第百十三話 『最後の精霊』
クロノが目を覚ますと、木漏れ日が彼の視界を奪った。どうやら今は昼頃らしい。
「うぅ……? …………っ! 時間っ!」
「ひゃあ~?」
「ひゃうっ!?」
飛び起きたクロノだったが、自分に乗っかっていたティアラとエティルを吹き飛ばしてしまった。
「うぅ……落ち着き、ない……」
「急すぎるよぉクロノ……」
「あ、ごめん……」
「……じゃなくてっ! 時間! 俺は一体どのくらい寝て……」
「大丈夫、一日眠りっぱなしだっただけだよ」
「修行開始から数えて、今は五日目の朝……セシルは休息時間も計算に入れてくれたんだ」
「今から出発すれば、まだ間に合うよ」
アルディが説明してくれた、それを聞いたクロノは胸を撫で下ろす。
「……良かった……」
「まぁアグニ山まで、3日くらい歩く事になるけどね」
「体は大丈夫かい?」
「ん……何とか」
自分でも意外だが、結構大丈夫そうだ。
「大地の力は肉体の回復も早める、いい傾向だね」
「クロノの頑張りに、自然の力も応えてくれてるんだよぉ!」
「……なんか、不思議な気分だ」
精霊と契約してから、自然の力という物を感じ取れるようにはなった。精霊技能を使えば、それを強く感じる事も出来た。だが、今は自然の力を、前より強く感じ取れている。修行の影響だろうか。
「……何もしてないのに、これだ」
「精霊技能を使ったら……どうなるんだろう……」
「それは、お楽しみってことで……ね」
「えへへ~♪ ワクワクするねぇ!」
「ワク、ワク……」
精霊達も嬉しそうだ、本来ならもっと早く修行をしておけば良かったのだろう。慢心というか何というか、自分は気遣いが足りていなかったのかもしれない。
(口だけなのも、大概にしとけよって感じだよな……俺……)
(……心配かけすぎだよなぁ……)
これも今更だが、精霊達に対して申し訳ない気持ちになってしまう。
「なんか、ごめんな」
「俺……全然お前等に応えてやれてぶふぁっ!?」
俯きかけたクロノだったが、そんなクロノに大量の水が降り注いだ。
「辛気、臭い」
「私、達、喜んでる……空気、読め」
「あははっ! ビショビショになったねぇ!」
「……っ! だってっ! 俺は!」
「悪いと、思ってる、なら」
「水浴び、付き、合って」
「はい?」
「あっちに、泉、見つけた」
「いこう」
困惑するクロノだったが、ティアラに半分強制的に手を引かれていく。
「エティルちゃんも水浴びる~っ!」
「水撃、開始」
「ちょっ! 待てよお前ら!!?」
そんな騒ぎから一歩引いて、アルディが小さく噴出した。
(クロノの心を読んだんだな、なんというか……不器用だなぁ……)
(空気を変えようとしたのか……励まそうとしたのか……)
(微笑ましいなぁ、まったく……)
(まぁ放っておくと、水浴びでクロノが水死しかねないし……着いていこうかなっと)
ニコニコしながら、アルディもクロノ達を追いかけ始めたのだった。
森の奥から水の音が聞こえる、滝でもあるのだろうか。
「潜りっこ、しよう」
「ティアラちゃんの一人勝ちじゃんっ!」
「なぁ、どうしても水浴びしないとダメなのか……」
どうしても、エティルやティアラと入るのは慣れないクロノだった。
「クロノ、君の体は修行で随分汚れてるんだ」
「ちゃんと洗わないと」
「だって……」
「クロノ顔赤いねぇ」
「なんなら僕が洗ってあげるけど」
「別にアルディとなら何も思うものはないけどさ」
「クロノ、そっち、系……なる、ほど」
「何を想像したんだ、おい」
相変わらずからかわれるクロノだったが、最近はこういったやり取りも楽しく思っていた。そうこうしている内に、水場が見えてきた。
「ん? クロノか」
「ようやく目覚めたようだな」
