第百三十一話 『ストレス』
茜が森の奥に連れられて行ってしまい、何やらやりにくい沈黙が辺りを支配していた。結局どうすることも出来ず、クロノ達は社を後にするしかなかった。
「というか、普通に忘れてたんですけど」
「君は何者なんですか? 見た所ジパングの人じゃなさそうですね」
自己紹介すらするのを忘れていたのを思い出す。クロノは慌てて暦に向き直る。
「す、すいません……俺はクロノ・シェバルツ……旅の者です」
「こっちが精霊のアルディオン……その、色々不味かったですかね……」
「いえ、あの社に立ち寄る者は私くらいですし……別に良いと思いますよ」
「九曜さんも口は悪いですけど……関心ないだけですし……危害とかないですよ」
「…………初対面の時は死ぬかと思いましたけどね……生まれて初めて巫女で良かったと思いましたよ……ほんと、巫女……男なのに……男なのに……」
「僕も長く生きてきたけど、君ほど闇を背負ってる人間は珍しいよ」
「強く生きるんだ、心から応援してる」
わぁ、アルディが優しい。目が潤んでるけど。
「……で、旅のお方がこんな寂れた村に何用ですかね」
「見ての通り、田んぼと狐の社、それと四天王と男の巫女しか珍しい物ないですよ」
「十分すぎるほど奇怪だよ」
「アルディ!」
「いいんです、寧ろ普通に接してくれて嬉しいです」
「気持ち悪いとか言われるの覚悟してましたし」
これ以上は止めてくれ、涙を堪えきれなくなる。
「は、話を戻すけど! 実は俺達仲間と逸れてるんだ」
「その、あの四天王の力で……この辺りが大変な事になってるって言ってただろ?」
「俺達さ、その異変の被害者を知ってるんだ」
「放っておけないって思ってさ、なんとか止められないかと思ってこっちまで来たんだけど……」
「見事に巻き込まれてね、仲間と逸れて、気がついたらこの辺りに飛ばされていたんだ」
「どうやら、仲間達はまだあの狐が捻じ曲げた空間の中みたいだ」
「僕達としても……あの狐には力を安定させて欲しいんだよね」
クロノ達の言葉に、暦は物凄く落ち込んでしまった。
「あぁぅあああああ……茜がご迷惑をぉぉぉぉ……」
「暦さんのせいじゃないよ……だからってあの子を責めるつもりもないんだ」
「私があの子を甘やかしてるから……あの子が修行をサボるからそんな事にぃいぃぃ!」
「その事が知れたら九曜さんに殺される……ご迷惑をおかけした人達になんてお詫びすれば……!」
「被害者は魔物の子供達だけどね」
「幼い子が親の元から引き離され、孤独と絶望に叩き落されたりしてるよ」
「アルディ!? お前内心遊んでるだろ!?」
「ちょっと私、死んできます」
「待って! 心を強く保ってくれ!」
スタスタと何処かへ歩き出す暦を、必死に引き止めた。
「ヒック……もう私最低です、何の役にも立たない女装男の癖に……他者を絶望に突き落としていたなんて……」
「暦さんが加害者って訳じゃないでしょうに……」
「けど真面目な話……今の状況は魔物側としても良くないよ」
「最強の獣人種である四天王が、空間を乱し……同じ獣人種の子供達を危険に晒してるんだ」
「正直、仲間割れとか起きても不思議じゃない」
「……納得いかないな……どうしてあんな不安定な子が……四天王の座に……」
「ジパング流の罪滅ぼしとして、腹を切ります」
「背負い込まないで!? なんでそんなとこだけ男らしいの!?」
「そんなとこだけ……………………あれ? 涙が……」
もうどうすればいいんだ……。
「というか……暦さんは魔物……あー、ジパングでは妖? だっけ?」
「それ系に対して、抵抗なさげですね?」
魔物の子供に被害が及んでいるという話は、『普通』の人間なら聞き流すだろう。それなのに、暦は罪の意識を感じていた。
