第百六十三話 『騒がしき朝』
目が覚めたクロノは、寝返りながら部屋の中を見渡した。当然のように城に寝泊りしているわけだが、自分の身分でこの待遇は許されるのか、最近疑問に思っている。子供の頃はローとよくお世話になっていたが、成長と共に遠慮する事も覚えてきたのだ。
(…………恵まれてるわな……)
体を起こしながら、クロノは心の底から感謝をしていた。もう何日も無償で部屋を貸して貰っているのだ。
「おっはよーっ! 久しぶりにエティルちゃんが朝をひゃああんっ!」
「はいはい、お約束お約束っと」
クルクルと空中を回転し、決めポーズと共に朝の挨拶をかましたエティル。言い終わる前に、アルディに捉えられ、窓の外へ放り投げられた。
「ふぁ~あ……飽きもせず毎朝毎朝、ご苦労なこった」
「むにゃ……むにゃ……ん~……」
「お前はいつまで経っても朝に弱いな、おい……」
空中を寝ぼけながら漂うティアラを、フェルドが摘み上げるように捕まえる。ちなみに、精霊達は基本的に姿を晒して眠る必要は無い。契約者の中で休むのが一般的な精霊だが、エティル達は出来るだけ姿を晒して眠りについていた。彼等曰く、その方が仲間っぽいから、だそうだ。クロノの枕元で眠ったり、空中に浮かびながら眠ったりしているが、たまに寝ぼけて精霊法を暴発させたりしている。
「アルディ君ひっどい! 窓から放り投げるなんてっ!」
「愛だよ、愛」
「愛を投げ捨てないでよぉ!」
「エティルうっせぇよっ!」
「ひにゃ!? きゃああああっ!」
「……!? ……いた……っ……」
部屋に戻ってきたエティルが、フェルドに鷲掴みにされて放り投げられた。エティルは回転しながら、寝ぼけていたティアラに激突する。
「…………イラッ…………」
「ぶっはっ!? ティアラァアアッ!!」
「顔、洗えて……良かった、ね」
「エティルちゃん巻き添えーっ!?」
「もう、騒がしいよみんな!」
「元はと言えば、お前がエティルを放り出すからだろうがっ!」
「フェルド! 肘の炎弱めてよ! 火事になるだろっ!?」
「消化、消化」
「ティアラちゃんここ室内っ! あぁ~……水浸しだよぉ……」
「調子に乗りすぎだクソガキッ!!」
「フェル兄が……暑苦しい、せい」
「もうこれどうするんだよっ!」
「あーんクロノォ! 朝からみんなが虐めるよぉ!」
ほんの数分で室内が崩壊し、グッチャグチャになってしまう。クロノはずぶ濡れになりながら、頭を抱えて溜息を零すのだった。
「ラティール王には……頭が上がらないよ……」
これで部屋の中を滅茶苦茶にしたのは、3回目だ。精霊の手綱を全く握れず、ご覧の有様である。手に余っているのは間違いない。結局メイドさんに頭を下げ、クロノは部屋を後にするのだった。
「…………怒、られた……」
「クロノ、まぁそのなんだ」
「悪ぃ、許せ」
「つい、はしゃぎすぎたね」
「あたし! 朝の挨拶しただけなんだけどぉ!?」
「後でもう一回、謝りに行こうな……」
城の廊下をフラフラと彷徨うクロノ達、ふと顔を上げると、前からセシルが駆けて来ていた。最近は我が物顔で城の中をぶらつき、大抵何かを口に咥えているのだ。
「今日は魚ですか……食べ物食べながら歩き回るなよな、もぅ……」
「んぐ……! プァ……貴様を起こしに行こうとしてたのだ」
「あのイカ、また来たぞ」
「うえぇ……!?」
イカとは、ネーレウスの事だ。3日前の朝、西側の崖を自称、『愛の力』でよじ登ってきたネーレウスが、城に侵入してきたのだ。城の兵と睨み合っていたところを何とか保護し、ラティール王に事情を説明、危険は無いと何とか納得してもらった。そして、それから毎日ネーレウスは城に侵入してきていた。
「ほらほらクロノ、責任取らなきゃ」
