第百六十一話 『望んだ物、望まぬ物』
視界を覆い尽くすように襲い掛かってくる触手を、クロノは上空に飛び上がって何とか回避した。それぞれが別の生き物の様に蠢く触手は、角度を変えてクロノを追尾してくる。
「エティル! ティアラ! 烈風と心水だ!」
(りょー、かい……)
(烈迅風は温存だね! 了解!)
第二段階を絡めると、精神力がごっそり削られる。精霊技能に慣れてきたとはいえ、やはり無理をすればすぐに限界が来る危うい状態からは脱していない。無理のない域でやりくりしなければ、あっという間に動けなくなるだろう。
(そもそも、戦いたい訳でも、倒したい訳でもない!)
(止めなきゃ……これは俺の責任でもあるんだっ!)
襲い来る触手を、クロノは空中を飛び回って避け続ける。触手の動きを感知し続け、ネーレウスに接近する為の隙を探す。触手への攻撃は再生されるので意味が無い。狙うなら、上半身の方だ。何らかの反応を得られるのは、現時点でそこしかない。
だが、隙が全く見つけられない。触手の数が、多すぎる。個体差はあるが、多脚亜人種の触手の数は十数本だ。だが、ネーレウスの触手は明らかに一定の数に定まっていない。減ったり増えたりしているのは、再生時に妙な再生の仕方をしているせいだろう。数本が纏まり、太い触手となったり、一本の触手が枝分かれしたりと、通常とは少しずれている。物量で押し切られ、まるで触手の壁に阻まれているようだ。
「く、そっ!」
油断すると、すぐに捕まりそうになる。咄嗟に風の刃を放ったが、ネーレウスの触手はいとも容易く千切れてしまう。そして、またすぐに生えてきた。
(斬っても効果なし……速度で振り切るには数が多すぎる……!)
(振り切って抜けるには……物理的に無理だっ!)
(あーん! 風の相性悪すぎるよぉっ!)
(! クロノッ!)
アルディの意識が、別の方向へ向いた。咄嗟にその方向へ目をやると、何本かの触手が腰を抜かしている勇者達に襲い掛かろうとしていた。
「駄目だネーレウスさんっ! それに手を染めたら、戻れなくなるっ!」
「取り返しが、つかなくなるっ!」
ネーレウスの返事は無い、俯いたまま、感情を感じさせない動きで触手を振るっていた。このままでは、彼女はその手を血に染めるだろう。そうなっては、完全に未来は閉ざされる。望む物は、もう手に入らなくなる。
(そんなの、どう考えても駄目だろっ!)
「アルディッ! 巨山嶽!」
(この距離じゃ、これしかないねっ!)
「「原子激振っ!」」
目の前の空間を殴りつけ、空中にヒビを入れる。振動が拡散し、触手の動きを縛り付けた。
(本当は、ぶん殴ってやりたい……!)
(頭を下げさせて……謝らせたい……っ!)
(けど、そんな時間は無いし……そんな声……今は届かないっ!)
(今優先すべき事……それは……!)
「クソ勇者共っ! さっさと逃げろっ!!」
腰を抜かし、ガクガクと震えている勇者達は、完全に足手纏いだ。彼等がネーレウスに殺されれば、ネーレウスを救うことは出来なくなる。この事態を引き起こした馬鹿を助けるなど、正直な話したくない。だが、ネーレウスに殺しをさせるなんて、もっと我慢出来なかった。
「あ、き、君は……」
「うるせぇっ! さっさと行けっ!」
「死にたいのかっ!」
触手が何本か、自由を取り戻そうとしていた。クロノは自分に襲い掛かる触手を避けつつ、再び空間にヒビを入れる。
「あ……う……」
「どうしたいのかっ! 何かしないといけないのかっ!」
「そんな事考えてる暇ねぇしっ! 今のお前等に、答えなんて出せないんだよっ!」
「けどさっ! 証を刻んだんなら! 少しでも何かをそれに込めたならっ!」
「お前等だって! ここで死んで良いわけねぇだろっ!」
「だから、早く逃げろっ!」
「けど、俺達のせいで……こんな……!」
「あぁそうだなっ! 何してくれてんだ馬鹿野郎共っ!」
「お前等がした事ってのは……単純に言えば! 女の子一人傷つけて、泣かせたってだけだっ!」
「最低だよ! 後で土下座させてやるっ!」
「けど今は、お前等は邪魔なだけだっ!」
「なら、どうすればっ!」
「逃げろっつってんだろっ!!」
「こっから先は、大馬鹿が請け負うからさっ!」
数十本の触手による、超連打を巨山嶽の防御力でなんとか受け切る。触手を弾き飛ばし、クロノは肩で息をしながらも、笑って見せた。勇者達は震える足で立ち上がり、クロノの言葉に従ってこの場から離脱を図る。ネーレウスは反射的に、そんな勇者達に触手を伸ばした。その触手を、クロノが振動の力で縛り付ける。
「……今は、見逃してやってくれ」
「代わりに俺が、向き合うから」
「……!」
ピクッと肩を震わせ、ネーレウスが凄まじい魔力を発した。その瞬間、頭上から何かが落下してくる気配を感じた。顔を上げると、先ほど空に打ち上げられた水の槍が、ネーレウス目掛けて落ちてきていた。
(自分にっ!?)
