス思考で埋め尽くされていく、そんな状況でクロノは心に風が吹いたのを感じた。
(え……?)
言葉は無い、だがクロノは、エティルを感じた、心に直接寄り添ってくれている様な、不思議な感覚だ。
(……何を、弱気になってんだ俺は……)
エティルと契約を結んだ時に誓ったはずだ、諦めない、裏切らないと。
自分を信じると、約束したはずだ。
その為に、力を貸してくれと言ったはずだ。
(泣き言漏らしてる場合じゃねぇんだよ、クロノ・シェバルツ!)
(こんな状況を何とかする為に、力を求めた筈だろうがっ!)
(肝心な時くらい、男を見せてみろっ!!)
その瞬間、自分の周囲の風が吹き荒れた。
契約者の想いに、精霊が答えたのだ。
精霊技能のリンクが、強くなるのを感じる。
(クロノ! 直感で動いて!)
エティルの声が頭に響く。
(今のクロノなら出来るよ! 感覚で風に乗って!)
確かに周囲で吹き荒れている風の流れが、手に取るように分かる。だが風に乗ると言うのが、未だに分からない。
(直感でやる、出来ないじゃ済まされないんだよ!)
クロノは無意識だろうが、その想いに風が足元に集まってくる。そしてクロノは、その風を蹴り飛ばすように、空中で加速した。
(!? なんだ、俺は今何を蹴ったんだ!?)
正確に言えば、蹴ったのではない、風の流れを操り、自身の体を風圧で押し出したのだ。
エティルの言う風の流れに乗るとは違うが、クロノは確かに風を操った。
そして、今は小難しい理屈はどうだっていい。
(これなら……!)
どうやってるのかは良く分かっていないが、クロノは風を蹴りつけ加速を続ける。そして、落ちていくピュアの体に、追いついた。
「届いた!」
ピュアの小さな体を抱きとめる、何とか間に合ったのだ。だが、落下中なのは変わらない。
既に崖の中ほどまで落ちている、このままでは結果は変わらない。
(ここからどうするっ!?)
(クロノ、落ち着いて!)
(海から吹いてくる風に乗って!)
(風に乗るって何なんだ! どうすればいい!?)
(難しく考える必要無いよ! 体の力を抜いて自然体!)
(風は無理に操る必要なんてないの、自由なままの風に体を合わせて!)
やはり良く分からないが、エティルは自分になら出来ると言ってくれている。
情けなく諦めかけていた自分を、エティルは信じてくれた。
そんな仲間の言葉を信じない訳にはいかない。
クロノは落下中の恐怖心を押さえ込み、体を出来る限り自然体にした。力を抜いて、周囲の風を感じ取る。
海から吹き付ける、強い風の流れを感じた。
(その風に身を任せて!)
(……ッ!)
そのまま、風を全身で受ける。
「えっ……! う、うわあああっ!?」
信じられないことに、クロノの体は海からの風で上空に巻き上げられた。落下を止め、逆に上昇している。
(まだぎこちないけど、上出来だよぉ!)
「と、とと、飛んでる……!?」
飛んでるというより、浮かんでいるほうが適切かもしれないが……。
(確かに何とかなったけど、崖の上まで登るのは無理っぽいぞ……)
そろそろ精霊技能も限界だ、これが切れたら再び落下するだろう。
(だいじょーぶ♪ 十分時間は稼げたからね♪)
(クロノが頑張らなかったら、間に合わなかったよぉ)
エティルの言葉の意味が良く分からないクロノは、首を傾げる。
そして、その瞬間に精霊技能が限界を迎えた。
「……ッ!? ちょ、なっ!」
さっきまで強く感じていた風も感じない、クロノの体は再び落下を始めた。
(何の解決にもなってないぞこれ!?)
「クソッ!!」
そう叫び、クロノは自身の体を下にしてピュアを庇うように抱きしめる。
「くろのっ!?」
ピュアの不安そうな叫びが、耳に入る。
(この子だけでも、絶対に守る……っ!)
そう思い、クロノは目を瞑った。
「まったく、自分の命が危険な時も他人の心配か」
「お人よしも過ぎるぞ、馬鹿タレが」
落下の衝撃はいつまで経っても襲ってこず、代わりに聞き覚えのある声が聞こえる。目を開けると、自分の体は空中に浮いていた。
(……え?)
