第百十九話 『強さのリスク』
「おうリク! こっちにゃ!」
「収穫有り~?」
前もって決めておいた合流地点で、リクとカイは落ち合っていた。クロノから奪い取った荷物をガサゴソと漁り始める。
「にゃにゃん♪ 割と金入ってるにゃ!」
「このブレスレットとかも高く売れそうにゃ……にゃ? にゃんだこの鍵と球は?」
「…………その球、ママと同じくらい凄い力感じるよ?」
「…………もしかして……怖い人襲っちゃった?」
「ば、馬鹿言うにゃ……俺たちに翻弄されてたような奴だぞ……」
「そんなヤバイ奴な訳…………」
『ぴょおおおおおおおおおおおおんっ!?』
獣の聴覚が、遠く離れた仲間の叫び声を、確かに捉えた。
「クウちゃん……やばい?」
「……不味いにゃ……リク! 引き返すにゃっ!!」
荷物を背負い直し、二匹の獣人種は来た道を引き返すのだった。
一方その頃、残されたウサギの少女は、涙目になりながら必死に逃亡を繰り返していた。
(急になんだっぴょんっ! 何がどうなってああなるっぴょん!?)
混乱する頭でどうにかワープを繰り返し、距離を空ける。クロノは一瞬でその動きを追尾、何度も何度も追いついて来ていた。
「返せっ!!」
「ひゃあああんっ!」
振り切られる手をどうにかしゃがんで避ける、ウサギの耳に掠り、先っぽが少し焦げてしまう。もはやからかう余裕など有りはしない、ウサギは全力で跳躍し、ワープの能力で逃げようとする。
しかし、ワープ後のウサギをクロノは常軌を逸した速度で捉える。そして一瞬で追尾してくるのだ。
(なんでっ!? なんで追いついてくるっぴょんっ!!)
完全にパニックになるウサギの少女、クロノは確実に少女を追い込んでいた。
(クロノッ! もう少しで捕まえられる! 頑張っ……)
(ワープ先はこのウサギの視界内……一度もこのウサギは視界外には飛んでない……って事は移動先の候補は随分絞られる……)
(最大の移動距離は精々20メートルくらいだ……それ以下の移動は何度か見たけど、それ以上の距離は一度も飛べてない)
(……あのぉ……クロノ?)
(連続的なワープも不可能、確実にインターバルがある……)
(見たところ、一度飛んだ後は3秒から4秒の間が存在してる)
(ダメ、聞こえて、ない……)
(そして、発動の条件も多分ある)
(ワープする前、このウサギは必ず軽くジャンプする)
(ここまで分かれば……!)
(……やれやれ……面白いくらい向いてる奴だな)
ワープの予備動作に合わせ、心水を発動。移動後に反応を察知した瞬間、疾風と烈火に切り替え、一気に追尾。炎の力で加速された動きは、疾風の段階ですら、獣人種に追いつくことを可能にしていた。
余計な考えを切り離し、水の力とは違う方向性で集中するクロノ。水のように深く、静かに集中するのでは無い。激しく、荒く、目的遂行のみを考え、対象を叩き潰すことだけを考えていた。
その集中力は、特に怒りの感情と結びつきやすい。ブレーキを踏み砕くように、クロノは一種の暴走状態に入っていた
「があああああああああっ!!」
「ひゃあああああああっ!?」
炎を纏った一撃が、ウサギの頭上を掠める。恐怖から逃げたい一心で、ウサギは地面を踏み締めた。彼女は自分の固有技能を、『瞬間跳躍♪』と呼んでいた。
ある日突然目覚めた力、魔力に乏しかった自分が得た、生き抜く術。自分が空中に居る時のみ発動可能で、自分の視界内20メートル以内に瞬時に移動できる能力だ。彼女の身体に触れていれば、彼女以外も移動できるのだが、空中に居なければ移動できない点は同じである。
その力を発動させようと、少女はジャンプしようとする。踏み込んだ足が、何かに引っ掛かった。
(ひぅ……っ!?)
