第百三十三話 『友の涙』
(……迷ってる暇なんて、ない)
(繰り返す訳にはいかない……同じ過ちを繰り返さないように、か……)
(正直耳が痛い話だよ、本当に……)
契約者の無茶に付き合うのはもう慣れたが、今回は事情が違う。敵は遥か格上、それも自分のトラウマを抉る種族に、嫌でも意識させてくる言葉を乱立ときた。
正直気が気じゃないが、心を乱すわけにはいかない。そんな余裕は、全く無い。クロノが構えるより早く、九曜の姿が視界から消えた。
「……ッ! アルディ! 金ご、がはぁっ!?」
金剛を纏う前に、クロノの身体が九曜の尾に吹き飛ばされた。魔力を纏ったそれは、まるで金槌だ。衝撃で視界が揺れるが、痛みに怯んでいる場合じゃない。体勢を崩したクロノ目掛け、九曜は爪を構えている。
「ぬ、があああああああっ!!」
「…………っ!」
空中で二回転し、両足を地面に突き刺すように着地、体勢を整える。そのまま迅速に金剛を纏い、両手で九曜の爪を受け止めた。
ガルアと戦った時、クロノは金剛の状態で力負けをした。あの時は大地の力を、殆ど使いこなせていなかった。だが、今は違う。お世辞にも上手くは使えていないが、修行の成果は確かに出ている。クロノは九曜の力に、なんとか食らいついていた。
(けど、流石に……馬鹿力だな……!)
何とか止められたが、ジリジリと後ろに押されている。魔力の扱いに秀でた種とはいえ、根っこは獣人種だ。その身体能力は、やはり人のそれとは比べ物にならない。
「……それは、ノームの力ですか……」
「…………まさか、それで終わりじゃないですよね……?」
「ぬ、うぐぐ……!?」
込められている力が増した、相手は片手だというのに、気を抜くと吹き飛ばされそうだ。それでも、今のクロノにはこれが精一杯である。
(風と水は最低限しか……火に至ってはからっきし……!)
(精霊技能は大地しか使えない……どうする……どうする……!?)
「どうしました? もしや、考えを巡らせているのですか」
「そんな余裕など、与えませんよ」
「……ッ!?」
九曜の尾が大きく広がると同時、周囲に紫色の炎が現れた。円運動のように飛び回るそれは、どう見ても普通の炎ではない。
(狐火だ! クロノ、避けろっ!!)
「わっ! わわっ!?」
金剛の肉体強化は物理的な力には強いが、魔法のように間接的に苦しめる類の技に弱い。身体をどれだけ固めても、熱や冷気には無力なのだ。
クロノは九曜の腕を蹴り飛ばし、後方に飛び退いた。その動きに反応するように、紫色の炎が襲い掛かってくる。
「あぶなっ……!? うわああああああっ!?」
数発屈んで避けたが、急に目の前に黒い化け物が現れた。何がなんだか分からず、クロノは恐怖から叫び声を上げ、化け物に拳を振るってしまう。
化け物に拳が当たった瞬間、その拳が焼かれた。
「あっっっつ……!?」
「!? …………ゴハッ!!」
熱さに怯んだ瞬間、クロノの腹部に九曜の尾が突き刺さる。クロノの身体は、地面を数回バウンドしながら吹き飛ばされた。
(今のは……幻覚……か……!?)
(クソ……強い……さっきから九曜さんは殆ど動いてないのに……)
(正攻法じゃ敵わない! 相性も最悪だ……何か手を……)
「策などありませんよ、分かりきっているでしょう」
アルディの言葉を見透かすように、九曜は言い放つ。九曜の目を見た瞬間に察した、あれは水の自然体だ。
「自然体まで……使えるのか……」
「精霊の助けが無いとまともに使えない君と違い、上位の魔族は大抵自然体くらい取れます」
「……君の主張する、支え合い、助け合う力など……所詮はこの程度」
「こんな物に、茜様の未来を賭ける訳には行きません」
「九曜の馬鹿ー! 巫女様と一緒に居たいだけなのに、なんでそんなに怒るのさー!」
「そんなに駄目なことなの……? そんなにいけないの!?」
「ちょ……茜、今は不味いって……!」
茜の主張に、九曜は顔を曇らせる。
「……分かってください、茜様の為……そしてその巫女の為なのです」
「必要最低限の関わりで、どうかお願いします……」
「やーだー! やだやだやだやだー!」
茜が涙目で訴えると、その身体から半透明の尾が現れた。尾は暦に巻きつくように、暦の身体に擦り寄った。
「……安定、してんじゃないの?」
「えぇ、とても安定していますよ」
「あの巫女と共に過ごせば、茜様は急成長を遂げるでしょう」
「だったら……!」
「……それじゃ、駄目なんです!」
「人の傍で急成長をして、魔の血が目覚めたら……再び惨劇が起こってしまうっ!」
「茜様に、先代と同じ悲しみを味合わせる訳には……いかないんですよっ!」
「だから、何で繰り返す前提なんだよ!」
「なんで失敗しないって、信じてやらないんだよ!」
「失敗する根拠も無いでしょうが、失敗しない根拠もない」
「博打は、嫌いなんです」
「失敗しないように、出来る事をするって選択もあるだろっ!」
「やれること全部やってみないで、目を逸らしてんじゃねぇよっ!!」
クロノの訴えを振り払うように、九曜が一気に距離を詰めて来た。クロノの頭部を抉り取るように、下から爪が襲い掛かる。
「分かったような口を、叩くなっ!!」
「俺は! 目を逸らさねぇっ!」
「!?」
限界まで集中し、九曜の心と自分の心を同調させる。修行で身に付けた『心鏡の瞳』で、クロノは九曜の攻撃をギリギリでいなす。そのまま危なっかしい水の自然体を維持、九曜の身体目掛けて拳を握った。
(……出来る事を、全部やってやるっ!)
