第百五十八話 『海を荒らす、恋愛脳』
一週間ほどの休息を経て、クロノの体調も万全とはいかないが、随分回復した。昼食を終え、城の廊下を歩いていると、タンネの姿を発見した。
「おぉ、クロノ殿……お体はもう大事ないですかな?」
「タンネさんやエルフ達のおかげで、もう随分回復しました」
「本当にありがとうございます」
「いやいや、礼には及びませんとも」
「ところで、ラティール王がどこにいるか知りませんか?」
「そろそろ旅立とうと思ってるんですが、最近姿を見てなくて……」
あの日以来、ラティール王は殆ど顔を見せてくれてなかった。訳有りなのは明白だが、クロノはラティール王から話してくれるまで、深く追求するのは避けようと決めていた。
「王は何やら多忙なご様子……何も聞いておらんのですか?」
「? 何かあったんですか?」
「ふむ……クロノ殿、最近世界各地の海が荒れているのはご存知ですかのぉ?」
旅の途中で耳に挟んだ記憶がある。嵐でも無いというのに、世界各地で海が荒れる事件が多発しているらしい。一定範囲の海域のみ海が荒れ狂うこの現象は、不定期に各海域で発生しているらしいのだ。
「先日、アノールド近海でその現象が起こったらしいのです」
「デフェールからの交易船が大きく損傷、行方不明者も出ているようですぞ」
「……そんなことが……」
「我等エルフの意見としては、自然現象では無いでしょうなぁ」
「海の魔物が関係していると思うのですが、現象が発生している範囲は世界中に及んでおります」
「現時点では、推測しか出来ませんのぉ……」
「何が問題かって……最近はアノールド付近での発生頻度が上がってる事なんだよ」
廊下の奥から、ラティール王が現れた。その顔には、少々疲れの色が伺える。
「王……大丈夫ですか?」
「僕は平気だけど……周りが少し大変かな……」
「行方不明者もなんとか全員無事に発見されたよ、空から探してくれたピュアには感謝してもし足りない」
空を飛ぶのも随分上手くなっていたし、ピュアはここでは大活躍である。
「海が荒れるポイントは、何故か船の移動ルートに重なってるんだ」
「正直このまま被害が続けば……市場にも影響が出るだろうね……」
「魔物が関係してるなら、俺が調べてみましょうか」
「海の中でも、今の俺なら大丈夫ですよ!」
「それは助かるけど……大丈夫かい?」
「場合によっては、力の強い魔物が関わっているやも知れませんぞ」
「海の魔物なら、少し考えもあるので平気です」
「あと、何か気になる点とかあったら……教えてくれませんか?」
王は少し考えた後、何かを思い出したように顔を上げた。
「そういえば、行方不明者が全員男性だったのが少し気になったかな」
「調べてみたけど、世界中の被害状況がどれも一致したんだ」
「船の移動ルートの海が荒れてるのも、行方不明になったのが男性なのも、ね」
「後、行方不明になった人は全員、近くの大陸に打ち上げられてたって話だよ」
「まぁ……被害者達は気絶してたらしいし、何があったか覚えてる人もいないみたいだけど」
「……? 人間を狙った魔物の仕業なら、何か引っ掛かるやり方ですね」
「今の所、死傷者は出てないんですか?」
「死傷者どころか、怪我人一人出てないよ」
「まぁ……船が真っ二つになった話もあるけど
むしろ、それで怪我人一人出ていないのはおかしい。魔物の匂いがプンプンしてきたので、クロノはこの事件を調べてみる事にした。ラティール王から荒れた海域の場所を教えてもらい、クロノは城を飛び出すのだった。
「クロノー? 考えってなにー?」
「ネプトゥヌスさんから貰った、紋入りの人魚の宝玉があるだろ?」
「これ見せれば、きっと話くらい出来ると思うんだ」
「なんだよ、そんな便利アイテム持ってやがったのか?」
