第百四十五話 『六の柱』
「いやはや……どこまでも真っ直ぐな少年ですわ……」
「歳をとると涙脆くなっていかんのぉ……昔を思い出しますわい」
「…………あの子の成長は、僕にとっても喜ばしいんです」
「……だけど……全く心配していないわけでもない……」
勇者達が集まっている場所は、クロノの育ったカーリ村のすぐ近くだ。そのことを伝えると、クロノは玉座の間から飛び出して行ってしまった。
「タンネさん、クロノはそんなに……ルーン・リボルトに似ているんですか?」
「少なくとも、ワシには生き写しに見えますのぉ」
「よぉく覚えておりますよ、五百年前……ワシがまだ若かった時の話です」
「種族間の壁を突き破り、あの男はワシらの世界にズカズカと踏み込んできよった」
「太陽のような笑顔で、手を差し出してきた」
「ワシらを外の世界に、引っ張り出した」
「そして、共存の世界を約束したのです」
「エルフから見ても、あの男は『勇者』でした」
「なんせ、当時のエルフ族の問題児……カムイを友として連れ出した男ですからのぉ」
「ははは……嘘みたいな話ですね……」
「人の文書には……ルーンのそんな逸話は残っていない……」
「魔王を歴代で唯一討ち滅ぼした、伝説の勇者……それくらいしか知られていないはず」
「表向きは魔王討伐者……その裏は、魔物達と共に共存の世界を夢見た……変人……か」
何者かが、歴史を改変したとでもいうのだろうか。そんな事を出来るのは、当然当時を知る者だけだ。そして、今の今まで生き続け、真の歴史を隠し続けている事になる。
「……もし本当に、真実を隠そうとしている奴がいるとして……何故、そいつはそんな事をする……?」
「大体、クロノが言うように、この世界には違和感がある」
「クロノに言われなかったら、僕だって、気がつきもしなかっただろうけどね……」
誰も、共存の可能性を考えない。きっかけがなければ、疑う事も考える事もしない。クロノがそれを訴えなければ、ラティール王はピュアを受け入れる事も、エルフ族と友好関係を結ぶ事も、絶対にしなかったはずだ。それを、『何故、どうして?』と考える事すら、出来なかったと断言できる。
(そうだ……だからこそ……)
(父さんは死んだ……国は……彼女を信じなかった……)
(僕だって………………彼女を裏切った……)
「五百年前も、そうでした」
「人も、ワシら魔物も…………そう思っていた……」
「しかし、違和感を覚える者が現れ、世界を変えようと奮闘した……」
まるで、世界そのものに立ち向かうかのように、彼は全てを導いた。多くの絆を束ね、未来を変えようと突き進んだ。
「彼が姿を消し、エルフ達は絶望しましたとも……」
「ルーンが失敗した、残された我等に何が出来るのか……とな」
「全く、情けない話ですわ……」
「あの少年に怒られてしまった……諦めていたワシらを……また立ち上がらせてくれた……」
知識を求める種が、聞いて呆れる。同じ過ちを、二回も繰り返したのだ。
「…………タンネさんは、クロノを信じてくれるんですか」
「少なくても……当時を知るワシに、クロノ殿は輝いて見えた」
「忘れていた感覚を、思い出すような……」
「あの頃と変わらぬ……太陽のような光を……」
「この老いぼれの残り僅かな命をかけて、誓いましょう」
「もう二度と……信じることを止めぬと」
「あの少年をエルフが裏切る事は、断じて致しませぬ」
年老いたエルフの目には、強い意志の力を感じた。何をすれば、ここまで信頼を得られるのだろうか。やはり、クロノには何かを感じざるを得ない。
「おーさまー……おはなしながいー」
「むつかしいよー」
「……あぁ、ごめんね、ピュア」
「くろの、すぐかえってくるー?」
