第九十四話 『四天王、シア=エウロス』
時間は正午、太陽は真上、エイムグルカを出発してから数時間は歩いただろうか。クロノ達は現在、登山中である。
「この山を超えればラベネ・ラグナまですぐだって言っても……中々しんどいな……」
何でも、この山を超える以外では魔物の縄張りを抜けるしか道は無いらしい。クロノの旅の目的のひとつでもある為、最初はその魔物の縄張りとやらを抜けようと考えていた。
しかし、その道とは意思無き食人植物が大量に巣食う、通称『暴食の森』と呼ばれている危険地帯らしい。そこに立ち入った者が無事に出てくる事はないと言われるほど、やばい場所らしいのだ。
他の道を調べてみても、和解や話し合いでは済まず、下手すれば某黒狼さん並の激戦を強いられる可能性もあった。殆ど未知数の力を持つ『黒曜霊派』と戦いに行くのに、そんな怪我してる暇はないのだ。
悩んだ末、クロノは地道に山を越えることにした。
「ふぅ~……ローと山道を駆け抜けたのを思い出すなぁ、やっぱいいねぇ、運動して流す汗は!」
「そうだなそうだな、あぁあぁそうだな」
「歩くの、飽きた、クロノ、おぶって……」
セシルには適当に流され、ティアラは完全に無視してクロノの背中に飛びついてきた。飽きたとか言っているが、彼女は宙を泳ぐように進んでいる為、一歩も歩いていない筈だ。
「待て待て、契約者の体力消費を加速させるんじゃない……って冷たっ!?」
ティアラはクロノの首に手を回し、無理やりおぶさってくる。とても軽く、負担は殆ど無いのだが、彼女の体温はとんでもなく低かった。
「楽、ちん……」
「あのさ……この状況おかしくない?」
「良くルーンにもおぶさっていたよ、懐かしいな」
「大分打ち解けてる証拠だ、良かったじゃないか」
アルディはそう言うが、どう考えてもこっちは損しかない気がする……。
「ティアラ、首絞めないでくれよな」
「いいから、進め、ノロマ」
「口悪っ!?」
「風が気持ち良いねええええええええっ!!」
「風がエティルちゃんを昂ぶらせるよっ! 清風万歳っ!」
こっちはこっちで登山中の風に煽られテンション最高潮の風の精霊だ。さっきから周囲を飛び回り、正直鬱陶しい。
「エティルさーん、テンション50%減で頼みますー」
「アテンションプリーズッ! 素晴らしい風の中より、エティルちゃんがお送り致しておりますっ!」
「わっはあぁ~~~っ! 飛ばされるぅ~! いや、エティルちゃんが飛んでいる~~~っ!」
「うるせえぇっ!?」
「うむ、うるさいな」
もう慣れた、セシルがそんな表情をしている気がする。
「まったく、良い風が吹く場所じゃ相変わらずだなぁ」
「まぁ、故郷のアノールドの風が恋しいんじゃないかい?」
「あああぁっ!! 今なら嵐のような強風だって愛せちゃうかもしれないよぉっ!」
「エティルさーん、帰ってきてー」
契約者として、手綱は握っておかなければいけないのだが……。
「強風弾丸少女っ! エティルちゃんのターンでーすっ!」
「ダメだこりゃ……」
聞く耳すら持って貰えない、エティルは完全に自分の世界の中だ。クロノは呆れたように笑っていたが、ティアラが目を細めてエティルを見つめていた。
(……ねぇ、アル……)
(…………随分深い場所から話しかけてくるじゃないか、どうした?)
クロノに聞こえないように、心の底でアルディを呼ぶティアラ。アルディはその言葉だけで、大体は察していた。
(エティ、変)
(ん、本人にだって自覚あるはずだよ)
(……君だって、分かってるだろ? その点じゃ君とエティルは似た物同士なんだし)
(……クロノ、気がつかない、鈍感……)
(……期待してるんだよ、だからこそ、焦ってる)
(僕達が口出しするような事じゃない、僕には僕のペースがあるし、ティアラもそうだろ?)
