第十九話 『風を追え』
「うおりゃああああああああああああっ!」
勢いをつけ、一気に距離を詰める。そのまま手を伸ばし、触ろうとするが……。
「は~いっ! お触りはNGで~す!」
ヒョイヒョイと避けられる、ただ速いだけではなく、完全に見切られていた。
「……ッ! クソッ!」
縦横無尽に飛び回るエティルを目で追うのがやっと、クロノは完全に翻弄されていた。
「こっちこっち~♪」
「このっ! 待て!!」
(くそっ……ただ追いかけるだけじゃ捕まえられねぇ!)
(どうにかして動きを止めないと……)
エティルはクロノの手の届かないギリギリの距離を飛び回っていた。大きく距離を取る事もしないで、文字通り遊び半分の様子だ。
(一瞬でいい、動きを止めれれば……)
クロノは足元の小石を拾い、エティルに目をやる。
「どしたの? もう疲れちゃった~?」
こちらを舐めきっている、油断している。それなら遠慮なく不意をついてやろう、クロノはそう思っていた。
「いやぁ素早いな……こうなったら、こっちも奥の手を使うしかねぇよ……』
「奥の手?」
エティルが首を傾げる、クロノは手の中の小石を持ち直した。
「これでも、喰らえっ!!」
そう叫び、明後日の方向に小石を全力で投げつける。エティルは一瞬、その方向を向き、止まる。
(この距離なら、一瞬で十分だっ!)
その隙に飛び掛る、くだらない手だが、捕まえれれば何でもいい。
「貰ったっ!」
「あーうん、そだね」
声は自分の背後から聞こえた、目の前には誰もいない。
「どわっ!?」
勢いを殺せず、そのまま地面に飛び込んでしまう。
「うーん、悪いんだけどそんなつまんない手じゃ、あたしは捕まえれないよぉ」
「というかぁ、なんだかなぁ……」
空中で逆さまになりながら腕を組んで考える、そして溜息を零した。
「ちょっと、がっかりだなぁ……」
「な、にぃ……?」
エティルは離れたところで観戦するセシルの方を向いて、声を上げる。
「ねーっ! セシルちゃん、何でこの子なのーっ?」
「……信じてみたくなったからだ」
その言葉に、セシルは目を閉じたまま答える。
「でも、この子弱いよぉ!」
「ルーンと同じ事言ってるけど、弱すぎるよぉ!」
「セシルちゃんに会えたのは嬉しかったけど、この子はルーンの言ってた子じゃないっ!」
何か、訴えるように、裏切られたようにエティルは叫ぶ。
セシルはその言葉に目を開き、エティルの目を見て言った。
「あぁ、クロノはルーンと比べて圧倒的に弱い」
「だが、クロノの言葉に私はルーンの意思を感じた」
「だから私は賭けたんだ、クロノと言う男にな」
その言葉にエティルは黙ってしまう、分からないよ……と小さく呟くのがセシルには聞こえた。
「あのさぁ、さっきからルーンだ何だって言ってっけどさぁ……!」
黙って話を聞いていたクロノが、服の土を払い落としながら口を開く。
「俺はルーンじゃない、勝手に期待して、勝手に失望してんじゃねぇぞ、チビ扇風機」
「チ、チビ扇風機っ!?」
クロノの言葉に、俯いていたエティルが顔を跳ね上げる。
「伝説の勇者様と比べたら、確かに俺は弱いかも知れないけどさ……」
「だったら見せてやるよ、弱いなりの意地って奴を」
そう言って、エティルを見据える。
「まだ、諦めないの?」
「諦めは悪いほうだって、言ったはずだぞ」
「絶対に、捕まえてやる」
その言葉を聞いて、エティルは面倒くさそうに言う。
「無理だよ、力任せに向かってくるだけの君に、あたしは捕まえられない」
「風の声も、流れも読めない君に、あたしは絶対捕まらない」
「だったら、その風の流れだか声だかを読んで、捕まえてみせる!」
そう言い放ち、クロノはエティルに向かって走り出していった。
8時間後……、すでに日も落ち、辺りはすっかり暗くなっていた。
その場には岩に腰掛け、観戦するセシルとフワフワと漂うエティル。
そして、膝をつき呼吸が荒いクロノだけだ。
「本当に諦めが悪いんだねぇ……」
「はぁ……はぁ……」
肩で呼吸をするクロノ、すでに立ち上がることすら辛い状態だ。しかも辺りは闇に包まれつつある、エティルの姿も捉えにくくなってきていた。
(ははっ……どうせ、見えててもエティルの動きは目で追えねぇしなぁ……)
(だったら、最初から暗闇で見えなくても一緒だっつの……)
そんな事を考えながら無理やり立ち上がる、足が震えているが知ったことではない。
「うおらああああああああああああっ!」
エティル目掛け手を伸ばす、もう何度目だろうか。
手応えは無い、当然のように避けられた。髪が揺れるのを感じる、右に風が吹き抜けていった。
(クソッ……何度繰り返してもダメだっ!)
(結局、風のなんちゃらってのも分からねぇし、どうすればいいんだよっ!)
歯噛みするクロノに、右側から声がかけられる。
「何時間でも何日でも付き合うって言ったけどさぁ、まさか本当に付き合わされるとは……」
「もういい加減飽きちゃったよぉー!」
「やかましいっ! 今すぐ捕まえてやるから待ってろっ!」
無理だよーっ!と手をバタバタさせるエティル、確かにこのままじゃ無理だ。
(クソッ……何度やっても動きについていけないし、もう体も限界だ……)
(下手に突っ込んで体力を無駄に使うわけにはいかない、動きでも読めればなぁ……)
そこまで思って、一瞬考える。
(待て、今なんて言った? 動きを読む……?)
