第百七十七話 『粘液大河』
ロベリアの屋敷を後にしたクロノ達は、森を抜け、草原のような場所で朝食を取っていた。項垂れるセシルの目の前には、トマトが色鮮やかに輝いている。
「何の真似だこれは……」
「トマトへの感謝の気持ちを伝える場です」
「助けてやったのにこの仕打ちか貴様っ!!」
「それはそれでこれはこれだっ! 食材を投げちゃいけませんっ!!」
「ちゃんと食べないと、昼飯はトマトオンリーサンドイッチだ」
「ぐ……もう一生助けてやるものか……!」
モソモソと食べ始めるセシル、小さな声で「あ、うま……」と呟いたのをクロノは聞き逃さなかった。
「クロノの料理は美味しいねぇ」
「俺がローに唯一勝った分野だしな」
「一時期は拘りまくって凄かったんだぞ」
「ちゃんとした器具さえあれば、もっと凄いんだからな」
「人間何か一つくらい、取り柄ってあるもんだよな」
クロノの作った料理を、精霊たちも美味しそうに食べてくれている。やはり美味しいと言ってくれると、とても嬉しい気持ちになる。
「……あーん」
「へ?」
ティアラが、クロノにパンを差し出してきた。いつも食わせろと催促してくる彼女が、口を開けろと無言で語っていた。
「あの、ティアラ?」
「…………」
何故か思い切り睨まれ、クロノはオズオズと口を開ける。そこにパンが放り込まれた。
「あはは、餌やりみたいだね」
「…………うっさい…………」
「急にどうしたんだ?」
「……うっさい、死ね」
「なんでだよ……」
最近、ティアラが変に理不尽な気がする。妙な空気になりかけた為、クロノは話題を変える事にした。
「なぁ、ロベリアさんって混血種なんだよな?」
「混血種故に、身体が弱いとかなんとか言ってたけど……そういうものなのか?」
「貴様の知る混血種は、私やあの鬼のような完璧な混血種だけだったな」
「混血は非常に危うい存在、人と魔の混血は、殆どの場合は魔の血が勝つ」
「人と交わった魔の子孫は、99%魔物の血のみを継いで生まれる」
「私のような、両方の血を継ぎ、肉体の影響が無い固体は伝説扱いだ」
「そんでねー? 魔物同士でも混血はとっても珍しくってー」
「魔物の血ってすっごい主張するから、混ざりにくいんだよねぇ」
「どちらかの種の特性が、大きく残るのが殆どだよ」
「両方の血が半々で継がれた場合、多くの場合子供の身体は異常をきたす」
「大抵……子供の内、に…………死ぬ……」
「……拒絶、反応…………起きる……」
「上手い事両者の血が混じり合い、どちらの力も完全に受け継いだ混血種は……文字通り超貴重って訳よ」
「つまりそこのひよっこは、一生かけてもお目にかかれるかどうかのレアキャラだ」
「そのせいで、よくカムイに弄くり回されてたよな」
「あの変態は、吸血鬼の夜型な部分と……淫魔族の性欲が混ざっているのだろう」
「夜に覚醒する変態の出来上がりだ、最悪の組み合わせだな」
「混血種故の体の弱さも、その性欲に組み込まれた最低の進化体だ」
「あの変態の両親も、頭を抱えているだろうさ」
いつも以上に、セシルがボロクソに言ってる気がする。何故か、ウンザリしたような顔だ。
「……セシルって淫魔族嫌いなの?」
「貴様は好きなのか? 変体が」
「酷い返しだなぁ……」
「なんか、露骨に嫌ってる雰囲気だったからさ」
「ルーンの仲間にねぇ? テイルちゃんって淫魔族の女の子がいたんだよぉ」
「その子が大の女の子好きでね、セシルちゃんは毎日狙われてたわけ」
「実はセシルって、昔幽霊平気だったんだよ」
「駄目になった理由は、テイルが毎晩セシルに怖い話してたから」