「ネーレウスさ……っ!」
「万開時雨」
落下してきた水の槍に、自らの触手を真っ直ぐと突き立てたネーレウス。水の槍も、触手も、触手から飛び散る体液も、全てが全方位に飛び散った。魔力で硬化したそれは、針のように全方位に拡散、周囲に突き刺さった。咄嗟に顔を覆ったクロノの腕に、数十本の水の針が突き刺さる。
(巨山嶽を……貫かれた……!)
文字通り刺すような痛みが、腕に広がった。病に冒されていた黒狼や、血の力を使わなかった勇牛とは、根本的に違う。半分暴走しているが、血の力を、魔物の力をフルに使っている。これが、魔核固体の真の力とも言えた。余裕なんてあるわけが無い、油断すれば、瞬殺されてもおかしくない。
本来なら、自分の持てる力全てを駆使して、全力で戦わなくてはいけないだろう。相手を傷つける事も、止むを得ないと言えるだろう。それでも、クロノは戦う気が湧いてこなかった。ネーレウスは、今の水の針で自分の体も傷つけていた。技の代償としてグチャグチャになった触手は、既に再生済みだ。体中に出来た針による傷も、凄まじい勢いで回復している。
それでも、自分の身体を傷つけるネーレウスが痛々しくて、見ていられなかった。種族の特性を活かした、正しい戦法なのかもしれない。何もおかしいところなんて、無いのかもしれない。それでも、俯き、血を流しながら力を振るう彼女は、泣いているようにしか見えなかった。
「ごめん……!」
「謝るから……謝っても、仕方ないのかもしれないけど……」
「協力するからっ! またやり直そうっ!」
「俺のせいで……傷つけて……だからっ! 今度はちゃんと……っ!?」
何かを言わなければ、伝えなければいけないのに、上手く言葉が纏まらない。そうこうしている内に、ネーレウスの背後の海から、巨大な水の触手が巻き上がる。前に、カリアにぶち込むと脅された時より、さらにでかい。
(まさかっ! カリアにっ!?)
「待って! ネーレウスさんっ! 待ってくれっ!」
「…………穿て」
巻き上がった八本の内、一本が角度を変えた。そして、勢いよく水の触手は打ち出される。次の瞬間には、水の触手は地上で俯いていたネーレウスに、直撃した。
「!!?」
目の前に着弾した魔法の威力は、余波だけでクロノを吹き飛ばすほどだった。浜辺は大きく抉れ、クロノは後方に3バウンドも吹き飛んだ。顔を上げたクロノが見たのは、後ろ半分がグチャグチャに削れ飛んだネーレウスの姿だ。
「………………なにしてんだよ…………」
「……ゾンビの方が、まだ幸せだと思いますわ」
「私は、どうすれば死ねますの?」
水と、自らの体液を頭から被ったネーレウス。ボロボロになった身体は、また再生を始めていた。
「子供の頃から、夢でしたの」
「人間は、私の憧れで……」
「その姿に憧れて……いつしか……憧れは恋心に変わっていて」
「人間に愛される夢を、恋焦がれた姿に……受け入れて貰う夢を……抱きましたわ」
「肉親にも、家臣にも、同族にも、その夢を否定され」
「同じ海の魔物にも、この姿を笑われ」
「この血の力を……気味が悪いと……」
「なまじ上半身が綺麗なのも、拍車を掛けましたわ」
「私の人間部分を受け入れた人は、必ず下半身を見て逃げ出しますわ」
「その事実が、現実が……夢は夢だと宣告されているようで……!」
「私はさらに、自分の下半身が嫌いになりました」
そう語っている間に、ネーレウスの身体は完全に再生してしまっていた。それでも、クロノには……ネーレウスがさっきより傷付いているように見えた。
「どんなに求めても、それは手に入らなくて」
「どんなに切り離したくても、それは消えてくれなくて」
「いっそ、死んでしまおうかと思いましたわ」
「けど、この触手は……私を逃がしてくれません」
「この血は、私を放してくれません」
「もう、いやですわ……」