「まぁ、貴様にしては頑張ったほうだがな」
「初めてで空中に浮けるとは、思わなかったぞ」
声は上から聞こえる、頭上を見上げるとセシルが尻尾で自分を支えていた。その背からは、真紅の翼が生えている。
「セ、セシル!?」
「そうだが、何だ?」
「お前、翼……?」
あまりの衝撃に言葉が出てこない、思考回路は停止どころか木っ端微塵だ。
「今はそんな事を説明してる暇は無い」
「城に戻るぞ」
そう言ってセシルは、城へ向かって飛び始める。
(え? 何でセシルにつば、翼が?)
(えへへ~、セシルちゃんが助けに飛び降りてくるのは風で探知してたから分かってたんだ~)
(でもセシルちゃんの助けが間に合ったのは、クロノが頑張ったからだよぉ)
(セシルは、龍王種だったのか!?)
(ふえ? クロノって、セシルちゃんの種族知らないの?)
クロノの心の声に、エティルが答えてくれる。
(セシルちゃんは幻龍種、人と龍王種の間に生まれた希少種だよ)
(ドラゴ、ニュート……?)
聞いた事すら無い種族名だ、クロノは開いた口が塞がらなかった。
「事が終わったら、少し話してやる」
「今はその子を助ける事を考えろ」
セシルの言葉で我に返る、そして自分の腕の中で震えるピュアを見る。
ピュアを見た兵士の反応を思い出し、クロノは頭を悩ませた。
「あれが、普通の反応なのかな……」
「とにかく、城へ戻るぞ」
大きく旋回し、城を目指すセシル。
「ちょっと待てセシル! 翼出したまま城に戻ったらまずいよ!」
最悪、城の兵が襲い掛かってくるかもしれない。そんな事になっては、ピュアの件どころではない。
「貴様の頼んだ事は、簡単なことではない」
「難しい事を小さくまとめるのは、容易い事ではないのだ」
前を見たまま、セシルは語る。
「ならいっそ、大きすぎるくらいのイベントを起こしてやらねばな」
「はぁ……?」
「まぁ、ここからはあの王次第だ」
そんな事を話してる内に城についてしまった。セシルは城の庭にクロノを降ろし、自分も着地する。
出迎えは剣を構えた兵士達が、警戒によって行ってくれた。
「これはまた、随分な歓迎だな」
「あぁもう……予想通り過ぎる……」
あちらからすれば、城内に鳥人種と、龍の翼を生やした女が入りこんだ状況なのだ。冷静でいられるはずがない。
ピュアはクロノの腕の中で震えている、この状況では怯えないほうがどうかしているが……。
(これじゃ、ピュアに恐怖心を植えつけちゃうじゃないか……!)
(なんとかしないと、なんとか……)
クロノが頭を働かせている間に兵士達は陣形を組み、クロノ達を包囲している。
「魔物共が……城に攻め入るとは……!」
明らかに敵意を持っている、迂闊に動けない。
「剣を収めよ! 兵士達よ!」
聞き覚えのある声が緊張を、切り裂いた。
「王……!」
「その者達は敵ではない、剣を向ける相手を間違えるな!」
そう言って、ラティール王はクロノ達と兵士の間に割り込む。
「王! 危険です、その者達は魔物なのですぞ!」
「魔物だから何だと言うのだ、この者達に敵意はない」
「そもそも、クロノは魔物ではないぞ」
コクコクと頷くクロノ。
「この者達は僕に助けを求め、この城を訪れたのだ」
「魔物が人に助けを求めてはいけない法が、あると言うのか」
王の言葉に、兵の後ろから出てきた大臣が声を荒立てる。
「王! まさか魔物に手を差し伸べようと言うのですかっ!」
「なりません! ただでさえ今町は、魔物の泥棒に恐怖しているのです!」
「その泥棒が、この子供だ」
「助けを求めてきたのも、この子だ」
その言葉に、周囲の人間は困惑する。
「騒ぎを起こした魔物を、助けると言うのですか!?」
兵の一人が声を上げる。その言葉を合図に、兵達は疑問の声を幾つも上げた。
「魔物の子を助ける意味が、分かりません!」
「ここで仕留めた方が……!」
そう言って剣を構える一人の兵士、クロノはピュアを庇うように抱きしめる。
「剣を収めろと言った筈だぞっ!!!」
王の怒声が辺りを揺らす、クロノが聞いた事も無いようなラティール王の声だった。
「お前達の剣は国を護る為の剣だ! 涙を流し、怯える少女に向ける物ではないっ!!」
「し、しかし……相手は魔物で……」
「お前達は、先王の過ちを忘れたのかっ!」
