第百五十九話 『忌まわしき異形』
クロノは恋愛に疎い、それもかなりだ。夢一筋に生きてきた為、興味も無ければ耐性も殆ど無い。そんな少年に、婿探しなど勤まる筈もない。だが、断る選択はもう消えている。目の前の魔物から感じられる力は、間違いなく魔核固体の域に達していた。伊達に、海の王の娘を名乗っていない。
「……分かりました……協力します……」
「当然ですわっ!」
「と言う事で、私はここで待っていますから……素敵な人を見つけてきてくださいな」
無茶振りも大概にして欲しいが、意見を述べる前にクロノは軽々と投げ捨てられてしまう。なんとか上手く着地し、クロノは改めてネーレウスに向き合った。
「あの、いきなり夫とか言われてもピンとこないんですが……」
「どんな人を探してくればいいんですか?」
「強くて、格好良くて、そう……童話の中の王子様のような……姫である私にピッタリの方ですわ」
「あと背が高くて、優しくて、私の下半身を醜いと言わずに受け入れてくれる……海よりも深く広い心を持った殿方ですわっ!」
砂漠の中で米粒を探し出すような難問に、クロノは目眩すら感じてしまう。だが、ここで神懸り的な閃きがクロノに舞い降りた。
「ならっ! エルフならどうですかっ!?」
現時点で、エルフとの距離はかなり縮まっている。夫候補を探すのは容易いだろう。未知を求め続ける彼等なら、多脚亜人種を醜いなどと言わず、むしろ好意的な目で見るはずだ。それに、エルフは亜人系の魔物だ。殆ど人間と見た目は変わらない、ネーレウスも気に入ってくれる筈だ。
そんな楽観的な発想を持ったクロノを、ネーレウスの触手が弾き飛ばした。鞭のようにしなる一撃は、クロノの頬を赤く染め上げた。
「あ痛っ!?」
「私、魔物嫌いですの」
「エルフとか冗談じゃありませんわ、耳長いとか気持ち悪い」
魔物を気持ち悪いと抜かす魔物を、クロノは初めて見た。
「うぅ……どう足掻いても人間がいいんですね……」
「当たり前ですわ、私の夫は人間以外有り得ませんの」
「そこまで拘りがあるなら……自分で探せばいいのに……」
「海上に出向く男達は、どうも品が欠けていますの」
「これ以上船を襲えば、私も少し危ない気がしますのよ」
「たいじや? とか言うのに襲われたら堪ったものじゃないですしね」
「まぁ、負ける気はしませんけど」
「で、陸で探す方向に?」
「えぇ、けど一つ問題がありまして」
「私、ちゃんと人間化出来ませんの」
「全てはこの足が……っ! この足……この足が…………っ!」
また冷たい目をしたまま、自らの足を引き千切り始めるネーレウス。とても怖いので、出来れば目の前でブチブチするのは辞めて頂きたい。
「あ、あははは……本当にその足が嫌いなんですね……」
「当たり前ですわ」
「…………こんな気持ち悪い……醜い下半身……持って生まれなければ分からないでしょうね」
「愛する事も、愛される事も……出来る筈無いんですのよ」
一瞬、ネーレウスが泣きそうに見えた。そこでクロノはハッとした。自分の夢は共存の世界、助けを求めてるなら、人だろうが魔物だろうが、助けるのが当たり前じゃないか。クロノは力強く立ち上がり、今回の難題に立ち向かう決心をした。
「ネーレウスさん」
「様を付けなさい」
「……ネーレウス様、任せてください」
「俺は、人と魔物の共存する世界が夢なんです」
「ネーレウス様の願い! 俺が叶えてみせますっ!」
そう宣言し、クロノはカリアに向かって走り出した。そんな少年の背中を、ネーレウスはポカンと眺めていた。
「…………口だけなら、何とでも言えますわ……」
俯きながら、ネーレウスは海へと戻っていく。下半身を水の中に隠すように、静かに水へ浸かって行った。
「で? どうすんだよ恋愛初心者君」
「やかましいっ!!」
「あはは♪ 返しがセシルちゃんみたいだねぇ」
早速精霊達がからかいに出てきた。なんとか切り抜け、婿探しの対策を練らねばならない。
「候補を探すなら、クロノの無駄に上手い口車で何とかなると思うよ」
「褒めてる? それ褒めてるのか?」
「けどなぁ……将来を共にするっつーなら……どうやってもあの女の下半身を晒す必要があるしなぁ」
「あれを受け入れられる一般人って、それもう一般人じゃなくね?」
「魔物の、姿……耐性、あるのは…………勇者か、退治屋……」
「リスク高いねぇ……」
「耐性はあるだろうけど、受け入れるかは別の話だね」
「ネーレウスさんに会わせれば、好意どころか敵意を抱かれかねない」
「戦闘になったりすれば……危ういだろうね」
「強気に振舞ってたが、ありゃ結構心を病んでるぜ?」
「あれほど自分の身体を嫌ってる魔物、割と珍しいけどな」
少しでも間違えば、ネーレウスの心に深い傷を作りかねない。それだけは避けたい、きっと、後悔する事になる。
「クロノ……気を、つける……」