顔を上げたネーレウスの顔は、涙で濡れていた。溜まっていた感情が、爆発していた。
「……夢は、きっと叶うよ」
「っ! 簡単にっ! 言わないでくださいっ!!」
ネーレウスが伸ばしてきた触手が、クロノの腹部を殴り飛ばした。
「もういいっ! もう分かりましたわっ!」
「人間はっ! 私を受け入れてくれないってっ!」
「どんなに縋ってもっ! 切り捨てられるだけだってっ!」
「だったらいっそ殺してくださいっ! もうそれしか、私に希望はありませんのっ!」
「そこまで言えるネーレウスさんが、受け入れられないはず……ないんだっ!」
「そこまで願って、人間を想えるネーレウスさんが! 受け入れられないわけないだろっ!」
「現実はっ! 私を否定しましたわっ!」
「魔物だからっ! 気持ちの悪い姿だからっ! 拒絶しましたわっ!」
「そんなに悪いのっ!? 魔物なのが……そんなに駄目なのっ!?」
「好きで……すきでっ! こんな姿に生まれたんじゃ……ないですわぁっ!」
涙を流しながらも、ネーレウスは触手を振り回し、暴れていた。もう、どうしていいのか、自分でも分からないのだ。
「君には分からないでしょうっ! 欲しても、望んでも……絶対にそれが手に入らない気持ちがっ!」
「夢を! 世界に否定された気持ちがっ!!」
――――加護が、下りてこなかった。
――――勇者の資格がない。
――――もう、可能性は無いだろう。
「長い間、同族から白い目で見られながらも、ずっと願っていた夢だったんですのっ!」
「馬鹿と、頭がおかしいとっ! 罵られてもっ! 私の夢だったんですのよっ!」
「求めちゃいけませんのっ!? 望んじゃいけませんのっ!?」
「捨てられなかったんです! しょうがないじゃないですかっ!!」
――――あいつだぜ、変な夢持ってるってガキ。
――――イカレてんだよ。
――――どうかしてんだ、共存の世界なんてさ。
「そんなに、贅沢な事なんですの……っ!?」
「私はただ……憧れただけなのに……」
「人に愛されたい……それだけなのに……」
「魔物に生まれたってだけで……それだけで……」
「全部っ! 全部っ!! 諦めなきゃならないんですのっ!?」
「自分で自分をっ! 拒絶し続けて生きていかなきゃ、ならないんですのっ!!?」
様々な思いがグチャグチャに混ざり合った、抑えようのない一撃。そんな一撃が、クロノを殴り飛ばした。まともに食らいながらも、クロノはそれを両足で踏ん張り、耐え切った。
「……………………分かるよ」
「………………痛いほど、分かる」
自分だって、そうだった。夢は違えど、感じてきた物に覚えがある。人事とは、思えなかった。
「苦しいよなぁ……」
「どんなに手を伸ばしても、届かないのは苦しいよなぁ……」
「望んでも、現実って厳しくてさぁ……」
「ほんと、嫌になってさ…………投げ出したくなるんだよ」
そして、壊れそうになる。実際、自分も壊れる寸前だった。それを支えてくれたのは、数々の出会いだ。自分は、ギリギリのところで恵まれた。多くの存在に支えられて、今の自分はいる。その経験と、成長を裏切るわけには行かない。自分を救ってくれた者達の立場に、今の自分は立っている。クロノは知っているのだ、理解者の大きさと、大切さを。それでどれだけ、救われるのかを。
「だから、俺はネーレウスさんを殺したりしない」
「今が真っ暗なら、続きはきっと晴れるから」
「俺が、ネーレウスさんの最初の理解者だ」
「壊れかけの心を、支えて見せる」
「俺を救ってくれた奴等は、きっとそうするから」
「何より俺の夢の世界に、差別なんて存在しないからっ!」
「姿形がなんだっ! 魔物だとか、俺には関係ねぇっ!!」
宣言すると同時、クロノは自分の左手を思いっきり噛んだ。口の中に鉄の味を充満させながら、涙を流すネーレウスに突っ込んでいく。
迷いは無い、この戦いは、救う為の戦いだ。
絶望を、塗り替えろ。