「一番安全な方法で、最高の未来は創れないだろっ!!」
叫びながら放った拳が、九曜に届く事はなかった。
九曜の尾が空間を裂き、クロノの左肩と右足首が深く切り裂かれる。
クロノが反応できない速度で、攻撃と移動手段を断たれたのだ。
「……遅いですね」
「あ、あぅ…………?」
何をされたのか分からず、間抜けな声を出してしまう。痛みを置き去りにしたまま、切り裂かれた箇所から血が噴出した。
「がああああああああああああああああああああああああああっ!!!!?」
(クロノッ! クロノッ!!!)
金剛で守りを固めていた筈だ、精霊技能に致命的な綻びはなかった。咄嗟の行動だったが、『心鏡の瞳』もちゃんと出来ていた。それなのに、この様だ。
何てことない、こうなった理由は簡単だ。
単純に、レベルが違いすぎる。
「簡単な方法じゃ、最高は得られない……ですか」
「……では君は、困難な道を選び……失敗したらどうするのですか?」
「……簡単に口を挟むな、そんな単純な問題じゃないのです」
そう零し、九曜は茜に視線を移す。咄嗟に暦が抱きしめたのか、目の前の惨状を茜は見ていないようだ。暦の腕の中で、モゾモゾとしているのが確認できる。
「狐の巫女、貴女が茜様と同じ時間を過ごし……茜様に幸せを与えられたとしましょう」
「その幸せの先に待っているのは、この少年のようになる……貴女の姿です」
「貴女はそれを受け入れられると?」
「茜様に……そのような事をさせて、良いと思うのですか?」
そう聞いてくる九曜に、暦は答えられずにいた。
「……四天王の力は……その血は……甘くはない」
「抑え込めるかも……大丈夫かも……そんな考えは幻想に過ぎない……」
「支え合う強さ……? そんなもので惨劇の未来を変えられるなら……誰も苦労はしないんですよっ!」
「……未来、なら……変えられるっ!!」
九曜の背後で、左腕と右足を血塗れにしたクロノが、立ち上がっていた。
「……出血多量で、死にますよ」
「この期に及んで、まだ戯言を並べますか」
「……っぅ……!」
「クロノ! もう止めろっ! 止めてくれ!!」
アルディがその姿を晒し、クロノを庇うように九曜と向き合った。
「……ごめん、ごめん……! やっぱり、もう無理だっ!」
「これ以上は、震えて……リンク出来ないっ!」
「もう嫌だ! 君が傷付くのは見たくないっ!!」
泣いている、クロノが傷付いたのは、どう考えてもアルディのせいじゃない。それでも、アルディは罪の意識で泣いていた。
泣かせて、しまった。
「……これが現実ですよ、少年」
「手を取り合って、理想を仰いでも…………現実は無情だ」
「君が信じるといった力は、私一匹納得させる事の出来ない小さな物だ」
「結果君は無駄に死にかけ、精霊を泣かせる始末」
「もう答えは出たでしょう、命を取るつもりはありません」
「止血しなければ危険ですよ、もう諦め……」
「アルディ……リンクしろ」
これが、今の自分に出来る精一杯の答えだ。
「…………え?」
アルディは困惑の表情で固まっていた。九曜も、少し驚いたように首を傾げている。
「……リンクしろ、契約者の命令だ」
「……! 嫌だ!」
「……リンクしろ!」
「その命令は聞けない! 何でだよ! 何でそんな無茶を……!」
「死ぬつもりかよっ!! もう嫌だ! 僕はもう戦えないっ!」
「この傷はお前のせいじゃない、気負う必要はないんだ」
「そんなの関係ないっ!! もうこれ以上君が傷付くのが嫌なんだっ!」
「僕じゃ、護れないから……」
「……もう、いやなんだよ……」
泣かせてしまった。
自分のせいだ、自分が不甲斐無いせいだ。
アルディが俯いた、それが最後のトリガーになった。
クロノは血塗れの足を引きずり、アルディの頭に手を伸ばした。そのまま引き寄せ、泣きじゃくるアルディを心の中に引っ張り込んだ。そのままフラフラと進み、九曜と向き合う。
「……何の為に、そこまでするんですか」
「そもそも君には関係ない……命をかける理由が見当たりませんが」
「俺の夢は、人と魔物の共存の世界」
「その為に……ここは引けない」
「……夢の為に、死ぬつもりですか」
「ここで死ぬ運命なら……それを変えてやる」
「俺は、精霊に支えられてここまで来たんだ」
「その強さで、未来だって変えてみせる…………何より……」
「友達が、泣いてるんだ」
「ここで死んだら、もっと泣かせる事になる」
「俺の勝手な無茶で、こうなったんだ」
「男として……友達として……死ぬわけにはいかない」
「これ以上、泣かせるわけにはいかない」
「そんな理由で、私と戦うと?」
「……向かってくるなら、反撃させて貰います……手心を加えても、その傷だ……」
「次食らえば、さらに大出血して……死にますよ?」
「死なない」
それだけ言って、クロノは一歩踏み出した。九曜は溜息を零し、自らの尾に魔力を込める。
(止まれクロノッ!! もう止めろっ!!)