疾風を金剛に切り替えたクロノが大地を踏みつけ、亀裂を発したのだ。少女の小さな足が、地割れに引っ掛かり転倒する。起き上がろうとした少女に、クロノは拳を振り下ろそうとした。
間一髪でそれを避けた少女だったが、振り下ろされた拳が地面に叩き込まれる。炎と大地の力が篭ったその一撃は、地面に大きな亀裂を入れた。
「ひっ…………あぅ……」
「はぁ……はぁ……がああああああああっ!!」
「馬鹿、もういいだろうが」
再び拳を振るおうとしたクロノだったが、フェルドに左腕を掴まれた。そして軽く殴られた。
「……!? 何をっ!!」
「お前こそ何する気だ? ちとやりすぎだアホ」
「俺としては炎の力と相性良さそうで嬉しいが、だからこそ気をつけろ」
「言ったろ? 炎の力は自分を制御するのが重要って」
「それが出来ないなら、使わないほうがいい」
「今のお前じゃ、自分も、大事なもんも、全部焼き尽くすぞ?」
その言葉でハッとなり、クロノは周囲を見渡した。辺りは焼け焦げ、力任せに振るった左拳からは血が流れていた。何より、自分の足元で泣いている少女は、あまりの恐怖からか怯えていた。
「………………っ! ……あっ……俺…………」
「自分で自分の夢を壊す気か? よく考えろ」
「強さの意味、しっかり理解するんだな」
フェルドが止めなかったら、自分はこの少女に拳を振り下ろしていたかもしれない。取り返しの付かない事を、するところだった。
「あ、あの……」
「ひぅっ! ごめ、ごめんなさ……」
「うぇ……うぇえん……」
完全に怯えられている、自分のせいだ。何が共存だ、力で捻じ伏せただけだ。
(最低だ……俺……)
こんな事の為に、力を求めたわけじゃない。自分に対する嫌悪感で、涙が溢れそうになる。落ち込みかけたクロノを、フェルドが軽く殴ってきた。
「痛っ?」
「そこで止まってんじゃねぇ、馬鹿」
「リカバリーしろよ」
「けど……」
「一度や二度の失敗で落ち込んでんじゃねぇ、最初から上手く出来る奴の方がキモイわ」
「お前の失敗は、お前にしか挽回できねぇだろうが」
「お前は一度も失敗しないで、共存の世界を成せると思ってたのか? 舐めてんじゃねぇよ」
「自分のケツは、自分で拭け」
フェルドはクロノの肩を叩き、姿を消した。その場に残されたのはクロノと、泣き続ける少女だけだ。
(俺の、せいで……この子は怯えてんだよな……)
昔、ローと一緒に勇者を目指していた時の事を思い出す。会話を操る巧みな話術とか、謝り方だとか、そんなことまで勉強していた。
(……俺が悪いんだ……ちゃんと、謝るべきだ)
(向き合う事の大切さは、もう知ってるはずだろ……!)
クロノは息を吸い込み、少女の前にしゃがみ込んだ。泣き続けていた少女はビクッと身体を震わせ、ガタガタと震えだす。
「……その、指輪な?」
出来るだけ優しく、クロノは切り出す。少女が握り締めている指輪を指差し、笑顔を浮かべた。
「俺の、凄く大事な物なんだ」
「だから……ちょっと冷静じゃいられなくて……」
「いや、だから、その…………ごめん、やりすぎた」
頭を下げるクロノ、自分にはこれ以上の言葉が出てこなかった。震えているウサギの少女は、そんなクロノに指輪を差し出した。
「……返してくれるのか?」
「返す、返すっぴょん……だから殺さないで……」
「……殺したり、しないよ」
「嘘だ……嘘だよぉ……」
「人間はあたし達を虐める……結局力技じゃんか……」
少女の言葉には、クロノへの恐怖以外に、何かが含まれていた。
「どういう意味だ? そもそも……なんで君達は窃盗なんて……」
「……あたし達は、山隠しで親から引き離されたっぴょん……」
「……山隠し?」
(聞いたことがあるよ、ジパングで語られる謎の現象だ)
(ジパングに多数存在する山は、見えない入り口で繋がっているって話)
(迷い込んだが最後、遠く離れた地へ移動してしまうって……)
それが本当なら、この子は幼くして一人になってしまったことになる。魔物の子供が一人というのは、退治屋の格好の標的だ。
「何回殺されかけたと思ってるっぴょん……何回狩られそうになったか……」
「信じれるのは、同じ様に山隠しで飛ばされたリクとカイ……」
「それと、拾ってくれたママだけっぴょん……」
