第百三十六話 『お前のせいだ』
暦達と別れ、クロノ達は狐の社があった場所から階段を降りてきていた。長い階段を一番最初に降りきったクロノだったが、振り返った瞬間風の音が消えた。背後に居たはずのセシルや精霊達の姿も見えない、この違和感には覚えがあった。
「…………いい加減、慣れたけどさ……」
「また、あんたかよ」
「うん、また会えたね」
もうこの青年と出会うのも四回目、最早認めざるを得ないだろう。辺りの気配は消え去り、音も何も感じない。
「……時間でも止めてるのか……?」
「ちょっと違うけど、似たような物だね」
「今ここには、君と僕だけだ」
クロノは警戒しつつ、視線を上に向ける。鳥居の上から、銀髪の青年が笑顔で手を振っていた。クロノが睨みつけると、青年は困ったような顔をして、クロノの目の前に飛び降りてきた。
「……丁度良いや、聞きたい事が山ほどあるんだ」
「そっか、答えられないと思うけど、聞いてあげるよ」
「……どうして、あんたの事をみんなに話せないんだ」
マークセージでこの青年と出会ってから、何度か精霊達に話そうとしてみた。この異常な出来事を、伝えようとしてきた。そう、伝えようと思っていた。
「……あんたが消えると、その気持ちも消えている」
「この状況を話そうって気持ちが、消えちまう」
「話せないようにしているからさ」
「なんでっ!」
「まだ早いからね」
相変わらず意味が分からない。意味深な事ばかり言って、肝心なところは何も教えてくれない。
「……っ! あんたは……何者なんだ……」
「……知りたい?」
「……その態度が、なんか気に入らない……」
「全部知ってるような……その笑顔が……なんか気に入らない!」
「毎回毎回……助けるようなタイミングで出てきやがってっ!」
「たまにはそっちの事教えろよ! なんかずるいだろ! 俺ばっかり話してさっ!!」
この青年相手だと、何故だか喋りすぎてしまう。色々と、吐き出してしまう。
「ミノタウロスの所に行くんだね」
「聞けよ!!」
「…………アノールドで、勇者達が行動を起こそうとしてる」
「…………は?」
「君の育った場所……その近くだ」
「この地で君がやる事を済ませたら、次はアノールドに行くんだろう?」
「……あ、うん……」
「もし、君が知りたいと願うなら……」
「少し寄り道になるかもだけど、橋を渡ってごらん」
「セシルやフェルド辺りが、きっと導いてくれる」
「今はもうない……僕達の出会った町へ、行ってごらん」
「……町?」
「今はまだ、僕から伝えられないから」
「もし、その町を訪れてくれるなら……その時はまた、話そうね」
青年は笑みを浮かべると、そのまま立ち去ろうとした。
「……っ! 訳わかんねぇっ! ちょっと待てよっ!」
青年の手を掴もうとした瞬間、頭にノイズが走った。体中が引き裂かれるような痛みと共に、視界が明滅する。
「………………ッ!?」
見たことのない景色、泣いている誰か……。そして、誰かの笑顔と、覚悟。知らない感情が流れ込んできて、弾けた。クロノの自我が押し潰され、砕け散る寸前まで追い込まれたが、その感覚が一瞬で消えた。青年の手が、クロノの頭を撫でていた。
「近いのに、遠いなぁ……」
「勝手だけど、君には笑っていて欲しいんだ」
「…………またね」
「……っ!? またって…………またっていつだよっ!!」
目の前の青年の姿が、透けていく。説明できないが、心が軋んだ。何故だか分からない、意味も分からない、それでも……無性に悲しくなった。
「僕は君の、味方だよ」
「じゃ、次に会える日を楽しみにしてる、ね」
「あ、待って……まだ……!」
どうしてここまで、胸が痛むのだろう。この別れを、自分は知っている。自分の感情じゃないのは確かだが、それでも知っている。この涙を、覚えている。
「待ってっ!!」
「!? なっ!」
手を伸ばしたが、青年の姿は消えてしまった。代わりにセシルの尻尾を掴んでしまう。音が復活し、全てが元通りに動き出した。