「コリエンテに行く前だから、ティアラとフェルドは知らないよな」
「私も、初めて聞いたがな」
空から降りてきたのは、何故か肉を咥えているセシルだ。
「お前が俺の金で肉貪ってる間に、人魚達から貰ったんだよ」
「チィ……まだ引っ張るか」
「まぁいい、貴様これから海に入るのか?」
「あぁ、セシルはまた留守番か?」
「海に入るならそうなるが、さっき空から変な物を見たぞ」
肉をモグモグしながら、セシルがある方向を指差した。
「あっちの浜で、変な匂いの女を見た」
「間違いなく魔物だ、私より人間化が下手だったな」
「セシル、以下……なら……相当……下手……」
「やかましいわ、……んぐ……」
「……プハ……先にそっちに向かった方がいいと思うがな」
「私はこれから昼食の続きを取ってくる、行くなら勝手に行ってこい」
「セシル、散歩と摘み食いを両立させちゃ駄目だよ? 行儀悪いなぁ」
「やかましいわ」
ラティール王が甘やかすせいで、セシルは城での食事を満喫しまくりだ。特に夕食は肉のフルコースである。まぁ幸せそうなのでいいのだが。
「とりあえず、セシルの言う浜辺に行ってみようか」
「セシルありがとな!」
「…………気をつけろよ」
「!?」
聞き間違いかと思い、クロノは急ブレーキをかけて振り返る。セシルの姿は、もうそこには無かった。
「…………失礼かもしれないけど、今回は凄く嫌な予感がする」
「あははは、セシルちゃんは素直になれば良い子なんだよぉ~?」
「まぁ、槍でも降るかもね」
「……お子様……お子様……」
「おう、自己紹介かティアラ?」
「……イラッ」
背後で水遊びが始まったが、クロノは暫くポカンとしていた。セシルが心配してくれるなんて、珍しい日もあるものである。自然と笑顔になり、クロノは走り出すのだった。
セシルの教えてくれた浜が見えてきたが、そこまで来てクロノは大事な事を思い出した。あの浜は、ラティール王が言っていた浜である。先日行方不明になった男達が発見されたのが、あの浜なのだ。
「こりゃ……いきなり目標とエンカウントも有り得るかもな……」
「ん? 人?」
浜辺に到着したクロノは、すぐに人影を発見した。下半身が海に浸かっている、髪の長い女の子だ。
(うわぁ、あからさまに怪しいよぉ)
(エティルでも分かる怪しさ、これは相当だね……)
(…………? 何、この……波紋……)
(クロノ、警戒しろ)
(まず間違いなく、魔物だぞ)
見れば分かるが、声をかけない訳にもいかないだろう。水に入る事に抵抗を覚えたクロノは、浜から女性に声をかける事にした。
「あのー! すいませーん!」
「…………!」
薄紫色の、ウェーブがかかった長い髪。整った顔立ち、華奢な身体。100人に聞けば、100人全員美しいと答えそうなほど、その女性は綺麗だった。クロノも一瞬見惚れるが、その一瞬が命取りになった。クロノの背後の砂から、触手が飛び出してきたのだ。
「……ッ!?」
咄嗟にしゃがんで回避したが、さらに二本、触手が足元から伸びてきた。足を捕られ、クロノの身体は一気に触手に巻き取られてしまう。
「な、なんだぁっ!?」
「んー? 今度は男の子ですか……」
「んー…………タイプじゃありませんわね」
両手両足を縛られ、クロノの身体は空中で縛り上げられる。海から上がってきた女性の下半身は、タコのような触手が多数確認できた。
(地面に触手を潜ませてたのか……)
(この子……多脚亜人種だ!)
「はぁ……ハズレですわ……」
「ハズレ君、残念ですがちょっと意識手放して頂けます?」
「はい? って痛たたたたたたっ!?」
触手がギリギリと体に食い込み、嫌な音を立ててきた。このままじゃ絞め落とされる。咄嗟に金剛を纏い、出来る限り抵抗をしてみた。
「? あら? 硬いですわね」
「ん……ん~~!」
(なんつー馬鹿力っ!!)
