Episode:暦 ① 『人と狐』
今日も晴天、洗濯物がすぐに乾きそうな気持ちのいい空だ。暦は思う、明日も明後日も……ずっと晴れだったら、と。
「だから集中力の問題と……何度も言っているでしょうがっ!!」
「出来ないのーーーーっ!! もうやだああああっ!」
(きっと……この地獄は終わらないんだろうなぁ…………)
いっそ台風でも来れば、この修行も中止になるのだろうか。恐らく、雷が降り注いでも中止にならないだろう。クロノ達と別れてから、暦はずっと茜の修行に付き合わされていた。九曜のスパルタと茜の逃走術に振り回され、板挟み状態の毎日が続いている。
「いいですか茜様、人間化の基本は魔力コントロールです」
「魔力で仮の姿を作り、それを纏うイメージをですね?」
「巫女様遊ぼー♪」
「聞いてください」
「むぎゅああ」
九曜の尾が茜を優しく押し潰す、もう何度も見た光景だ。もう何度このループを繰り返したか分からない。
「はぁ……狐の巫女、貴女からも何か言ってください」
「巫女として、茜様を導きなさい」
「そんな事言われても……」
何を言えばいいのか分からない上、暦は現在両手に黒と白の球を持ち、魔力を練る修行中だ。陰陽術の修行の一種であり、右と左で別方向に魔力を集中させているのだ。暦も一応勇者であり、特に魔力の扱いは平均より上手いと思っている。だが、九曜に持たされた白黒の珠が魔力を吸い取ってくる為、気を抜くと一瞬で魔力が乱れ、地獄の苦しみを味わう羽目になる。
「なんですか? 言う事など何も無いと?」
「茜様の事など、どうでもいいと?」
「……巫女様ー?」
「あ、いや、そうじゃなく……ひぎっ!?」
集中力の乱れは、魔力の乱れ。白い方の珠に魔力を吸い取られ、暦は右半身から力を抜いてしまう。力のバランスが崩れ、黒い方の珠が吸った魔力を吐き出した。左方向から魔力の圧を食らい、暦は吹っ飛んでしまう。
「ぎゃあああああああっ!?」
「巫女様ーーーーっ!?」
「はぁ…………」
生傷耐えぬ修行は、まだまだ始まったばかりである。九曜の溜息も、これで何度目か分からない。木に衝突した暦は、自分に迫る九曜を見て、何かを諦めた。
茜の隣に正座させられ、今日も恒例のお説教である。
「茜様の態度は、今に始まった事じゃありません」
「ですからそれは置いておきますが、何なんですか巫女? 貴女の使えなさは」
「茜は許されたよー♪」
「許してませんからね」
「むぅ~」
「すいません……」
「けど普通の勇者の私が、九曜さん以上に強くなるなんてそんな……」
暦は特別な人間でもなければ、飛び抜けた何かがある訳でもない。至って普通の、女装男である。そんな暦が、四天王の側近である八尾を超える力を得るなんて、不可能と言ってもいいかもしれない。
「弱音? 死にたいんですか?」
「すいません…………!」
「茜様を支えると言ったからには、貴女に逃げ道は存在しません」
「巫女、貴女は私『以上』に強くならねばならない」
「来るべき茜様の覚醒を、押さえ込めるほどにね」
何度もそれは聞かされた、茜が九尾に覚醒し、暴走した時、それを抑えるのが自分の役目だ。その時に茜に殺される事こそ、過去の繰り返しであり、絶対に避けなければいけない未来だ。本当なら茜と距離を置くのが一番安全なのだろうが、その選択はもう捨てたんだ。
暦は正座を放棄し、蝶を追いかけている茜を見る。無邪気に駆け回る彼女が、どれほどの力を身に宿しているのか、想像も出来ない。今は自分に懐いてくれているが、力が目覚めた時、自分の声が届くのかさえ……分からないのだ。
「…………私に、出来るんでしょうか……」
「……巫女、なにを……」
「うわあああああああんっ!」
「!?」
急に茜の泣き声が響いた。九曜と暦が同時に振り返ると、茜が転んで泣いていた。蝶を追いかけるのに夢中になり、社の残骸に躓いたのだ。
「茜さ……」
「茜っ!」
反射的に、暦は駆け出していた。泣いている茜に駆け寄り、抱きしめてやる。それを見た九曜が、一瞬驚いたような顔をし、すぐに笑顔を浮かべた。
「……茜様のお体が最優先です、少し休憩にしましょう」
「あ、はい……」
「巫女様ー! うぇえええん……」
泣いている茜を抱き抱えながら、暦は九曜の隣へ走り寄っていく。ボロボロの社の石畳に腰をかけ、ようやくの休憩だ。
泣き疲れた茜が、暦の膝で寝息を立て始めた。暦が持参した弁当を摘みながら、九曜は溜息を零す。
「まったく……今日もまともに修行が進みませんね」
「あ、あはははは……」
冷や汗を流す暦だが、茜は呑気に夢の中だ。修行自体を放棄してる茜はともかく、暦は必死に修行で精神をすり減らしている。それなのに、成果は思わしくないのだ。
(才能、ないのかなぁ……)
「…………巫女、一つ聞かせてください」
「はい?」
静かに落ち込んでいた暦に、珍しく九曜から話しかけてきた。
「貴女は、一日の大半をここで過ごしています」
「毎日毎日……逃げ出したいとは思わないんですか?」
「修行を強制している私が言うのもなんですが、貴女は少し従順すぎる」
