第百十四話 『男だから』
フェルドとクロノが向き合った瞬間、セシルは二人から距離を取った。巻き込まれては面倒だからだ。
(さて、どうなるやら……)
(馬鹿正直な殴り合いなら、勝ち目はないが……そこまで馬鹿ではないだろう)
緩やかな笑みを浮かべ、適度な距離を取ったセシル。振り向いた彼女の眼には、馬鹿正直に突っ込んでいくクロノの姿が映った。
(…………しかも精霊技能を使っていない、だと……!?)
(…………大馬鹿だったな、そういえば……)
変な事は考えるなと、忠告はしておいたのだが……無駄だったようである。
(クロノッ!? 何してるんだっ!!)
(何で精霊技能使わないのぉ!? 修行の意味はっ!?)
(もぉ、馬鹿……ばっか……)
クロノの中では精霊達も大騒ぎだ、契約者が自殺未遂をしているのだから当然である。
(ごめんっ! ほんのちょっとだけ……ちょっとだけ我侭許してくれっ!)
ギャアギャア騒ぐ精霊達に謝り、クロノはフェルドに突っ込んでいく。自分一人で扱える自然の力は、お世辞にも強力な物じゃない。どう足掻いても一人ではフェルドには敵わない、分かりきっている。
だが、それでも…………。
(同じ道は進めない……だけど……)
(目指す場所は……同じだから……)
(遠いのは分かってる、比較にもならないのは承知の上だ)
(けど、だけど……っ!)
試したい、伝説の勇者と、自分の距離を。
試して、みたいのだ。
(一人で目の前のサラマンダーを倒したルーンと、俺の……その距離をっ!)
クロノの表情から何かを察したのか、フェルドは口の端を吊り上げた。
「良い顔だ、良いぞ、スゲェ良い!」
「いいぜ、来なっ!!」
両手を広げ、フェルドは高らかに笑った。そんなフェルド目掛け、クロノは左の拳を振るう。
(修行の時のイメージを……! 大地の力をっ!)
あの時感じた黄金の力を、地面から自分の体に借り受ける。笑えるほど遅く、下手糞な使い方だが、0だった頃とは違う。
(全力を……ぶつけるっ!!)
「だがな、お前の物差しじゃ計れねぇぞ」
フェルドの右膝の炎が弾けるように巨大化、その衝撃でフェルドの身体が左へ飛んだ。低空を高速で移動したフェルドに反応できず、クロノの拳は空を切ってしまう。
「お前の熱さじゃ、届かねぇ」
今度は左膝の炎が爆発するように巨大化し、その衝撃で空中に留まる。間髪いれずに空中で身体を捻り、フェルドは左拳を叩きつけてきた。それを両手でガードしたクロノだったが、凄まじい威力で両腕ごと地面に叩きつけられた。
(重……っ!?)
「この俺に生身で勝とうってか!? その選択は熱い! 男だなぁ! 嫌いじゃねぇよ!!」
「けどな……お前程度でその選択は、精霊一般じゃ舐めてるって言うんだよっ!!」
クロノを殴りつけた勢いのまま、空中で縦回転するフェルド、両膝と両肘の炎が燃え上がり、回転の威力を上げていく。クロノが体を起こすと、頭上から炎を纏った踵が降ってきた。
「うっ!!?」
「紅蓮旋っ!!」
横に飛び、何とかその一撃を回避する。空振りした勢いを利用し、フェルドは再度回転を始めた。身体を横向きにし、回転したままクロノに突っ込んでくる。
「旋回紅蓮!」
今度は避けられない、燃え上がる蹴りがクロノの横腹に叩き込まれた。
「熱…………っ!!」
痛みと熱さで動きを止めたクロノ、その顔面が下から上に殴り飛ばされた。フェルドは攻撃の手を緩めない、何発もクロノに向かって拳を振るってきた。
「失望させんなよっ!? これで終わりかクロノッ!」
「ごふっ! ……ぁっ!」
「意気揚々と突っ込んできた威勢はどこにいったっ! 反撃はどうしたぁっ!!」
「……ッ! ぅ……ぐぁっ!」
右に殴り飛ばされ、顔が跳ねる。間髪いれずに腹部に膝が叩き込まれ、身体が折れ曲がる。低く下がった首に、肘が落とされ、顔を上に殴り飛ばされる。容赦のない連撃、派手な精霊法ではない、クロノの上をいく格闘術だ。
(あわわわわ……どうしよう、どうするのぉ……!)