先ほど髪が右からの風で揺れたのを覚えている、その後、エティルの声は右から聞こえた。エティルは、風の声や流れが読めないクロノに、自分は捕らえられないと言っていた。
(風の、流れ……?)
クロノは目を瞑り、周囲の風に意識を集中してみる。自然の風が自分の体を撫でるのを感じる、その中に不規則に動く風が混じっている。
(エティルが動けば、風も動く……当然だよな)
目を開き、エティルの姿を確認する。
(試してみるか……!)
そう思い、クロノはエティルに飛び掛る。
「またぁ? 無駄だってばぁ……」
自分に伸びてくる腕、これで何度目だろうか。今まで通り、エティルは危なげなく避け、クロノの左に回りこむ。
(何度やっても同じだって……ん?)
クロノの腕を避け、回り込む瞬間、クロノの目がこちらを向いたような気がした。
(ありゃ? 何か違和感……気のせいかな?)
「くそっ! またダメか!」
今までと同じように悔しがるクロノ、違和感はやはり気のせいだ。
「そんなんじゃ何も変わらないよぉーだ」
エティルはそう言うが、何かが胸に引っかかってる感覚がした。
エティルの声は左から聞こえた、風が流れた方向だ。
(間違いねぇ、分かってきたぞ!)
だが、これでは足りない。エティルがどの方向に行くかが読めるだけじゃ、捕まえられないのだ。
上下左右どの方向に移動するかが読めても、『後ろ』に下がられては逃げられる。エティルは、こちらの攻撃が届かない位置に下がりながら避けている。それを何とかしないと、捕らえるのは不可能だった。
(何か、後一手足りない……!)
その一手を探し頭を働かせるが、とある衝動に邪魔される。
「エティルさん!? タイムいいですかっ!?」
「ふえ?」
突然のタイム要求に、エティルは目を丸くする。
「何? 諦めた?」
「違うっ! トイレ休憩っ!」
クロノの頭は、急な尿意で埋め尽くされていた。
「なっ……最低ーっ!! 女の子の前でーっ!!」
「だからタイムっつってんだよっ!!」
結局、タイムを認めざるを得なく、クロノはすぐ近くの林に駆け込んで行った。
「もーっ! 何なのあの子はっ!」
「いい加減飽きちゃったしー! デリカシーないしー!」
手足をバタバタさせて飛び回り、愚痴を零しまくるエティル。その傍に、セシルが歩み寄る。
「まぁ、もう少し付き合ってやってくれないか」
「いくらセシルちゃんのお願いでもぉ……いい加減つまんないよぉ」
「大体、あの子にあたしは捕まえれないってばぁ!」
8時間も鬼ごっこを続けて、一切進歩しないのだ、いい加減うんざりである。
「もう少しの辛抱だ、恐らくそろそろ決着がつく」
「……え?」
「エティル、あまり油断しないほうがいいぞ?」
セシルはそう言って、薄く笑っていた。
「ふぅ、スッキリしたーっ……」
林の奥で用を足し、クロノは思わずそう零す。8時間も鬼ごっこをしてたのだ、よく持ったほうだと自分でも思う。
(さて、どうやってエティルを捕まえるかだが……ッ!?)
思考を巡らせていたクロノは、何かに足を取られ転倒する。
「痛っ……何だぁ?」
足には植物の蔓が引っかかっていた。よく見れば周囲の木には、似たような蔓が巻きついている。
「そういえば、ピリカが柔軟な蔓がどうのこうの言ってたな……」
「しかもよく見れば、スゲェ巻きついてないか?」
思わず引っ張ってみるが、結構伸びる割に全然切れそうになかった。
「ゴムみたいだな、この蔓」
言ってもう一度辺りを見渡す、周囲の木には凄い数の蔓が巻きついていた。
「……使えるかもしんねぇ」
頭に浮かんだ一つの策を実行する為、クロノは辺りの蔓を集め始めた。
「遅いよぉ……、逃げたんじゃないのぉー!?」
待ちくたびれたよぉ!っとエティルはセシルの周りを飛び回っている。
「それは有り得ないが、確かに遅いな」
「大体セシルちゃん、何であの子のことそんなに信用してるのさぁー!」
「あたしには分かんないよぉ……!」
クロノは目の前でフワフワする友人を認めさせることができるだろうか、とセシルは考える。あの大馬鹿はエルフの時の様に、期待に答えてくれるだろうか。
セシルがそんな事を考えていると、林からクロノが出てきた。
「悪い、少し待たせた」
「遅いっ! 遅すぎるよぉ! あたしが寛大な子じゃなかったら失格の所だよぉ!!」
フワフワ漂いながらクロノに不満をぶつけるエティル、クロノはそれを笑って受け流し、
「お前をとっ捕まえる作戦を考えてきたんだ、そんな怒るなって」
その言葉に、エティルは眉をひそめる。
「まだ諦めないんだね……?」
「まぁいい加減、しつこいと思われても仕方ないかもしんねぇしさ」
「そろそろ捕まえて、終わりにするわ」
何かが違う、虚勢を張ってるわけじゃない、本当に捕まえるつもりだ。
「何企んでるかは知らないけど、絶対に捕まらないよ」
「たっぷり8時間も退屈させちまったし……」
エティルを見据え、右拳を左掌に叩きつけ、
「今からは楽しませてやるよ、今から5分以内でお前を捕まえる」
「思う存分逃げやがれ、ラストゲームだ!」
自信に溢れた笑みを浮かべ、エティルに言い放つ。
その姿に、セシルは笑みを浮かべる。
この男はきっと期待に答えてくれるだろう。
きっと、友人の心に新たな風を流してくれる、そう確信していた。
次回鬼ごっこ決着!