「本質を見ず、一方的に決め付け、その行動が招いた惨劇を忘れたか!」
その言葉に、兵達は黙り込む。
「我々は繰り返してはならんのだ、同じ失敗をしてはならんのだ!」
「見ろ! 目の前の少女を!」
「涙を流し、怯える少女を!」
「親に捨てられ、孤独に耐え、助けを求める少女の姿が見えないのかっ!」
「魔物だからなんだ、涙を流すのに人も魔物も関係ない!」
「惑わされるな、考える事を放棄するな! 己の心に問え!」
「自身の正義は、魔物だからと言って、目の前の少女を切り捨てる事か!」
「これ以上、この子の心に傷を刻み込むことかっ!!」
王の言葉を聞き、兵士達は戦意を失った、各々が剣を収め、王へ跪く。
「……ふぅ……」
ラティール王は息を吐き出し、クロノの方へ向き直る。
「とりあえず、もう大丈夫だよ」
「王~……っ!」
ヘナヘナとその場に崩れ落ちるクロノ、一気に精霊技能の疲れが出てきたのだ。
未だビクビクと涙目になっているピュアの前に、ラティール王は屈み込む。
「ごめんね、怖がらせてしまって……」
「僕達も、種族の違う君と、どう接していけばいいのか分からないんだ」
そう言いながら、優しく頭を撫でてやる。
「ピュアも、よくわかんない……」
「そっか、じゃあ一緒に見つけていこう」
「君の安全は、僕が保証するよ」
そう言いながら微笑む、その笑顔に緊張の糸が切れたのか、ピュアは泣き出してしまう。
「うえぇぇん……!」
「うん、もう大丈夫だから……安心していいんだよ」
「もう、君は一人じゃないんだ」
そう言ってピュアを撫で続ける、そのまま王は、背後の兵達や大臣に声をかけた。
「この少女に対し、未だに剣を向けようと思う者がいるのなら答えよ」
「この少女を救おうとする事に、異論があるものは答えよ」
その言葉に答えるものは、一人としていなかった。
「王、町の者にはなんと伝えるおつもりですか」
「城で魔物の子を預かるなど……」
大臣は心配そうに言う、危険は無いと分かっても、やはり思うことは幾つもあるのだろう。
「それは考えてある、心配するな」
「それより城の者を集めよ、この子を紹介しておかねばな」
「あ、あの……王……こちらの方は?」
そう言って、一人の兵がセシルを指す。
「クロノのお仲間だよ、頼りになる、ね」
「あはは、なりすぎる様な気もしますけどね……」
そう言って苦笑いを浮かべるクロノ、まぁ今回は命の恩人なのだが……。
「ふん、私が怖いか?」
そう言って兵の一人に近づいていく、兵士は思わず後ずさりをしていた。
「安心しろ、お前等が思っているほど他族は凶暴じゃない」
「話もちゃんと通じる奴だっているのだ」
「ビクビクしていないで、少しは知ろうとしてみろ、臆病者が」
そう言って横を通り過ぎる、歩きながら翼と尻尾を引っ込めていった。
「やったねクロノ!」
「一時はどうなる事かと思ったけど、これでピュアちゃんは大丈夫だね!」
エティルが姿を現した、そのまま特等席(クロノの頭の上)に移動する。
「あ、あぁ……そうだな……」
実は結構、精神的疲労がキツイ、今すぐにでも倒れ込みそうだ。
「結局、今回も助けられっぱなしだったな……」
「クロノ? それでいいんじゃないかな?」
落ち込み気味のクロノに、エティルが声をかける。
「完璧な生き物なんていないよ、人でも魔物でもね」
「助け合うのも、強さだと思うよ?」
「そして、助けて貰える繋がりの多さは、クロノの強さでもあると思うよ♪」
「クロノが頑張らなかったら、ピュアちゃんは救えなかったんだもん」
「胸張っても、いいんじゃないかな?」
頭の上から慰められている図になっている、それでも心は少し軽くなった。
「……そだな」
「ありがとな、エティル」
「どう致しまして♪」
「後、サンキュな……セシル……」
背後から近づいてくるセシルにも礼を言う、彼女がいなければ、自分もピュアも死んでいた。
「……ふん、ただの気紛れだ」
「セシルちゃん、照れてるー?」
「エティル……?」
「あわわ、退散退散!」
とにかく、鳥人種の少女を救うことが出来たのだ。
クロノは安心し、そのまま意識を手放した。
(やばい……今回疲れた……)
もっと強くなろうと、心に誓うクロノだった。
次回でハーピー編は終了となります!