「彼女は、君に会いに来てるんだよ」
「この3日の間で、一気にネーレウスさんが苦手になったよ……」
(あの変わりようじゃな……)
重い足取りで、クロノはある一室を目指して歩き出す。目指すはとある客室、ラティール王が今後の為にと名づけた、『共存の間』だ。城を訪れた魔物達は、大抵はここに集まっていた。先日進入してきたネーレウスにも、頼むからここで大人しく待っていてくれ、と約束させていた。
『共存の間』の前までやってきたクロノ。その扉を開けた瞬間、触手がクロノの身体を巻き上げ、部屋の中に引き込んできた。一瞬で両手両足の自由が奪われ、成す統べなく部屋の中に引き込まれる。
「わあああああああっ!?」
「クロノ様ーーーっ! お待ちしておりましたわ!」
「はな、離してくださいっ!!」
思いっきり抱き締められ、クロノは真っ赤になってしまう。ちなみにこのまま絞め続けられると、真っ赤どころか真っ青になりかねない。部屋の中には数人のエルフ達も居るのだ、年頃のクロノにとっては罰ゲームに等しい辱めである。
「ネ、ネーレウス様! 離して……」
「そんなっ! 様だなんて酷いですわっ!」
「遠慮なくネーレウスとお呼びください! お願いしたじゃありませんのっ!」
「うふふふっ♪ クロノ様~♪ クロノ様~♪」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!?」
怪しい触手捌きで体中を撫で回され、クロノは声にならない叫び声を上げた。ちなみにエルフ達は興味津々といった様子で、当然だが助けてくれる様子は全くない。恥ずかしさで頭がおかしくなりそうになったが、思わぬ助け舟が出た。ティアラが、ネーレウスの首筋にしがみ付いたのだ。
「予想外にヒンヤリですわぁああっ!?」
「な、なにしますの!?」
「…………ムスー…………」
明らかに、ティアラの機嫌が悪い。常にジト目で、だるそうにしている彼女だが、今回ばかりは本気で怒っている。クロノ本人も首を傾げる自体だが、触手の拘束が緩んだ隙に、風がクロノの体を空中に巻き上げた。
「どわぁっ!?」
「はいキャッチ、っと」
空中に舞い上がったクロノを、アルディが受け止め、そのまま華麗に着地した。反射的にネーレウスが触手を向かわせたが、それより早くネーレウスの背後にフェルドが回り込む。そのままネーレウスの首根っこを掴み、天井の隅目掛けて放り投げた。
「あっぶな!? 何しやがりますのっ!」
「約束じゃ、クロノが夢を叶えるまで待つって話だろ?」
「別にイチャつこうが構わないけどよ、限度ってもんがあるわけよ」
「コイツの夢にゃ、俺達も色々賭けてんだ」
「邪魔だけはしてくれるな? 俺達だって、機嫌損ねる時くらいあるんだぞ?」
「目標達成まで、このガキには俺らが憑いてるんで……そこんとこ宜しくな」
触手で天井付近にへばりついたネーレウスが、フェルドに対し怒りを顕にする。その怒りを吹き消すほど強大な怒気を纏いながら、フェルドはクロノの頭をポンポンと叩いた。
「人前でイチャイチャは、良くないと思うなぁ~♪」
「今のクロノは、あたし達のなんだよねぇ~♪」
「あんまり目に付くと、エティルちゃん怒るよぉ?」
「強引なのは、頂けない」
「クロノの意思を無視するって言うなら、僕も黙っていないよ」
「精霊だって、嫉妬するんだ」
「…………五百年、待った…………契約者…………」
「……そう簡単に、触るな…………」
「……次は、ない…………から……」
各々が今まで見たことのない感情の炎を纏いながら、クロノの傍に寄り添ってきた。ネーレウスはその迫力に、押し黙ってしまう。
(…………あれ、結構俺って大切にされてる?)
