第百三十四話 『背中合わせの暖かさ』
「……チィ!」
明らかに、先ほどまでと様子が違う。目の前の少年が纏う力は、九曜の本能が危険信号を発するほどの物だ。弾かれた尾を支え直し、それぞれ別の方向からクロノ目掛けて突き立てようとする。
血塗れのクロノだったが、出血は止まっていた。息を大きく吸い込み、両手を顔の前で交差させる。本来なら受け止めきれる筈がない威力の攻撃が、合計で八発だ。骨の数本砕けてもおかしくない攻撃だが、全発直撃を許しても、クロノの身体はビクともしなかった。
「馬鹿な……何をした……!」
「なに……を……!?」
交差した腕の奥に光る、少年の目。目と目が合った瞬間、何か巨大な威圧感を九曜は感じた。
「……ッ!」
「本来なら、俺はさっき死んでたかもしれない」
「今の俺は、確かに護られてここに居る」
「支えられて……立ってる」
その信頼に応えたい。この暖かさを、自分も護りたい。契約者と精霊、そんな関係以前に……友達として、負けられない。
「だから俺は、勝つっ!!」
血は止まっているが、痛みまで消えてる訳じゃない。右足首から激痛が走るが、そんなの知ったことじゃない。自分の無茶で泣いていたアルディの心の痛み、それに比べたらこんな痛み、どうでもいい。
「……ッ! 調子に乗らない方がいいですよ!」
「その防御力は驚きましたが……弱点は必ず存在する物だ……!」
駆け出したクロノ目掛け、九曜は狐火を放った。数十発の狐火は、それぞれ違う魔力を込められている。火が爆ぜると同時に、その周囲に熱以外の現象を与えられる。九曜が得意としているのは、熱系と幻想系の魔法だ。それらを複合した炎がクロノに襲い掛かるが、寸前の所で火が停止し、消し飛んだ。
「!?」
「ああああああああああああああああっ!!」
咄嗟の事で、動きを止めてしまった。その隙にクロノが飛び掛ってくる。慌てて両手でガードしようとするが、九曜の身体は言う事を聞かず、全く動いてはくれなかった。
(…………なんだ……!? 何かがおかし…………)
(……私の身体が……震えて……!?)
当然だが、恐怖からの震えでは無い。これは巨山嶽の力だ。巨山嶽の圧倒的防御力の秘密は、衝撃を吸収、拡散させる異常な柔軟性にある。その秘密の正体は、振動だ。
自らの身体だけじゃなく、その周囲の大気すら微振動させるこの状態は、全ての力を散らし、無力化する。力を受けとめ、守りを崩す……攻防一体の力なのだ。それと同時、振動数や範囲を調整することも可能だ。魔法の現象を支えている魔力を揺らし、拡散させたり、相手の身体を振動で縛り付けることも出来る。
これは巨山嶽に限った話では無いが、第二段階の精霊技能は、反則気味の力を宿す。その力は、上位の魔族との戦力差を埋めるに十分すぎる力だ。
(打ち込め! クロノッ!!)
「山壊衝!」
「!!!?」
ほぼノーガードでクロノの拳を食らう九曜、その身体が、大砲で打ち出されように吹き飛んだ。人間に出せる力を遥かに超えたその拳は、九曜の肉体に確かなダメージを与えた。
それでも、拳一発で倒せれば苦労はしない。九曜は吹き飛びながらも尾を操り、尾を地面に突き刺して身体を支えた。
「……ガハッ……!」
ダメージは確かに残っている、間違いなく、効いている。
「アルディ! 一気に……つぅ!?」
左肩から血が噴出した、無理な動きで、再び出血し始めたのだ。さらに、精霊技能が大きく乱れた。巨山嶽の維持にも相当の精神力を使うが、それに加えて初めての振動操作だ。元々疲弊していた身体では、これ以上の戦闘は無理がある。
身体は既に悲鳴を上げ、精神力も切れかけている。気が付いていなかった事に気が付くと、身体は正直になる。もう、倒れそうだ。
「く……そっ……!?」
顔を上げると、九曜が洒落にならない大きさの狐火を生み出していた。大きく燃え盛る紫色の炎は、家一つくらいの大きさだ。
「……!」
「……正直、驚きました」
「その力……確かに目を見張る物がある」
「君と精霊の強き力…………確かに伝わってきましたよ」
そこまで言うと、九曜は暦と茜に目を移した。暦は腰が抜けているが、それでも茜を抱きしめ続けていた。
「……その力は……本当に未来を変えられるのか」
「……茜様を、照らしてくれるのか……」
「私に、その確証を見せてください」
「少年、小さな君が、本当に何かを変えられると言うのなら」
「支え合う強さは、未来を変えると言うのなら……」
「君と精霊の絆を…………見せてくれ」
「……幻焦・迦具土神」
燃え盛る炎球が、クロノ目掛けて放たれた。アレを食らえば、骨も残さず燃え尽きるのか、それとも幻想の中に落ちるのか。……どちらにせよ、喰らえば終わりだ。
既に折れかけていた膝を持ち直し、クロノは左腕を上げる。だが、肩が痛んで上手く上げられなかった。
(……後……少しでいいんだよ……)
(頼む……動けよ……!)