「……怖がら、せて…………夜、一緒に……寝ようと……してた……」
「トラウマ……二つも……作った……害悪……」
「セシルが変態嫌いになったのは、100%あいつのせいだな」
「テイルはルーンのパーティーメンバーで唯一、ルーンをどうでもいいと言い放った奴だからな」
「あいつの武器がそれを望まなきゃ、多分仲間にもなってなかったろう」
「? 武器が望む……?」
「あぁ、それは……」
フェルドの言葉を遮って、セシルの尻尾がクロノの真ん前に叩き込まれた。
「人が黙っていれば、昔話をペラペラペラペラ……」
「テイルの話はやめてもらおうか……?」
「あはは~♪ もしかして耳の後ろ辺りがムズムズしちゃった~?」
「本当にそういう繊細な所変わってな……ひにゃああああああっ」
エティルが燃やされ始めたので、昔話はこの辺で一旦終わりにしよう。
「やれやれ、エティルの空気を読まない所も変わらないね」
「……ま、我等が契約者にルーン関係の昔話をするのは……まだ早いって事かね」
「エティルと出会ってすぐ、ルーンの事聞いてみたけど殆ど教えてくれなかったんだよな」
「なんか理由でもあるのか?」
「…………秘密…………」
「ルーン関係の話は、まだガッツリ話すわけにはいかねぇ」
「俺達はお前を認め、信じてるが……まだ足りないわけだ」
「もう一段階お前が踏み込んだ時、その時は思う存分聞かせてやるよ」
その一段階が、一体どれほど遠いかは分からない。だが、まだ先があるんだ。この最高の時間の、先が。一緒に進んでいこう、どれだけ時間がかかっても、自分は楽しんで進んでいけると思う。後片付けを終え、クロノはその先を目指す為、出発する事にした。
「少しは正直で良いと思うよぉっ!? 本当は昔の仲間達の安否が気がかりなんでにゃあああああああっ!?」
「一万歩譲ってそれを認めてもっ! テイルの馬鹿だけはどうでもいいわっ!!」
「…………おーい、行くぞー……」
本当に、賑やかになったものだ。
「で? 次はどうする」
「こんがりエティルちゃんー……」
「んーっと……」
頭に焦げたエティルを乗せながら、クロノは世界地図と睨めっこする。ちなみに、この地図はフローから貰った特別な地図だ。濡らしても破っても自動再生する、原理不明の凄い地図である。
「やっぱ当初の予定通り、粘液大河で水を貰うのが近いかな」
「土の素材は集まったからいいけどさ、浄化の聖水の材料は難しいよ……」
「煌きの粉の情報が無い以上……先に水を取りに行こう」
粘液大河とは、その名の通り粘液が流れている大河である。昔、住処を追われた水体種達が、その肉体を河と一体化させ、水の汚染を防ぐと同時に生まれた大河だ。水体種達に守られた水は、不純物の一切ない綺麗な水と聞く。世界で最も多くの水体種が住む、水体種の楽園だ。
「それと同時、他の種を寄せ付けぬ危険地帯でもあるな」
「水を汚される可能性を、奴等は許さない」
「人間は勿論、魔物ですら近寄らせないからな」
「確か、大昔の戦争の影響で水体種は多くの住処を失ったんだっけ」
「水体種だけじゃねぇけどな」
「コリエンテは発展国……兵器も多く造られた」
「人間は昔から……魔物だけじゃなく人間同士でもぶつかってたろ」
「戦火は森を焼き、水を血で染めた…………嘆かわしいこった」
「粘液大河の近くには、盤世界24ヶ国の一つ……ゲルト・ルフがある」
「昔から武力で存在を主張してた、兵器の国だ」
「国単位の戦力で考えても、デフェールの大国ともやり合えるだろうね」
「ゲルト・ルフの兵器は、コリエンテで最も多くの自然を壊したって言われてるよ」