どうでもいいが、どっちが保護者か分からない状況である。ちなみに外野のエルフ達は、何故かワクワクした視線を送ってきている。
「うぅ……突然のエレメントディフェンスですわ……」
「ディーフェンス、ディーフェンス!」
「まぁ目に余る行動をしねぇ限り、何もしねぇよ」
「目に余るなら、容赦なく邪魔すっけどな」
「だって! だってぇ! 焦る気持ちも考慮して頂きたいですわぁっ!」
「聞いてませんものっ! クロノ様の旅のお仲間に、女の人がいるなんてぇっ!」
ネーレウスは半泣きで、部屋の隅で欠伸をしているセシルを指差す。先日顔を合わせたときはそりゃあもう大変だった。勝手に恋敵がどうのこうの喚きながら、ネーレウスはセシルに襲い掛かったのだ。ちなみに結果はセシルの完勝、ネーレウスに触れさせもしなかった。
「魔核を生み出した直後で、私に勝てるわけなかろうが」
「うるさいですわーっ! クロノ様とずっと旅を共にしているなんて! 羨ましいですわっ!」
「だから私はその馬鹿タレに、興味はないと言っているだろうが……」
「私が興味を持ってるのは、その馬鹿タレの夢だけだ」
「クロノ様を馬鹿タレ呼ばわり!? 表に出なさいーっ!」
(このイカ…………どっかの蛇にそっくりだな…………)
「あんまりしつこいと、また何本か触手を喰らうぞ?」
「すいませんでした」
セシルの放った殺気は、ネーレウスの血の気を引かせるのに十分すぎた。先日セシルに叩きのめされたネーレウスは、その触手を数本セシルに食べられたのだ。ちなみに結構旨かったらしい。
「再生可能な食料……あの蛇より存在価値はあるな」
「…………丁度、焼きイカの気分だ」
「クロノさまぁーっ! 助けてくださいーっ!」
「俺には食わないか聞いてきたのに……嫌なの?」
「クロノ様以外には食べられたくないですわーっ!」
「というかあの方! 私の事食材としか見てませんわーっ!」
「……はぁ……セシル……メッ」
「冗談だ、冗談」
薄く笑いながら、セシルは顔を背ける。ウネウネと触手を操りながら、ネーレウスはクロノに這い寄って来た。
「うぅ……ライバルが思いの外多いですわぁ……」
「だーから私は違うと言っているだろうが」
「でも、でも……私だってクロノ様のお役に立つため……頑張ったんですのよ?」
「クロノ様は、共存の世界が夢なんですよね?」
「ん? うん」
「先日お聞きした、大会の話……よく考えましたの」
「魔核を生み出した私は、5ヶ月近くの時間があっても……力は全て戻らないでしょう」
「けど決めましたの、私も大会に出ますわ」
「だってそうすればクロノ様に会えますから……じゃなくてお役に立てますからっ!」
「無理しなくて、いいんですよ?」
「ネーレウスさんが傷付く事は……」
「傷付いても再生しますからっ! 大丈夫ですわっ!」
「クロノ様が受け入れてくれた力で、貴方様の力になりたいのですっ!」
目をキラキラさせているネーレウス、ここまで言ってくれているのだ。断るのは返って逆効果だろう。
(ネーレウスさんは、フローの案内要らないよな)
(海も自力で渡れるし、開催する国の場所も知ってたし……)
「そして! 今日私は魔物の情報も手に入れてきましたの!」
「クロノ様の為に、魔物の関わっていそうな事件を調べましたわ!」
「お? そのイカ中々有能じゃないか?」
「貴女に褒められても嬉しくないですわーっ!!」
「あと! イカ呼ばわりはやめてくださいっ!」
涙目で抗議するネーレウスだったが、セシルは知らん振りだ。
「……で、魔物の情報って?」
「はい♪ 今日漁をしていた船を一隻襲っ…………船に聞き込みをしましてね?」
「おいこらテメェ、なんにも反省してねぇな?」
「クロノが必死こいてお前の奇行を止めたってのに、結局船沈めてんじゃねぇか」
「勘違いしないでくださいっ! 沈めてなんかいませんわっ!」
「お詫びに魚も獲ってあげましたわっ! 無茶苦茶怖がられたけど、被害なんて出してませんわっ!」
「脅迫スレスレだねぇ……」
「無茶するなぁ……」
「あーもーっ! とにかく聞いてくださいっ!」
「ここからずーっと東に行った場所に、空蝉の森という場所がありますの」
「! あぁ……あそこか」
「知ってるのかい?」
「勇者を目指してた時、ちょっとな」
「流石クロノ様、博識ですわ♪」
「近くの村に住む者もあまり近寄らない、人の手が殆ど入ってない森ですわ」
「空蝉の森……他にも呼び名は様々で、幻想の森だの、影法師の森だの……良い話は聞きませんわね」
「で? そこは何なんだ?」
「つか変だな、五百年前にあったか? そんな場所?」
「妖精の泉が、あった場所だよぉ」
フェルドの問いに答えたのは、エティルだった。
「? あそこ森だったか?」
「詳しくは知らないよ、あたしも五百年間、殆ど疾風原に居たから」
「けど、風が教えてくれたの……間違いないよ」
「今の妖精種の殆どが、その森に住んでるんだ」
「うん、エティルの言うとおりだ」
「勇者を目指してた時、ローと一緒に魔術学校の実技試験を受けたんだ」
「その森は妖精種達が沢山住んでて、踏み込む者に悪戯をしてくる」
「魔法で幻を見せたり、物を盗んだりな」
「その悪戯の多くは、彼女達の幻属性の魔法が影響してる」
「その実技試験の内容は、自分の魔力でそれに抗い……彼女達の魔法を見破るって内容だったんだ」
「あれ? クロノって魔法の才能皆無だったよね?」
「うん、ひっどい目にあった」
「………………哀れ…………」
蜂の巣を頭に落とされるわ、沼に突き落とされるわ、木の棒を尻に突っ込まれるわ、花の種を口に放り込まれるわ、散々な目にあったのを今でも覚えている。ローの爆笑する様子が、今でも鮮明に思い出せる。
「で、俺のトラウマの森がなんだって?」
「あわわわわ…………」
「えと、その……その森が最近変らしいですわ……」
「妖精達は悪戯こそしますが、人を深く傷つけるような真似はしませんの」
「ただ最近、森に踏み込んだ者が意識を失って、目を覚まさない現象が起こっていますわ」
「……命に関わらない範囲の悪戯だったからこそ、魔術学校の試験場になってた筈なんだけど……」
「今は被害者の数は少ないですが、本格的に被害が出てからでは遅いですわ」
調べてみる価値は、確かにありそうだ。そして、放っておける性格でもない。
「ありがとうネーレウスさん、助かるよ」
「はぅぁああ……いえ、そんな……」
「よしみんな、早速行ってみよう!」
「善は急げですわっ!」
当然のようについてこようとするネーレウスだが、人間化の出来ない彼女を連れ回すのは非常に不味い。
「ネーレウスさん! ネーレウスさんはここで待機!」
「そんなぁっ!!」
泣き出しそうになるネーレウスに、クロノは怯んでしまう。そんな少年に悪魔が心の中で囁いた。
(クロノ、僕に続いて)
(またこのパターンだよっ! 嫌な予感しかしねぇよっ!)
