第百十八話 『猫への恩返し』
ジパング地方、デフェール大陸の東側の通称だ。独自の文化、独自の生態系が特徴的な、和の雰囲気を持つ場所である。
フローからジパングを目指すよう言われ、3日が経った。現在、クロノは木の下で息を切らしていた。
「クロノォ……大丈夫?」
「なん、とか……」
「先行き、不安、すぎ……」
「フェルド、なんとかするんだ」
「んだよ、俺のせいだってのか!?」
自分の体力の無さに嫌気がさすが、半分は自分の無茶のせいである。フェルドとの戦闘で受けたダメージは、確実に自分の体を蝕んでいた。
「どうする軟弱馬鹿タレ、休息でもするか」
「ここらでしっかり休んでおかねば、いずれ倒れるぞ」
「そうしたいけど……時間は六ヶ月を切ってる」
「せめて、ジパングに辿り着いておきたいんだ……余裕ないし」
「焦りは禁物だと思うがな」
セシルの心配はありがたいが、彼女に追いつくためにも、自分には休んでいる暇など無い。
「ふぅ……ジパングはもうすぐだと思うし……日も傾きだしてる……」
「そろそろ……進もう……!」
フラフラと立ち上がり、ユラユラと歩き出すクロノ。精霊達に心配をかけないように振舞うが、完全に逆効果である。
「なんだありゃ、風に飛ばされそうだぞ」
「見てられないよ……なんだか今にも透けてしまいそうだ……」
「ウズ、ウズ……」
「ティアラちゃん! メッ!」
クロノ目掛け水撃をかまそうとするティアラを、エティルが制する。足を引きずりながらも前に進むクロノだったが、進む方向は急な坂道になっていた。
「へ、へへへ……こんなの……ガキの頃の山道に比べたら……」
「ローと一緒に……猛獣に追いかけられた、あの地獄に比べたら……」
「貴様、顔がダークな事になっているぞ?」
「貴様に倒れられると、私も困るのだがな」
「え? それって……」
まさか、セシルがストレートに心配してくれたのだろうか。
「貴様が倒れたら、飯は誰が作るのだ」
「……うん、知ってた」
現実なんて、こんなもんである。クロノは精神的にもダメージを抱え、亡霊のように坂道を登っていく。何とか坂道を登りきり、高台のような場所へ出た。崖の向こう、森の中心辺りに、村の様な物が見える。
「あれが……雅の村かな」
フローが教えてくれた、アクトミルから一番近いジパングの村だ。周辺を多くの動物達の生息地に囲まれている、なんとも和む村だと聞いている。
「熊やらトカゲの匂いもするな」
「なにそれ怖い……」
「つか獣人種の気配スゲェな、燃えてくるぜ!」
「全然和める気がしない……」
(……む? ……この、気配は…………?)
セシルが何かを感じ取り、警戒で目を細める。その瞬間に強い風が吹いてきた。フラフラしていたクロノの身体が、その風に煽られる。
「わっ!? ………………あ……」
「えぅ?」
「あ……」
「……え」
「ん?」
そのまま、クロノの姿が崖の下へ吸い込まれて行った。
「………………馬鹿タレが……」
「クロノが本当に風で飛ばされたよぉ~~~~~~っ!?」
「うわああああああああっ! クロノオオオオオオッ!?」
「どう、考えても……一番、役、立たず…………」
「ふはははははははっ!! マジ笑えるっ!! 落ちやがったっ!! ふははははっ!!」
精霊達の声がどんどん遠ざかっていく、限界寸前だったクロノの意識は、落下の衝撃で完全に闇に飲まれた。
(…………あれ、俺…………どうなったんだ?)