「ストップストップストップ! いきなり何すんだっ!」
「お黙りなさい、姿を見られた以上……このまま帰す訳にはいきませんの」
「私は王子様を見つけるまで、問題を起こす訳にはいきませんのよ」
何を言っているのかサッパリである、このまま黙って絞め落とされると、どうなるか分かったものじゃない。クロノは金剛を巨山嶽に引き上げ、全力で触手を弾き飛ばす。
「!? なんて野蛮な!」
「いきなり絞め殺そうとした奴の台詞じゃないよっ!?」
両手で口を押さえ、わざとらしく驚く多脚亜人種の女性。とりあえず敵意のない事を証明する為、クロノは人魚の宝玉を取り出した。
「あの! 俺は話をしにきただけなんだ!」
「とりあえずこれを見てくれ、これである程度の信用は得られると思うんだ!」
「はい? それは……」
「……………………!?」
「俺の名前はクロノ! 貴女に聞きたい事が……」
「その紋は……そうですか……」
「そうです、俺は敵じゃ……」
「おのれネプトゥヌスッ! まだ私の邪魔をするつもりですのっ!?」
「うわあああああああああああっ!?」
触手の雨が、クロノの視界を奪い去った……。
10数本の触手による、乱打の雨に晒されたクロノ。彼は今2本の触手でグルグル巻きにされていた。
「ごほんっ! 見苦しいお姿をお見せしてしまいましたわ……私とした事が……」
「私はネーレウス・ケアノス……由緒正しき海の王の一人娘ですわ」
「……俺はクロノ……とりあえず離してくれませんか?」
「その宝玉に刻まれているのは、私の家臣のものですわ」
「舐めた口を利いた罰として、城から遠ざけておいたというのに……忌々しい……」
クロノを締上げている触手が、ギリギリと力を込め始める。
「……ネーレウスさんは……」
「様を付けなさい」
「…………ネーレウス様は……何か目的でもあるんですか……?」
「もしかして各地で海を荒らしてるのって……」
「あら嫌ですわ、荒らしているなんて」
「私の夢の為、仕方なくやっているのです」
やっぱり海を荒らしてるのは、この触手お化けだったようだ。
「あの、何の為に……」
「夫! 夫探しですわ!」
「……はい?」
「私……人間の夫に憧れていますの……」
「お父様の聞かせてくれた、人と魔物の恋愛の物語……小さい頃から憧れていましたの……」
「家臣は無理と言いましたが、諦めるなんて由緒正しき海王の名折れ……」
「私……世界中の海を巡り……待っていますのっ! 運命の殿方との出会いをっ!」
(また凄い濃いのが出てきたなぁ……)
「……人間じゃ無いと駄目なんですか?」
「だって魔物って気持ち悪いじゃないですの」
「見てくださいこの触手……触手っ!」
ネーレウスは何を思ったか、自分の足に当たる触手をザクザクと手刀で突き刺し始めた。白い液体が飛び散り、触手が何本も千切れてしまう。
「ちょっ!? 何して……っ!?」
千切れた先から、触手は物凄い勢いで再生していく。これが多脚亜人種の超再生能力だ。個体差はあるものの、多脚亜人種の触手は、切れてもすぐに再生するのだ。
「忌まわしき下半身っ! 気持ち悪いですわっ!」
「切っても切っても元通り……もはや呪いですわーーっ!」
「私待っていますの……この呪われた身体でも愛してくれる……運命の殿方を……っ!」
(根深いなぁ…………)
言いながらも、ネーレウスはザクザクと自分の触手を引き千切っている。自分の身体に憎しみをぶつけられるのも、多脚亜人種ならではである。
「じゃあネーレウスさんは……」
「様」
「……ネーレウス様は、夫を見つける為に片っ端から船を襲ってたんですか?」
「その通りですわ」
「…………えっと、成果は?」
「はぁ……タイプの方がいませんの……」
この恋愛脳を放置すれば、後々大惨事になりかねない。現状犠牲者は出てないが、危険と隣り合わせの危うい状態なのは間違いない。
「え、えっと……船を襲うのは辞めたほうが……っ!?」
クロノを巻き上げている触手が、物凄い力でクロノを締め付けてきた。
「君は、あのクソ家臣の紋入り宝玉を持っていますし」
「つまり私の下僕に等しいわけです」
「え、どういうわけ!?」
「私、もう我慢できませんの」
「お父様にも、あのゴミ家臣にも……私一人で夫を見つけられると!」
「人間の夫を見つけられると、証明してみせるんです!」
「君、手伝いなさい」
「!? え、いや……それは……」
「……選択肢など、与えませんわっ!」
「もし断るのなら……」
ネーレウスが魔力を発した瞬間、背後の海から巨大な水の触手が8本巻き上がった。山のように巨大な水の触手は、恐ろしい勢いで螺旋状の回転をしている。あんな物を撃ち込まれたら、岩程度なら余裕で風穴が開くだろう。
「君が歩いてきた方角、確か街がありましたわね」
「その街に、これを叩き込みますわ」
「なっ!?」
「私のラブラブな未来がかかってますの、協力してもらいますわよっ!」
「ふふふっ♪ 素敵な人を見つけてくださいね?」
嫌な予感というのは、当たる物だ。クロノは青い顔で、首を突っ込んだ事を後悔するのだった。




