第百七十五話 『血染めの淫魔』
時刻は真夜中。月明かりだけが頼りの夜道を、クロノ達は進んでいた。オーク達から得た情報を頼りに、吸血鬼が住むという屋敷を目指しているのだ。
「えへへ、オークさん達が野菜くれたよ」
「俺なんかが調理しちゃっていいのかなぁ~、うはぁ……楽しみだなぁー!」
(あの豚共……余計な事を……)
「セシルちゃん、めっちゃ不機嫌だね……」
野菜を分けてもらったクロノは顔を輝かせていたが、セシルの顔は不満そうである。隙さえあれば野菜を残そうとするセシルだが、今回ばかりは逃がさない。
「残したら怒るよ、流石に」
「野菜に感謝をしなさい、深く」
「おい、誰かこの馬鹿タレを止めろ」
「そもそも手間隙かけて育った野菜を残すなんてお前は一体何を考えてるんだ大体この野菜は普段食べてる野菜とは何もかもが……」
「分かった、私が悪かったから許してくれ」
「拘るなぁ……」
「あたしは野菜好きだよぉ~♪」
「真夜中に野菜談義とか、わけわかんねぇっつの」
「…………」
ティアラだけ、何も言わずにクロノの首にしがみ付いていた。少し前からずっとこの調子である。
「……ティアラ、眠いのか?」
「違う、馬鹿……クズ……」
「えぇ……」
「ティアラちゃんもあたし達同様、幽霊とか駄目だからね」
「クロノ忘れてるかもだけど、エティルちゃん的に真夜中の探索は遠慮して欲しいのです」
「『達』って括るな、俺は苦手じゃねぇぞ」
「まさかの? 大丈夫なのが少数派!?」
「誰だって苦手はあるんだよ……いいじゃないか……嫌いでも……」
「俺には理解できねぇな、俺達精霊だって半分霊体じゃねぇか」
「フェルドが正論語ってると違和感あるな」
「何でだよ! 俺この中で一番常識あるだろっ!?」
「頭の中フワフワと! 頭の中ガチガチと! ガキだぞっ!?」
「喧嘩売られた気がしたよ」
「フワフワなのは頭だけじゃないもんっ!!」
「エティ……違う……そうじゃない……」
「それに……もう、私……卒業した」
「幽霊、克服……した」
「ティアラちゃんに負けたーっ!?」
「今までで一番ショックだよ……」
「ふふ……」
「セシルー、屋敷まだかなー」
「契約者がスルーってどうよ」
後方で幽霊トークが始まっているが、付き合っていたら朝になってしまう。吸血鬼と言えば、活動時間は夜中の筈だ。出来れば暗い内に出会いたい。クロノは先を歩いていたセシルの隣に並ぶが、何やらセシルの顔も強張っていた。
「あぁ、セシルも駄目なんだっけ」
「…………悪いか?」
「い、いや……」
凄い目で睨まれた為、この話題はもう振らないようにしよう。若干震えながらも前を見ると、微かに屋根のような物が見えた。
「あれ、かな?」
「暗いと不気味に見えるな、まるで幽霊屋敷だ」
「それもう行ったよぉ~……」
「なんで言うかな、そういうこと……」
「…………」
首に回されたティアラの腕が、僅かに震えた気がした。クロノは不思議に思いながらも、屋敷を目指して歩き出す。屋敷の目の前まで辿り着いたが、見上げたそれは思いのほか立派な建物だった。
「古びた屋敷を想像してたから、意外だな」
「? 扉に何か書いてる」
「『立ち入り禁止、特に人間』 『安全は保障しません』 『入るな、危険』 『開けるなよ? 絶対に開けるなよ?』…………なんだこれは」
扉にかかれた赤い文字を、セシルがつらつらと読み上げる。文字は震えながら書いたように、歪んでいた。
「こうあからさまだと、逆に気になるよ」
「まぁ……中に誰か居るのは間違いないんだな」
「どうする? 引き返すか?」
「何だよ、怖いからっていきなりそりゃないだろ」
「何故だか、嫌な予感がするのだ」
「私の経験状、苦手な何かが居る気がする」
「セシルの苦手な物って、野菜以外になんかあんの?」
「ルーンと変態だ」
「あ、はい」
即答で出てきたのは、自分が目標とする男と、身も蓋もない回答だった。
