第百二十八話 『葛藤の大地』
クロノが眠りについて、数時間が経過していた。辺りは闇に包まれ、月の光だけが頼りとなっていた。息を潜め、それでもアルディは警戒を緩めていなかった。
何があってもいいように、契約者を護る為に。アルディは周囲の気配に集中していた。
「…………アルディ、ずっとそうしてたのか……?」
目を覚ましたクロノが最初に見たのは、息も詰まるほど集中していたアルディの姿だ。
「当然だよ、君に何かあったら……僕はみんなになんて言えばいいんだい?」
「……ごめん、頼りにならなくて……」
「完全に足手まといだよな……」
「……本当なら、動けるはずないんだよ」
「……力を持つってのは、危険と隣り合わせだ」
そう言って、アルディはクロノの右肩を撫でた。その瞬間、鈍い痛みが走る。華響の技で特に大きく切り裂かれた箇所だ。
「…………つぅ……!」
「……君は僕達とリンクしなくても、多少の自然体を使えるようになった」
「その力は、自己回復力にも影響を与えてる」
「炎や大地の力は、傷の回復を早めたり……痛みを抑えたりもするんだ」
「……それ故に……ダメージに気がつくのが遅れたりする」
「……君の体に溜まったダメージは……もう限界を越えてるんだ」
「これ以上無理をして、精神力まですり減らせば……本当に倒れちゃうぞ……」
まるで自分の事のように、アルディは辛そうな顔をしていた。心配性なのは今に始まった事では無いが、少し様子がおかしい。
「……何か、あったか?」
「……契約者が死にそうだね」
「うぅ……面目ない…………って! 誤魔化すなよ!」
「君に悟られるとか、僕もまだまだだなぁ……」
そう言いながら笑うアルディだったが、その笑顔はどこか悲しげだ。
「あまり話したくないけど、僕は狐と少し因縁があるんだよ」
「自分で言うのもなんだけど、僕はエティルとは違うベクトルで面倒くさい性格でね」
「何て言うか……失敗から立ち直れないんだ」
「失敗……?」
「そういえば……五百年前もこんな事があって、その時はルーンが四天王の狐とやり合ったとか言ってたっけ」
「あぁ、忘れもしない……僕の失敗だ」
「ルーンの水の力の上を行って、右腕を吹っ飛ばしたとか……」
「そもそも右腕吹っ飛んだってどういうことだよ!?」
「言葉の通りさ」
「あの時、僕はルーンの信頼に応えられなかった」
「止められた筈だった……なんて事ない一撃だったはずだったのに……」
こんなアルディを見るのは、初めてかもしれない。本当に悲しそうで、悔しそうな顔をしていた。
「ルーンは僕を信じてた、背中を預けてくれていた」
「水の力が抜かれても、ルーンは諦めていなかった」
「………………なのに、僕は寸前のところでリンクを緩めた」
「結果、大地の力は万全で発動しなかった」
「僕の迷いが生んだのは、契約者の右腕損失という大惨事だ」
「我ながら馬鹿げてると思うよ、また失うのが怖い……そんな言い訳で……契約者を傷つけた」
「……また、って?」
「僕は、ルーンと出会う前にも契約者を失ってる」
「今はもう無い、滅んだ国でね」
セシルが言っていた国だろう、ノーム信仰が盛んだったという国だ。
「小さな女の子だった……結局、リンクは一度もしなかったよ」
「契約者ってより、友達だったんだ」
「……国を襲った巨大な砂嵐……あの災害で彼女は死んだ」
「…………護れなかったんだ…………」
声が震えていた、泣きそうになっているアルディなんて、始めて見る。
「ルーンと初めてあった時も、君と契約した時も……決めたはずだった」
「今回こそは、もう迷わない、絶対に護ってみせる……ってね」
「ウジウジ情けないなぁ……偉そうに言っても……結局忘れられてないんだ」
「今回こそは……って心で思う度、護れなかった記憶が蘇る」
「失いたくないと願う度、大切な物を傷つける」
「迷いを振り切ろうとすればするほど、僕の心は迷いだす」
「…………なんだろうね、僕って……かなりダメな精霊かもしれない」
そう言って顔を上げたアルディの表情が、クロノには人間に見えた。なにがどう、というわけじゃない、上手く説明できないのだが……クロノにはそう見えたのだ。
「……僕には、君やルーンが眩しいよ」
「僕は、君に偉そうに何かを言う資格なんて……ないかもしれない」
「こうまで心をブレさせる精霊なんて……正直どうかと思う」
「なんだかなぁ……ここまで話すつもりなかったんだけどなぁ……恥ずかしい……」
「けどここまで言っちゃったし……最後までぶっちゃけちゃおうかなぁ」
儚げに笑うアルディが、隣に腰を降ろしてきた。
「クロノ、僕は怖いんだ」
「どうしても、あの時の記憶が僕の脳裏から離れない」
「このまま君が四天王の元へ辿り着いて、もしもの事があったら……」
「そう思うと、震えが止まらない」
「情けないけど、今の僕が君と上手くリンク出来るとは思えないんだ」
「精霊失格だけど……いや、ノーム失格だけどさ…………自信を持って『護る』って……言えない」