(なぁ、アルディ)
(…………!?)
(ルーンの腕が吹っ飛ばされた時さ、ルーンは怒ってた?)
(…………え)
(多分だけどさ、その時のルーンの気持ち、今の俺はちょっと分かるんだ)
(きっと、その時のルーンも、引かなかったんだろ?)
(引けるわけねぇもんな、友達が、泣いてるんだもん)
(………………っ!)
あの時、自分は泣いていた。不甲斐無くて、申し訳なくて……情けなくて……。
そんな自分の心を、あの男は包み込んでくれた。
責められてもおかしくないのに、逆に護られた。
心が砕けそうになった自分の為に、腕が吹っ飛ばされても、笑っていた。
『あ、あぁ……ルーン……ごめ……ごめん……』
『痛いなぁ……! 暴走してるからって……これはちょっと許せないよ……!』
『ごめん、ルー…………!?』
戦闘中にも拘らず、心の中で頭を撫でられた。
『朧さん! ごめんね、ちょっとマジでいくよっ!』
『僕の友達が、責任感じて泣いちゃったじゃないか!』
『ルーン……?』
『大抵は笑って許すけどさぁ……!』
『僕の友達を泣かせる事だけは、絶対に許せないんだよ!』
『精霊技能! 紅蓮巴!』
白い炎で吹き飛んだ腕を再生させながら、暴れ狂う朧に突っ込んでいくルーン。そんな彼の心の中で、一言だけ謝られたのを思い出した。
(無茶させてごめんね、……契約者失格だね、僕)
あの時、心の底から、後悔した。本当の意味で、彼を護りたいと願った。護られるだけじゃ嫌だと、彼を護れるほど強くなりたいと、思ったんだ。
(…………あっ…………)
あの時と、同じ様に、暖かかった。涙を流す自分を、クロノは心で包み込んでくれた。その心は、純粋な信頼で満ちていた。
(義務とか、そんな面倒くさい理由じゃないんだよ)
(単純なんだ、分かってくれ)
そう、単純な理由だ。
あの時、アルディ自身も、願った事だ。
クロノ目掛け、九曜の尾が襲い掛かる。それを見た瞬間、アルディは全ての思考を置き去りに、心を繋げた。
『友達を助けたい』……その一心で、全てを預けた。
バシィンッ!!! っと大きな音が響き、九曜の尻尾が弾き飛ばされる。先ほどまでとは別次元の力を宿し、クロノは笑顔を浮かべた。
「………………な、に……?」
手心など加えていない、自分の八つの尾を集中させた突きを弾かれ、九曜は驚愕の表情を浮かべる。そんな九曜を尻目に、クロノは大きく息を吐いた。
(あー…………凄い暖かいや……)
(……泣き止んだ?)
(馬鹿だなぁ……何で忘れてたのかな……)
(すっごく恥ずかしいよ……)
(……悪いな、俺のせいで泣かせちゃって)
(いいよ、ウジウジと迷惑かけたのはこっちだし)
(終わったら幾らでも説教聞くからさ、今は頼む)
(勝てるかは分からないよ?)
(勝てるさ、そんな気がする)
(……相変わらず根拠がないね)
(いいよ、付き合うよ)
心が強く繋がっている、前とはぜんぜん違う。大地の力が漲ってくる……何より、信頼を強く感じる。負ける気がしない、負けられない。
「「精霊技能・巨山嶽!」」
「支え合って、俺達は強くなれる……」
「未来だって! 変えてみせるっ!!」
この強さは、本物だ。
それを、証明してみせる。