すっかりここでの生活に溶け込んだ鳥人種の女の子は、全く遠慮せずにラティール王に絡んでくる。小さく羽ばたき、ラティール王の肩に乗ってくるピュアだったが、ラティール王は殆ど重さを感じなかった。
(不安になるほど、この子は軽いなぁ)
(…………初めて会った時は、消え入りそうな雰囲気だったっていうのに……)
凄まじく軽いが、僅かに、ほんの僅かに……彼女の重さは感じる。出会った当初では考えられなかった、信頼の重さだ。
(この子が今笑えているのは、クロノのおかげだ)
(見ず知らずの魔物の為、あの子は命をかけて……)
命をかけ、魔物を救った。一心不乱に、訴えてきた。必死な姿に、教えられた。クロノの行動が、カリアに共存の可能性を、確かに芽生えさせた。
「……タンネさん」
「もし、クロノが伝説の勇者と同じ何かを持っているのなら……」
「無事に……帰ってきますよね」
「根拠も無い……多くの物が馬鹿馬鹿しいと笑うでしょう」
「ですが……あの少年は……確かに似ている」
「ルーン様と比べ物にならぬほど、クロノ殿は弱く小さい……」
「ですが、信じられずにはいられぬのです…………彼と同じ夢を」
「姿を消してしまった彼と、違ったやり方で……同じ夢を成してくれると……」
「……ワシは信じておりますぞ、誰も犠牲にせず……今回の件を収めてくると」
「……信じて待つことしか出来ないなんて、僕は無力だ」
「無事に帰ってきてくれ……」
歯を食いしばり、悔しそうに俯くラティール王。王として、国民を危険に晒す真似は出来ない。そんな物は建前だ、クロノだって大切な友人。その友人一人危険に晒して、自分の情けなさに涙が出てくる。震えるラティール王を、ピュアは心配そうに覗き込む。
「おーさまー……?」
「……ピュア、クロノは大丈夫だ」
「……僕の友人だ、必ず帰ってくる」
「? うん?」
自分に言い聞かせるように、ラティール王はそう繰り返した。相手が勇者だけなら、言葉で止める事も可能だろう。だが、あちらには『討魔紅蓮』がいる。……その名は、あまりにも危険なのだ。
カーリ村近くの浜辺で、クロノは勇者たちの姿を確認した。ここに来るまで色々頭を働かせたが、まともな説得方法は出てこなかった。
「大会の事を話しても、あっちにはどうでもいいで切られるだろうし……」
「魔物を殺さないでとか言っても、どうせ昔みたいに変な目で見られるのは分かってるし……」
「それでも、行くのだな」
「話してみないと、何も変わらないだろ」
「あっちは勇者だ、『会話』くらい出来るさ」
「何も聞かずに襲ってくるのは、魔物くらいだって」
今までの経験上、魔物は50%ほどの確立で話を聞いてくれない。何回それで死にかけた事か。
「セシルは離れててくれ」
「『討魔紅蓮』って奴に気が付かれたらやばい、セシル人間化下手なんだし」
「…………貴様に言われるのは腑に落ちん……」
ブツブツ言いながらも、セシルは別方向へ歩き出した。クロノはそれを確認してから、勇者達が集まっている浜辺へ駆け寄っていく。
「すいません!」
「? なんだい?」
鎧で武装した男が、クロノに近寄ってきた。
「君も魔王討伐の参加希望者?」
「あ、いや違……」
「見たところ……証は無いみたいだね?」
「特例を除いて、勇者の証を持たない者は参加出来ないよ」
「危険な戦いになるだろうから、ね」
勇者の証に、今更未練などない。それでも、遠回しに勇者じゃないから、と言われると、やはり胸が痛んだ。
「…………俺は、皆さんを止めに来たんです……」
「…………なるほど」
「……分かってるさ、無謀な戦いだって事はね」
男は兜を脱ぎ、素顔を晒した。その表情は、覚悟を決めている顔だ。
「何度も止められた、君のような人は何人も来た」