「…………村に居ても、家に居ても、私の居場所はないですから」
「家族も、村の人も……私に押し付けたイメージが大事なんです」
「性別を偽らせ、厄介事を押し付ける……私の存在価値はそれだけ」
「みんなが大事なのは『狐の巫女』であって、私じゃない」
物心ついた頃から、自分は道具のような存在だった。村の仕来りとは言うが、村の者の大半が面倒くさい行事程度にしか思ってない。自分はそんな面倒事を押し付けられる、都合のいい道具だ。
「例え一日中ここに居ても、家の人は心配なんてしません」
「それが貴女の仕事だろ、って言うだけです」
「当然、この社に九曜さんや茜が居る事なんて知らない人が、です」
「村の人にとって、私は一人で社を守る……変人にしか映らないでしょうね」
「村に居ると息が詰まる……ここに居たほうが、気楽です」
「……人にも色々あるんですね」
「あの村も変わりましたよ、朧様の時代は……もっと信仰が深かったと記憶してますが」
「あの、失礼でなければ……私も聞きたい事があるんですけど……」
おずおずと暦が切り出してくる、これも珍しい事だ。
「……なんですか?」
「九曜さんは、茜とどんな関係なんですか?」
「前の四天王……朧さん? と繋がりが?」
「私は、朧様に救われたんですよ」
「私は昔、力の限界を突き付けられ……荒れていましてね」
「狂っていた時を、朧様に救って頂いたんです」
「それから、私は朧様に忠誠を誓った」
「茜様はね、朧様と……私の師の娘なんですよ」
「朧様と師に、私は茜様の未来を託された」
「300年以上、茜様を見守ってきた」
「恩獣達から託された……何に変えても守らなくてはならない存在……それが茜様です」
そう語る九曜からは、揺ぎ無い信念を感じた。強い意志が、その目に宿っていた。
「……私なんかが、茜と一緒にいて……いいのかな……」
零れた弱音に反応して、九曜の尻尾が暦の額を弾いた。
「あ痛っ!?」
「貴女の意思など、どうでもいいんです」
「茜様が、それを望んでいる」
「というか……貴女もそれを望んでいるでしょうに……」
どうでもいいと思っているのなら、泣いている茜に駆け寄ったりはしないだろう。
「……最初に茜と出会った時、彼女が魔物だって分かった時……」
「この子も、私が巫女だから……傍に居るんだろうなって思ったんです」
「でも、この子は言ったんです…………『巫女が好きなんじゃなくて、暦が大好きなんだよ』って」
「巫女としての私じゃなくて、ちゃんと私を見てくれてて……」
「嬉しくて……」
そして、茜の境遇を聞き、放って置けなくなった。自分と同じ様に、運命に縛られる茜を、助けたいと願った。
「茜が血の力に飲まれても……声を届けてあげたい」
「茜は、茜だから…………この子の心を、力に押し潰させたり、したくない……」
「……そうですか」
「……朧様も、それを願っています」
「……私も、ね」
「……九曜さん……私、頑張りますから」
「茜を泣かせたり、しないから」
「今更宣言しなくても、分かってますよ」
「あの少年と出会ってから、私は巫女と茜様の絆を信じると決めましたしね」
そう言って、九曜は優しい笑みを浮かべた。いつも厳しいが、九曜は本当は優しいんだと、確信できる笑顔だった。
「まだまだ頼りにならないけど、頑張るから……」
「九曜さんも、これから宜しくお願いします」
「……はいはい」
そう言いつつ、暦は九曜と握手を交わす。自然と暦も笑顔になっていた。少し、打ち解けた気さえする。いや、きっと……それは間違いじゃないんだろう。
「よし! 茜! 修行頑張ろう!」
「!? 巫女様が九曜になったーっ!」
「どういう意味ですか」
急にやる気になった暦に対し、茜は絶望したような表情になる。そんな茜と目線を合わせ、暦は笑った。
「茜! 私はずっと茜と一緒にいたい!」
「これからを守る為に、私は強くなるから……」
「一緒に、強くなろう!」
「ふえ?」
「茜を守る為に……沢山の人が願った、茜の未来の為に」
「狐の巫女としてじゃなく、私自身の意思で、強くなるから」
「だから、頑張ろうね!」
自分を救ってくれた、小さな狐の為に。自分に出来る事を、精一杯を、彼女に捧げよう。そう決意した暦を見て、九曜は安心したような笑みを浮かべた。
「巫女様ー! なんか嬉しい!」
「えへへ、茜? お願いがあるんだけどさ」
「巫女様じゃなくて、暦って呼んで欲しいんだ」
「あ、勿論! 九曜さんもね!」
「……考えておきます、私の中では……貴女は変態女装男がしっくりきてるので」
「酷いっ!?」
ショックを受けた暦の手を、茜が小さな手で握ってきた。ニコニコとしている茜は、二本の尻尾をこれ以上ないほど左右に振っている。
「暦ー♪ 暦ー♪」
「! …………あははっ」
笑い合う人と狐、その絆は……きっとどんな絶望も照らしてくれる。どんな未来が待っていても、越えて行ってくれる。二人を見守る九曜は、そう思っていた。
「あ、一応忠告しておきますが……」
「手を出したら、殺しますからね? 暦さん?」
「出すかーっ!!」
「?」
今日も、いい天気だ。