そこでは、セシルが先に水を浴びていた。無論、全裸だ。日の光を背負い、真紅の長髪を靡かせる彼女に、クロノは目を奪われてしまう。
(うわぁ……綺麗だ……)
「む? なんだ見惚れたか」
「それとも、お約束を喰らいたいのか?」
その言葉で正気に返る、見惚れている場合では無い。飛来した尻尾を、間一髪で避けた。
「お?」
「……っ!! ごめんごめんごめんっ!! 見るつもりは!!」
「……ふふっ」
目を背けた隙を付かれ、セシルの尻尾が足に巻きついてきた。そのまま水に引き込まれてしまう。
「うわあああああっ!?」
頭から水に落ちるクロノ、案外深く、若干溺れかけた。
「ぶはぁっ!」
「何するんだよっ! 今は『空気の腕輪』付けてないから、普通に溺れるんだぞ!」
「覗いておいて、随分でかい口を叩くな?」
「! ごめん!」
裸のまま近づいてきたセシル、クロノは顔を真っ赤にして背を向けた。
「まぁ私は別に気にしないのだがな」
「セシルちゃん一緒に遊ぼーっ!」
「プカプカ、しよう」
「遠慮する」
既に水の中ではしゃぎ始めているエティル達だが、セシルはその誘いをスルーした。
「私はもう上がる、さっさと体を洗い、飯の支度をしろ」
「あと、服は脱いで水に入れ」
「お前が引きずり込んだんだっ!」
「脱がせ脱がせーっ! キャハハハ♪」
「ちょっ! それは勘弁……っ!」
逃げようとするクロノだったが、その四肢に水が巻きついた。
「ひっ!?」
「水中じゃ、私からは、逃げられない…………覚悟……」
「ちょっ! これが契約者にすることかっ!!」
「水の、精霊法……身体で、覚えて」
「うわあああああああああっ!?」
クロノの悲鳴を背中で聞きながら、セシルは水から上がる。そんな彼女の横で、アルディがニコニコしていた。
「……なんだ」
「良かったね、身になったみたいだ」
「何気ないことだけど、クロノは君の一撃を避けた」
「前なら有り得なかった、そうだろ?」
「……出来て、当然だ」
「嬉しそうな顔しちゃって、クロノに見られたらどう思われるかな?」
「…………貴様にだけは言われたくないわ、馬鹿タレ」
そう言って、セシルはその場を後にした。
「あははっ、言われちゃったか」
「まだまだなのは勿論だけど、やっぱり……そうだね」
「契約者の成長は、胸が躍るよ……」
水中で弄ばれるクロノを眺めながら、アルディは心からの笑顔を浮かべていた。
「酷い目にあった……」
「楽しかったねぇ、ご飯も美味しいし、エティルちゃん幸せ~♪」
「モムモム……クロノは、玩具の、才能……ある」
「全然嬉しくないんだが」
水浴びとは名ばかりの契約者虐めを終え、当然のように食事を作らされるクロノ、不憫である。
「まぁまぁ、クロノも楽しそうだったし、いいじゃないか」
「助けを求めてたんだけどなぁ」
アルディに助けを求めたが、完全にスルーされたのだ。
「戯れもそこまでにしておけ、食い終わったらアグニ山を目指す」
「時間的な問題もある、負けは論外だぞ」
「負けないさ、ここまでしてもらったんだし」
「大きな口を叩くのは勝手だが、相手はルーンの精霊の中でもっとも強かったフェルドだ」
「本来、精霊はゲームの時、相手の力量に力を合わせる」
「擬似契約のような縛りの元、契約のゲームは行われる」
「だが、フェルドは性格上、その縛りを破棄する恐れもある」
「え、なんだよそれ……」
「あいつを楽しませれば楽しませるほど、その恐れは大きくなる」
「最悪、盛り上がりすぎたフェルドに消し炭にされかねん」
「フェルドはセシルに似たところがあってね、戦闘が大好きなんだ」
「本来、炎の力は扱いを誤れば使用者を暴走させかねない力」
「燃え盛る心を、どれだけ冷静に操るか……それが大事な力だ」
「フェルドは、冷静に怒り狂う術を熟知してる」
「付き合いが長い僕等も、正直不安だよ……」
