第百四十六話 『勇者の本音』
意識を闇に落とされたクロノは、腕に妙な感触を感じた。ゆっくりと目を開けると、ティアラが腕に吸い付いていた。
「……!? 何して……っ!」
「……動く、な……馬鹿……」
上目遣いで睨んでくるティアラ、その表情は真面目な物だった。
「毒、吸い出してくれてるんだよ」
「ティアラが居なかったら、本当に危なかったかもね」
「水の力の応用で、血の流れから毒だけ吸い上げてんだ」
「つっても、完全に吸い出すのは無理だぞ」
思わず飛び起きそうになったが、体がとても重かった。毒の影響か、まともに動けない。
「……クソ……あいつ、俺の事気にかけもしなかった……」
「虫を払うみたいに……簡単に……」
そうだ、あまりにも簡単に、人を傷つけた。迷う素振りも見せず、殺そうとしてきた。
「……っ! そうだっ! あの勇者は……!」
目の前で首筋を切り裂かれた、女勇者の事を思い出した。辺りを見渡すと、すぐその姿を見つけることが出来た。横に寝かされた勇者のすぐ近くで、セシルが腕を組んでいる。
「……助ける義理は無かったが、手当てはした」
「もう少し傷が深ければ、即死だっただろうな」
「…………セシル…………恩に着るよ……!」
「……貴様の為じゃない」
「私も、少し気に食わなかっただけだ」
顔を背けるセシルだったが、毎回毎回彼女には感謝が尽きない。クロノは安堵の息を漏らすと、その場に倒れこんでしまった。
「クロノォ……大丈夫……?」
「……身体……重たい……」
「クソッ…………倒れてる場合じゃないのに……」
「……これ、以上は……無理…………解毒は、専門外……」
クロノの腕から口を離したティアラが、少し落ち込んだ様子でそう言った。彼女が居なければ死んでいたかもしれないのだ。そんな顔をされると、クロノとしても申し訳なくなる。
「いや、ティアラ……ありがとう」
「感謝してる、本当にありがとうな」
「…………ん」
「つっても、どうすんだクロノ」
「橋、架かっちまったぞ」
フェルドの視線を追ってみると、虹色の橋が浜辺から伸びていた。霧でよく見えないが、ウェルミス大陸へ続いているのだろう。橋の光で照らされ、気がつくのが遅れたが、空は既に真っ暗だ。どれだけ意識を失っていたのかは不明だが、もうすっかり夜になってしまっているようだ。
「…………っ」
「あの橋は、大体7日は架かったままだ」
「使った魔核の大きさによるが、最短で7日は持つだろう」
「追う事は可能だろうな、貴様の身体が動けば、だが」
セシルの言葉を聞き終わる前に、クロノは立ち上がろうと力を込める。両足は、その想いに応えてくれなかった。
(……なんでだよ……動けよ……っ!)
(あんな奴に……負けて…………あんな奴に勇者達を利用されて……)
(このままじゃ…………みんな…………死ぬかもしれないんだぞ……)
「…………度重なる無茶で、限界も近かった」
「諦めるべきかもな」
「セシル……今は煽りとか、いらない」
「何を言われても、俺は諦めない」
「……だが、現にこの場で貴様を解毒出来る奴はいない」
「カリアへ戻り、エルフにでも解毒を頼むべきだ」
「そんな暇っ! ねぇんだよっ!!」
悔しさから自分の足を殴りつけるが、痛みすら感じなかった。身体の麻痺は依然、解けていない。命こそ取り留めたが、まだ毒の影響は残っている。
「…………お人好しが過ぎないか?」
「先ほど顔を合わせただけの人間を、どうしてそこまで助けようとする?」
「人魔混合の大会の前に、凄惨な事件を起したくないのか?」
その気持ちも、確かにある。だが、もっと単純な理由でもある。
「セシル、お前はまだ俺って言う馬鹿野郎を分かってないよ」
「……争って欲しくないんだ…………無意味に、戦って欲しくないんだ……」
「さっき、勇者達の顔を見て、迷いが伝わってきたんだ」
「あのサイコ野郎に流されてるだけだ、心から戦おうって、思ってないんだ……」
「だったら……止まって欲しい……止めなきゃ駄目なんだ……」
「俺だって……勇者志望だったんだぞ……」
「無意味な血を流させたくないって思うのは、当然だろっ!」
自分の夢見た、理想の勇者なら。自分を助けてくれた、兄貴分なら。助けようと、行動する筈だ。
「だから、俺は諦めない」
「絶対、助けるんだ」
「…………!」