「………………あ…………」
「あ、ではないぞ馬鹿タレが」
「離せ、鬱陶しい」
「え、ちょ……!? うわあああああああああああああっ!??」
セシルが腕組みしたまま尻尾を振るい、クロノはその勢いのまま吹っ飛んでしまう。
「急に振り返って何だと言うのだ、挙動不審すぎるぞ」
「…………? おい、クロノ?」
吹っ飛んだクロノは顔から地面に着地したが、何やら様子がおかしい。自分の左手を見つめたまま、固まっていた。
「クロノどったの~?」
「何かあったのかい?」
「いつも、以上に…………変……」
「………………」
「…………いや、何でもない」
心配そうに集まってくる精霊に、クロノは誤魔化すように笑みを浮かべた。フェルドだけが、急に変わった風向きを不思議に思っていた。
九曜に聞いた話通り、南に向かって少し歩いただけで雰囲気が変わった。ジパング地方から出られたようだ。
「文化が違うと空気も違うんだなぁ……」
「俺の勘だが、ジパングにゃまた来る事になるだろうな!」
「フェルド君の勘って当たるんだよねぇ」
「特に悪い方向でね」
「もう、ロクな事に、ならない、から…………喋るな、燃え……カス」
「相変わらず達者な口だな水風船が、もうちょい魂燃やせねぇのかよ」
「……うざ……」
ティアラを弄り始めたフェルドだったが、それと同時にティアラの尾びれがピコピコ動き出した。
「……?」
「ティアラちゃんって、嬉しいとあぁなるんだよねぇ」
「へ、へぇ……」
まるで犬の尻尾である。
「ルーンと出会った時期の問題もあってね?」
「ティアラちゃんは断トツで、フェルド君と一緒にいた時間長いんだよぉ」
「だからツンツンしてるけど、フェルド君の事すっごく信頼してるんごぼぼがぼっ!?」
エティルが水に囚われた、正直この未来はクロノですら予測出来ていたが。
「よく、喋る……ハエ……」
「ちょ、苦し、……なんで怒るのティアラちゃぼぼ……」
「昔よくフェル兄って甘えてたじゃひにゃああああああああっ!?」
エティルを捉えた水の球が、渦潮のように高速回転し始めた。
「放っておいていいのかな」
「良いと思うよ」
「良くないよおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
アルディが良いと言うなら、多分問題はないだろう。エティルが洗濯されてはいるが、道中は今のところ平和である。
「人は全然見かけないけどな」
「当然だ、既に魔物の縄張りと言ってもよさそうだぞ」
「好き好んで踏み込む人間は、馬鹿タレくらいだろう」
「どうせ俺は馬鹿ですよー」
「あの狐に治療されていなければ、貴様は歩くことすらままならん状態だったんだぞ」
「そろそろ限界を感じた方が身の為ではないか?」
「それでも立ち止まる訳にはいかないよ」
「休んでる暇はないからな」
「はぁ……貴様の精霊に同情する」
「そんな事言ってるけど、セシルちゃんもめっちゃ心配してるんだよぉ?」
「クロノってば幸せ者だよねぇ……ってセシルちゃん怖っ!?」
「死ぬか、二つになるか、灰になるか、二つになって灰になるか……選ばせてやる」
「エスケープッ!」
「水よ……舞い飛ぶ愚者を……叩き、落とせ……」
「きゃあああんっ! 二対一だあああぁーっ!」
主にエティルがいると退屈はしない。クロノは平和な旅の道中を楽しんでいた。
「どこが平和なのさーっ!」
「あはははっ! ごめんごめん」
「それにしてもミノタウロスの住処って……本当にこっちでいいのか?」
見渡す限り草原である、住処らしい物は全く目に入らない。
「建物らしき物は何も…………フェルド?」
辺りを見渡していたクロノだったが、フェルドが胡坐をかきながら、難しい顔で空中を漂っていた。
「……胸糞悪いな」
「どした?」
フェルドが睨んでいた先には、岩のような物が確認できる。