(…………死んだ……わけじゃなさそうだな……)
頭がズキズキするが、自分は生きているらしい。目を開けると、木造の天井が見えた。
「にゃあー」
「にゃあー……?」
胸の辺りに重みを感じ、視線を移す。一匹の猫が、自分の上で鳴いていた。
「猫?」
「そうにゃ、猫だにゃ」
「よしよし、可愛いなぁ……」
「フカーッ!! 気安いにゃあっ!」
喉の辺りを撫でようと手を伸ばしたが、その手を猫に一閃された。
「いってえええええええええええええええっ!?」
「つか喋ったああああああああああああっ!?」
「騒がしいにゃあ……」
クロノが飛び起きた為、足場を失った白猫が華麗に着地する。自分の腕をペロペロと舐めながら、普通に言葉を発していた。
「なに!? どういう状況なの?」
「それはこっちの台詞にゃ」
「いい気分で昼寝してたら、空から落ちてきたのはそっちだにゃ」
「いつもなら放っておくけど、今は事情があるにゃ」
「だから仕方なく家まで引っ張ってきたにゃ、感謝して金払うにゃ」
「え、引っ張ってきたって……君が?」
「じゃあ……助けてくれたのか?」
「調子に乗るにゃ、無償な訳ないにゃ」
「金払うにゃ」
助けてもらったのだ、それは問題ない。問題なのは、荷物がないことだ。
(不味い…………崖の上に置いてきてる……)
(みんな! みんなーっ!?)
(ありゃ? クロノ?)
(良かった、無事なんだね!?)
(そっちどうなってんだ?、一応こっちはセシルと崖下に降りて探してんだけど)
(なんか白猫に助けてもらったみたい、普通に無事だ)
(それより荷物! 俺の荷物大丈夫か!?)
(セシル、持って、る)
それは不味い、絶賛大ピンチである。
(えっと……今すぐこっち来れるか!?)
(僕達はすぐにワープ出来るけど、セシルは無理だよ)
(僕がクロノの元にワープして、セシルに位置を送るって感じで合流しよう)
そう言うと、アルディが心の中に戻ってくる。そのままクロノの隣に再出現してきた。
「フーッ!」
「お? この猫は……」
「アルディ? 何でみんなはすぐに俺の所に移動しなかった?」
「クロノ応答なしだったし、状況が分からない場所に飛ぶのって怖いんだよ」
その辺は精霊にしか分からない何かがあるのだろう。
「まぁ、それはいいや……」
「えっと……すぐに俺の仲間達来るから……そしたらお金払うよ」
「素直な人間にゃ、好感を持つにゃ」
「猫族は大らかにゃ、気長に待つにゃ」
そう言いつつ、白猫は欠伸をしていた。その後、5分もしない内にセシル達が合流した。
「セシル! 財布を渡しなさいっ!」
「貴様、いい加減にしないと消し炭にするぞ」
セシルから荷物を受け取り、財布の安否を確認する。…………今回は無事だったようだ。
「ふぅ……えっと、それでどれくらい払えば……」
「500000ポートにゃ」
「……………………………………………………は?」
ポートは盤世界共通の通貨だ。500000ポートなら平均的な家が簡単に造れるだろう。これは余談だが、クロノの旅立ち当初の持ち金は500ポート、ラティール王がくれたお金は4800ポートだった。
「………………無理です、足りませごふああああっ!?」
俯き、小声で零すクロノ。その喉元に強烈な蹴りが叩き込まれた。飛び上がった白猫が人間の姿に変わり、クロノを蹴り飛ばしたのだ。
「払えませんで済めば、世の中苦労はしないのにゃあっ!!」
「この小僧舐めた真似してくれるにゃぁ……」
猫耳と白い尻尾を除けば、16歳くらいの女の子の姿だ。愛らしいその姿に反し、凄まじい蹴りの威力である。
「い、いや……助けてくれたのは感謝してる、けど……」
「ここまで連れてきて、寝かせてもらってただけで……500000とか……ぼったくりすぎ……」
「にゃかましいっ!」
「ぎゃああああああああああっ!?」
バリッと顔を引っ掛かれた。めちゃくちゃ痛い、流石猫だ。
「怠惰な暮らしを好む猫族がわざわざ助けてやったのにゃ、その分代価は頂くにゃ」
「そんな無茶苦茶な……」
「フーッ!!」
「なんて凶暴な猫だ……」
ジリジリと壁に追い詰められるクロノ、このままではまた引っ掛かれる。