強く宣言するクロノ、その目を見て、セシルは不覚にも涙が出そうになった。いい加減にして欲しいのだ、重なるのも、大概にして欲しい。
『お前には関係ないだろ……もうやめて……やめてよぉ……!』
『……関係あるさ』
出会ったばかりの頃、血の匂いと、黒い炎に包まれた……あの地獄の中で、あの男は笑って宣言した。
『泣いて欲しくない…………こんな無駄な戦いで、君を泣かせたくない』
『だから助ける、僕は勇者だから』
人間も、龍族も……どちらも信用できなかった自分を、あの男は救い出してくれた。広い世界へ、連れ出してくれた。
(…………戯言に、過ぎない筈なのに……)
(どうして…………)
力の無い者が喚いているに過ぎない、それなのに……この少年はどうしても、ルーンに重なるのだ。セシルが僅かに俯いたのと、そのすぐ横で倒れていた女勇者が起き上がるのは、殆ど同時だった。
「……! 怪我、大丈夫ですか!?」
「……はい、なんとか……」
首に巻かれた包帯を押さえながら、女勇者は酷く落ち込んだような声で答えた。
「……仲間なのに、あんな簡単に切り付けて来るとか……あいつイカレてやがる……!」
「…………いいんです……私はどうせ、出来損ないって事です」
「勇者になっても……何も変わりません……」
一筋の涙を流しながら、女勇者は俯いてしまった。
「何言ってんだ、あんた……」
「私、小さい頃から取り得とかなくって……」
「人の役に立てる存在に、憧れてました」
「今回集まった勇者は、似たような人達ばかりで……」
「すぐ、意気投合しましたよ……あはは……」
「誰かの為に、何か出来る事がないかって……勇者になって……」
「加護も貰って……証も貰って…………けど、何も変わらなくて……」
「コリエンテで私は、『弱者の大陸』出身の勇者と……笑われた」
「そのレッテルが無くても……実際何も変わってなかったから…………余計に恥ずかしくなったんです」
「勇者になって、それだけで変われるって……期待してた……自分が情けなくて……」
「変わりたくて…………今回の作戦に参加したんです……」
「……あの男が、勇者を集めたのか」
「見返してやろうって、言われました」
「自分でも馬鹿だと思います……」
「けど、安心したかったんです……」
「自分と同じ様な勇者が沢山いて……自分は正しい事をしてるって……思い込みたかった……」
「本当は分かってたんですよっ! こんな事に、意味なんてないってっ!」
勇者の証が刻まれた髪留めを投げ捨て、黒の長髪を靡かせながら、女勇者は大粒の涙を零した。
「利用されてるって、分かってたっ! 道具以下の扱いも、分かってましたよっ!」
「けど、誰もそれを言い出さなかった…………もうどうすることも出来なかったんですよっ!!」
「自己満足と、傷の舐め合い…………そうでもしなきゃ……私達は『勇者』って扱いに耐え切れないっ!!」
「もう、他の大陸の勇者とか……臆病者とか……そんな事もどうでもいいんです……」
「自分が何になりたかったか……分からない…………勇者って……なんなんですか……」
「私はっ!! なんなんですかっ!!」
「あんたは俺を助けようとした……優しい人だよ」
クロノの言葉に、勇者は口を開けたまま固まってしまった。
「俺が倒れて、みんな黙り込んでた」
「それなのに、あんただけは助けようと駆け寄ってきた」
「……それを馬鹿な行動と言われ、私は殺されかけました……」
「じゃあ、間違った事をしたって思ってるのか?」
「………………」
女勇者は俯き、黙り込んでしまう。そのまま体を震わせ、涙を溢れさせた。
「…………思って、ないです……」
「何で、こんな目に会うんですか…………」
「私は、ただ……! 助けようって…………!」
「あんたがそう思うのなら、それでいいんだ」
「俺は、勇者がどうだとか……偉そうに言える立場じゃないけど」
「あの状況で助けようと駆け寄ってきたあんたは、勇者らしいって思う」
「貴女は間違ってなんか、ない」
「うっ…………うぇえ……」
「貴女はちゃんと、『勇気ある者』だ」
「貴女の行動は、嬉しかった」
「間違ってるのは、あのサイコ野郎だ」
「……あの人…………私達が死んでも……いいって、思ってるんです……」
「みんな気がついてるけど……何も言わない……」