「…………あれって……」
「……あぅ……」
「………………」
それを見た瞬間、他の精霊達の表情も曇ってしまった。
「……? あの岩がなんだってんだ?」
「岩じゃ、ねぇよ」
「……別に、今説明する事でもねぇけどさ」
フェルドがゆっくりとだが、その岩の方へ向かいだした。
「来いよクロノ、精霊使いとして……見ておくべきだろ」
「…………?」
フェルドの後に続き、遠くに見える黒い岩を目指すクロノ。遠くから確認できるだけあって、割とでかい。クロノの3倍はある。
「精霊は、物理的に死ぬって事はねぇ」
「俺達のこの姿だって、言ってみりゃ仮初のもんだからな」
「確か、決まった形はないんだっけか」
前に性別を変えたりもしていた、精霊の姿形は結構自由に変える事が出来るらしい。
「例え肉体をぶっ壊されても、再構築する事だって出来る」
「俺達が滅ぶ条件は、たった一つ」
「心が、尽きた時だ」
そのフェルドの声と同時、黒い岩の全貌が見えてしまった。歪に膨れ上がり、最早面影は殆ど無い。だが、その岩からは歪んだ手や足が確認できた。
「…………なんだ、よ…………これ……」
「堕落霊種……その死骸だ」
「心が壊れ、闇に落ちた精霊は……堕落霊種となり、世に破滅を与える」
「んで暴れ回った挙句、元の形を失い……こうやって岩みてぇになんのさ」
「……どうして、こんな場所に……」
「うぅ……気分悪いよぉ……」
「……フェル兄……も、いこ…………」
涙目のティアラが、フェルドの右手にしがみ付いた。アルディやエティルも、体を震わせている。
「クロノ、精霊が最も心にダメージを負う瞬間を教えてやる」
「契約者に、裏切られた時だ」
「……え」
「信頼が大きければ大きいほど、その瞬間は酷く辛い物になる」
「……ルーンを失った俺達が落ちなかったのは、最後の最後で踏み止まれる理由があったからだ」
「契約者ってのは、精霊の命も背負ってんのさ」
「プレッシャーかけるって訳じゃねぇけどさ、それは覚えとけ」
そう言って肩を叩くフェルドの表情は、自分より遥かに大人に見えた。何を見て、何を越えてきたのかは分からないが、フェルド達は認めたくない現実も乗り越えてきたのだろう。
自分がもし、道を踏み外したら……精霊達を裏切ってしまったら……。
目の前の歪な物に、彼らを変えてしまうかも知れない。
もしそうなったら、クロノは自分を許せなくなるだろう。
(…………俺は…………)
「何深刻な顔してんだ、馬鹿が」
頭に拳骨が振ってきた。
「ガッ!?」
「信じて託してんだ、だからお前は迷わず進め」
「『俺についてこいっ!』くらい言ってみろ馬鹿」
「今更疑ったりしないよぉ」
「クロノにそんな顔、似合わないってば!」
「支えあってる限り、僕らの心が尽きる事は有り得ない」
「心配しなくていいよ、だから、ね」
「深く、考える、だけ……無駄……」
「馬鹿、なら、馬鹿らしく…………行こう……」
……本当に、自分なんかには勿体無い仲間達である。
「……裏切ったりするかよ」
「俺は夢を絶対に叶える、ちゃんと見とけよ!」
「その意気その意気ー♪」
「ま、無謀な事して死んじまうとか無しだからな」
「空回りしそうで怖いなぁ」
「既に、してる……」
「お前等な……」
いつもの調子で笑い合い、この場を後にするクロノ達。クロノはあの岩の存在を、胸の奥に深く刻み込むのだった。
そして、一歩退いてセシルは堕落霊種の死骸を睨んでいた。あの死骸からは、まだ微かに精霊の力が感じられた。
(死んでから……まだ日が浅い……)
(こんな人気の少ない場所で……精霊が死んだだと……?)
(どうにも……引っ掛かるな……)
この出来事は、後にクロノを絶望の底へ叩き落す事件の発端となる。世界中が少年に牙を剥き、その命を奪おうとする。そんな辛い戦いが待っているとは、この時のクロノは知らなかった。
まだ純粋な少年の道が握り潰されるのは、今から7ヵ月ほど先の話だ。