「間違っても真正面から殴り合っちゃダメだよぉ?」
「そういうの、フェルド君大好きだからねぇ……」
「暑、苦しい……キモイ……」
「フェル兄…………ぁっ!? ……フェルド、の、馬鹿は……死ねば、いい」
精霊達も思うものがあるらしい、舐めてかかると火傷では済まなそうだ。
「なんだかなぁ……そんな凄い奴、倒せた奴いるのかよ……」
「ルーン以外、私は知らんな」
「やっぱルーンの名前は出るのな……」
「フェルドはルーンの最初の精霊だ、この意味が分かるか?」
「うえ? そりゃあ…………」
「……ん!? 精霊の力無しで、フェルドを倒したって事か!?」
「実際に見たわけではないが、そうなるな」
珍しく、セシルが溜息をついていた。
「フェルド君だけが、精霊契約のゲームの話、真面目に話してくれたって、前に話したよね?」
「すっごく楽しそうに話してくれたんだぁ……」
「全力の殴り合いだったって……『最高に熱かったぜっ!』って言ってた」
「……本当に、ルーンって人間だったのかよ……」
「まぁ500年前の僕達は、今よりずっと弱かったし」
「ルーンと共に無茶してきて、今の僕達があるわけなんだけど……」
「それを差し引いても、フェルドは当時から強かったし……」
「そのフェルドと殴り合ったってのは……流石にね……」
「普通は、無謀」
「てか、馬鹿、だよ」
聞けば聞くほど、思考回路は停止しそうになる。
(…………けど、少し……)
「変な事は考えるな、いいな」
セシルが尻尾の先で額を突いてきた。
「あいたっ!」
「貴様は、貴様のやり方で向き合え」
「もういいだろう、出発だ」
ヴァンダルギオンを背負い、セシルが歩き出す。時間に余裕もないのだ、考えるのは、道中でも出来る。クロノは立ち上がり、セシルの後を追いかける。
……無謀な思い付きを、胸の奥にしまい込みながら。
予定より少し早い、出発してから二日とちょっとで、クロノ達はアグニ山へ辿り着いた。夜の闇の中でも、シルエットはクッキリ映っている。夜空をさらに黒く染め上げるように、漆黒の煙が上がっていた。
「暑い……」
「軟弱だな、貴様は」
クロノは暑さに弱い、こればかりはどうしようもなかった。
「クロノがへばる前に、フェルドを見つけようか」
「しかしこれは…………あはははっ!」
なんだかアルディが楽しそうだ。
「……はぁ、予想通りなのだが……こうも分かりやすいと呆れるな」
「えへへ~♪ 全然変わってないよぉこれ♪」
「……うざ……」
セシル達も妙な反応をしている。
「何々? どうしたんだ?」
「クロノ、ちょっと集中してごらん?」
アルディに言われ、水の自然体で感知してみる。すると火山の一部分から、強烈な気配を感じた。高熱の何かに触れたような、精神が焦げ付くような錯覚を覚える。
「あじっ!?」
「あの時、サラマンダーに伝言を頼んでおいて正解だったね」
「これ以上ないほど、フェルドが自己主張してるよ」
「主張しすぎて、最早ギャグだな」
「ん~? フェルド君もこの距離なら、あたし達に気づいてるんじゃないかなぁ?」
「猛ダッシュで突っ込んできてもいいと思うのにぃ」
「エティル、フェルドは待ってるのさ」
「僕や君、ティアラが揃ってる」
「そして、僕達を引き連れた人間が来てるんだ」
「その意味を、フェルドは理解している」
その言葉と同時、精霊達がクロノに目を移した。
「さぁクロノ、進んでくれ」
「フェルドは、君を待ってる」
「新しい契約者を、見定める為に」
その言葉の重さを受け止め、クロノは頷く。気配を感じる場所を目指し、一歩を踏み出した。しばらく歩くと、洞窟のような場所を見つけた。
「この、中っぽいな」
熱気とは違う、暑苦しい何かを感じる。洞窟の中を進むと、すぐに開けた場所に出た。