(……私は、まだ、認めてない……から……)
未だにそんな事を言うティアラに、アルディはやれやれと首を振る。どっちも素直じゃない、本当にそう思っていた。
「クーローノーッ! マイ・マスターッ!? 契約者さーん!!」
「なんだよ……」
「レッツ駆けっこっ! 鬼ごっこ!? 何でもいいから遊ぼうよっ!」
クロノの周りを縦横無尽に飛び回り、纏わりつくように遊びの催促をするエティル。登山中にそんな体力の無駄使いは遠慮したい。
「ダメダメ、ただでさえ今は疲れてるのにさ」
「むぅ~~~っ! ノリ悪いよぉ! この場所ならもっともっと風を感じられるかもなんだよ!?」
「リンクの向上にも繋がるよ!? だからほらほらっ!」
「こーら、引っ張るなって、ていっ!」
「きゃあっ!」
小さな体でクロノの手を引っ張っていたエティルが、クロノに抱き抱えられる。
「捕まえた、少し大人しくしてろよな」
「うぅー……」
少し暴れていたが、抵抗は諦めたようだ。人形のようにクロノに抱えられたまま、エティルは表情を僅かに曇らせた。
(……ちぇ……)
そんなエティルを見て、セシルは遠い昔を思い出す。耳が壊れるほど賑やかで、毎日がお祭り騒ぎだったあの日々……。
『ルーンッ! 今日こそ鬼ごっこで勝つからねぇっ!』
『また? 負けるの好きだよね、エティルって』
『むきーっ! 何既に勝つ気でいるのさぁ!』
『契約者と精霊で良くやりやがるぜ、多分世界でお前等だけだぞ? 毎日毎日やり合い続けてるのは』
『マジで興味が尽きねぇわ……退屈しねぇ、へへへっ』
『私的には~、カムイ君の探究心に溜息物かナー』
『賭けしよ賭けっ! 僕ちゃんエティルの負けに何か賭ける!』
『あくまでも、「何か」なので、悪しからず……テヘッ』
『その賭けは賭けとして成立していません、この無能天使』
『……貴様等、少しは黙れんのか?』
本当に、呆れるくらい賑やかだった……遠い記憶。
今のエティルは期待しているのかもしれない、取り戻そうとしているのかも知れない。
クロノにも似たようものを求めたのかも、知れない。
「……不器用だな、相変わらず」
「……それは、私も同じか……」
小さく、本当に小さく……セシルはポツリと呟いていた。
「クロノォ……精霊技能しようよぉ」
「どうしたんだよエティル……今は必要ないだろ?」
「うぅー……だってさぁ……」
クロノの腕に抱えられながら、エティルは不貞腐れたように足をブラブラさせていた。そんな彼女の頭から伸びているアホ毛が、急にピョンと揺れた。
「うおっ!? ビックリした……」
ピコピコしてるエティルのアホ毛に目を奪われるクロノだったが、当のエティルは顔を青くしていた。
「エティル、どうしたんだ」
「エティセンサー……反応、あり?」
「何その安易な名称のセンサー……」
エティルは答えない、ただ、体が小さく震えていた。只事じゃないと察し、クロノはエティルを離してやる。
「おい、どうしたんだ?」
「……クロノ、逃げよう……」
「は?」
言葉の意味が分からず、クロノは首を傾げる。アルディやティアラを見ても、何の事か分かっていない様子だった。
「…………やはり、こうなるのか」
セシルだけが、もう少しで辿り着く筈だった山頂の方を見て、そう言った。
「エティル、何かあったなら説明してくれないと……」
「風が、消えてるんだよぉ……」
「クロノも、感知すれば……分かるよぉ……」
「……風、が?」
冗談で言っている顔じゃない、クロノは疾風を纏い、周囲の風を感じ取る。その瞬間、全身を嫌な感覚で包み込まれた。
(なん、だ……これ!?)
