第百六十話 『不浄なる正義感』
一人目は、結構早く見つかった。姫という単語に飛びついた、軽そうな男だった。
「顔が気に入りませんわ」
「そんな馬鹿な」
下半身を海に沈めたまま、ネーレウスはたったの一言で切り捨てた。凹んだ男と共に、クロノは再びカリアへ走る。二人目を死に物狂いで探し、ネーレウスの元へ案内した。
「あら? 今回は格好いいですわね♪」
表情を明るくしたネーレウスを見て、連れて来た男も顔を輝かせた。内心ガッツポーズを決めたクロノだったが、ネーレウスが一本の触手を海から引き上げた瞬間、男の顔が青ざめた。男は即座に切り返すと、叫び声を上げて逃げ去ってしまった。
「…………良い度胸ですわ」
「俺は悪くないでしょうにっ!」
パシパシと触手で叩かれるクロノ。抵抗したいが、涙目のネーレウスに罪悪感を感じ、されるがままになっていた。三人目を探しに行く前に、クロノは発想を変えてみることにした。
「ネーレウスさんの事を教えてくれ」
「趣味とか、好きな事! そういう特徴が分かれば、合う人を見つけられそうなんだ」
「そうですわね、様を付けない無礼な男とか絞め殺したくなりますわ」
「怖いです」
「理想のタイプは背の高い、ダンディな男性ですわぁ……」
「私を抱きしめて、甘い言葉を囁くんですの……」
何やら妄想を始めたネーレウスだが、彼女を抱きしめるのは色々と難易度が高いように思える。上半身と共にクネクネしている触手が、大体の原因だ。
「好きな食べ物とかは?」
「貝ですわね、全般好きですわ」
(海の物も容赦なく食べるのな)
「なら嫌いな食べ物とか……」
「イカ、タコ」
声のトーンが、2ランクほど下がった気がする。
「好きな生き物とか……」
「人間ですわ♪」
「嫌いな生き物……」
「イカ、タコ」
目付きが一瞬で変わるのが、とても怖い。
「趣味とかは……」
「人間になる夢を抱きながら、淡い期待と共に触手を引き千切る事ですわ」
「もっとマイルドな趣味ねぇのかよっ!」
「うるさいですわねっ! 可能性を信じるくらい良いでしょうっ!」
勿論それは自由だが、引き千切られた触手が浜辺に山積みになってきている。生物の不法廃棄は辞めて頂きたい。
「もぉ……どうすんだよあれ……」
あれを見ただけで、引く者も存在するだろう。何本かはピクピクと動いているし、普通に怖い。
「昼食にどうですか? 栄養価は保障しますわよ」
「まぁ持ち主の目の前で足を焼いて食べるなど、変態のやる事ですけどね」
それ以前に、食用可能という事実を受け入れられない。
「はぁ……三人目探してくるんで……また足引っこ抜かないでくださいよ……?」
ゲンナリしながら、クロノは再びカリアを目指す。そんなクロノを見て、ネーレウスは顔を伏せた。
「なんで、逃げませんの?」
「逃げたらカリアに魔法ぶち込むって言ったの、ネーレウス様でしょう」
「……嫌がる素振りくらい、普通はするものですわ」
「嫌がって欲しいの?」
「……調子が狂いますの」
「君は、私の下半身を気味悪がらないから……」
「……これは俺の持論だけどさ」
「他と違うって、そんなにマイナスなのかな」
「ネーレウス様は、人間を見て気持ち悪いって思わないだろ?」
「他と違うって、気味悪い以外にも、憧れとか、興味とか、色々な感情を抱く物じゃないかな」
「だから、受け入れるとか以前に……普通に接する事はそんなに変かな?」
「……申し訳ないですけど……私は君みたいな童顔は好みじゃありませんの」
「? 何の話だよ?」
「まぁ、よく分からないけどさ」
「見た目で判断するような奴が、共存の世界とか言えないだろ?」
そう言いつつ、クロノは笑顔を浮かべて走り出した。クロノの言葉で、ネーレウスはほんのちょっと希望を持てた。
「……あの子みたいに、私を受け入れてくれる運命の人……きっと居る筈ですわ……」
「うん……諦めるものですか……!」
