第九十六話 『強くなりたい』
『場違い』……その言葉がここまでしっくりくる場面も中々無いかもしれない。クロノはボロボロの身体を引きずり、その背を岩に預けて息を吐いた。
自分の視界の中では、四天王の二体が睨み合っている。そのうちの一人は、ここまで共に旅をしてきたセシルだ。
(頭の中……混乱してて、訳が分からないよ……)
(けど、一つだけ分かる……)
(目を離しちゃ……ダメだ……)
正直速すぎて殆ど何をしてるのかは見えていないのだが、目の前の存在は、いつか戦う事になるかもしれない相手なのだ。こんな機械は滅多にない、四天王の強さを目に焼き付けておく大チャンスだ。
(セシルの強さは知っているが、あの鳥人種……かなりの強さだ)
(僕達の知る500年前の四天王と、遜色ない力だよ)
(セシル、四天王って……どういうこと?)
(何で、そうなってる、の?)
精霊達も各々思うことがあるのだろう、混乱した思考がヒシヒシと伝わってくる。その中でも、エティルの気持ちは痛いほど通じてきていた。
(……うぅ……)
(……あぁ、悔しいな……ごめんな…………)
(クロノは、悪くないよぉ……)
そうだ、勝ち目なんてなかった、当然の結果なのだ。それでも、そうだとしても……。
負けた、完膚なきまでに……。
(大地の力は貫かれた、水の力では捉えられなかった)
(風の力に至っては……力自体を消し飛ばされた……)
分かっていた、負けるのは分かっていた。それでも、頭では理解していても、悔しさや無力感はやはり感じてしまう。少し思い上がっていたのかもしれない、ここまでの道中、クロノは傷付いてはきたが、完全な敗北はしてこなかった。
失敗をしてきたとしても、取り返しの付かない失敗は経験してきていない。それ故の甘さを、クロノは感じていた。
(セシルの言う通りじゃないか……)
(俺は……ガキのままじゃないか……)
(…………畜生……)
目の前で戦っているセシルを見て、クロノは拳を握り締める。遠い、遠すぎる。あの背中は、まだ遠すぎる。セシルの背中にすら追いつけないのに、ルーンに追いつくなど、おこがましい。自分はまだ、あまりにも弱すぎるのだ。
「随分落ち込んじゃってるわねぇ? あの子」
セシルに一瞬で数十発の蹴りを放ちながら、シアはクロノを横目に言う。その蹴りを全て剣で弾き飛ばし、セシルは後方に飛んだ。
「挫折し、どん底まで落ち、それでも前を向く」
「それが出来ない奴に、夢を語る資格はない」
「あら? 随分厳しいのねぇ? 大事な子なんじゃないの?」
「さっきから必死に庇ってるみたいだけど?」
シアはさっきからクロノに急襲しようとしてるのだが、その度にセシルがそれを邪魔してきていた。
「……貴様に会うには早すぎた、だが……先ほどの貴様の反応から知りたい情報は得られた」
「ここから先は、あの馬鹿タレがもっと成長してからのステージだ」
「イベント戦はここまでにしてもらおう、退け」
「その命令口調が腹立つのよねぇ……」
「それと、あたし相手に雑魚を庇いながらってのも、ムカツク」
「余裕ですって事? 舐めてんじゃないわよ」
シアの纏う空気が変わる、空中で大きく羽を広げたシアは、セシルに向かって急降下してきた。
「絶風域・睦月」
その爪を突き立てるように襲い掛かるシア、セシルはそれを剣でガードする。そんなセシルの周りに、何かが浮かんでいた。
(……奴の羽……?)