「だから……どうってことじゃないけど…………その……」
いつもの頼りになるアルディは、どこにもいなかった。目の前にいるのは、消え入りそうなほど自信をなくした精霊だ。
(……違う、そうじゃない)
アルディだって、完璧じゃない。前にも言われたはずだ、精霊達にだって苦手な物くらいある。弱い所だって、あるんだ。エティルの時に気づいた筈だ、頼りきりじゃダメだと。助けられてばかりで良い訳が無い、仲間は、友達と言うのは……そんなんじゃない。
「俺はさ、アルディに何度も助けられた」
「正直アルディ居なかったら、余裕で死んでた場面何度もあったな」
「……?」
「信じてる、なんて言わない…………つか信じてるから何だって話だ」
「つかさ、勘違いすんなっての、別にお前に護って貰えなくてもなんとかするし」
そう言って、まだ震える足で何とか立ち上がった。
「見くびるなよ馬鹿野郎、俺はいつかルーンを越える男だぞ」
「お前の力が無くても、夢は絶対に叶える」
「……ははっ、言うなぁ……」
「けどな、俺はお前等と夢を叶えたいんだ」
上げるのも辛い腕を動かし、アルディに手を差し出した。
「大体護るとか、護って見せるとか……うるさいんだよ」
「そんな義務的に言われても全然嬉しくない、いい迷惑だ」
「そんなんだったら、言わなくて良い、護ってくれなくてもいい」
「エティルもそうだけどさ、心で伝わってる筈なのに何回言わせるんだ馬鹿!」
「傍に居てくれるだけで、十分嬉しいんだ」
「そんな思い詰めるほど護る云々で悩むなら、護ってくれなくていい」
「分かれよ、一人で抱え込んでんじゃねぇよ」
「俺が悩んだり、迷ったりした時……お前等は支えてくれた」
「言葉は無くても、心が寄り添ってくれた」
「俺は、それが『護る』って事だと思った」
「口にすればするほど安っぽくなるんだよ、こういうのはさ」
「気負うな、傍に居てくれるだけでいい……お前がやりたいようにやってくれればいい」
「それがきっと、正しいんだ」
「護る為に、契約者と精霊ってカテゴリに収めんなよ」
「俺は護って欲しくてお前と居るんじゃない、友達だから一緒に居たいんだ」
無理やり手を掴んで、立ち上がらせた。
「……君の気持ちは分かったけど、その理屈なら僕の気持ちはどうなるんだい?」
「僕は……正直不安が取れないんだけど」
「なら俺が晴らす」
「…………めちゃくちゃだね」
「人間舐めんなよ、これが友達なんだ」
「友達が落ち込んだり、悩んでるなら……助けるんだ」
「それが、友達なんだ」
ローがそう言っていた、正直クロノもめちゃくちゃな理論だと思う。それでも、今はこの理屈を押し通そう。
「じゃあなんだい? 君は僕の不安を晴らすため、また無茶をすると?」
「そうなるな」
「…………はぁ……それじゃ不安要素が増えるだけじゃないか……」
「そうだな、考える暇も無いほど、無茶を続けてやる」
「ウジウジする暇も与えないぞ」
「何でそんなに自信ありげに言うのさ……」
「胃に穴が開きそうだよ……」
「持ちつ持たれつ、それが友達だ」
そう笑い、クロノはアルディに左拳を突き出した。
「お前言ったよな、君の背中は僕が護るって」
「…………うん、言った」
「なら、お前の背中は俺に預けられてるわけだ」
「安心して預けろ、お前の背中は俺が護ってやる」
「………………」
驚いたように、アルディは目を見開いていた。そして、ゆっくりと肩の力を抜いていく。
「呆れた……安心するどころか不安で胸が一杯だよ……」
「……テメェ……契約者が精一杯向き合ってるってのに……その態度かよ……!」
「君に背中を預けたら、命が幾つあっても足りないねぇ」
「うわぁー! こいつマジ有り得ねぇっ!」
「つまり、君は友達として支え合いたい、と」
「よく言うよ、比重が僕に傾き過ぎてるじゃないか」
「こいつ性格悪すぎるだろっ! 人が折角励まそうと……っ!」
ギャアギャア騒ぐクロノだったが、アルディが右の拳を合わせてきた。
「これ、君流の約束だっけ」
「……あぁ」
「……意外だけど、ちょっとだけ胸が軽くなったよ」
「悩む暇も無くなる……か……悪くないかもね」
「……こんな頼りにならない僕でも、君は連れて行ってくれるかい?」
「存分にウジウジしろ、俺だって旅立つ前はウジウジしてた」
「お前がどんな状態でも、引きずって行くさ」
「…………僕が足を引っ張るかもしれないよ?」
「その時は俺が助ける、支え合うってのはそういうことだ」
「なんとも大変だね、君の友達理論は」
「…………いいよ、預けるよ僕の背中」
「少し待ってね、必ず、応えてみせる」
「君の精霊として、預かった背中を、護れるように」
「友達として、ね」
「ん、約束だ」
繋いだ絆は、何よりも強く、何よりも大切な物。想いの力は、不安を晴らし、確かな物を培った。迷える精霊よ、迷いながらでもいい、前へ進め。契約者と共に、その先へ。
その先に、答えは待っている。
まだまだ遠い、その道を…………今は歩み続けてくれ。