(変な意地を張るんじゃないっ! 僕達とリンクしろっ!)
(……ん? んー…………あぁ……なるほど……)
精霊達の言う事は正論だろう、こんなの、何の意味もないかもしれない。無駄に心配をかけているだけなのかも、しれない。
(けど、どうしても……試したいんだ)
(クロノ……どうしてそこまで……)
(俺だって……勇者に憧れて、目指してたんだ……)
(伝説の勇者様の背中を追うなら、意地の一つや二つ張ってさ……)
(せめて、ちょっとでも届かせたい)
そう言って、クロノは目を光らせた。何発も殴られても、目は死んでいない。自分一人で出来る大地の自然体、その全力で耐え続けていた。
(良い目だ、何企んでやがる?)
「さっさと見せてみろっ! お前の熱さをっ!!」
笑顔で拳を振るうフェルド、その目をしっかり見据え、クロノは水の自然体を宿した。
(耐えろ、大地の力で……! 見切れ、水の力で……!)
(狙い、は……分かる、けど……そこまでする、理由、は?)
(俺が、男だからっ!!)
(あーもーっ!! 男の子って馬鹿だよぉっ!!)
馬鹿で結構、スレスレでフェルドの拳を避けたクロノは、風の勢いを拳に乗せた。
(導け、風の力で! 根性で届かせろっ!!)
「がああああああああああああああっ!!」
「な……とぉっ!?」
全身全霊、恥もへったくれもない。形振り構わず振るった拳は、フェルドの顔面を見事殴り飛ばした。フェルドは殴り飛ばされた体勢のまま、固まっている。
「はぁ……はぁ……?」
「…………ふっ」
「ふはははははははははっ!! スゲェスゲェッ! 全然痛くねぇっ!!」
分かってはいたが、まったく効いていない。クロノは肩を落としかけるが、体勢を戻したフェルドはなにやらご機嫌だ。
「特別な力なしで俺を殴ったのは、お前で二人目だ」
「一人目は……多分言わなくても分かんだろ」
「やるじゃねぇか、男だな? お前」
その言葉は、自分の馬鹿な挑戦が報われたことを意味していた。
「はぁ……はぁ…………ッ! …………ははっ……!」
勝負に勝ったわけじゃないが、無性に嬉しかった。
「昔を思い出すねぇ、気分が燃えてくるわ」
「……で? 次は?」
フェルドはニヤニヤしながら、手を差し出し、何かを催促してくる。
「はぁ……はぁ…………次?」
「これで終わりって言うなら、燃やし尽くすぞ」
「随分へばったなぁ? 随分消耗したなぁ?」
「けどこっからだろう、男と男の真剣勝負ってのは」
「いい加減出し惜しみすんなよ、俺もそろそろマジで試すぞ」
「正直ハラハラソワソワしてるそいつ等を見てると、不憫だわ」
そう言って両手を広げるフェルド、握り締めた拳が、炎に包まれた。一瞬間を置き、唐突に両拳がフェルドの胸の前で叩き合わされる。その音と同時、フェルドの背後で爆発が巻き起こった。
爆風がクロノの髪を靡かせる、周囲の空気が重くなり、フェルドの目つきが変わった。
「本気で来い、マジのマジでかかって来い」
「準備体操は終わりだ、お前の全部を見せてみろ」
「お前と、そいつ等の……培ってきた力を見せろ」
「熱くなってきてんだ、失望させんなよクロノッ!!」
フェルドの目の奥に、ギラギラした何かを感じた。ここからは、持てる全てをぶつける必要がある。
(ふぅ……)
(……何か言う事は?)