その後、日の暮れるまでクロノは頑張った。最終的に七人目まで見つけたが、どいつもこいつもネーレウスの下半身を見た瞬間逃げ出す始末だ。剣を抜いたりしないだけ、まだマシなのだろうが……嫌悪感を感じさせる表情は、剣よりも深く、ネーレウスを傷つけていた。
「……やっぱり、こんな下半身じゃ愛されるなんて無理なんでしょうか」
「世界は広いし、そういうのが好きな人だって居ると思うけど……」
あまり無責任な事は言えないが、落ち込むネーレウスを何とか元気つけようと、クロノは頭を働かせていた。いい加減目の前で足を千切られるのは、勘弁してもらいたいのだ。
「……どれだけ望んでも、手の届かない物は存在するんですわね」
「何を捨ててもいい、そんな覚悟さえ…………塵に等しいですわ」
「はぁ……物語の中の秘薬とか……空想にすら縋りたい気分です」
「……どれだけ、望んでも……か」
その気持ちは痛いほど分かる。頑張りや年月を否定され、望み続けた物が掌から零れ落ちる。クロノは、その経験がある。
「まぁ、立場が逆なら……私だって勘弁して欲しいですけどね」
「温もりはおろか、ヌルッとしてて冷たい……この気色の悪い触手……」
「こんな蠢く不快を、愛してくれだなんて…………」
「好きで、生やしてるんじゃないですわ……」
「あのさ、嫌いなのは分かるんだけど……」
「その……自分自身が否定してる物を……受け入れてもらうって……難しいと思うんだ」
「だから、なにって話なんだけどさ……」
「……口だけならなんとでも言えますわ」
「こんな気持ちの悪い物の話っ! もうどうでもいいんですのっ!」
「それより、明日も協力してもらいますわよっ!」
触手が腕に巻きついてくる、クロノは溜息をつきながら、コクコクと頷いた。明日また来ると約束し、クロノはネーレウスの元を後にするのだった。
カリアへの帰り道、掌の上で炎を操りながら、クロノは真剣に考えていた。ネーレウスの求めている者を、どうやって見つければいいのだろう。
「このままじゃ駄目な気がする……」
「既に、手遅れじゃねぇの?」
クロノの操る炎を吹き消し、フェルドがクロノの隣に並ぶ。
「あれだけのヘタレに姿を晒したんだ、退治屋に報告されてっかもしれないぜ」
「俺が言うのもなんだけど、アノールドの退治屋は動くのが遅いからなぁ」
「危険視はあんまりしてないけど……流石に危ないかな」
「場所だけでも、変えておいた方が良いと思うよ」
「人間と敵対する、その事実だけでも……彼女にとっては深刻だ」
「受け入れて欲しいのに、拒絶される」
「それって、すっごく悲しい事なんだよぉ」
「言葉は……なにより……心に、響く」
「心って、脆い、から……」
思った以上に、複雑な状況なのかもしれない。クロノは考えを巡らせ続けるが、不意にフェルドが首に腕を回してきた。
「もっと単純だろ?」
「へっ?」
「夫とか、恋とか愛されたいとか……どうでもいいじゃねぇか」
「心が悲鳴を上げた時、一番必要なのはなんだよ?」
「お前は、分かってるだろうが」
「……そりゃ、傍に居てくれる……仲間かな」
「……理解者……」
「ははっ、クロノらしいね」
「明日は、ネーレウスちゃんともう少し話してみようよぉ」
「きっと、求めてる物は……もっとずっと単純なんだから!」
「何事にも、近道はねぇよ」
「まず、溝を埋めろ」
「大体、夫なんてすぐ見つかるわけねぇだろ……ガキが」
「……頼りになるな」
「もっと頼っていいよ、僕等は君の助けになる為にいるんだ」
「実際、持ちつ持たれつなんだけどねぇ♪」
「……だらーん……」
ティアラがだらしなく持たれかかってくる。そんな精霊を背中に背負い、クロノは笑顔を浮かべた。明日は、何かが上手くいく気がした。いや、上手くいかせてみせる。
だが、自分は少し楽観的過ぎた。今まで上手くいっていたから、慢心してしまったのか。忘れていた、世間にとって、魔物がどういう存在なのか。カリアが魔物に友好的になっていたから、油断していた。この世界は、簡単にその牙を剥くのだ。
