第百二十二話 『盲目の目』
「いやだから! 少しは話を聞くぴょん!」
「ママが逃げろって言ったら逃げるのにゃ!」
「危ないしねー……」
カイに手を引かれ、リクに背中を押されたまま、クウは半強制的に歩かされていた。聞く耳を持ってくれない仲間達に困り果てていたクウは、その長い耳で後方の爆発音を捉えた。
「ママ……お兄さん…………!?」
「ママ強いから、大丈夫大丈夫ー」
「心配無用にゃ、人間なんてすぐボロ雑巾だにゃ」
そうだ、自分達のママは強い。今まで何度も助けてもらった、自分達にとっては恩人で、ヒーローだ。絶望の底で震えていた自分に、優しい言葉をかけてくれたのだ。
(怖かった……寂しかった……そんなあたし達を……助けてくれた……)
だが、優しい言葉をかけてくれたのは……あの人間も同じだ。自分でも少しおかしいとは思う、散々憎み、怖がっていた人間に……ただ助けると言われただけだ。どうしてこうも信じているのか、疑ってもおかしくない、疑うほうが正しい筈なのだ。
それでも……あの少年の言葉は、心に響いた。ママと、同じくらいに。
再び衝撃音が鳴り響く、居ても立っても居られず、クウはカイの手を振り払った。
「にゃっ!? クウ!?」
「馬鹿かもしれないぴょん……けど……あたしは信じたいぴょんっ!」
「何より……優しくしてくれた二人が戦うの……嫌だっぴょんっ!!」
その場で飛び上がり、自身の能力で木の上へ瞬間移動する。そのまま衝撃音が鳴り響く方向へジャンプした。
「ばっ! 戦闘中のママに近づくとか危ないにゃあ!」
「ご乱心だー!」
慌てる二体の獣人種だが、クウの機動力は二体を凌駕している。追いつくことは叶わず、クウは二体の追跡を振り切った。
(ママ……早まらないで……話を聞いて……っ!)
前方で土煙が巻き上がるのが見える、クウは祈るように、木々の間を駆け抜けるのだった。
一方その頃、クロノはクウ達のママに殴り飛ばされ、岩壁に叩きつけられていた。
「なんで魔物の大半は、話を聞いてくれないかなぁ……」
まぁ一般的に魔物と人は対立している、当然と言えば当然の反応なのだ。それでも、共存を望むクロノにとっては、この対応は非常に泣きたくなる。
(こんな状況を何とかする為、僕達と契約をしたんだろう?)
(あたし達居なかったら、とっくにお空の上だよぉ)
(さ、考えて……あの脳筋……落ち着かせる、よ)
(さっさと起きろ、もうそこまで来てんぞ)
まぁ泣いている暇はない、嘆く自分を励ます声があるだけ、随分とマシなのかもしれない。クロノは体を起こすが、足元がふらついた。
(……烈火で強化された金剛でも……まだ押し負ける……)
(このままじゃ……体が壊れちゃうよ……)
今の自分に出来る最大の肉体強化ですら、あの鬼には貫かれてしまう。圧倒的すぎるパワーに対抗するには、どうしたら……。
(この馬鹿、お前も思考回路は脳筋寄りだなおい)
(えぇ……フェルドがそれ言うのか?)
(俺は知的な脳筋なんだよ、お前と違ってコントロール出来てんだ)
(つかお前さ、いい加減自分の最大のメリット理解しろよ?)
(へ? メリットって何……)
「見つけたぞ死ねええええええええええええええええええっ!!」
会話の途中だったのだが、物騒な鬼が突っ込んできた。途中で拾ったらしい金棒を振り上げ、鬼は恐ろしい形相で襲い掛かってくる。堪らず真横に飛び、その一撃を回避した。
「うわっ! なんて物騒なっ!」
「逃げるなっ! 大人しく死ねっ!」
「酷すぎる!」
「息をするなっ! あの子達と同じ空気を吸うなっ! 悪影響が出るっ!」
ここまで嫌われる事をしたのだろうか、過去最大級に辛い。
(っていうかマジで危ないっ! 金剛を……)
(チキンが、何かあればすぐアル頼りか?)
(一発でも喰らえば死ぬんだっ! 仕方ないだろっ!)
(……お前さ、何の為に俺達と契約したんだ?)
鬼の連撃をどうにかいなしつつ、心の声に耳を傾けるクロノ。心に響くフェルドの声が、呆れるような声に変わった。
(なまじ少しは精霊とのリンクに慣れてきたせいだな? 自己防衛を優先してやがる)
(大体金剛使っておけばいいや、そう思ってんだろ)
(じゃあお前、ノームとだけ契約しとけば良かったんじゃね?)
