第百四十七話 『最後の四天王』
「おい馬鹿タレ、一つ聞くが」
「ん、なんだ?」
追いついてきたセシルが、後ろから声をかけてきた。クロノは顔だけで振り返り、聞き返す。
「勝てると思っているのか?」
「…………さぁ、な」
ティアラが直前に叫ばなければ、足元から襲い掛かった攻撃にすら気がつけなかっただろう。あまりに速過ぎた為、何に斬り付けられたかも分からない。
「けど、やるしかないんだ」
「…………貴様は、馬鹿だ」
「奴は、私から見ても狂っているぞ」
「負ければ、まず殺される」
「勝った所で、今後……貴様は危険な目に会うだろう」
『討魔紅蓮』に喧嘩を売れば、クロノの身が危険になるのは当然だ。ターゲットにされれば、数日で消されてもおかしくは無い。
「俺の憧れた勇者ってのは、我が身可愛さに誰かを見捨てるなんて、しない」
「綺麗事だろうがなんだろうが、放っておけない」
「…………綺麗事か」
「戯言と共に、あの大陸に乗り込む馬鹿を……私達は覚えているよ」
背後から聞こえる、少し寂しそうな声。その声が示す大陸が、霧の中から全貌を現した。魔核によって架けられた虹色の橋が、巨大な大陸へ繋がっている。下を見れば海は荒れ狂い、目の前の大陸の上空には、目で見て分かるほどの魔力が渦巻いていた。
「…………ラストダンジョンって感じ、だな」
「こんなに早く、来る事になるなんてねぇ」
「…………雰囲気は変わらないね、五百年前と」
「けど、色々…………変わった」
「クロノ、余計な事は考えるなよ」
「勇者共を連れ帰る、今回の目的はそれだけだ」
「昔と違って、今のウェルミスは無法地帯って言ってもいいだろう」
「適当に歩き回れば、お前骨も残らないぜ」
「……昔は違ったのか?」
「昔も最初はそうだった、けどね……」
「ルーンが、変えたんだ」
「当時の四天王、魔王とぶつかり合って…………」
「今の魔王、つまりエフィクト君は……聞いた話を纏めると魔物の指揮を放棄してるみたい」
「魔王の指示が無いって考えれば、今のウェルミスは文字通り地獄だよぉ」
「長居、無用…………話、通じる……奴も……居ない」
「……クロノ、身体…………限界」
いい加減、クロノ自身も身体の重さを感じてきている。連戦で積み上げた疲労は、確実に肉体を蝕んでいる。加えて、相手は半端な強さじゃない。舞台も危険とくれば、モタモタしている暇は無いだろう。
「急ごう……勇者達に追いついて…………連れ戻す!」
「上陸だっ!」
橋を渡りきったクロノが、魔族の地……ウェルミスに降り立った。草の一本も生えていない、殺風景な灰色の大地が広がっている。
「ここが……魔王の住む大陸…………」
「…………ッ!?」
周囲を見渡していたクロノだったが、突然頭が割れるように痛んだ。頭を押さえ、膝を付いてしまう。
「クロノ? どしたの!?」
「………………い、や……何でも…………」
頭の上からエティルが心配してくる、クロノは何とか返事をしたが、痛みは全く引いてくれない。
(なんだこれ……痛い…………痛い…………っ!!)
(……っ……ぁ…………っ!!?)
明滅した視界の中、一瞬景色が変わった。赤く染まる空を見上げ、誰かが泣いている。空を見上げているのは、自分だ。だが、自分の物なのは視界だけだ。何故か分かった……泣いているのは、この身体は、自分の物じゃない。誰かの記憶が、感情が、自分の中で爆発していた。
「…………はっ! かは……はぁ……はぁ……?」
「おい、どうしたというのだ」
セシルがクロノの肩を掴んだ瞬間、痛みが嘘のように吹き飛んだ。クロノは呆然としながら、両目から涙を零していた。
「毒……まだ、残って、る?」
「心が軋んでるぞ、何があった」
「…………分からない」
「けど、胸が痛い……」
この痛みを、自分は知っている。何度も見たあの夢、あの中で感じる、どうしようもない悲しみだ。
(俺は…………この大陸を、知ってる……)
(何で…………どうして……)
頭の中が滅茶苦茶になりそうだ。俯いていたクロノに届いたのは、遠くから聞こえた爆発音だった。
「なんだっ!?」
「……悲鳴が聞こえたぞ」
セシルが音の聞こえた方を睨みつける。相当遠くで起きた爆発のようだが、ここからでも確認できる位置に煙が上がっていた。
「…………ッ!」
反射的に立ち上がったクロノが、音の聞こえた方向へ走り出した。精霊とセシルもそれに続く。
「クロノ、大丈夫なのか!?」
「分かんない、分かんないけどっ!」
「止まってちゃ、駄目なんだ!」
身体の奥の方から、何かが叫んでいた。その何かが教えてくれた。この感情に対する答えは、この先にあると。
(そもそも、止まってる時間もないっ!)