「それでも、私達は止まれないんだ」
「……ッ! なんでそんな……」
「私達はみんな、アノールド出身なのよ」
クロノの背後から、槍を手入れしていた女性が声をかけてきた。
「君に分かる? どの国へ行っても……最弱の大陸出身って笑われる屈辱が」
「魔物の恐怖に怯える人を救いたい……勇者として、志は持ってるつもり」
「それでも……同じ人間ですら……私達を笑うのよ」
「力が全てじゃない、それは分かってる」
「だが、臆病者と笑われるのは……もう沢山だ」
「他の大陸の勇者共に見せ付けてやる……アノールドの勇者の力を、その勇気をな!」
「……その為に、命をかけるんですか」
「その為に、魔王に挑むって……?」
「勝てるとは思わん、だが……挑む勇気を他の大陸の勇者に示すのだ」
「金の為、楽をする為……そんな穢れきった勇者共に示すのだ……真の勇者の姿を!」
「……なんだよ、それ」
思わず、涙が出そうになった。勇者になれなかった自分が、こんな事を言う資格がないのは分かってる。それでも、幼かったクロノは、こんな姿に憧れたんじゃない。
「……そんなの、勇気じゃない」
「命を馬鹿にするな……勇者を馬鹿にするなよ……」
「……なに?」
「勇気を示して、それで死んだら……ただの馬鹿じゃねぇか」
「勇者の証はっ! そんな事する為にあるんじゃないっ!」
「魔王を、お前達の勝手な理想の……踏み台にするつもりかよっ!」
「そんなんで戦っても、どっちも救われないに決まってるっ!!」
クロノの言葉に、目の前の男は僅かに怯んだ。他の勇者達も、顔を曇らせる。意思が固まりきっていないのか、クロノの言葉は少しだが届いた。
「こんな戦い……絶対に間違って…………っ!?」
言葉を続けようとしたクロノの視界が、大きく横にぶれた。気がついた時には、クロノは大きく殴り飛ばされていた。
「戯けた戯言を抜かすな、ガキ」
吹っ飛んだクロノが顔を上げると、20代ほどの男が向こうから歩いてきていた。エルフに似た緑色の短髪に、鋭い目付き、纏った威圧感が、只者じゃない事を示していた。
「……ッ! なにすっ!?」
立ち上がろうとしたクロノの右肩が、固い何かに弾かれた。その衝撃で尻餅をついたクロノを、男が冷たい目で睨みつける。
「行動のきっかけは、どうでもいい」
「目標も、それで何がどうなろうと……善悪だって関係ない」
「戦う理由は、敵が魔物だから……それだけだ」
「……なんだよ、お前……」
「『討魔紅蓮』……八柱が六、アビシャル・ノクス」
「ガキ……お前人間なのに魔王を庇うのか?」
「庇うとかじゃないっ! こんな戦い無駄だって言ってんだっ!」
「大体っ! こんな間に合わせみたいな集まりで魔王を倒そうとかおかしっ!!?」
クロノの顔面が、鉄のように固い何かに弾かれる。問題なのは、全く見えないことだ。
「黙れ、無駄かどうかは俺が決める」
「一体でも魔物を殺せれば、それで戦果十分だ」
「クソな魔物の根城を、滅茶苦茶に出来れば十分だ」
「ウェルミスを魔物共の血で満たせれば、それでいいんだよ」
「そうだろ、勇者共」
「そんだけやれば、お前達を臆病者と罵る奴は消える」
「勇者を名乗るなら、勇気を示して見せろよ」
なるほど、大体分かった。このイカレ野郎が、勇者達を集め、煽った張本人だ。クロノは金剛を纏い、一気に飛び起きた。
「ふざけんじゃねぇよサイコ野郎っ!! お前の特攻理論に他人を巻き込むなっ!」
「人間一人で魔物一体殺せれば、それでいいじゃねぇか」
「よくねぇよ馬鹿野郎っ!! 命をなんだと思ってんだっ!!」
叫びながら、クロノはノクスに突っ込んでいく。金剛に心水を重ね、相手の反撃に備えた。
(こいつの攻撃は、見えないほど早かったけど……!)