(……ッ! なんで急にそんな事……!)
(パワーで劣ってんなら、パワーでぶつかっても負けるだけだっつってんだ)
(エティルの速度はどうした? ティアラの感知はどこ行った?)
(さっきからウズウズしてるこいつら見てると、不憫でならねぇ)
その言葉でハッとした、エティルもティアラも、不安と期待が混ざり合った感情を向けてきている。
(四精霊を従えてる奴なんざ、滅多にいねぇ)
(四精霊を抱え込めるほどの精神力持った奴、滅多にいねぇんだ)
(仮に契約できても、精霊技能の使い分け、同時使用はマジ難しいからな)
(それが不安定だとしても、お前は出来るんだ)
(相手に応じてスタイルを切り替えられる、それがお前の長所だろ)
(分かったらシャキッとしろ、契約者)
……なんというか、情けない契約者である。戦闘中に説教されてしまった。
(あーん! 言いたい事全部言われたよぉ!)
(僕としては頼ってもらえて嬉しいけどさ、今回は出番を譲るよ)
(早く、リンク……脳筋、死すべし……)
まったく……いつもいつも助けられてばかりだ、いつになったら、こいつらに頼って貰えるのだろうか。今はまだ、遠すぎる未来。そこへ辿り着く為にも、ここで負ける訳にはいかない。
(ティアラ、頼める?)
(……ま、いい、けど……)
(何で改まって照れんのかねぇ……訳分からん……)
(……黙れ、ウザ、花火……)
心の中で騒ぎ出す精霊達に苦笑いしながらも、クロノは心を水に沈める。鬼が金棒を振り回す中、クロノは目を閉じた。
「「精霊技能・心水」」
発動と同時に目を開く、乱雑に振り回される金棒の軌道は、容易に見切ることが出来た。動き出しの波紋を感じ取り、最小限の動きでその間を縫うように掻い潜る。一撃喰らえば即死に繋がる攻撃が、髪の毛を掠り、服の袖を掠めていく。
(怖くないって言えば……嘘になるけど……)
(心、乱す、な……深く……潜る、の……)
(大丈、夫……絶対……当たらない、から……)
目を閉じても、攻撃の軌道が容易に感じられる。ティアラの言うとおり、当たる気はしない。頼りになる仲間が言っているんだ、当たる訳がない、当たってやるものか。
「……ッ!?」
急に動きの切れが変わった人間に、鬼は動揺を隠しきれない。堪らず背負っていた鉈を右手に構え、金棒との二刀流で攻めてきた。だが、それでもクロノには当たらない。二本の凶器の間を、スルスルと掻い潜る。
「人間っ! 貴様……急に何だと言うのだっ!!」
「ようやく話せるな、とりあえず武器を収めてくれ」
「俺は、あなたと会話したいだけなんだ」
「人間と交わす言葉など、私は持たないっ!」
振り下ろされる金棒を後方に飛んで回避する、その一撃で地面が砕け散った。
「一方的に攻められる理由が知りたいんだっ!」
「どの口がそんな事を……貴様は魔の敵っ! それ以外理由はないっ!」
「俺は魔物と仲良くしたいよ!」
「冗談も大概にしろっ! 魔核を持っている貴様が何を世迷言をっ!」
「あの魔核は……! 俺を信じてくれた魔物が託してくれた物だっ!」
「ふざけっ……ふざけるなあああああああああああああああっ!!」
鬼が勢いよく地面を踏みつける、それと同時、クロノ目掛けて大地が隆起してきた。
「お、っと!」
「鬼崩しっ!!」
クロノが体勢を崩した所を狙い、鬼が金棒を振り抜いた。隆起した岩の塊を砕き飛ばし、その破片がクロノ目掛けて飛来する。
「エティルッ! 疾風っ!」
(はいはい出番だね♪ ティアラちゃん行くよぉ!)
(おー……)
心水に疾風を重ね、クロノは空中を蹴り付ける。飛来する岩の軌道を読み、その間を一気に突き抜けた。
「魔物が人を信じた!? 自分の命の片割れとも言える、魔核を託しただとっ!!?」
「もう少しまともな嘘をつけっ! 冗談でも虫唾が走るっ!!」
(命の……片割れ……?)
(クロノッ! 今はその部分置いといてっ!)
思いもしなかった言葉に、一瞬思考が止まってしまう。その迷いを、アルディが塗り潰した。
(説明は後っ! 今は目の前に集中っ!)