「……茜と長く過ごしたせいですかね」
「あの子と私が似ていたってのもあるんでしょうが……なんでしょうね」
「妖と私達……そこまで違うのかな、って……思うんですよ」
「茜なんて殆ど子供だし……九曜さんだって結構人間らしいところあるし……って……」
「何言ってるんだろ私……また変人のような事を……」
暦は頭を抱えてしまうが、その言葉はクロノにとって衝撃的だ。自分と同じ様な気持ちを抱いている、疑問に思っているのだ。
(魁人や、カルディナさんと同じだ……気づいてるんだ……)
(殆どの人が、気がつかないのに……この人は一人で気がついてる……)
暦は、魔物とちゃんと向き合えている。盲目じゃないのは明らかだ。
「ごめんなさい……忘れてください……これ以上変な目で見られるのは……」
「変じゃ、ない」
「……え?」
それを変と認めると、自分の存在が危うい。
「俺の方が、変だって思われるかも知れない」
「俺は、人と魔物が共存できる世界が……夢なんだ」
「その夢の為に……旅をしてる」
「暦さんと茜……ちゃん? 二人の関係は……羨ましいよ」
「……私と茜が、羨ましい?」
「あの子は四天王……そりゃ色々言いたい事はあるけど……それは確かなわけで……」
「人と四天王が仲良くしてるんだ……俺にとっては、凄く嬉しいよ」
「…………」
本心からの言葉に、暦は呆気に取られたような表情をしていた。
「初めてかな……そんな風に言われたの……」
「初めてだよ……私より変な人……」
「暦さんに言われるとダメージが桁違いだぁ」
割と洒落にならないくらいショックだったのだが、暦は初めて笑顔を浮かべた。
「いいの、かな」
「あの子と、仲良くしてても……」
「暦さんは、茜ちゃん嫌いなのか?」
「……分かんないけど」
「自分を見てるみたいで、放っておけないの」
「あの子には、笑っていて欲しい」
「なら、笑わせてやれよ」
「きっとあの子は、暦さんと一緒に居るのが幸せなんだ」
「あの子は妖で、四天王なんだよ?」
「それに……私が一緒に居ると……あの子の邪魔に……」
「魔物だからなんだ、どうでもいいんだよそんな事」
「邪魔? 決め付けるなよ、あの子を支えてやる! 位の意気込み見せてみろよ」
「暦さんは、男なんだろ?」
その言葉に、暦は顔を輝かせた。
「初めて、男の子扱いされた……」
「今そこに反応されると、色々台無しです」
「アクセル踏みまくってるけど、クロノには考えとかあるのかい?」
「現段階では、あの子は力を扱えていない」
「あの子が安定しない限り、セシル達がいつあの空間から出られるかは不明だ」
「それに、暦さんが不安定な状態のあの子に近づくのは危険だよ」
その言葉に、何かが引っ掛かった。
「……暦さん? 茜ちゃんとは結構一緒に居るの?」
「え? ……私が巫女の仕事をしだした……初期の頃でしょうか……あの子に出会ったのは……」
「それから供え物をする度、あの子と会っていますね」
「九曜さんに初めてあった時は殺されかけましたが……狐の巫女と名乗ったら見逃してくれました」
「何でも、先代の巫女達には世話になったらしく……狐の巫女と敵対する気は無いとのことです」
「……茜ちゃんに殺されかけた事、ある?」
「? 無いですよ? あの子が私に力を向けたこと、一度も無いです」
「暴走して溢れた力に吹き飛ばされた事は何度もありますけど……あの力が私に牙を向いた事はないです」
先ほど、クロノは茜から生えてきた半透明の尾に殺されかけた。あの力が茜の意思とは関係なく動くのなら、暦が今の今まで無事なのはおかしい。そもそも、暴走して溢れた力なら、周囲の物を滅茶苦茶にしていても不思議じゃない。