(水の力なら……何かを感じ取れる筈!)
(意識できれば……金剛で食いしばれるっ!)
そう考えていたクロノを嘲笑うかのように、ノクスは微動だにしなかった。両手をポケットに突っ込んだまま、冷たい目を向けてきているだけだ。
(……何を……!)
(…………ッ! クロノ、下……っ!)
一瞬油断した瞬間、真下からの殺気にティアラが気がついた。地面から何かが飛び出し、クロノの足を払った。
(……っ!? なんだ!?)
地面から飛び出した何かは、とんでもない速度で再び姿を地中に隠してしまう。体制を崩したクロノに、その何かが襲い掛かる。
「理解の外の暗殺者」
「…………ってぇっ!!?」
地中から回転しながら飛び出した何かが、クロノの全身を這うように切り刻んだ。金剛で硬化した身体を、紙のように。
「邪魔するな……他人の覚悟にケチつけてんじゃねぇ」
「人間が魔王を庇うような真似、すんな」
「……ッ!? あ……」
地面に落下したクロノは、立ち上がれなかった。そこまで深い傷じゃないはずなのに、身体が痙攣して動けない。
「気持ち悪いからここで死……」
「…………んだよ、ここで止めるなよな」
「…………チィ、分かったよ」
止めを刺そうとしたノクスは、その動きを止めた。耳を押さえたところを見ると、誰かから通信系の魔法を受けたらしい。
「勇者共、予定変更だ」
「今すぐ、橋を架けて乗り込むぞ」
「今すぐ……!?」
「文句でもあんのか」
「喜べよ、臆病者のレッテルを剥がす機会が訪れたぞ」
「精々、お前等の力を見せ付けろ」
ノクスの言葉に、勇者たちは黙り込んでしまった。一人の勇者が、クロノに近寄ってくる。
「そこの馬鹿、何してんだ」
「て、手当てを……」
薬を持ってクロノに駆け寄った女勇者の首筋が、何かに切り裂かれた。
(………………なっ…………!)
「魔王を庇う素振りを見せたゴミを、助けようとしてんじゃねぇ」
「勇者の名が聞いて呆れる、汚らわしいからそこで死ね」
クロノの目の前で、力無く崩れ落ちる女勇者。クロノは動かない身体を震わせ、ノクスを睨みつけた。
「お、まえ……っ!! ふざけ、ん…………なっ!!」
「話しかけんな、ゴミが」
「精々苦しんで死ね、どうせお前も、毒で死ぬ」
(……毒っ!?)
(まさか、さっきの傷……!)
アルディの声でハッとする、身体が動かないのは、そのせいか。
「行くぞ勇者共、もう前だけ見てろ」
「お……い……待て…………! …………お、いっ!」
意識が朦朧としてくる、霞んでいく視界の中、ノクスがこちらを振り返ることは無かった。毒に犯されたクロノは、そのまま意識を失った。そんなクロノの前で、勇者達は魔核を空へと翳す。
魔王へと続く橋が、ウェルミス大陸へと伸びていった。勇者達を止める声は、もう存在しない……。
(…………靴に穴、開いたんだけど)
(もう少しスマートに決めろよな、キィ)
ギチ…………ギチ…………
(分かってるよ……後でご褒美あげる)
(…………僕には……君だけだ)
身体の中で蠢く、『何か』。魔を滅ぼす男は、体内に潜む『何か』に微笑みかける。ノクスの言葉に歓喜するように、『何か』が蠢き、ノクスの背中が異音を発した。
『討魔紅蓮』の闇は深い。それを知る者は、ごく僅かだ。真実を知ったものは、奴等に消されるので、無理も無いだろう。
戦いのカウントダウンは、止まらない。