そうだ、気を抜く余裕など、自分にはないのだ。
「……っ! 嘘じゃないっ! アレは俺にとって大事な物だっ!」
「ちゃんと返してもらうし……話だって聞いてもらうっ!」
「黙れっ! 黙れ黙れ黙れっ!!!! 黙れえええええええええええええええええっ!!!!!!」
叫び続ける鬼の目は、明らかに正気を失っていた。絶対に認めたくない、認められないような……そんな目をしていた。
「なんで……どうしてそんなに人間を憎むんだよっ!!」
「うるさい黙れっ! 声を聞かせるなっ! 私に話しかけるなっ!」
「これ以上私から、大事な物を奪うなっ!!!!」
両手の武器を振り上げる鬼、広範囲の攻撃を撃つ気だ。
(この距離なら、簡単に避けられるっ!)
そう思っていたクロノだったが、感知の網を抜けた予想外の乱入者が、彼の思考を停止させた。
「二人ともっ! 止めるぴょんっ!!」
(ッ!? クウッ!!)
クロノと鬼の間に、クウがテレポートしてきた。最悪な事に、鬼はそれに気が付いていない。
(不味いっ!)
クロノは咄嗟に、疾風の速度でクウの元へ飛び込んだ。
「鬼裂・死壊天理っ!!!」
両手の武器を同時に振り下ろし、鬼は自分の前方に巨大な衝撃波を放った。物体を砕き、切り刻む衝撃波は、凄まじい勢いで鬼の視界内を粉砕した。そして、技を撃った直後、鬼はクウの姿を視界に捉えた。
(……………………ッ!?!?!!?)
何が起こったのか分からない様な表情で、鬼は両手の武器を放り投げる。自分の撃った衝撃波に向け手を伸ばしたが、クウの姿は自身の技の中に消えてしまった。
「あ、あぁ……うああああああああああああああああああああああっ!!」
絶望の声を上げ、鬼はその場に崩れ落ちる。守る筈の存在を、自身の手で消し飛ばしてしまった。大粒の涙を零す鬼だったが、自分の撃った衝撃波の中から、何かが飛び出してきた。
それは、クウを抱えたクロノだった。
「……なっ……」
「……流石、に…………金剛無しだと……痛いわ……ははっ……」
金剛を纏えば、風の力は使えない。クウを抱え技を突き抜けるには、自分の体を盾にして烈迅風で抜けるしかなかったのだ。クロノの体はズタズタに引き裂かれ、体中血塗れだ。
だが、身を挺して守ったクウの体には、傷一つなかった。
「お兄さん……ごめ……ごめんぴょん……」
「大丈夫だよ……多分死ぬほどの傷じゃないって……」
腕の中でポロポロと泣いてしまっているクウに、精一杯の強がりを言う。正直、意識が飛びそうだ。だが、まだ気絶するわけにはいかない。
気が付いてしまったのだ、今自分が、一番救わなければいけないのは誰か。まず何を解決すべきなのか……分かったのだ。
クロノはゆっくりと顔を上げる、呆然と立ち尽くす鬼を見据え、静かに口を開いた。
「……聞かせろ、何でそこまで人間が嫌いなんだ」
「この子から聞いていたあんたは、優しい奴の筈だ」
「そのあんたをここまで狂わせてる、その理由は何だっ!」
クウの事さえ目に入らなくなるほど、先ほどの鬼は暴走していた。その様子は、明らかに異常だった。この鬼を縛り付けている何か、それをどうにかするのが、最優先だ。
「人間は……ダメだ……」
「クウ……ダメ……その人間から……離れて……」
(……目が、変だ……)
(何だ…………似てる……あの、目に……)
幼い自分が常に向けられていた目に、似ている。他の可能性が見えなくなっているような、盲目の目。ずっと感じてきた、違和感を持った目だ。
「……頼むよ、話してくれ……」
「…………話してくれなきゃ、分からないじゃんか……」
この声が届いているのかも分からない、だが、自分には言葉を紡ぐしかできない。祈るように、クロノは言葉を搾り出した。
「嫌だ……私から……奪うな……返せ……返せっ!」
(……クソッ……届かないのか……何かないのか……何かっ!)
「人間は、私から大事な物を奪う…………友を……紫苑を……奪ったっ!」
(…………………………………………え…………?)
「もう私に関わるなっ!! 嫌だっ! 私の前から消え失せろっ! 私の友を返せっ!!!」
泣き叫ぶように頭を抱える鬼、クロノはゆっくりと顔を上げ、唯一見えた突破口に言葉を差し込んだ。
「紫苑って…………半人半鬼の…………?」
「…………え……!」
初めて鬼が、クロノの言葉に反応した。
点と点が、物語を紡いでいく。