「生きる為の知識とか、色々教えてくれた……ママがいなかったらとっくに死んでたっぴょん……」
「……じゃあ窃盗集団として周りを襲ったのも、そのママの指示か?」
「訳の分からない理不尽で、孤独になったあたし達を助けてくれたっぴょんっ!」
「人間には何度も襲われた……その人間から生きる為、盗みを行った……」
「攻められる覚えは無いっぴょんっ! そうでもしなきゃ生きられなかった……!」
「真っ当な理屈とか、正論なんか聞きたくない……聞きたくないっぴょん!」
「人間のお前には……魔物のあたし達なんか、どうなろうと知ったことじゃないだろうけど……」
「あたし達だって生きてるぴょんっ! 死にたくないっぴょんっ!」
いきなり親から引き離され、何度も何度も人に襲われた。理不尽という言葉以外では、それは表現出来ないだろう。その壁を越えなければ、決して襲われる事の無かっただろう運命は、呆気なく狂ってしまった。
運命を、人を恨まなければ、おかしくなっていたのだろう。何かにぶつけなければ、やりきれなかったのだろう。だが、だとしても……。
……彼女達が進めた道は、何も一つしかなかった訳じゃない。
「……だからって、関係ない人から物を盗むのは、いけないよ」
「ぴょんっ!?」
涙を流す少女の額を、指で弾いた。少女は一瞬ポカンとした後、クロノを睨みつけた。
「綺麗事なんか、聞きたくないって言ってるっぴょんっ!!」
「だったら、どうすれば良かったぴょん! 魔物は黙って死んでろとでも言うつもりかっ!」
「違う、そうじゃないよ」
「君達には、別の道だってあった筈なんだ」
「別の……? そんなの、あるわけな……」
「……まさか、人に助けを求めれば良かったとか、馬鹿な事言うつもり……?」
「うん、そのつもり」
「馬鹿っ!! 馬鹿馬鹿馬鹿っ!! 頭おかしいっぴょんっ!」
「人間に何度殺されかけたと思ってるっぴょんっ! その人間に近寄る選択なんて……大馬鹿も良いところっぴょんっ!!」
「退治屋の馬鹿には、本当に頭にくるよ」
「馬鹿はお前っぴょんっ!」
「大体……魔物を助けようとする人間なんて……いるわけない……っ!?」
言い切られる前に、クロノは少女の頭に手を伸ばす。怖がらせないように、ゆっくりと撫でてやった。
「いるよ、ここにいる」
「それに俺は知ってる、魔物を助ける為、体を張る人間達を」
「一国の王様だって、勇者だって、魔物を救ってくれた」
「だから俺は胸を張って言える、そんな人間が、いるって事を」
ここまでの経験が、自信を持ってその言葉を支えてくれた。
「俺の夢は、人と魔物が共存できる世界なんだ」
「さっきは失敗した、我を忘れて……君を怖がらせた」
「だから、挽回させて欲しい」
「君を、君達を……助けさせてくれ」
真っ直ぐと少女を見て、クロノは言った。生まれて初めて、人の優しさに触れた少女は……静かに涙を零した。
「ふぇ……うわあああああん……っ!」
「必ず助けてみせるから、信じてくれ」
助けるべき子ばかり増えていくが、これ以上無駄な涙を増やすわけにもいかない。そして、もう失敗するわけにもいかないのだ。
(……なっ? 任せて問題なかったろ?)
(別に……信用してなかったわけじゃないさ……)
心の中でニヤニヤするフェルドと、顔を背けるアルディ。クロノが落ち込んだ際、助けに出ようとしたアルディを、フェルドが制したのだ。
(過保護も程々にしろよ? 我等が契約者は、思ったほどヤワじゃねぇっぽいしよ)
(ま、まだまだガキだからな……見守る必要はあるがな)
(そうだね、けど……心配はしてないさ)
(支え、る……のが……私達の、役目……)
(今回もそれは、変わらないよぉ♪)
精霊達も心を決める。もう、失敗なんてさせないと。
遠くから一部始終を観察していたリクとカイ、会話の内容は途切れ途切れにしか聞こえなかったが、あの人間にクウが泣かされているのは確かだった。
「どうするの……? クウちゃん負けちゃったよぅ……」
「俺たちの中で、唯一の固有技能持ちのクウが負けた……」
「これは不味いにゃ……ママに報告にゃっ!」
「少しだけ待ってるにゃ、クウ……すぐに助けるにゃっ!!」
こちらも間違った方向に動き出す、事態の解決には、まだ時間がかかりそうである。