(いいから! 1・2のはいっ!)
もうなるようになれと、クロノはヤケクソでアルディの台本を読み上げる。
「その、ネーレウスにはここでやってほしい事があるんだ」
「ネーレウスにしか頼めない、ネーレウスにだからやって欲しい事なんだ」
「なんなりと……」
「この城には、まだ人に警戒を持ったエルフが沢山いる」
「魔物であり、エルフから見ても未知を沢山抱えてるネーレウスに、架け橋になってほしい」
「頼める、かな?」
(はい、ここで上目遣い……首も少し傾げる)
(なんだこりゃ……)
フェルドが呆れているが、クロノは条件反射で指示に従ってしまう。クロノの動作で、ネーレウスの目が正気を失った。
「クロノ様の未来の妻としてっ! 夫の夢の手助けは当然っ!!」
「お任せくださいっ!!」
「ありがとうっ!」
(この圧倒的罪悪感よ…………)
「…………馬鹿タレだな……」
セシルすら、呆れた様子で首を振っていた。初めて出会った時は、ガチガチのするめのようだった態度も、文字通り軟体動物のようにフニャフニャになっていた。触手全てを振りながら、ネーレウスは笑顔でクロノ達を見送った。
「アルディ……お前なぁ……」
「なんだい? 口での戦いはクロノだってするだろう?」
「そりゃそうだけどさ……」
城の廊下を歩きながら、クロノは溜息を零す。自分の精霊は、本当に底が知れない、と。
「気持ちを切り替えなよ、油断してると幻の中だよ?」
「前の俺なら、な」
今の自分には、ティアラがいる。水の力なら、幻属性の魔法も見破れる筈だ。
「頼りにしてるよ、みんな」
「あたしも今回ちょっと楽しみかなぁ、妖精種に会えるかなぁ♪」
「ん……頼、れ…………」
「………………」
フェルドだけが返事をせず、視線を背後に送っていた。よく見れば、セシルも背後を気にしている。
「? 二人共どうした?」
「…………いやぁ? アルが怒ると怖ぇなって……再確認しただけだ」
「違いない……ついでにエルフのしつこさも、思い出しただけだ」
「は?」
「あははっ! 言ったろ?」
「結構、嫉妬深いんだ」
隣に並んでいたアルディが、悪戯っぽく笑ってみせた。その笑みの意味は分からなかったが、何故だかクロノは嫌な予感がしていた。
「何なんですの貴方達はあああああああああああっ!!」
部屋に残されたネーレウスは、エルフ達に包囲されていた。目の前に未知をぶら下げられて、エルフ達が黙っているわけが無い。既に彼等の血を縛る物は、何もないのだから。
「繁殖はどうやって……」
「好きな食べ物……」
「出身……」
「海の魔物について……」
「etc……etc……」
「だあああああああああもおおおおおおおおおおっ!」
「私は一人しか居ませんのよっ!? 質問攻めも大概に…………!」
「あぁもうっ! 触手の数だけ口が欲しいですわぁっ!」
「大体私は海の王の一人娘っ! 正当な王族ですのよっ!? 少しは礼儀を……っ!」
その一言で、質問の量と範囲が10倍以上に膨れ上がった。
「わーんっ! クロノ様ーっ!!!」
彼女が質問攻めから解放されるのは、これから数時間後の話である。
この章は大きな戦闘はないです、久々にほのぼの(?)した章になると思います。




