第百十二話 『自由に、舞い踊れ』
目標が一瞬で視界内から消えたが、もうこういったパターンにも随分と慣れていた。
(焦るな焦るな、セシルは俺より数倍早い、そんな事分かりきってる)
(水の修行も、大地の修行も、セシルはヒントを残してくれてた)
(俺に出来ない事は、セシルはやらせない……絶対に捕まえられる筈だ)
3秒以上立ち止まる事は許されない、クロノは足を止めず、辺りを見渡した。
(体力的にキツイが、エティルと鬼ごっこした時ほどじゃない)
(まずは整理だ、風の力の整理から……)
(呼吸を整えろ、風の流れを感じろ)
(セシルの動きを感知しろ、風の力で一気に……!)
目で追うのは不可能、風の流れを探り、位置を特定する。高速で動く何かが、右に抜けて行った。
(感じ取れる! これならいける!)
(順調じゃないか!? よしっ! 突っ込んで……!)
思わず笑みを浮かべてしまう、自分の力が通用したと勘違いしてしまった。伸ばした手には、何かに触れる感触はない。
「これはエティルにも非があるが、貴様の風の扱い方は初心者以前の問題だ」
「ヘボだった貴様にも出来るよう、本来の風の扱いを砕いてエティルが指導した」
「あの船上の特訓は、基礎の準備段階……手順を貴様用に切り崩して学ばせた物だ」
「結果、貴様は風を操る術を身に付けた…………その点は見事だ」
背後から声がする。咄嗟に後方に飛び掛るクロノだったが、一瞬で影も形も見えなくなった。
(…………早い……比較にならない……!)
(何でだ!? 何が違う……!)
遠巻きに見守る精霊達が、不安そうな顔をしているのが見える。エティルの顔を見た瞬間、あの船の上の会話を思い出した。
『元々風の力の真髄ってのは、『自由』って事なんだけどさぁ?』
『クロノはまだ風の声を聞けないし、風の流れに乗るのも下手』
(……そういえば……)
『本来は『自由』がモットーの風を縛るような使い方は、真の力を発揮できないからお勧めできないんだけどねぇ……』
「……自由な……力……」
クロノは風を無理やり操り、その流れに自分を乗せている。それは、自由とはかけ離れていると言えないだろうか。
「風の自然体……貴様にはそれが欠如している」
「疾風の時点では、誤魔化しも利いただろう」
「だが、扱いが難しい二段階の精霊技能ではそうはいかん」
「強力すぎる風を無理やり捻じ曲げ、力技で自分を乗せれば……体は崩壊する」
「それを避ける方法は2つ、他の精霊の力と合わせ、肉体を強化するか」
「……自らが、風と一体になるか、だ」
「……ッ! だったら! 俺の場合は前者のほうが早いんじゃないのかっ!?」
まだ烈迅風と他の精霊技能の二重接続は出来ていない。だが、そっちの選択肢もある筈だ。
「……確かに、どちらも難しいが……貴様は前者の方法のほうが早いかもしれないな」
「……で? 貴様はそれでいいのか?」
セシルの声がすぐ後ろから聞こえたが、振り向くよりも早く、気配が消えた。
「それでいいのかって……どういう……」
「楽な方で、良いのか? という意味だ」
「貴様が烈迅風を使えたのは、貴様自身エティルに100%の信頼を寄せているからだ」
「そして、それと同時……エティルもそれと同等の信頼を貴様に抱いたからだ」
「貴様らしい言葉で言えば、信頼の賜物だろう」
「言わばエティルの期待や信頼の結晶……貴様はそれを使いこなす気もないのか」
「エティルだけじゃない、先ほどの修行は、貴様の自己満足の為に行ったわけじゃない」
「貴様がアルディやティアラと向き合い、その力を使いこなせるようにと、行った修行だ」
「フェルドに勝つ為、そして勝った後、苦難の道を乗り越える為の修行だ」