背後から響いたのは、巨大な爆発音。振り返ったクロノが見たのは、闇を切り裂く爆炎が空に舞い上がる光景だ。あの辺りは、ネーレウスが居る浜辺の筈だ。
「……なんで……」
アノールドの退治屋にしては、動きが早すぎる。それに、あの規模の魔法は少々強力すぎやしないか。クロノは胸騒ぎを抑えきれず、堪らず走り出していた。
クロノは知る由もないが、先日の勇者騒ぎには続きがあった。討魔紅蓮に煽られ、自分達のあり方に疑問を持った勇者達が暴走し、ウェルミスに乗り込んだ例の一件。クロノの頑張りで、犠牲者は一人も出なかった。参加した勇者達は考えを改め、馬鹿な真似はしないと約束してくれた。
だが集まった勇者達は、まだ居たのだ。討魔紅蓮に煽られ、作戦に参加しようと集い、踏ん切りがつかず、右往左往して結局乗り遅れた者達が、数名存在していたのだ。
臆病であり、決断も出来ぬ情けなき勇者達は、自己嫌悪に陥っていた。そんな彼等の耳に、浜辺で魔物を目撃したと情報が入った。情報は捻じ曲がり、様々な形で町を巡る。大人しい魔物だの、敵意が無かっただの、弱々しい女の魔物だの……都合の良い部分ばかりが、勇者達の耳に届いた。
失った自信に、どれほどの価値があるだろう。そんな詰まらない物の為、勇者達は立ち上がった。誰の為でもない、自分達の小さな名誉の為、理不尽とも取れる暴力を振るう事を決めた。勿論、罪の意識の欠片も持っていない。相手は魔物、相手の考えなど知ったことじゃない。倒せば、名が上がる。皆が認めてくれる。大人しい魔物なら、危険も無いかもしれない。そんな汚い感情で、勇者達は震える足で立ち上がった。大量の爆薬を海に流し、火の魔法で海を爆破したのだ。
夜の闇を照らす、大炎上の灼熱地獄。その中で、ネーレウスは何事も無かったかのように浜に上がってきた。焼け爛れた皮膚が剥がれ落ちると、そこには再生し終わった綺麗な肌が見えていた。燃え尽き、吹き飛んだ筈の触手も、既に全て再生済みだ。一切のダメージを感じさせないネーレウスの姿に、勇者達は腰を抜かして怯えていた。
その表情も、彼らの所業も、ネーレウスの心を砕くのに、十分すぎた。何でここまでされなきゃいけないのだ。ここまで否定される事を、自分はしたのか。存在自体、罪だというのか。愛されるなど、夢物語なのか。
「…………誰も、私を愛してくれないのなら」
「受け入れてすら、くれないというのなら……」
「…………いっそ、殺してくださいな」
「ひ、ひぃあああああああああっ!?」
殺してくれ。その願いすら、目の前の人間は拒絶した。逃げようとする勇者の姿を見て、ネーレウスの中で何かが壊れた。無意識の内に触手を持ち上げ、目の前の人間に振り下ろす。砕けた心では、暴走する感情を抑えられなかった。岩ですら容易に粉砕する、強靭な鞭のような一撃。その一撃を弾いたのは、自分と唯一、普通に接してくれた少年だった。
「ネーレウスさんっ! 駄目だっ!」
その声すら、耳に届かない。魔核固体のネーレウスは、自らの力を暴走させ、感情のままに魔力を放出した。背後で燃える海から、巨大な水の槍が空に打ち上げられた。
闇を照らす、燃ゆる海を背に……多数の触手を蠢かせ、ネーレウスは悲しみの涙を流した。月を仰ぎ、叫び声を上げたネーレウスは、力の限りに暴れ狂う。
そんなネーレウスを見て、クロノは後悔した。自分のせいで、こうなった。自分の浅はかで、楽観的な行動が、この結果を生んだのだ。あの涙は、自分が流させた。だからこそ、放っておけるわけが無い。彼女が純粋に、受け入れられたがっていた事は……十分伝わってきていた。こんな結果で終わらせていい筈がない、そんなの、絶対に嫌だ。
「ネーレウスさん、そこから先は……絶対に踏み込んじゃいけないっ!」
「貴女を受け入れる人は、絶対に居るからっ!」
「……俺が受け入れるからっ! だから、止まってくれっ!!!」
返事の代わりに、触手が襲い掛かってきた。言葉は届いていない。それなら、届けるまでだ。こんな結末は納得できない。それなら、変えてみせる。
今までだって、そうして来たから。