(本当に、いつもいつもギリギリで……ハラハラさせてくれるよね)
その言葉が聞こえた瞬間、左腕が自分じゃない何かに支えられた気がした。
(ルーンと違って、安心して見ていられないけど)
(ルーンと同じくらい、君といると安心するんだ)
(アルディ……?)
(君に心配されるとか、立場的に情けないんだけどさ)
(……嬉しかったよ)
左手に力が漲る、痛みも薄れてきた。
(精霊としてじゃない、友達として、君を『助けたい』)
(前だけを見てくれ、ちゃんと、支えるから)
背中に、暖かい感触を感じた。
もう、十分すぎる。
単純に嬉しい、この状況でも、笑顔になれた。
「原子激振……!」
思いっきり振るうことは、もう出来ない。それでも、今出来る全力で左拳を振るった。何も無い空間に、確かにヒビが入る。前方に凄まじい振動が走り、巨大な炎球を大きく揺らす。揺れは内部でさらに巨大化、炎を形成する魔力、そのさらに根の部分である魔元素にまで浸透した。最も奥深くにある、力を形成する部分、その部分から揺れは破壊していく。
大きな音はない。それが当然と言うように、強大な炎球は砕け散った。炎の消え方とは到底思えない、ガラスが砕けたような消え方だ。その光景を見た九曜は、満足げに笑みを浮かべた。
「万物を焼き、精神を無限の幻想に引き込む……私のとっておきなんですがね」
「……一つ聞きたいのですが……君は、人と魔物が支え合えると思っているのですか?」
「君と精霊のように、支え合い……強くなれると」
「思ってる」
「それを世界が認めないなら、俺が変えてみせる」
「その為に、旅をしてるから」
「そうですか」
「その覚悟、見事です」
その言葉を聞いて、気が抜けてしまった。糸が切れたように、クロノは崩れ落ちる。その体を、アルディが受け止めた。
「不思議な人間ですね」
「酷く小さな存在の筈なのに……その言葉は不思議と耳に残る」
「…………良い友人をお持ちだ」
「……そうだね、面と向かって言うのは心底恥ずかしいけど」
「僕は、契約者には恵まれるようだ」
そう言ったノームの顔は、とても穏やかな物だった。支え合う力……それが信じるに値するものなのか、正直まだ分からない。
だが、九曜はこの表情に覚えがある。先代の九尾・朧の表情にそっくりだ。
(そういえば、先代が最も強かったのは……大切な物を守ろうとする時でしたね)
(……まだ、油断は出来ませんが……)
九曜は暦の元へ歩み寄る、戦闘の一部始終を茜に見せないよう、必死に抱きしめ続けていたようだ。
「狐の巫女、今の戦闘を見て……どう思いましたか」
「ひゃ、ひゃい!?」
「少年は確かに、支え合う強さと言う物を証明した」
「その力は、未来を変えるに足る力だと、思いましたか?」
「巫女、貴女は茜様を……彼のように支えてくれますか」
「貴女といれば、そう遠くない未来……茜様は覚醒するでしょう」
「その時、貴女は茜様を守ってくれますか」
「決して死なずに、茜様を止めてくれますか」
「ハッキリ言って、私は無理だと思いますが」
その言葉に、暦は黙り込んでしまう。そんな暦を、腕の中の茜がジッと見上げてきた。
「……出来るかどうか……分かりません」
「けど、私は、茜と一緒にいたい」
「支えて、あげたい」
「……そうですか」
「いいでしょう、許可します」
「……え」
「勿論、全面的に信じたわけじゃない」
「警戒は、常にしておくつもりです」
「く、九曜さ……」
「しかし、半端な覚悟は許せませんね」
「人生の全てを茜様に捧げるくらいの覚悟を、持っていただきます」
「……はい?」
「貴女が失敗し、茜様に殺される最悪の未来だけは避けねばならない」
「これからの修行は、『貴女』も強くなっていただきます」
「貴女と共に修行するのなら、茜様も大人しくして頂けるでしょう」
「ちょ、待っ……」
「わーい! 巫女様一緒だーー!」
暦が顔を青くするのを知ってか知らずか、空気を読まずに茜がはしゃぎだす。
「貴女はこれまで以上に、狐の巫女として働いていただきますよ」
