Episode:ロー ⑤ 『壊れた家族』
何があっても、共に居ると誓った。
俺達は、家族だと……この絆は、本物だと……。
そう何度も繰り返してきた男が、目の前で笑っていた。
(いや違う……! 例えビシャスの身体だとしても……っ!!)
(こいつは、ビシャスじゃねぇっ!!)
一気に距離を詰め、シャガルは拳を振るう。ビシャスはその攻撃を嘲笑うように避けていた。
「ハッ! コイツの記憶通りだなぁ!」
「心が弱い! 何動揺してんですかぁっ!!?」
「……ッ!」
空中で回転しながら、ビシャスは蹴りを放ってきた。その蹴りの重さは、シャガルの知っているビシャスの力では無い。
「魔法使いよりだったはずなんだがな……随分パワフルになってんじゃねぇか!」
「そりゃお前、中身が違うからな」
「ほらほら、頑張れよ? 俺が憎いんだろう?」
「憎い俺をぶん殴りたいんだろう? なら入れ物を壊さないとなぁ?」
「…………ッ!」
両手を広げ、あからさまに挑発してくるビシャス。その言葉に、シャガルは動きを止めた。
「大事な『家族』をぶっ壊さないとなぁ! 中の俺は倒せないぜ!?」
「遠慮するなよ! どうせ空っぽなんだしさ!」
「飲み終わったペットボトルを潰すような感覚でいいんだ! 簡単だろ?」
「さぁやれよ! いいぜ、サービスだ! 止まっててやるよ? OKOK!」
「さ、どうぞ?」
殴れと言わんばかりに、ビシャスは距離を詰めて来た。あまりにも無防備に目の前で止まったビシャスだったが、シャガルの身体は動かない。
「……この……っ!」
「殴れないのか? 単純だよな、人間は」
「お前等の心は、本当に簡単に色が変わる」
「感情って奴に流されやすい、滑稽だよ」
「頭で理解してる筈なのに、感情が邪魔をする」
「だからお前は、俺に勝てないのさ」
動きを止めていたシャガルの顔面に、ビシャスの右拳が叩き込まれた。鼻の骨が砕ける音とともに、シャガルが殴り飛ばされる。
「……ぐぉおおおっ!?」
「まぁ俺も、この入れ物が壊されると困るんだよねぇ」
「今は大事な時期だしさ」
「……何、言って…………」
「ロー君だよ、ロー君」
「手塩にかけて育ててるんだ、ありゃ逸材だよ」
「純粋だった子供の心を、ゆっくりじっくり黒く染め上げているんだ」
「ありゃ滅多に喰えない、最高の心に仕上がるよ」
その言葉を聞いた瞬間、シャガルの怒りが限界を迎えた。勢いよく飛び起き、ビシャスとの距離を詰める。
「どこまで外道だっ!! クソ野郎っ!!」
「お前等人間だって、自分が喰う動物を美味くなるように育てるじゃん?」
「それと一緒だけど、それでも怒るの?」
「黙れっ! 同じ事だろうが、納得できるかどうかは別だろうがっ!!」
「ふぅん……?」
「また、感情に流されたね」
シャガルの拳を掻い潜りながら、ビシャスは笑みを浮かべた。
「なぁシャガル、この路地、懐かしいね」
「!?」
その声は、シャガルの知るビシャスの声だった。
「昔、この先で決闘とは名ばかりの大喧嘩をしたんだよね」
「口を開くなっ!!」
「喧嘩の理由は、つまらない事から発展したんだ」
「お前がっ! その声で話すんじゃねぇっ!!」
「あの時、君は勢いでこう言ったんだ」
「『本当の家族でもないのに、家族家族うるせぇよ!』って」
「そして、僕が君を殴ったんだよ」
「……ッ!! 俺達の思い出を、弄ぶなっ!!!」
「ねぇシャガル、殴り合った末、僕はなんて言ったっけ?」
「…………っ!! 黙れえええええええええええええええええっ!」
ビシャスの胸倉を掴み、シャガルは右腕を振るった。
「『血の繋がりは無くても、僕達は絆を結んだ』」
「『どんな物にも負けない、強い絆を』」
「『だから、僕達は家族だ』」
「『普通と違っても、僕達は家族だよ』」
「………………………………あ、…………あぁ…………」
振るった拳は、寸前で止まってしまった。昔と変わらない笑顔を浮かべるビシャスを、殴れなかったのだ。