「これだから人間は嫌いにゃ……日ごろの鬱憤を晴らすにゃ」
「爪とぎ用の人柱となるにゃ…………」
「セシル! 見てないで助けてくれっ!!」
「知らんわ、面倒くさい……」
見捨てられるのは分かっていたが、このままでは顔が大変な事になる。最早ここまでかと、諦めかけたクロノだったが、ティアラが近寄ってきた。
その手には、どこからかもぎ取ってきたねこじゃらしが……。
「ぶら、ぶら」
「ピクッと来たにゃ!?」
「ゆら、ゆら」
「にゃ……にゃああっ……」
左右にユラユラするねこじゃらし、その動きに白猫は吸い寄せられて行った。数分間ユラユラニャアニャアしていたが、不意に白猫がパタンと倒れた。
「勝った……」
「おのれ……姑息にゃぁ……」
「今のどこに勝ち負けがあったんだ……?」
魔物にしか分からない何かがあったようだ。
「で、結局ここどこなわけ?」
「猫人種の里みたいだね、外にも猫沢山だよ」
「崖下に落ちた貴様は、この猫に拉致されたようだ」
「拉致とは聞き捨てならんにゃあっ! 助けたのは本当にゃあっ!」
「これ以上風評被害はまっぴらにゃあっ!」
「ん? 風評被害って何の事だ?」
「金も払わない人間に話すことなんて、何もにゃい」
「ゆら、ゆら……」
「ぐ、にゃあああっ!」
本能には勝てないらしい、ティアラが巧みに操るねこじゃらしに、白猫は翻弄されてしまう。
「吐け……じゃないと……止め、ない」
「えへへ~っ♪ あたしも取ってきたよぉ♪」
「最終手段でマタタビって手もあるよなぁ、ふははっ!」
「助けるんじゃなかったにゃぁ……最悪にゃこいつら……」
白猫が涙目になってしまった、これじゃ逆効果だ。
「あーもう……お前らストップ!」
「……はい、はい……怒ら、れた」
「もうちょっと遊びたかったなぁ」
「やっぱり悪ふざけかよ……一応この子恩人なんだからさ……」
そう言って、クロノは涙目になった白猫を撫でてやる。
「お金は、無理だけどさ……」
「何か困ってるなら、そっちで恩返しさせてくれないか?」
「……にゃあー……♪」
「……ッ!? はっ! 気安いにゃあっ!」
気持ち良さそうに目を細めていた白猫だったが、ハッとした様子でクロノの手を引っ掻いた。
「痛い…………」
「ににに、人間の言うことなんか信用できるわけないにゃっ!」
「……ただでさえ最近は人里から白い眼で見られてるにゃ……もうこりごりにゃぁ……」
「この里は、人の村からそう離れていないな」
「関係が悪いのなら、この距離に住処は置けんだろう」
「何か、関係を悪化させる事件でもあったか」
セシルの言葉に、白猫は俯いてしまった。
「……最近、この辺で窃盗集団が出るにゃ」
「そいつら、獣人種の集まりらしいにゃ」
「獣人種の、窃盗集団?」
「そいつらの被害者達が、主犯は猫里の奴等だって……言ってるにゃ」
「違うにゃぁ……こっちも被害者にゃぁ……食べ物盗られてるにゃぁ……」
「みんな迷惑してるにゃ……しかも最近みんなの目が痛いにゃ……」
「きっとお金に目のないあたしを疑ってるにゃ……酷いにゃ……」
その言葉を聞き、クロノは家の外を見渡す。この家の周辺に猫の気配が無いのは、そのせいらしい。
「もう放っておいて欲しいにゃ、お昼寝も落ち着いて出来ないにゃ……」
「……なぁ、なんで俺を助けた?」
泣き出しそうになった白猫に、クロノは聞いてみる。
「……あそこで放置して、お前が身包み剥がされたら……また疑われるにゃ……」
「だから、仕方なくにゃ……」
「……そっか」
「それじゃ、お礼をしないとな」
クロノは笑顔で、白猫の頭を撫でてやる。
「にゃっ!? 気安いにゃっ!!」
思いっきり引っ掻かれるが、今度は手を引っ込めない。そのまま撫で続けてやる。
「お前の名前は?」
「にゃ……? ……モミジ……」
「そっか、モミジ、もう大丈夫だぞ」
「その窃盗集団、俺が捕まえてやる」
「誤解、解いてやるからな」
嫌いと言っていた人間を、何だかんだ言いつつも助けてくれた、優しい子猫。この子が悲しむ必要なんて、どこにも無い。この子を助けたいと思うのに、それ以上の理由は要らない。
猫への恩返しを、始めよう。