(ん! ごめんっ!)
(ばーか! クロノのばーかっ!)
(普通、ここで、無茶、する……?)
(死ね、クソ……契約者)
返す言葉も無い、完全に自分の心の中はアウェイと化していた。
(だって……)
(だってじゃないよ、後で説教だ)
(さ、やろうか)
(後で悪戯してやるぅ!)
(ん! じゃあ頑張ろっか!)
(……ばーか、ばーか)
(…………勝とう、ね)
……これ以上、言葉は要らない。クロノは呼吸を整え、精霊達と心を重ねた。
(修行してから、初めての精霊技能だ)
(ちょっと怖いな、けど、ちょっとワクワクする)
期待と不安が交じり合ったような、言い表せない感情が心を支配する。興奮で高鳴る心臓を何とか押さえつけ、クロノはゆっくりと息を吐いた。
「……精霊技能・二重! 疾風&心水!」
風と水の力を同時に纏うクロノ、彼の心が、驚きで悲鳴を上げた。
「ほぉ……二重が出来るのか」
「こりゃ面白そう……」
言い終わる前に、クロノがフェルドの背後に回った。
「……だ?」
「エティル、アルディとチェンジッ!」
精霊の切り替えも、恐ろしく精度が上がっていた。フェルドに拳が叩き込まれる瞬間、その拳が大地の力を宿す。完全に油断していたフェルドの身体が、洞窟の天井付近まで殴り飛ばされた。
(……軽い! スゲェ……色々凄い事になってる……!)
これが、精霊技能の真髄だと悟った。自分自身の自然体を磨けば磨くほど、この状態は強力になっていくのだ。
(前よりずっと……速く動ける……)
(風と踊るのは、まだまだ下手だねぇ~♪ 精進精進!)
(スゲェ……大地の力をこんなに取り込める……!)
(まだまだ遅いし、少ないよ、もっと強くなれるさ)
(気配を感じ取りすぎて、おかしくなりそうだ……水の波紋が……広がって……)
(もっと、深く、潜れる……練習、しないと……メッ)
駄目だしのオンパレードな気もするが、自分は確かに強くなった、強くなれた。クロノは観戦しているセシルの方を向き、笑顔を浮かべた。
「セシル! ありがと……」
「馬鹿タレッ! フェルドを侮辱する気か!?」
「勝負はこれからだっ! 油断するなっ!!」
セシルが声を荒立てる、その瞬間、洞窟の天井付近で大爆発が起こった。クロノが上を見上げると、空中でフェルドが炎に包まれていた。
「な、なんだありゃあ……」
「 四 肢 炎 舞 ッ !!」
自分を包み込む炎を吹き飛ばすフェルドだったが、その四肢がまだ燃え続けていた。そのまま地上目掛け隕石のように落下してくる。
「悪い悪い、流石に舐めてたわ」
「んで、予想外すぎてちょっと自分でもやべぇわ」
「燃えてきた、割とガチで」
「物理的に燃えてないかっ!!?」
本能が叫んでいた、やばい、と。クロノは咄嗟に疾風を金剛と入れ替える。
(……ッ!!? 来るっ!!)
水の感知がそれを察知する。金剛の力をフルに使い、両手で顔を防御するクロノ。そこにフェルドのフルスイングが叩き込まれた。
「あ……っっっちぃっ!!!」
燃える拳を受け止め、防御した手がジュゥッ! と音を立てた。修行により、金剛の状態では普段の何十倍もの大地の力を宿すことが出来るようになった、そんなクロノの防御を貫通し、フェルドの一撃はクロノに衝撃を伝えていた。
(信じらんねぇ一撃だ……! ガルアより重いっ!!)
ガードした両手が痺れ、微妙に後ろに押されてしまうほどの威力。金剛無しで喰らえば、タダでは済まない。そもそも燃え上がっている為、普通にガードしたら大変な事になる。
(その点はガードに水の精霊法を乗せる事で解決できるけど……)
(なんだ、この気迫……!)