「ハッ……俺に負けて、その絆とやらはボロボロですけどねぇ」
「俺の腹の中で、ビシャス君はどんな気持ちかなぁ?」
「なぁ、お前はどんな気持ちだ?」
「大好きな家族の顔で、声で、心を傷つけられるってのはどんな感じだ?」
「……黙れ……黙れえええええええええええええええええええっ!」
「吠えるだけか? 殴れよ? 遠慮するなって」
「ビシャス君の仇取りたいんだろ? 俺を倒す為だ、ビシャス君だって殴って欲しいさ」
「ほら、その拳は何の為にあるんだ?」
「刻んだ勇者の証は、何を込めた?」
「『家族の為』……だろ?」
「お前がそれを!! 語るなああああああああああああああああっ!!」
再び拳に力を込め、シャガルは腕を振り上げた。それを見た瞬間、ビシャスはただ笑って見せた。
「…………ッ!」
いつも冷たい印象を与えていたビシャスが、家族にだけ見せる、優しい笑顔を。
「く…………そ…………!」
「おかしいなぁ、君にとっては、世界で一番遠慮なしに殴れる顔の筈なんだけどなぁ」
「子供の頃から殴り合ってたじゃん、今更なんで躊躇するの?」
「どうせ中身はもう死んでんだよ、さっさと殴れよバーカ」
「貴様…………貴様あああああああああああああああああっ!!」
「俺をここで倒さないと、君は死ぬよ?」
「そうなったら、リビアはどんな思いをするのかなぁ」
「泣くだろうなぁ、絶対泣くだろうなぁ」
「そうなったら、きっと心は黒くなる」
「ハッ…………美味いだろうなぁ」
「………………ッ!」
「当然、ロー君も助からない」
「逃がさないよ? 絶対にね」
「最高の舞台で、最高の終わりを用意してあげよう」
「真っ黒な心を、残さず食い潰してやるよ」
そうだ、自分がここで負けたら、残された者達はこいつの餌食だ。家族をこれ以上、こいつの思い通りにさせるわけにはいかない。
(…………だからこそ、一人で来たんだ…………)
リビアを泣かせないよう、この苦痛を、悲しみを、自分一人で抱え込む為に。こんな思いをするのは、自分だけでいい。
「おい……悪魔……」
「ん?」
「ビシャスは最後、絶望して死んだっつったな」
「最後になんか、言ってたか」
「君達に、ごめんって言ってたよ」
「マジ笑えるよね」
その言葉で、覚悟も決まった。シャガルは自分自身痛みを感じるほど、強く拳を握り締める。
「そうだな、謝るくらいなら……どんな形でも生き延びろって感じだ」
「ぶん殴ってやりてぇよ」
「ははっ! そりゃそうだ!」
「おぉ、悪魔……お前に一つ感謝してやる」
「丁度良いわ、同じ顔だしな」
「あ?」
悪魔が怪訝な顔をすると同時、その顔を思いっきり殴り飛ばした。
「ガハァッ!?」
「馬鹿ビシャスが…………何がごめんだ…………」
「勝手に死んでんじゃねぇよっ!! 畜生!!」
涙を流しながら、シャガルは悪魔に突っ込んでいく。体勢を崩している悪魔に、何度も拳を叩きこんでいく。
「悪魔! お前の言う通り……俺は心が弱いな!」
「胸が張り裂けそうだ! 涙が止まらねぇよ!!」
「けどな! どんなに辛くても! 苦しくても!」
「『家族の為』なら! 俺は戦える!」
「この強さは、ビシャスがくれたもんだっ!!」
「見っとも無くても、格好悪くても!!」
「ビシャスがくれた強さで、テメェをぶっ飛ばすっ!!」
「ビシャスの身体を返せっ! 返しやがれっ!!!!」
渾身の一撃が顔面を捉え、ビシャスの身体が崩れ落ちた。勝ちを確信したシャガルが見たのは、自分の足元に伸びる、ビシャスの影だ。
(…………影の方向がおかしい)
(月は、俺の背後にある…………ビシャスの影は、逆に伸びて…………)
その異変に気がつくのが、遅すぎた。自分の背後に殺気を感じると同時、背中が何かに引き裂かれた。
「……ガァアアッ!?」
「中身のない家族をボコボコにして、ヒデェなぁ」
「満足したか? 滑稽な一人遊びだったな」
背後に居たのは、黒い翼を広げた悪魔だった。ビシャスの影から這い出てきたそいつは、自身の爪でシャガルの背中を切り裂いたのだ。