「……お誂え向きな、場所だな」
火山の中の、広い空間……。そこはまさに、全力でぶつかり合うにはぴったりの場所だった。周囲を包む熱気も、頬を伝う汗も、感情を熱くする。
『ようやくご登場か、待ちかねたぞ』
声が響き、前方に炎が現れた。炎は渦巻き、激しさを増し、……不意に弾けた。
そして、中から一体のサラマンダーが姿を現した。
「五百年ぶりの再会に、一先ずは喜ぼう」
「久しいな、お前ら!」
ニッと笑うサラマンダー、その笑顔にエティルが飛び上がった。
「フェルド君だーーーっ! 変わらないよぉ!」
「久しぶりーーっ!」
「……がっ!! 遅いっ!!!!!」
「ヒニャアアアアアッ!」
突っ込んで行ったエティルが、フェルドの吐いた火炎に迎撃された。
「再会の挨拶がコンガリエティルちゃんなんて、酷いよぉっ!」
「やかましいっ! どれだけ待たせりゃ気が済むんだテメェらっ!」
「……五日と伝言は頼んだ筈だが」
「その五日間! 俺はワクワクモヤモヤしっぱなしだってんだっ!」
「待ったぜ待った! スゲェ待たせやがってっ!! あぁクソッタレッ!」
何だかメラメラしているフェルドだったが、墜落したエティルに近寄り、その頭をワシャワシャと撫でてやる。
「変わらず小さいなっ! 元気そうで嬉しいぞっ!」
「うぅ~? 小さいのはしょうがないもん~」
「アルッ! ティアラッ! テメェらも変わってねぇようだなぁっ!」
「あぁ、君もね」
「会えて嬉しいよ、フェルド」
「……うざ……」
「ふはははははっ! マジで変わりねぇようだなっ!」
「……あぁっと、セシル、何も言うんじゃねぇぞ」
「今は再会の喜びだけで十分だ、テメェが生きてる理由なんざ、どうでもいい」
「元気そうでなによりだ、ひよっこセシル」
「その呼び方は今すぐ止めろ、殺すぞ」
「ふはははははっ! 悪い悪いっ!」
五百年ぶりの再会に、精霊達はとても嬉しそうだ。流石にこの空気を邪魔するほど、クロノは無粋では無い。少し離れた場所で見守っていたクロノだったが、不意に頭を撫でられた。
「あぅっ!?」
「なんだなんだ? 随分弱そうな奴だな?」
「しかし、エティルやアルはともかく……ティアラを従えるとは大した男だ!」
自分より背の高いサラマンダーに、ワシワシ頭を撫でられるクロノ。あまりに突然目の前に現れた為、反応に困ってしまう。
「俺の名はフェルドだ! 名乗れ小僧!」
「えっと……クロノ……クロノ・シェバルツ」
「あの、俺は……」
「いや、いい」
言葉を遮られた、それと同時、フェルドが一歩後方に飛ぶ。
「俺もな、馬鹿じゃねぇ」
「五百年前の仲間を従えたお前が、この場を訪れた理由なんざ、簡単に察したさ」
「なぁアル? 俺の番って事だろう?」
その言葉に、アルディは無言で頷く。その間に、精霊達がクロノの近くに戻ってきた
「ふははっ! いいねぇ、燃えてくるねぇ」
「つってもあれだ、俺にも果たすべき約束ってのがある」
「お前がどれほど凄かろうが、どれほど弱かろうが、そんなのどうでもいい」
「結局、俺が認めるか、認めないか…………重要なのはその一点だ」
周囲の温度が上がってきた、空間を熱気が支配する。クロノは息を呑み、自然と構えを取っていた。
「汝に問う、何故我の力を求む?」
「……人と、魔物の……共存の未来の為っ!」
その言葉に一瞬目を丸くし、次の瞬間にフェルドは大笑いした。
「ふははははははははははははっ!!!!!」
「ふははっ!! ならば示してみろっ! 汝の力っ!」
「お前の心! 見せてみろっ!!」
「……ッ! 行くぞっ!」
フェルドも構えを取り、膝と肘の部分で燃えていた炎が大きくなった。小細工など不要、難しい説明も要らない。この場に必要なのは、培ってきた力のみ。
最後の試練、全力の真剣勝負が……始まった。