「……死んでもいいって、投げやりになってる人も、いるんです……」
「…………貴女は、納得してる?」
「してた……のかもしれないです……」
「けど……駄目ですよ……やっぱり……」
「死んだら…………何も変わらないじゃないですかっ!」
泣きながら訴えてくる勇者、吐き出した本音。もう十分だ、ここまで聞いたら、倒れているわけには行かない。感覚の無い足で立ち上がろうとして、クロノは全身に力を込めた。身体は反応しなかったが、精霊達が反応した。アルディが腕を引き、立たせてくれた。
「勇者さん、貴女の名前は?」
「……リザ……」
「リザさん、誰も死なせないから」
「約束する」
死なせるわけにはいかない、あんな奴に利用されて死ぬなんて、あってはならない。
「なんで、君は……」
「俺さ、勇者になりたかったんだ……夢の為に」
「加護が降りてこなかったから、勇者になれなくて……一時期拗ねてた」
「けど、教えてもらった……勇者じゃなくたっていいんだって」
「大事なのは、行動する事だって」
「やりたい事を、やってやる事だって」
だから自分は立ち上がる、勇者達を、助けたいから。それが今、自分のやりたい事だ。
「……………………~~!!」
「………………っ! 光の浄化っ!」
フラフラと精霊に支えられた状態のクロノに、リザは手を翳した。浄化の光が、クロノの体内の毒素を吹き飛ばす。
「…………光属性の、浄化魔法……!」
魔法の属性は、四属性と呼ばれる炎・水・風・土を基盤として、他に六属性存在する。四属性と対になるように存在する幻・氷・雷・木の裏属性、そして光・闇の特異属性だ。裏属性や特異属性は固有技能として目覚めない限り、人間には扱えないと言われている。特に光と闇は人間が扱える例が少なく、光は天使、闇は魔族の中でも力の強い者のイメージが強い。
「……珍しい属性を扱えても、私が出来るのは基本までです……」
「本当に……未熟で……ごめんなさい……」
魔法には、幾つかのランクが存在する。基礎である基本魔法に始まり、実践レベルの中級魔法、広範囲系の空域魔法、詠唱文により威力が高まる上級魔法などだ。他にも種類があるが、クロノ自身魔法がからっきしなので、最低限の知識しか持ってないのである。
「……勇者の私が……この程度しか出来ないのは……恥ずかしいですし……情けないですけど……」
「ごめんなさい……足が竦んで、とてもついていけません……」
「何を抜かすんだって、思われるかもしれないけど…………」
「…………みんなを、助けてあげて…………くださぃ…………」
「ありがとうっ! んで、任せろっ!!」
「…………っ!!」
クロノは笑顔で頷き、そのまま橋に向かって駆け出した。それを見たリザは、口元を押さえ、再び泣き出してしまう。
(よく言うぜ、毒が消えても……ボロボロの癖によ)
「けど、元気は出た」
(強がりだよぉ)
「あぁ、強がりだ」
(いつも、通り、の……単純、思考)
「あぁ! いつも通りだ!」
(はは、どれだけ心配かけるんだい……?)
「問題、あるかっ!?」
(ねぇな)
(ないよ♪)
(……ない)
(ないね)
強がりでもいい、笑顔を絶やさないと、ローとも約束した。不安を吹き飛ばすように、クロノは虹色の橋を駆け抜ける。絶対、誰も、死なせやしない。
単純な思考で走り出したクロノだったが、そんな少年の後をセシルはゆっくりと追いかけ始める。橋の上をゆっくり進むセシルは、進む先から異常な力を感じていた。
(…………そういえばあの狐が、言っていたな)
(さて、どう足掻いても死線を潜るしか無い訳だ……)
(……馬鹿タレが…………今回は助けないぞ、絶対助けないからな)
目指す大陸から届く、異質な力……。クロノに立ち塞がるのは、『討魔紅蓮』だけじゃない。
ウェルミス大陸を進む勇者達、彼等を高台から見下ろす影があった。人間の姿を確認するや否や、『そいつ』は嬉しそうに笑った。
「なんやなんや…………おもろいイベントでも始まったんか?」
「いやぁ……嬉しいわぁ…………最近退屈しとったからなぁ……」
「楽しませてくれや……? 勇気ある人間さん?」
『変幻』のイコージョン・ディムラ……最後の四天王が、その姿を現した。彼の戦う理由は、至極単純な物だ。
…………楽しめれば、それでいい。