(犠牲者を出すわけにはいかない……急がないとっ!!)
様々な物を振り払うように、クロノは魔族の大地を駆け抜ける。衝撃音と、人の叫び声が、だんだんと大きくなってきた。
「!」
地面に大きな穴を見つけたクロノ、その穴の傍で、人が倒れていた。
「おいっ! 生きてるかっ!!?」
「……あ、が……」
倒れている男には、見覚えがあった。エルフの森でリーガルと共にいた大柄の男だ。
「お前、リーガルの仲間だな!?」
「確かゴルトとか呼ばれてた……俺を斬ろうとした奴だよな!」
「……あの時の、小僧……? なんで……」
「なんでじゃねぇよ! こっちの台詞だ!」
「何があった!」
「何も糞もあったもんじゃねぇ……あの野郎……」
意識が朦朧としているのか、ゴルトは虚ろな目で呟いた。
「化け物だ……化け物が出たんだ……」
「あんなに集まった勇者を……ゴミみてぇに……」
「頼みの綱だったノクスは、いつの間にか消えちまってるし……」
「こんな目に会うなら……リーガルの言う通りにしとけば……よかった、ぜ……」
「この選択を悔いるほどの理性残ってんならっ! 生き延びる努力をしやがれっ!」
「助けに来たんだ、他の勇者はっ!? さっさとずらかるぞ!」
「…………無駄だ、逃げられるわけねぇ……」
「あんな化け物が出てくるって、知ってりゃ…………畜生……」
「諦めるなヘタレッ! この作戦に参加出来てるなら! お前だって勇者なんだろ!」
「リーガルだって待ってる! 死なせやしないっ!」
「おもろいやっちゃなぁ……勇敢な子は好きやで?」
この場の空気には似つかわしくないほど、軽い声。クロノが声のした方へ振り返ると、その方向から人間が5人、投げ飛ばされてきた。
「…………なんだ、こいつ…………」
見た目は普通の人間だ、それこそ、平凡な人間だった。Tシャツにジーパン、茶色い短髪、どこからどう見ても、その辺の町に居そうな人間だった。ポケットに手を突っ込んだまま、あまりに平然と近寄ってくるその男からは、今まで感じたことのない威圧感を感じていた。
周囲の空気から完全に浮いていた男は、ニコニコと笑いながら近寄ってきた。地上の地獄と呼ばれるウェルミスには似合わないほど、男の纏った空気は軽く、明るい。だが、飛んできた勇者達を倒したのは、間違いなくこの男だ。
「………………ッ」
「乗り込んでくる人間なんて、最近おらんかったし?」
「久々にワクワクしたんやけどなぁ」
「超ガッカリ、準備運動にもならんかったで」
「お前……なんなんだ……」
「んー? 何者かって?」
「あははは、そりゃワイが一番知りたいわ」
「君こそなんや、見たとこ勇者ですらなさそうやね」
「こんな殺風景なとこまで、観光ってわけでもないやろ」
「君もあれか? 自殺志願者的な?」
「俺は、勇者達を止めに来たんだ」
「助けに、来たんだ」
ケラケラと笑う謎の男に、クロノはそう宣言する。宣言しつつも、クロノは数歩後ろに下がった。そして、意外な事にセシルが庇うように、前に出た。
「……セシル……?」
「…………」
「…………セシルちゃん、おひさ~♪」
相手の反応で、クロノは察してしまった。九曜が言っていた、最後の四天王の事を思い出した。
「じゃあ……こいつ……」
「あぁ、最後の四天王だ」
「『変幻』のイコージョン・ディムラ、次があるならよろしゅうな」
「まぁ、好きに呼んでくれてかまへんよ」
「てかセシルちゃん、相変わらず美人さんやねぇ……今度……」
言い終わる前に、ディムラの背後から勇者が2人、飛び掛った。何も無かった空間から突然現れた所を見ると、魔法で隠れて居たのだろう。
「死ね! 化け物っ!!」
「んー?」
槍で胸を貫かれ、剣が肩に叩き込まれた。鮮血が飛び散り、ディムラのTシャツが赤く染まる。
「はぁ……はぁ……」
「凄い凄い、四天王相手に傷を付けたで」
「帰ったら自慢出来るわ、ほんま」
「…………ッ! なんで…………」
「なんで死なない、って?」
「ワイが聞きたいっちゅーねん、いやマジで」