いつの間に浮かんでいたのか、セシルの周りにはシアの羽が数十枚浮かんでいた。
「集いて死した風の精、我に平伏し祈願せよ、宿りて爆ぜろ……ミリオンブラストッ!」
瞬間、浮かんでいた羽が炸裂し、セシルが複数の乱気流に包み込まれた。苦痛に顔を歪めたセシルに対し、シアはその場から回り込むように襲い掛かる。
「絶風域・如月」
両足を広げ、回転しながらセシルを切り刻んで行くシア、その速度はクロノの目には映らないほど高速だ。
「痛い? 痛いでしょ? 泣いて謝れば許してあげてもいいわよ?」
「生意気な口聞いてごめんなさいってっ! ほらほら……言ってみなさいよっ!」
容赦なくセシルを蹴り飛ばし、切り裂くシア、クロノは思わず立ち上がろうとするが、無様に倒れこんでしまう。
「セシ……ッ! もうやめ……っ!!」
「外野にもなれない雑魚は黙ってなさいっ!」
クロノの声に反応したシアは、クロノ目掛けて羽を飛ばしてきた。先ほどと同じなら、これも風系の魔法で炸裂するのだろう。今のクロノは避ける為に動くことも出来ないし、そもそも反応できる速度でもない。
だが、その羽は空中で燃え尽き、灰になった。
「え? ………………っ!?」
一瞬困惑したような顔になるシアだったが、その頬に冷や汗が伝ってきた。絶風の空間を吹き飛ばし、高温の蒸気を身体から噴出すセシルが、周囲を100%の殺意で埋めた。
「舐めてはいない、事実余裕なのだから仕方ないだろう」
「調子に乗るなよ? 貴様ほどの強者を相手に……むしろ我慢してやってることに感謝しろ」
「最近本気で戦えてなくてな……正直もう我慢の限界なのだ」
身体から噴出す蒸気、見たこともないような目、そしてどうしようもなく楽しそうな、嬉しそうな表情……。戦うことが楽しくてしょうがないような、押さえ切れていない戦闘狂の顔。クロノの知らないセシルが、そこにはいた。
「……な、何なのよ……あんた……」
「これ以上、目の前のご馳走を我慢しろと言われるとなぁ……正直おかしくなりそうだ」
「くはは……あはははははっ!」
「応えろ……霊王剣・ヴァンダルギオン……!」
構えていた大剣が、その言葉に応えるように光り輝いた。それと同時、セシルの力が数倍に跳ね上がる。見ているだけのクロノでも、それだけで自然と涙が出ていた。生物として、恐怖心を抑え切れなくなったのだ。
「喰い散らかすぞ、鳥女」
「それが嫌なら、さっさと退け」
「…………っ!?」
シアは黙って、静かにその場に着地した。認めたくないのだろうが、力の差を思い知ったのだろう。
「…………そこの坊や、ここは目の前のトカゲに免じて退いてあげる」
「だけど覚えておきなさい、君の夢には、あたし達四天王が立ち塞がる事を」
「叶いもしない夢を描いて、精々足掻く事ね」
「そ、それと……いい気になるんじゃないわよっ! このトカゲェッ!」
そう言い残して、四天王の一人、シア=エウロスは空へ消えて行った……。何とか、命拾いをしたのだ。
後には環境破壊が進んだ山道と、落ち着きを取り戻したセシル、そして、ボロボロになったクロノが残されていた。
「セシル、君が今の四天王だとはね」
「殆ど成り行きだ、大した意味があってなったわけじゃないぞ」
「目覚めてから自由に動くには、それしかなかったのだ」
セシルに手当てを受けながら、クロノ達はセシルから情報を聞き出そうとしていた。
「目覚めてからっていうのは……?」
「……私は魔王城で目覚めた、この話はクロノには初めてだな」
「……ここまで言ったんだ、話さないわけにはいかんか……」
「500年前、私はルーンを探して世界中を飛び回った」
「その途中、ルーンらしき男を発見したんだがな、その直後氷に閉じ込められた」
「強力な結界魔法の一つだろう、その結界の中で500年の時を越えたわけだ」
「この剣……霊王剣・ヴァンダルギオンは元々はルーンの武器だ」
「この剣が私を結界の氷から解き放ったのだが、目覚めると私は魔王城の中にいたのだ」
「……混乱したよ、当時の四天王だったエフィクトが魔王になっているし……突然500年が過ぎていると言われたからな」
「エフィクトは出会った当時のようになっているし、世界は共存の世界とは程遠い……本当に訳が分からなかった」
「出会った当時って……エフィクト君が!?」