「つかその予感が当たってるなら、前者は有り得ないから……後者しかねぇよな」
「つまりこの中には変態が…………」
「魔物が変なのは、今に始まったことじゃねぇだろ」
「そんな事言うなよ……ちょっと俺が出会ってきた奴等がレベル高いだけだよ」
「なんか、この扉を開けたくなくなってきたね……」
「クロノ、そういうのにエンカウントする確率高いからねぇ……」
「引かれ合う、何か…………持ってる」
「別に変態に会いたくて会ってるわけじゃないって……」
「って、止まってる時間はないよな」
「ほらっ! 入るぞ! お邪魔します!!」
(魔物の住処に挨拶しながら入っていく人間……見るのは二人目だな)
勢いよく扉を開き、クロノは屋敷の中に進入した。次に目に飛び込んできたのは、血塗れの室内だ。
「っ! 血の匂い……!」
「何だこれ……戦闘の跡か!?」
「……どうだ、ティアラ?」
「……ん……」
フェルドの言葉に反応し、ティアラがふわりとクロノから離れる。床の血に触れ、何かを感じ取っているようだ。
「…………固まってる……時間、経ってる」
「それに、反応……同じ……」
「この辺の、血…………同じ奴の、血……」
「…………あっちの方…………まだ新しい……」
ティアラが指差す方向は、エントランスから確認できる大きな階段。クロノ達はその階段を上り、二階へと乗り込む。すると、真新しい血が足跡を残していた。
「これ……まだ乾いてない……」
「あそこだ、あの大きな扉!」
クロノは嫌な予感を感じ、足跡を辿っていく。他の扉とは雰囲気の違う、大きな扉を発見し、無我夢中で扉を開け放つ。
その中に佇んでいたのは、黒いマントを纏っている女性だ。息が止まるほど綺麗で、死体のように白い肌。目が合った瞬間、時間すら止まったような錯覚を覚えた。少しだけ開かれた口から、鋭利な牙を確認できた。一瞬で、彼女が吸血鬼なのだと理解する。白い髪を靡かせながら、女性はゆっくりとクロノの方へ向き直る。
(っ! 来る……!?)
「にんげ…………! ゲホォッ!!」
「吐血したああああああああああああああっ!!?」
身構えたクロノの予想を裏切り、女性は思い切り血を吐き出した。吐血の勢いに負け、女性は後方に倒れ込んでしまう。あまりにも突然すぎて、クロノは駆け寄る事も出来ずに固まってしまう。
「ゲホッ! ゴホッ! 何で、人間が……グホァッ!」
「わああああっ! 大丈夫ですかっ!?」
「く、来るなっ!!」
吐血しまくる女性に、クロノは我に返る。駆け寄ろうとするが、女性は手を翳しそれを静止した。
「はぁ……はぁ……興奮して、血圧が上がるっ!」
「襲われたくなかったら……今すぐ帰りなさいっ!」
「帰らないならっ! 私を殴り飛ばしなさいっ!」
「さぁっ! 今すぐにっ! 私を討伐しに来たんでしょうっ!」
「出来るだけ焦らして、出来るだけ痛くしなさいっ!!」
「……何でこう、嫌な予感は当たるかなぁ……」
血をゴホゴホ吐き出しながら、理解したくない言葉を並べる吸血鬼。それを聞いて、クロノは何かを諦めた。とりあえず、今回も会話を成立させる努力から始めよう。
「えと、勝手にお邪魔してすいません……」
「俺はクロノ・シェバルツ……えっと……貴女は……」
「私はロベリア・ミルマリア…………見ての通りドMです」
「私は純血の吸血鬼ではなく、淫魔族との混血種……淫血鬼なの」
「だからオスを見ると、興奮して血圧上がって血を吐きます」
「混血種の宿命か……体も弱くてよく血を吐きます」
「血でも精でも、どちらも好物です」
「でも一番好きなのは、痛めつけられて吐血するあの快感です」
「攻めもいけるけど、やっぱり攻められる方が好きです」
「さぁ! ここまで晒せば十分でしょうっ!」
「私を殴ってっ!! ゲホォッ!!」
血を吐き出しながら、ロベリアは腕組みしながら何かを待っている。だが、クロノは頭痛で身動きが取れなかった。
(だから……っ! レベル高すぎるんだよっ!!)