「な…………おま、え……」
「悪魔は人の心に潜むとは言ったが、馬鹿正直に身体に入ってるとは言ってない」
「身体を返せって? 勝手に持ってけや、それに俺は入ってない」
「影の中から操ってたんだよ、文字通り操り人形みてぇにさ」
「感情も中身も無い、100%空っぽな笑顔に反応とかしちゃってさぁ……馬鹿みてぇ」
「あ、人間は馬鹿ばっかりか? はははははっ!!」
「馬鹿はお前だ……ようやく姿を現しやがって……」
「これで遠慮なくぶっ飛ばせる……!」
背中から血を流しながら、シャガルはなんとか立ち上がる。拳を構えようとした瞬間、顔を思いっきり蹴り飛ばされた。
「……ガ……!?」
「……レベルが違うんだよ、バーカ」
「テメェら人間は、心を入れとくただの容器に過ぎない」
「生存競争の底辺であるテメェらが、悪魔に舐めた口利いてんじゃねぇよ」
「こ、の……!」
殴りかかるシャガルだが、その腕に手刀を落とされた。骨の砕ける音が響き、激痛が襲い掛かってきた。
「なっ…………ぐあああっ!」
「戦闘意思のねぇ、腑抜けた魔物を狩りまくって……強くなった気になりやがって……」
「テメェら勘違い馬鹿の勇者は、本当に良い餌だなぁ?」
「お前も、そこに転がってる馬鹿も、教科書に載せてやりたいくらいの馬鹿だったよ!」
「今度俺が作ってやろうか? 『正しい餌のあり方』って本をさぁ ハハハハハハッ!!」
「……っ! く、そ……」
腕を押さえ、膝を付いていたシャガル。痛みに耐え、動きを止めていた彼の顔を、悪魔は容赦なく蹴り飛ばした。殆ど無抵抗のまま、シャガルは壁に叩きつけられる。
「……ア…………」
「さて……もう飽きたわ」
「死ねよ」
「…………ははっ」
死を感じた瞬間、シャガルは自然と笑っていた。壊れたわけじゃない、自分勝手だが、自分の死に意味を見出したのだ。
「俺を、殺したら……」
「お前はまた、ビシャスの身体を使って…………ローを貶めるつもりか……?」
「あ?」
「俺が死んだら……ローも、リビアも……当然疑うさ……」
「そして、必ずお前に辿り着く……」
「…………人間を舐めるなよ、小汚い悪魔風情が……」
「お前は、お前の正体を知った俺を殺すしかねぇだろう?」
「俺を生かしておけば、お前は人の中に潜むなんて不可能だからな」
「…………俺如きに正体を暴かれたお前が、何でかい顔してんだよ」
「馬鹿はお前だ……追い詰められてるのはお前の方だ」
「仮に俺に辿り着けたとして、あいつらが勝てる保障でもあんのか?」
「勝つさ」
「ローも、リビアも…………お前なんかにゃ負けない」
「精々踏ん反り返ってろ、コソコソするしか出来ないゴキブリ野郎が」
挑発的な笑みを浮かべていたシャガルの胸の辺りに、悪魔が腕を突き刺した。
「………………ガハッ…………!?」
「面白い奴だ、この期に及んでそこまで吠えられるとはな」
「なら、俺はお前を殺さない」
肘の辺りまで腕が突き刺さっているが、血も出ない。痛みすら、感じなかった。
「な、に…………を…………」
(身体が、動かない…………)
「お前を殺さず、利用してやろう」
「リビアを泣かせ、ローを絶望に沈めるために……お前を使ってやる」
「ローを喰った後、お前を使ってリビアも堕とす」
「その後も…………お前だけ、生かしておこう」
「な…………て、めぇ…………!!」
「家族を守れず、無様に生き延びろ…………愚かな人間よ」
「俺は心蝕種…………心を蝕み、操るなんざ容易いわけだ」
身体の中で、何かを鷲掴みにされた。その瞬間全身が痙攣し始める。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
「心を壊してやる、お前も俺のストックになれ」
「もう国中に居るんだぜ? 心を砕かれ、俺の操り人形になってる奴はさ」
(…………! 例の、正気を失った殺人犯…………最近、クールラインで頻発してた…………!)
(あれも、こいつが…………全部、こいつの…………!)