「つか勘弁してやぁ、服汚れるやん」
「あ、ごめん……忘れてたわ」
背後の勇者に謝罪すると同時、固まっていた二人の勇者が吹き飛んだ。何かしらの攻撃なのは間違いないが、何をしたのかが分からない。
「反撃忘れてたわ、たはは」
「……なんだよ、お前……」
胸に穴を開けたまま、肩から血を流しながら、ディムラは笑っていた。
「死人種か何かか……?」
「ちゃうでー」
「……じゃあ……機人種……?」
「ちゃうでー♪」
「じゃあ何だよっ!!」
「だから、知らんて」
「何だか分からん存在、そーゆうのに恐怖抱くんやろ? 人って」
「怯えた生き物は、狩られる末路」
「ゾロゾロ群れてた勇者達は、ご覧の有様や」
周囲を見渡すディムラ、よく見れば、周りには勇者達が倒れていた。
「なんか強そうな奴はどっか消えちゃったし、退屈してたんやで」
「君、助けに来たって言ってたやん?」
「君は、ワイを楽しませてくれるん?」
その瞳の奥で光る、魔族特有の輝きが、クロノの背筋を凍らせた。蛇に睨まれた蛙のように、クロノの身体が固まってしまう。
「ワイ的には強い子と戦えればオッケーなんやで」
「セシルちゃん~? ちょっと遊ばない?」
「断る」
「つれないなぁ、もっと本性現そうや」
「最初に出会った時、いい感じに荒れてたやん」
「あのナイフみたいなセシルちゃんと、死合いしたいわぁ」
「それとも、その子殺せば怒ってくれる?」
ディムラが固まっていたクロノを見る。その瞬間、セシルが殺気を発した。
「言葉を選べ、長生きしたいならな」
「たはは、殺せるもんなら殺して欲しいわぁ」
「けどいいなぁ、その目」
「なぁ、マジで遊ぼうや」
セシルに向かって笑顔を向けるディムラ、その瞬間、ディムラの右腕が肥大化した。まるで巨人種のように巨大化した右手が、セシルに襲い掛かる。その大きさに反した速度で地面を殴りつけた右手だったが、セシルはそれをギリギリで回避していた。
「貴様っ! 度が過ぎるぞ!」
「油断大敵、可愛いなぁ」
「壊したくなるで」
「このっ…………っ!?」
ヴァンダルギオンを構えようとしたセシルだったが、急に体勢を崩した。ディムラの右腕から伸びた触手が、セシルの両足を絡め取ったのだ。
「チィ……!」
その触手を爪で切り裂こうとしたセシルだったが、触手が一瞬で水のように変化した。まるで水体種のように、セシルの攻撃を無効化してしまう。
「だから何なのだ貴様はっ! 種の特性を寄せ集めたような……!」
「何なんやろうなぁ、不思議やろ?」
「こんな事も出来るんやで」
セシルに構えたディムラの左腕が、その形を歪に変えた。龍の顔に形を変えた左腕から、炎が吐き出される。
「……っ!」
セシルも炎を吐き出し、その攻撃を相殺する。威力は完全に互角だった。
「たはは、凄い凄い」
「何発まで相殺出来るかなぁ?」
「貴様、いい加減に……!?」
ディムラの左手から龍の顔が4つ生えてきた、その全てが違った属性のブレスを撃ち出そうとしている。
「楽しませて欲しいだけなんや、ワイは」
「娯楽の無い生に、価値なんてないやろ?」
「だから、ワイを楽しませてくれ」
「……チィ……」
今にも撃ち出されそうなブレスに対し、セシルは背中のヴァンダルギオンを構えようとする。笑顔を浮かべ続けていたディムラの顔が、その瞬間横に殴り飛ばされた。
「……っ! 烈迅穿駆っ!!」
烈迅風を纏ったクロノが、自分の最高速でディムラを殴り飛ばしたのだ。
「クロ…………ッ!?」
「…………セシルから、離れろっ!!」
例え相手が四天王でも、恐怖でおかしくなりそうでも、勝ち目がなくても、黙って見てるのはもう嫌だ。何も出来なかったシアとの戦いから、少しでも成長したと言うのなら。
やってやるしか、ないだろう。
「…………おもろいなぁ、君」
心底嬉しそうな顔で、ディムラがクロノに狙いを定めた。
あの時と同じように、魔族の大陸で人と四天王の戦いが始まる。
その先に待つのは、希望か、絶望か。




