第百七十話 『土人種の山』
夜の何気ない散歩が、新たな謎と傷を生んだ。幸い、膨大な疲労感を得たクロノは、宿に戻るとすぐに寝付く事がで来た。契約者の寝息を確認し、空中を漂うフェルドは静かに片目を開ける。
(…………迷え迷え、悩め悩め)
(お前はルーンと違う、何もかも不出来で足りてない)
(だからこそ、成長していけよ……?)
(…………信じてやってんだ、頼むぜ契約者)
薄く笑い、フェルドは再び目を閉じる。流石に、クロノが四天王の一人と遭遇していたとは想像もしていない。だが、心がぶれ、何か考えているのには気づいていた。口出しするのは簡単だ、気にするなと言うのも容易いだろう。だが、フェルドはあえて何も言わない。クロノ自身が助けを求めれば、当然助ける。だが、何も言ってこないのだ。なら、自分の力で考えさせるべきと、フェルドは思っていた。
(ガキの成長ってのは早いからなぁ)
(な? セシルよ……?)
フェルドの心の声は、誰に向けられた物でもない独り言だ。だが、たまたまそれを、ティアラは聞いてしまっていた。フェルドに背を向けたまま、ティアラは黙って頬を膨らませていた。寝返りの振りをし、ティアラは尾びれを振るって理不尽にもエティルを叩き飛ばす。
「あた~っ!?」
(……………………ふん…………)
エティルの叫び声と、心の中で小さく零れた声。その二つを聞いて、フェルドは笑みを浮かべていた。成長の遅いガキも、ここに居たな……と。
「砂漠の朝は良い気分だよ、故郷の日差しは気持ちいいね」
「……って……どうしたんだい?」
「ちょっと、寝違えたかな~ってさ……」
珍しくアルディに起こされたクロノだが、昨晩のインパクトが頭に残っていた。思い切り蹴りを叩き込まれた腹部も、まだ痛みが残っていた。しかし、本気で蹴られていたら即死だったと思う為、一応手加減はされていたと思う。クロノは適当に誤魔化しながら、静かに腹部を擦っていた。
「で? 珍しくエティルが朝に騒いでないね?」
「なんかね~? 昨日の夜寝てたらバシーンッ! ってなったの」
「バシーンッ! だよぉ? なんかグワングワンするよぉ……?」
クロノの枕元で頭を押さえているエティルは、何やら身に覚えのない痛みに疑問を抱いていた。ティアラが目を逸らしたのが、妙に気になる。
(やれやれだな……)
「つまらねぇ話は移動中にしようぜ、またセシルの奴がぶーたれっからよ」
「聞こえてるぞ」
部屋の外から、セシルの声が聞こえてきた。どうやら待っていてくれてるらしい。
「おぉ~怖ぇ」
「おら行くぞ契約者、シャキッとしろや」
「わっとっと……」
フェルドが首に手を回してきた、肘の部分の炎が地味に熱い。
「考え込むのは、お前にゃ向いてねぇ」
「そーゆうのは、頭の固いアルに押し付けとけ」
「聞き捨てなら無いね」
「とりあえず、馬鹿なお前は出来る事、優先すべき事をしっかりしろよ」
「今は、あの森を救う事だけ考えとけ」
「……あぁ、分かってる」
「ねぇ、頭固いってどういう事かな?」
「司令塔って事だ、頼りにしてるぜアルディオン」
ムスッとしているアルディの頭を、フェルドは笑いながらガシガシと撫でる。こうして見ると、フェルドは本当にみんなの兄貴分だ。
「なぁ、本当にエティルが一番年上?」
「なんで疑問系なの~~~~っ!?」
「精霊は歳とか気にしないけど、エティルは少しね……」
「頭弱いしな」
「いい加減泣くよっ!? 泣いちゃうよっ!? クロノにまで弄られるなんてショックだよぉ!」
「冗談冗談……」
ピーピーと喚くエティルを、クロノは抱き抱えて慰めてやる。そんな朝の何気ない時間を過ごしていると、不意にティアラが背後から飛びついてきた。
「冷たっ!」
「どしたっ!? 急にどうした!?」
「……………………むぅ」
ティアラは問いかけに答えず、首に腕を回してきた。いつものおぶさる体勢だ。
「? ティアラ?」
「! あぁ……そっかそっか」
「たっく……」
「ふふっ……素直じゃないなぁ」
「……………………」
他の精霊達は、何かを察したらしい。クロノだけが、首を傾げていた。
「……? なに?」
「早く行こうぜ、ってさ」
フェルドがニヤニヤしながら、先に部屋から出て行ってしまった。アルディもそれに続き、珍しくエティルも自分で飛んで行ってしまう。何だかよく分からないが、クロノもティアラを背中にくっつけながら、その後を追うのだった。
「遅い」
「悪い」
部屋の外で待っていたはずのセシルは、いつの間にか宿の外で待機していた。クロノが宿から出てきたのを確認すると、さっさと大剣を担いで歩き出してしまう。
「妙に急いでないか?」
「時間も無いだろうし、何よりこの国は退治屋も目立ってるしな」
「国の外にさっさと出て、間違いは無いだろう」
無駄な面倒は御免である、クロノもその意見には賛成だ。
「まずは、土人種の住んでる場所を尋ねよう!」