「……苦難の道を、乗り越える……」
「貴様は得た力を、騙し騙し使えれば良いのか?」
「そんな心構えで、共存の世を成すつもりか」
「そんな心で、フェルドに勝てると思うな」
「死に物狂いで、挑んで来いっ!」
「信頼に応えたいのなら、得た力をしっかり掴めっ!」
「貴様はあの夜、腑抜けだった自分は捨てた筈だろうっ!!」
口調が激しさを増し、セシルの纏う熱気で空間が揺らいだ。クロノはその言葉で、セシルと初めて出会った夜を思い出していた。
セシルに殴られ、叱咤され、どうしようもなく情けなかった自分を、壊した夜。吹っ切れたように軽くなったその夜に、決めた筈だ。
(どんな困難にも負けるもんかって……)
(勇者じゃなくても、やってやるって決めたんだ)
(近道なんてないから、俺は楽な道を捨てたんだ)
(自分が納得できる道を、笑って歩ける道を……真っ直ぐ進むって決めたんだ)
立ち止まり、息を吸い込むクロノ。そんなクロノ目掛け、熱を帯びた一撃が飛来した。足場が砕け、砂煙が巻き上がる。
「3秒以上の停止は許さん、言った筈だが」
「うん、分かってる」
「避けちゃ駄目とは、言われてない」
クロノは水の自然体を取り、セシルの攻撃をギリギリで回避していた。
(ははっ……手加減されてるなぁ……)
(セシルはやっぱり……凄く優しい)
導いてくれている、今なら分かる、はっきりと。それに気づいてしまったクロノは、笑顔を浮かべるのを我慢できなくなっていた。身体の奥底が熱くなる、居ても立ってもいられず、クロノはセシルに向かって突っ込んでいった。
当然、追いつけるはずがない。セシルの速度に、クロノは振り回されてしまう。
「どうした、何も変わらんぞ」
「うん、全然ダメだよな、俺」
「けど、頑張りたいんだ」
「笑われても、何を言われても、馬鹿にされたっていい」
「それでも俺は、前に進みたい」
「こんな俺を信じてくれる奴等に、応えたい」
セシルを追いかけながら、クロノはそんな事を零す。
「エティルが言ってくれたんだ、俺はフルの域に登れるって」
「それってさ、風の自然体も出来ない俺じゃ、無理なんだろ?」
「無理どころか、笑い話にもならんな」
「ははっ、やっぱりなぁ」
「なら俺は、この修行をクリアしないとな」
「本当に、ちっぽけで……でかい事言うくせに全然ダメな俺だけど」
「それでも、仲間が大事でさ、応えたいんだ」
「俺の両手じゃ、零れ落ちちゃうほど沢山の大事な物」
「守りたい、支えたい、遣り遂げたい、絶対に離したくない」
「吠えるだけでは、滑稽なだけだぞ」
「分かってる、いっぱい泣いた、泣き言だって零した」
「格好悪い俺は十分晒した、もういいんだ」
踏み込む足が、宙を蹴った。
「泣いても、躓いても、失敗しても、もう逃げない」
「それがあの夜、俺が決めた、選んだ道だ」
「お前に教えてもらって、みんなに支えられてる……俺の道だ」
さらに踏み出した足が、気流を生み、速度に乗った。身体に沁み込んだ、風の力の扱い方だ。セシルとの距離を詰めるクロノだったが、セシルの姿が一瞬で消えた。
「それじゃダメだ、もっと全力で来い」
「道云々と吠えるなら、しっかり見据えろ」
「…………っ!」
風の本質は、自由なこと。あの時、クロノは風の流れすら作れなかった、乗ることが出来なかった。その言葉の意味すら、理解できていなかった。
今は、分かる。そして、もしだ。もし、本来の風の力が自由な物なら。わざわざ、流れを生んでやる必要がないのなら。自然と流れる風に、乗る事こそが基本なら。
(ぎこちない人工の風に乗る必要は無い、ただ、乗れば良い)
(セシルを取り巻く風……セシルが乗った風……)
(それに乗った先に……セシルが待ってるっ!)