「クロノ、たまに……デリバリー、ないから……」
「前よりは近づいたな、デリカシーな」
赤面したティアラが、水の鞭でクロノを殴り飛ばした。クロノの頭の上に陣取っていたエティルは咄嗟に飛び上がり、傍に居たアルディとフェルドはしゃがんでそれを難なく避ける。
「わ、わざと……だし」
「試した、の…………やっぱり……クロノ、馬鹿……!」
(絶対に嘘だねぇ)
「まぁなに配達すんのかは知らねぇけどよ」
「あいつは割と繊細だろうから、色々考えとけよ?」
「軽はずみな行動が、取り返しの付かない事に繋がる事もある」
「いたた……分かってるよ」
候補者が見つかるかも分からないが、チャンスはあまり無いだろう。ネーレウスの姿を何度も人に晒し、失敗すれば、ネーレウスが傷付くと同時、発見される危険性も上がる。退治屋の耳に入れば、どう考えても面倒になる。
「ネーレウス様は綺麗だし、下半身さえ出さなきゃすぐに候補集まると思うけどさ」
(様付けが刷り込まれてる……)
「それじゃ、駄目なんだろうな」
上辺だけに寄り付くような男じゃ、ネーレウスは納得しない。魔物の彼女を受け入れるという点が、何より重要なのだ。
「見つかるわけねぇよ」
「? なんでだよ」
「自分で自分を嫌ってんだ、それじゃ誰も寄り付かねぇ」
「あの女が自分を、受け入れてないじゃねぇか」
「そりゃ……」
「一回、思いっきり吐き出させればいいんだ」
「……どうやってさ」
「はぁ……ガキが……」
「数百年生きてるお前等と一緒にすんなよっ!!」
「クロノ、五百年以上生きてても子供は子供だよ?」
「アル、いい、度胸……!」
いつもの戯れは軽くスルーしつつ、クロノはカリアを目指す。手当たり次第に魔物の夫になってくれる人を探すしかないが、正直見つかる気はしていない。
「そんな変人……居る訳ねぇよなぁ……」
「あたしは一人、心当たりあるけどなぁ」
「!? 誰っ!」
「え~……エティルちゃんの立場からだと言いたくないよぉ」
「おま、そんな事言ってる場合じゃ……!」
「魔物に抵抗が無く、何でもかんでも受け入れるクソ馬鹿なお人よし、あぁ……確かに一人いるよな」
「却下、駄目、絶対……」
「……? そんな奴居るのか? ルーンとか?」
「クロノ、たまに僕は君が心配になるよ」
何故か哀れみの目で見られた、エティルとティアラは複雑そうな顔だ。そうこうしている内に、カリアが見えてきた。
「勇者や退治屋はリスクがありすぎるし、一般人を当たろう」
「この際仕方ない……魔物ってとこは伏せて……美人のお姫様が夫を探してるんでどうですか? みたいなノリで行こう……」
「一つ問題があるんですけど、そこは会ってから自分の目で確かめて……とかさ」
「それ危ないよぉ……」
「だってそれしか思いつかないんだもの……」
「受け入れられないなら、きっと腰抜かして逃げ帰るだろうけどさ……」
「きっと何回も繰り返せば、いける人が……」
「あの女の心は、ズタズタになるかもな」
「うっ……」
「まぁ、そんくらいしないとあの上っ面は剥がれないか」
「好きにやれよ、後始末は覚悟してな」
女心が微塵も分からないクロノにとって、今回の難題は過去最大の壁である。溜息交じりで、クロノは一歩目を踏み出した。まずは、酒場辺りを探してみよう。
海の上を漂うネーレウス、彼女の触手の一本が、魚に突っつかれた。彼女は触手を巧みに操り、魚を追い払うと、触手を一本水上に持ち上げる。この触手は、人間から見るとどう映るのだろうか。便利そうに映るだろうか、きっと、恐怖の対象にしか映らないだろう。この無数の触手は、生物を容易く拘束し、握り潰す事が出来る。人から見れば、ネーレウスは異形の化け物だ。どんなに嫌っても、拒んでも、この足は切り離せない。この触手のせいで、海の者からも距離を置かれた。多脚亜人種は比較的大型の魔物だ、警戒されるのは仕方ない。だが、自分は一度として、か弱い女の子として扱われた事はない。
恋愛脳だと笑われても、愛されたい思いはどうしても心の中にある。忌まわしき触手に悩む彼女にとって、人の姿は理想であり、憧れなのだ。様々な物を望んではいるが、究極的に言えば、彼女は普通の扱いをされたいだけだ。彼女は一度も、抱きしめてもらった事も、頭を撫でられた事も無い。頭の中がピンク色だと誤解されがちだが、求める物は至って平凡だ。ただ、普通に接して貰いたいだけだ。簡単な事なのに、自分にとっては酷く遠い。
(好きで……こんな姿に生まれたんじゃ……ありませんもの……)
(世界は……残酷過ぎですわ……)
花占いで花びらを千切るように、ネーレウスは自分の触手を引き千切っていく。引き千切るより早く、触手は新しく生えてくる。魔核固体という点を除いても、彼女の再生速度は異常だった。
それでも、心の傷だけは…………いつまで経っても癒えてくれなかった。