「…………ウンディーネも、迷惑……した」
「酷い……戦争……だった……」
「ゲルト・ルフの名前は、俺もよく聞いたよ」
「大きな国は、腕利きの勇者を専属で雇うらしいけどさ」
「今のゲルト・ルフには、無茶苦茶な強さの女勇者がいるらしいぞ」
「『剣聖』とか呼ばれてて、昔は憧れてたなぁ」
「ねぇねぇ、ゲルト・ルフって魔物必滅派の国でしょ?」
「大会に、何の口出しもしないと思う?」
頭の上からエティルが聞いてきたが、国同士の話し合いには流石に関与する事は出来ない。情けないが、その辺の問題はフローに丸投げするしかない。
「そっちがフロー頼りなだけに……参加者探しを頑張らなきゃな」
「急いで森を救って、もっと沢山の魔物に話を持ち掛けないと……」
「それはいいが、まずはどうやって水を得るかだ」
「あの河は、本当にやばいぞ」
「……最近、会話が成立してくれないんだよなぁ……」
多少の不安を抱えながら、クロノ達は粘液大河を目指して進んでいく。次のステージは、水体種達との戦いだ。
一方その頃、アノールド大陸・空蝉の森では、多くのエルフ達が花粉処理に当たっていた。
「あぁもうっ! なんなんですのこれっ!」
「本当……急にどうしたのかしら……」
「蔓が足りないわね……」
「いやっ! 同意求められても困りますわっ!? 私の足は蔓じゃありませんわよ!?」
ルルーナと共に倒れた者を救出しているのは、ネーレウスだ。一本の触手で口元を押さえながら、魔素にやられた妖精種やエルフを運んでいた。
「もうっ! クロノ様の頼みじゃなきゃ、こんなデンジャラスゾーンに来たりしませんのにっ!」
「ちょっとエルフのお爺様っ!! 浄化活動はどうなってますのっ!!?」
「ふぅむ……見ての通り絶望的じゃのぉ」
「髭弄っとる場合かあああああっ!!」
ワタワタと急がしそうに動くネーレウスとは打って変わり、タンネは髭を弄りながら森の中心部を眺めていた。森の中心部からは、今までより遥かに濃い花粉が噴出していた。
「族長っ! 魔素の処理が追いつきませんっ!」
「同胞達も、高濃度の魔素で酔ってしまう始末……!」
「…………どうやら、何かあったようじゃな」
「ルルーナさんや、ワシ等に出来るのは時間稼ぎが精一杯じゃ」
「この花粉を生み出しとる子を何とかしなければ、この森は持たんぞ」
「……分かっています……」
「けど……それでも……」
「……仲間は、捨て置けんか……」
「全同胞に伝えよ、この森の延命に勤めよ、とな」
「……っ! 承知っ!」
タンネの言葉を聞き、一人のエルフが早足でその場を後にした。状況は絶望的だが、仲間を救いたい気持ちは、種の長としてよく分かる。
(…………持って、10日ほどじゃな)
(クロノ殿、急いでくだされ……)
(彼女達に、笑顔を取り戻してくだされ……)
(太陽のようだった…………彼のように……!)
クロノが来るまで、絶対に終わらせない。どんなに絶望的でも、耐え切ってみせる。種の長として、全力で時間を稼いでみせる。必ず間に合うと、信じているから。森の中、花粉の中で……小さな花精種は泣いていた。一人が寂しいから、自分の周りが死の世界に変わっていくのが、恐ろしいから。
恐怖の感情は、彼女の防衛本能を刺激する。花粉はさらに強力になり、森を包み込んでいく。時間は刻一刻と迫り、絶望が広がりつつあった。森が死ぬまで、もうあまり時間が無い。それでも、この場に諦めている者は一人も居なかった。必ず助けると言ってくれた少年を、信じているから。
その信頼に応える為、少年は前へと進むのだ。