ミシミシと妙な音が体内から発している、身体が拒絶反応でビクンと跳ね上がった。
「ガ、ア、アアアアアアアアアッ!?」
「安心して廃人になれ、負け犬には相応しい」
「ハッ…………後日談まで完璧にしといてやるよ…………ハハハッ!」
何かが砕け散る音が鳴り響き、シャガルの身体が崩れ落ちた。それを確認した悪魔は、再びビシャスの影に潜っていく。
「あーあ、地味に殴られた痕残ってるな」
「言い訳考えるのもだるいし、駒使って誤魔化すかね」
歪んだ笑みを浮かべたまま、悪魔は影の中に沈んでしまった。
その日の朝、ローの元に連絡が入ってきた。明け方まで飲み明かしたビシャス、シャガルの二人組みが複数人の男達に襲われたらしい。男達は正気を失っており、最近頻発している殺人の件と酷似していた。
男達は撃退したらしいが、シャガルが重症を負い、病院に運ばれたらしい。その連絡を聞いた瞬間、ローは家を飛び出していた。
「シャガルさんっ!!」
「ロー君、病院じゃ静かに」
シャガルの病室へ飛び込んだローが見たのは、虚空を見つめるシャガルだった。どう見ても正気じゃない。
「シャガルともあろう者が、背後から固有技能の直撃を受けてね」
「瓦礫の下敷きになった…………僕がついていながら…………すまない……」
「命こそ取りとめたが、植物状態だよ」
「…………そん、な…………」
(……ストックしてた駒を結構失ったな、クソ…………)
「……こんな事になるなんて、思ってもみなかった…………」
「アクトミルでの大仕事も決まったというのに……これじゃ……」
その言葉が、ローの胸に突き刺さった。
「仕事……の、心配?」
「家族同然の、シャガルさんが…………こんなになった、のに?」
「ビシャスさんは…………仕事を優先、なんですか……?」
「……!」
「……なんだよ、それ……」
「……ふざけるなっ!!」
殴りかかろうとしたローを、リビアが止めた。
「リビアさん!?」
「……ビシャスっちだって……辛いに決まってる…………」
「急に、これだもん…………みんな、混乱して当然だよ」
「…………ッ!! クソッ!!」
ローは病室を飛び出してしまった。その後ろ姿を、リビアは黙って見つめていた。
「リビア、ごめん」
「…………私達は、勇者だもん」
「戦いや事件に巻き込まれて、負傷する勇者は珍しくない……」
「シャガルっちだって…………覚悟の上で選んだ、道だよ……?」
「…………そうだな」
「……リビア、ロー君が落ち着いたら、伝えて欲しいんだが」
「今年の『天焔闘技大会』は趣向が変わるらしくてね」
「ラベネ・ラグナのお姫様と、クールラインとで契約が交わされた」
「僕達にも仕事が回ってきてね、大会当日……警備に当たる事になったんだ」
「重要な仕事だ、心してかかってくれ」
「…………シャガルの為にも、失敗する訳にはいかない」
「……分かった」
「ビシャスっち、その顔、大丈夫?」
「ビシャスっちも、殴られたりした?」
「…………あぁ、油断してたんだ」
「……すまない」
そう言うと、ビシャスも部屋を出て行ってしまった。リビアはシャガルに近寄り、その手を握り締めた。
「…………ロー君のこと、頼まれたもんね」
「…………ねぇシャガルっち? 本当に、ゴロツキ程度に負けたの……?」
シャガルは答えない、反応すら、見せてくれない。
「約束、したじゃん……」
「喋ってよ……笑ってよ…………ねぇ…………ね、ぇ……」
「…………うわ、ああああああああああああああああああああああああああああああん……!!」
「シャガ、ル…………シャガルゥ…………ッ!! うえぇ……あ、ああああ……っ……!」
泣きじゃくるリビアだったが、シャガルは顔すら向けてくれない。ただ、虚空を見つめるだけだ。心を失ったシャガルは、何も答えてくれなかった。
「……チィ……どいつもこいつも……」
「焦るな焦るな……ビシャスを演じて……奴らを食い潰すんだ」
「……ハッ……そうさ、焦る必要なんざねぇ……」
「舞台だって整った…………ロー……もうすぐだ……」
「お前の心、喰ってやるぞ…………」
ビシャスの中に潜む悪魔が、その本性を現し始めた。魔の手は静かに、ローへと迫っていた。