見える、風の流れが。聞こえる、風の声が。自分なんかが操る必要なんて、一切無い。吹き荒れる風は、悪戯に舞い踊り……クロノの身体を巻き上げる。
力は要らない、制御もいらない。導かれるように、クロノはセシルの真正面に飛び上がった。
「来たな、のろまは卒業だ」
「ていっ!」
手を伸ばすが、セシルは上半身だけ動かしてそれを避けた。空中で回転し、一気に距離を取る。クロノはそれを目で追い、次の瞬間にはセシルの真後ろに回りこんだ。
「凄い……風歌の舞を、いきなり……」
「……綺、麗……クロノ、凄い……」
「エティルちゃん感動で泣いちゃいそうだよぉ……」
『風歌の舞』、風と同化し、舞い踊るが如く宙を舞う風属性の移動術だ。人工的に生み出した強風に乗るような勢いはない。だが、無理なく流れるように舞い踊るその動きは、徐々に加速、最終的にその姿は、常人の目には映らない域まで到達する。
そして、風と同化するように、流れるように加速する動きは、肉体への負荷を最大まで軽減する。例え人の身であっても、速度で朽ちる事はない。
「その動きを忘れるな、その感じを忘れるな」
「力を磨くことを、忘れるな」
「あぁ、分かったよ」
「ありがとうな、セシル」
空中を高速で駆け抜けるクロノとセシル、踊ってる様にも映るその光景は、唐突に終わりを迎えた。クロノの伸ばした手が、セシルの肩に触れた。それと同時、クロノの体が崩れ落ちる。
「むっ……締まらん奴だ」
落下を始めるクロノの体を、セシルが抱き止めた。そのままゆっくりと地上へ着地する。
(…………結局、最後までこいつはブレないのだな)
(誰かの為、こいつの成長トリガーは決まって誰かの為だ)
(期待に応える為、迷わず困難な道を選んだ)
(そちらの道が、こいつにとって笑顔でいられる道、という事か……)
スゥスゥと寝息を立てているクロノ、完全に寝落ちである。
「ふん、まだ3日目の夜だぞ、予定より早いではないか」
「納得できないのかい? その割には良い笑顔じゃないか」
「……まぁ、形にはなったしな」
「少し、ビックリ、した……本当、成長、した」
「エティルちゃん惚れちゃいそうだったよぉ!」
「うぅ~! 早くリンクしたい~!」
精霊達が眠ってしまったクロノに寄り添ってくる、随分懐いたものだ。
「……セシル? 残念だったね、72時間持たなくて」
「……何の話だ」
アルディがニヤニヤしながらセシルを見る、何かを察したセシルは、すぐに視線を逸らした。
「途中、君も熱くなっていたね」
「思うものがあったのかい? それとも、思い出したのかい?」
「ふぇ? 何を?」
「何、を? アル、楽し、そう」
「72時間16分……セシルが最初にカムイと修行して、倒れるまでの時間だよね」
「セシルが仲間になってすぐ、カムイに剣の修行をつけてくれって言ってた時だよ」
「おぉ! 懐かしいねぇそれ!」
「あぁ……あった、あった……」
「何を言いたいのか、まったく分からんな!」
顔を背けるセシルだったが、珍しくその顔は赤い。
「ルーンに一泡吹かせる為、カムイに剣の修行をつけてくれって言ってたじゃないか」
「剣以前の問題って言われて、君が使えた炎の自然体以外の型……」
「風、水、大地の自然体の修行をやったんだったね」
「カムイのスパルタ教育に音を上げて、72時間とちょっとでダウンしたろう?」
「……クロノが自分より早く倒れて、残念?」
「それとも、ほっとしたのかな?」
「……ッ! カ、カムイの馬鹿の地獄に比べたら! 私の修行などぬるま湯だろうがっ!」
「アレと比べるなっ! この程度の修行でダウンしたこいつは、まだまだだっ!」
「けど、あの時の君と重ねたんだろう?」
「……あのセシルが、教える側に立つとはね?」
「~~~~~っ!! アルディ貴様……土に帰されたいかっ!!」
「ちょっ……僕は今ハンデ有りなんだぞっ!」
「何であたし達まで~っ!?」
「酷い、とばっちり……」
珍しく弄られたセシルが、精霊達に火を吹いた。しばらく騒いでいたセシル達だったが、スヤスヤと眠るクロノが目覚めることはなかった。
全ての修行を終え、準備は整った。最後の精霊との出会いは、すぐそこまで迫っている。
アグニ山、クロノ達がいる森から北に位置する、活火山だ。地下への洞窟が幾つか存在し、サラマンダーの住居になっている。その山の火口で、大きな爆発音が響いていた。溶岩が天高く舞い上がり、中から一体のサラマンダーが姿を現す。
「ビリビリ届いてるぜ、離れてても分かる……もうすぐ来るんだなっ!」
「驚いた……ティアラもいるのか……スゲェなスゲェ……俺以外は全員認めたのか……!」
「ふははっ…………ふはははははっ!! スゲェなルーンッ! 本当に来やがったぞっ!」
「お前と違う、お前が……500年越しに来やがったぞっ!!」
大声で笑うサラマンダー、外見は人で言えば20代半ばといったところか。逆立ったオレンジ色の髪、肘の辺りと膝の辺りで揺らめく炎、そして少し短めの赤い尻尾。
心の底から楽しそうに、嬉しそうに笑うサラマンダーが両手を握った瞬間、後方で5~6回の爆発が巻き起こった。
「弾けるぜ、抑えらんねぇ……っ! 待ち兼ねたぞ、マジで……!」
「早く来いっ! 契約者っ!! 燃える魂見せてみろぉおおおおおおおおおおっ!!!」
天を見上げ咆哮するサラマンダー、それに呼応するかのように、火口の溶岩が沸き上がった。
舞台はもう、整っている。
契約をかけた、最後のゲームが始まろうとしていた。