「あの時……俺の悪口に反応した……」
「その前は……修行を嫌がって……」
「その前は……遊んで欲しがって……」
感情によって反応するのなら、それで他に影響を与えるのなら……。
「暦さん! 茜ちゃんからあの透明の尻尾が生える時って……どんな時が多かった!?」
「うええ!? 急にそんな……」
「思いつく範囲でいいんだ!」
「えぇと……!? 私がお寿司忘れた時とか、転んだ時とか、駄々捏ねる時とか……」
「修行の前は必ずと言っていいほど生えてますね、それと九曜さんに叩かれたりした時も……」
「あぁ、一回私がそそくさと帰ろうとした時、あの半透明の尻尾にぐるぐる巻きにされましたね」
「『帰っちゃやだああああっ!!』っと泣かれましてね……」
もう四天王の威厳もクソもない。
「……アルディ、九曜さんがさっき言ってた事……」
「……『また』不安定な力を感じたって、言ってたろ?」
「それがなんだい?」
「もしかしたら、茜ちゃんがあの暴走状態になる度、周囲の空間に異常を発してるのかも……」
「……まぁあり得る話だよ、あれほど強力な力だ」
「あの子が四天王として、『霧の隠れ道』を管理する立場なら……力は直接結びついてる筈だ」
「あの子が力を暴走させたら、『霧の隠れ道』に影響が直に行っても不思議じゃないよ」
「……そうか、そうなんだな」
「なら、九曜さんを止めにいかないとな」
「はい?」
クロノの考えが当たっていれば、今の状況は逆効果だ。
「これは俺の勘だけど……多分茜ちゃんはストレスで力が乱れるんだ」
「大きなストレスを受けると、力が溢れるんだと思う」
「……まぁあの子は子供、精神的に不安定だしね」
「器がストレスで満ちれば……力が溢れても不思議じゃない」
「彼女はまだ、感情と力を同時に制御できないのかもね」
「だとしたら、九曜さんの強引なやり方は逆効果だ」
「感情を制御する修行なら、適度なストレスは必要な気もするけど……」
「あの子は子供なんだろ? 四天王でも、まだ子供なんだ」
「押さえ付けられて、望まない力を握らされたって……正しい訳ないだろ」
「何より……そんなの可哀想じゃないか」
「苦しいより、楽しい方が良いに決まってる」
「茜ちゃんは、暦さんの傍で……心を育てたほうがいい筈だ」
自分が子供だった頃、勇者を目指して修行していた頃。よく失敗し、一人で泣いていた気がする。何度やっても駄目で、投げ出しそうになった時が何度もあった。
(その度、ローが一緒に居てくれた)
(出来るまで付き合ってくれた、支えてくれた)
(どんなに辛くても……あいつと一緒だったから笑って越えてこれたんだ)
今までだってそうだ、自分が辛い時は、誰かが支えてくれた。傍に、居てくれた。
「……暦さん、凄く勝手なお願いだけどさ……」
「あの子を助けたい、それには……きっと暦さんの力が必要だ」
「手伝って、欲しい」
「……いいですよ」
「私、一応狐の巫女で…………勇者ですから」
「困ってる人を助けるのって、勇者の仕事ですもんね」
そう言って笑う暦が、少し格好良く見えた。
「なんて、本当は茜が心配なだけですけどね」
「私なんかが傍に居て、何が出来るかは分からないけど……」
「何かが出来るなら……傍に居てあげたい、です」
「……九曜さんの説得は、俺とアルディがする」
「暦さんは、茜ちゃんを頼む」
「……ってことだ、アルディ、悪いな」
「……今回は僕一人なんだよ? もぉ……」
「無茶だけは、しないでよね……」
「ん! 背中は任せた!」
「……任されたよ」
涙を流す子狐を、巫女の傍へと届けよう。
その為には、保護者の八尾を静める必要がある。
今のままでは、打開策は無いだろう。
また一つ、壁を越える時だ。