「あぁ、あいつに何があったのか知らんが、今のあいつは完全に闇側に落ちている」
「居ても立ってもいられなくてな、魔王城から飛び出そうとしたんだが……」
「エフィクトの馬鹿が、魔王権限だかなんだかで勝手は許さんとほざいたのだ」
「だから私は、現在の四天王の一人を叩き潰し、四天王に名乗りを挙げた」
「そして、権力を手に入れ、魔王城を飛び出したのだ」
「世界中を飛び回り、理解したよ……本当に500年が経過し、ルーンは居ないのだと」
「500年前の仲間も、どこに居るのか分からん」
「天界への扉も閉じているし、地獄門も消えていた」
「何が何だか分からず、彷徨って行き倒れた所で、貴様に出会ったのだ」
そこまで話して、セシルはクロノを見た。
「……俺?」
「クロノ、貴様はな? 目覚めた私にとって、初めての覚えがある存在だったんだぞ」
「何もかも、狂っているようで、知る物は変わり果てた世界でな……」
「貴様は、覚えのある夢を語る、大馬鹿だったのだ」
「だから、貴様の旅を見てみたくなったのだ」
「貴様を精霊達の元へ導いたのも、私が貴様を勝手にルーンと重ねたからかもしれん」
「私は貴様を、利用したのだ」
「全てが変わり、全てが狂ったこの世界の中で……貴様をルーンに重ね……あの頃の幻影を追い続けた」
「うむ、最低だな……無くしたくなかった、忘れたくなかった……」
「夢にしたくなかった、認めたくなかったのだ……」
「訳も分からず、ルーンの物語を途中で壊された気がしてな……」
「あの先を見たくて……貴様をルーンの代わりにしようとしたのだ……」
「利用し、騙し続けていたのかも、しれないな……」
「軽蔑してくれて構わん、どんな言葉も受け入れよう」
「だが、私は……」
そこまで聞いて、我慢の限界を迎えた。
「俺は、ルーンじゃない」
その言葉を聞いたセシルは、顔を伏せた。そんなセシルの手を、クロノは握った。
「……クロノ?」
「だから、その先だって、きっと見せてやれる」
「軽蔑だって? ふざけんなよ、何度助けられたと思ってる? お前が居なきゃ、俺はここまで来られなかったんだ」
「大事な物、沢山くれたんだぞ?」
精一杯の笑顔で、そう言った。セシルには感謝の言葉をまだまだ言い足りないのだ。
「四天王だったとか、俺を利用してたとか、そんなのどうでもいいよ」
「セシルはセシルだろ? 俺にとっては、恩人に変わりないんだ」
「今だって助けて貰った、助けられてばかりの弱い俺だけどさ……」
「それでも、誰に何を言われても、俺はルーンと同じ夢を諦めないよ」
「弱すぎて説得力無いかも知れないけど……いつか、いつかさ……」
「見れなかったその先を……ルーンの消えたその先を……俺が見せてやるから」
「ここからは、俺の物語を……見ててくれよ」
呆然とした顔で、セシルは固まっていた。だが不意に、右の頬を引っ叩かれた。
「あ痛っ!?」
「下の下の下の雑魚がっ! 何を生意気いってるのだっ! この馬鹿タレっ!」
「もう少しまともになってから、偉そうな口を叩けっ!」
「酷いなぁ……まぁ正論なんだけどさ……」
「けど、前にも言ったとおりさ……」
「いつか、セシルのことだって助けられるくらい、強くなるよ」
「……お前等の事も、な」
自分の中の精霊達に、小さく誓う。頷いてくれたのを感じて、少しだけ嬉しくなった。そんなクロノに対し、セシルは背を向けていた。涙ぐんでいるのを、気が付かれるわけにはいかないのだ。
「……セシル」
「……なんだ、馬鹿タレ」
「強くなりたい、もっと、もっと」
「ふむ……焦るな、とだけ言っておいてやる」
「……努力します」
肩を落とすクロノを見て、セシルは目を細めた。
(…………今の言葉は、クロノだけに向けたものではないのだがな……)
クロノは気が付いていない、自分の最初の精霊が、想像以上に落ち込んでいる事を。クロノはまだ知らないのだ、エティルの事も、アルディの事も、ティアラの事も……。
精霊をより深く知らなければ、第二の力は目覚めない。
一歩一歩進んでいくことから始めなければ、その力には至らない。
だが、焦りは静かに……風の精霊を蝕んでいた。
もう一度、向き合わなければならない時は……そう遠くの話では無いのかも知れない。