フェルドの目つきが、先ほどまでと全く違う。飢えた猛獣のような、怒りのような、燃え上がる何かを宿していた。
「熱いねぇ」
「え?」
「気分良いわ、マジで」
「気に入ったよクロノ、さぁ、俺と遊んでくれ」
「もっと、熱くさせてくれっ!!!!」
燃え上がっている左足が、クロノの両腕を蹴り飛ばした。
(一々熱いっ! 物理的にもっ!)
(クロノッ! 感知を外すなっ!)
(あぁ……うざい……もう、いや……)
(ティアラちゃん頑張ってぇっ!)
クロノはその衝撃を利用し、一旦距離を取ろうと後ろに下がる。顔を上げた先に、フェルドの右拳が迫っていた。
「っ!? く……そっ!?」
咄嗟に両手で庇うが、威力を殺しきれずに体勢を崩された。フェルドは小さく飛び上がり、左手を地面に向ける。左手から噴射された炎が、フェルドの身体を真上に打ち上げる。
「ビビッタのかっ!? 引く気かっ!?」
「男じゃねぇぞっ!! クロノォッ!!」
空中でエルボーの体勢を取ると同時、右肘の炎がターボのように噴射した。勢いを乗せ、クロノ目掛けて突っ込んでくるフェルドを、クロノは何とか横っ飛びで回避する。
「……っ! 何て猛攻……うわっ!?」
地面に突っ込み、土煙が上がったが、フェルドがその中から飛び出してきた。飛び掛ってくるフェルドから逃げられず、クロノは迎撃の態勢に入る。
(あっちは空中だ、身動きは……)
フェルドの右肘の炎が噴射し、その勢いでフェルドが回転しながら回り込んできた。
(……っ! 出来るよなそりゃっ!)
(というか、僕達精霊は飛べるからっ!)
(あ、そうか……)
アルディは普通に歩くことが多く、ティアラは最近クロノにおぶさってばかり、エティルはクロノの頭の上が特等席な為、割と本気で忘れていた。
(ってそんな事考えてる場合じゃ……っ!?)
眼前に迫るフェルドは、猟奇的な笑顔で右拳を構えている。
(水の力で感知、避けるかっ!?)
(いや、追撃されれば避けきれない、この連撃はきつすぎるっ!)
(フェルドの前進を止めるっ! どうやって……っ!?)
(迎え撃つ!? あれをっ!?)
撃ち出された大砲の弾に突っ込むようなものである、無謀の一言だ。
「無謀上等っ!! 俺の掲げた夢だって無謀だからなぁっ!!」
自分の出来る全てを込め、大地の力を左拳に纏わせる。炎を纏ったフェルドの右拳と、クロノの左拳が、勢いよくぶつかりあった。
爆発したような音が響き、両者の拳が後方に弾かれた。
「…………っ! 相、打ちっ!」
「最高だクロノッ!! ますます熱くなるぞっ!」
「もっとっ…………もっと……っ!! お前の力を! お前の心を!」
「お前の根性っ! 示してこいやああああああああああああああっ!!」
崩れた体勢のまま、両肘の炎が噴射される。むちゃくちゃな体勢のまま、その勢いを利用して突っ込んできた。
(クロノッ! 引いたら勢いに押し負けるっ! ここで引いたら勝ちはないっ!)
(凄く、やだ、けど……迎え、撃つ……よ)
(控えにはエティルちゃんがいるからねっ! いつでも、いけるからっ!)
ここで引いたら、勝負に負ける。
何より、その選択は男として最悪だ。
「……っ!! 上等だ……押し勝ってやるっ! バーストサウナッ!」
「面白ぇっ!! 男だぜクロノッ!!」
両者拳を振りかぶり、全力で相手に叩き込む。ほぼ同時に両者の顔が弾け飛び、鮮血が飛び散った。
ここからは、意地のぶつかり合いだ。