土人種は亜人の一種であり、比較的人に近い種だ。その身長は成人しても、人間の子供ほどしかない。天性の器用さを持ち、彼らの鉱石加工技術は飛び抜けていると聞いたことがある。
「ここから海の方角に、鉱山がある」
「土人種共は、そこに集落を作っているはずだ」
「あの船なら一瞬で着くだろう」
「エティル、鬼ごっこしながら向かうぞ」
「あれ? 何か利用されてる気がするよぉ?」
本能が、選択肢すら消し去ってしまった。結局クロノ達は、歩いて鉱山を目指す事になった。山の影は既に見えているし、大した距離でもない。そして、この時間もクロノには貴重なのだ。
「んっ!」
風の球体を作り出し、それを維持したまま、クロノは鉱山を目指す。メガストロークを使えば到着は早いが、移動中に修行など不可能になる。
「ふん、移動中に修行か」
「はぁっ!」
「精々努力する事だ、今のままでは大会で恥をかくだけだしな」
「とぉっ!」
「もっとも、そこまで辿り着けるかも疑問が残る」
「やぁっ! ………………あ、やば……」
「そもそも、貴様は弱いくせに立ち止まる事も出来ない馬鹿タレで…………ん?」
セシルが振り返ると、砂漠に穴が開いていた。穴の中には、軽く焼け焦げたクロノが転がっている。
「…………何をしている」
「炎球爆破で、ごらんの有様だ」
「クロノって、駄目な時とことん駄目だよね」
「あはははは♪ 努力は認めるけどねぇ」
「……………………」
「……ここが室内じゃなかった事が、唯一幸運だな」
「幸運に感じるところが、既におかしいな」
「お先真っ暗だぞ、貴様……」
ここから鉱山に辿り着くまで、風が1回、大地が3回、水が7回、炎が14回、それぞれ球体が弾け飛んだ。ちなみに各球体を100回は作ったはずだ。尚、大きさはピンポン玉レベルである。
「風まで失敗させるとか、エティルちゃんガッカリです」
「だって難しいよこれっ! 俺は魔法苦手なんだって!」
「えぇい! 泣き言言ってんじゃねぇよヘタレ契約者ぁっ!」
(なんで出来る時と出来ない時で、こんなに差があるのかな……)
歩いてるだけでボロボロになっていくクロノに、容赦ない罵倒が襲い掛かる。そんな騒音から、ティアラは一歩分離れていた。会話に加わろうともせず、じっとクロノの背中を眺めていた。
(……………………むぅ…………)
「……貴様、本当にガキだな」
「…………うる、さい…………」
そんなティアラの隣に、セシルが並ぶ。ほぼ同時に、ティアラがセシルから距離を取った。
「甘えたいなら、そう言えばいいだろう」
「あれは、お前等の契約者だぞ」
「……違う、し……」
「まぁ、後から契約したフェルドの方が、距離は縮まっているしな」
「貴様、そんなんで第二段階の精霊技能使えるのか?」
「……………………ほっと、け……」
「心の底では、認めているのだろう?」
「いい加減、もう少し向き合ったらどう……」
ティアラは姿を消し、クロノの奥底に逃げ込んでしまう。
「…………クソガキが……面倒な……」
セシルは溜息をつき、クロノ達を追いかけ始める。モジモジしてるのは見れば明らかだと言うのに、ティアラは自分から距離を詰めようとしない。昔からそうだ、ティアラは根暗と言うか、とにかく自分から動こうとしないのだ。
嫌っている筈はない、契約を結んだ時点で、最低限の信頼はあるのだ。それに、決定的な事もある。ティアラは、その力の性質上心に敏感だ。他者に触れられることも、触れることも極端に嫌う。見えてしまうから、感じてしまうから、ティアラは他人と距離を取りたがる。そんな彼女が、クロノに遠慮なしにおぶさったりしているのだ。クロノは気がついていないが、ティアラが警戒しないでスキンシップしてきている現状は、相当な信頼を寄せられている何よりの証拠なのだ。
(それに気づかず、無視に近い状況……)
(……馬鹿タレ契約者が……)
割とチャンスを逃している事に、クロノは全く気づいていなかった。それどころか、また精霊球を破裂させていた。前髪を焦げ付かせながら、クロノはめげずに再挑戦をしようとしている。セシルはそんな少年の頭を、尻尾で引っ叩いた。
「いったぁっ!?」
「いつまでやっている、馬鹿タレが」
「ついたぞ」
顔を上げたクロノは、自分達がいつの間にか山のふもとに辿り着いている事に気がついた。見上げると、山の至る所に穴が開いていた。
「警戒されなきゃいいけど……」
「集落に、人間が近寄ったのだ」
「こっちから何かしなくても、すぐにあっちから出てくるさ」
セシルの言う通り、複数の気配を感じた。山に開いている複数の穴から、無数の視線を向けられている。不安はあるが、引くわけには行かない。自分が選んだ道は、共存の道。これは、避けては通れない道だ。
「さぁ、始めよう」
多くの視線を集めながらも、少年は前へと進む。まずは、第一ステージだ。