「茜様の精神面は、貴女にかかっているのですから」
「貴女は人ではなく、『狐の巫女』という分類だと自覚しなさい」
「待って、待って九曜さん!? それは流石に……!」
「黙れ変態女装男、私が気づいていないとでも思いましたか」
「本来なら茜様に近づけたくもないのです、巫女の立場に感謝しなさい」
「それと、今更辞めます、は認めません」
「腐っても、いえ……腐乱しても男なら……自らの言葉に責任を持ちやがってください」
暦の顔が青いとかそういうレベルを通り越している、最早死体のように真っ白だ。そんな暦の様子を完全に無視し、茜が首を傾げた。
「巫女様……? 男の子ー?」
「……!? あいや違うんだよ茜!? いや違わないけど、騙してたわけじゃなくてこれはそのあのあれで……」
「って言うか茜の前で何回も服はだけた事あったよね!?」
「……えへへ~♪」
パァアアと顔を輝かせ、茜が暦に抱きついた。
「えへへ~♪ やったやった~♪」
「……? え?」
「はぁ……これ以上面倒を増やさないでくださ……!?」
ニコニコと暦に頬ずりする茜だったが、彼女から半透明の尾が一本生えてきた。その尾は燃え盛るように力を発し、そのまま茜の二本目の尻尾として実体を宿した。それと同時、周囲の力の乱れが収まった。
「……脱力し、呆れ果てます」
「私の三百年の努力は……なんだったんですか……」
「いや私に言われても……」
「巫女、貴女には言いたい事が山ほど出来ましたが……今はそれどころじゃありません」
「茜様の力が抑えられたチャンスは逃せない、私は『霧の隠れ道』の歪みを修正してきます」
「一応忠告しますが、手を出したら、殺しますから」
それだけ言い残し、九曜は姿を消した。暦は頭を抱え、真っ白になってしまっていた。
(……声をかけられないなぁ……)
気絶したクロノを支えながら、アルディは暦から目を背けた。もう気の利いた言葉すら出てこない。苦笑いを浮かべていると、クロノの心の中から聞き慣れた声が聞こえてきた。
(ふあああっ!? ビリビリってきたよぉ!)
(……? エティルかい?)
(うわぁ!? アルディ君の声だーっ!!)
(……アル、聞こえ、る?)
(あぁ、バッチリ聞こえてるよ)
(ふはははははっ! スゲェスゲェ! 一気に収まってきやがったぜ!)
(アル! どうやらクロノの奴はやり遂げたようだな!)
(あはは……まぁね)
(いつも通り無茶してさ、今気絶中だよ)
(んだよ、情けねぇな)
(まぁこっちもこっちで、セシルが落ち込んでっからよ)
(俺達がそっち飛ぶと、セシルの奴が泣いちまうかもしんねぇ)
(悪いがセシルと一緒に合流するわ、見つけやすいように力を発しててくれ)
(うん、分かった)
アルディは目を閉じ、今の自分に出来る限りの力を纏う。セシルの感知能力なら、すぐに自分を見つけるだろう。散々弄ったが、妙な条件化じゃなければ、大陸一つ分くらいはカバーできる感知力をセシルは持っているのだ。
「クロノ、すぐにみんな合流するよ」
「君が頑張ったおかげで、『霧の隠れ道』もしばらくは安定するだろう」
気絶しているクロノに話しかけるアルディ、当然言葉は返ってこない。それでも、アルディは嬉しそうだった。
「……目が覚めたら、説教だよ……ほんとにもう……」
「……みんなが来るまでなら、いいかな」
気絶しているクロノを、自分の背中で支え直す。背中合わせの状態で腰を降ろしたアルディは、どこか懐かしむような笑顔を浮かべた。
「……今日だけは、ティアラにも『背中』は譲れないかなぁ……」
「なんか救われちゃったかなぁ……ちょっと悔しいな」
「けど、ありがとうね……我が契約者♪」
他の精霊に負けず劣らず、自分もこの少年に信頼を寄せているのだろう。少し気恥ずかしくもあるが、やはりこの感情は懐かしく、嬉しい物だ。
繋いだ絆の数だけ、強くなれると信じている。
クロノが起きたら、甘やかさずに説教はするつもりだ。
だけど、今くらいは……この穏やかな時間を、大切にしよう。そう心に決め、アルディは静かに目を閉じるのだった。