(魔物との対話……っ!! やっぱり難しいっ!)
(もうこれ、そういう問題じゃないよね)
(珍しい混血種なのに、それ以上に珍しいあれがあるよ)
「何で襲わないのっ!? 退治しに来たんでしょっ!?」
「焦らすの!? 焦らしてるのっ!? 可愛い顔してるくせに……っ!」
「アハァ…………ッ! 鬼畜だなぁ……! ゲホッ!」
恍惚の表情で吐血するロベリア。もう自分の知らない常識が存在する、パラレルワールドの住人かと疑ってしまう。また知りたくなかった知識で世界の広さを痛感し、クロノはその場に崩れ落ちてしまう。
(不味い、挫けそうだ…………っ!)
(無理もねぇわ……)
「訪ねてくる退治屋は、どいつもこいつも途中で止めちゃって……」
「私が気持ちよくなる寸前で……怖気づいて帰っちゃうのっ! ゲホッ!」
「あんまり焦らす子は……逆に吸い取って追い返しちゃったけど……」
「退治屋を名乗るなら……やっぱりヤる事ヤって欲しいわよ……ゴホッ!?」
定期的に吐血するロベリアだが、その度ゾクゾクと身体を震わせ、恍惚の表情を浮かべていた。もう色々と、この人はやばい。
「あの……俺……貴女に血を分けて欲しくて……」
「血?」
「それは私を痛めつけて、体中の血を絞り取ろうって事?」
「可愛い顔して……ハードなのねぇ……ガハッ! ゴホッ!」
「ただでさえ私好みの可愛い顔なのに……あぁ……吸いたい……けど殴られたい……っ!」
「交代交代……楽しみましょうか、そうしましょうか……!」
ユラユラと近寄ってくる淫魔が、獲物を狙う捕食者の目に変わった。淫魔としての性欲と、吸血鬼としての吸血衝動、そこに個人の性癖が合わさり、最早他の追随を許さぬ変態を生み出していた。
ちなみに淫魔といえば、男性なら淫らな妄想の一つや二つ浮かべるだろう。だが実際の淫魔族は、触れるだけで生気を吸い取る上位の魔族だ。一言で済ませると、人間など触れるだけで殺せる相当やばい魔物である。余談だが、吸血鬼も高位の魔族であり、相当な魔術の使い手でもある。
何が言いたいのかというと、目の前の変態は、生まれながらに強さが確約されている存在と言う事だ。発する威圧感は、間違いなく魔核固体の物である。
「うわ、今までで一番戦いたくないっ!」
「最初は、どっちから攻めるっ!?」
クロノの意見を無視し、ロベリアは血を吐きながら突っ込んできた。クロノがワタワタしていると、セシルがクロノの前に割り込んだ。
「セシルッ!?」
「…………フッ!」
セシルの尾による一撃が、ロベリアの身体を吹き飛ばす。高速回転しながら、ロベリアは壁をぶち抜いて隣の部屋に飛んでいった
「……助けて、くれた……?」
毎回毎回、セシルは割りと助けてくれる。だが、こうもあっさり助けてくれるとは、意外だった。
「……悪寒が止まらん、我慢出来なかった」
「気持ち悪い……」
「……ですよねー……」
我慢できず、殴り飛ばしたらしい。恐らく、助けたという考えは全くないだろう。
「おい、その辺の血をかき集めて帰るぞ」
「この場から早急に離れるのだ」
「流石にそれは失礼じゃないかな……」
「礼儀と言う概念が、奴の脳内に存在しているのか?」
「早くしろ、すぐ復活するぞ」
隣の部屋から、何やら痙攣するような音が聞こえてくる。今の一撃すら、彼女には快感にしかならないらしい。
「もっと…………痛く、し……ゲホォ……」
「うわぁっ! 何か声が近づいてきてるっ!!」
第二ステージは、欲に塗れた変態が相手だ。
少年よ、全力で向き合おう。