風が、山頂付近の風が……感じ取ることが出来ない。その周囲一帯が、完全な無風状態になっていた。その場所に流れ着いた風が、一瞬でかき消されているのだ。
「何故、貴様がここに居る?」
異常現象にクロノが戸惑っていると、隣のセシルが急に口を開いた。誰に話しかけているのかと、クロノがセシルの方を向いた瞬間、自分達の周囲が無風状態になった。
「散歩、そのついでの羽休めだけどー?」
「ってかさ……先輩に貴様って、どうなの?」
その声は、すぐ背後から聞こえた。振り向いたクロノの視線の先、切り立った岩の上に一体の鳥人種が確認できた。青く染まった鮮やかな羽、鋭利な爪が目立つ鳥類の足、幼さを感じる顔つきに似つかわしくないほどの、妖艶な雰囲気。
そして、クロノですら分かる、圧倒的な力の差。
(体……動かな……)
恐怖からか、クロノの体は脳からの信号を完全に無視し、沈黙していた。アルディとティアラは警戒体勢を取り、エティルは自らの肩を抱いて怯えていた。
「何、この、鳥……」
「只者じゃないのは確かだ……クロノ、下手な動きをするんじゃないぞ」
「風が……殺されてるよぉ……」
精霊達の声もマジだ、クロノは情けないが、腰が抜けそうになっていた。目の前の鳥人種は、完全に別次元の存在だった。
「いきなり湧いて出て、あたしと肩並べたくせに、勝手な行動でさっさと出て行っちゃってさぁ」
「正直あたしが言えたもんじゃないけどぉ、あんた立場分かってんの?」
「私より数日早くその座に就いた貴様に、先輩面されたくはないな」
「生意気なんだよねぇ、正直気に入らないのよ」
「しかも……何? その後ろの雑魚いの」
「立場を弁えないで、人間とデート中って……馬鹿じゃないの?」
怯えながらも二人の会話を聞いていたクロノは、二人が知り合いなのだと察した。そして、その会話の内容を必死で理解しようとする。
「セ、セシル……こいつは……?」
「…………前に、船の中で話したことがあっただろう」
「四天王の一人、『絶風』の名を持つ鳥人種の話を」
「こいつが、その本人だ」
冗談じゃない、四天王と鉢合わせたというのか。肉食獣に囲まれたほうがまだ天国と思えるだろう、絶体絶命のピンチである。夢の為、いずれは戦うことになるのかも知れないが、それはあくまでいつかの話だ。
今のクロノでは、文字通り相手にすらならない。クロノは混乱している頭で必死に状況を整理した。そして、ある疑問が浮かび上がる。
(立場……肩を並べたって……言った、よな……)
「セシ、ル……じゃあ、お前も……」
「……四天王、『滅焔』のセシル・レディッシュ」
「貴様の想像通り、私も四天王だ」
「最も、そうなったのは成り行きであり、そうなってまだ日も浅いがな」
もう、クロノには理解が追いつかない。目の前に四天王が二人? ここまで一緒に旅してきたセシルが、四天王?
「マジ、か……」
「すまないが、私への追求は後にしろ」
「後で話をしてやる、まずは目の前の鳥に集中しろ」
「トカゲ女が、あたしを鳥扱いするっての?」
「つうか……魔王城飛び出して何してんのかと思ったら……人間と旅してましたって?」
「四天王の座を何だと思ってんのよ、気に入らないついでに蹴り殺してあげよっか?」
「……こちらは別にやり合う気は無い」
「だが、貴様にここで会ったのは都合が良かったかも知れないな」
「はぁ?」
「貴様、ピュアと言う子供の鳥人種を知っているな」
その言葉でクロノは思い出した、目の前の四天王は、ピュアの母親かもしれないのだ。偶然の不幸だとしても、クロノは目の前の鳥人種に聞きたいことが沢山あったのだ。
クロノもセシルに続き、質問を投げかけようとした瞬間、クロノのすぐ横をセシルが突き抜けて行った。
あのセシルが、一瞬で蹴り飛ばされたのだ。
「……え」
「セシ……、セシルッ!?」
セシルが飛ばされた方を見ても、影も形も無い、どれだけ吹き飛んだというのだ。あの細い鳥類の足で、どんな蹴りを放ったというのだ。
「その名前を、口にするな」
「あたしの前で、その名前を口にするんじゃないわよ」
「あーあ……イライラする……イライラする!!」
地面を思いっきり踏みつけるシア=エウロス、その一撃で大地が裂け、風が吹き荒れた。クロノの足場も砕け散り、一帯が崖崩れを起こし始める。
「わっ! わっ!」
逆さまに落ちていくクロノ、その時映った光景が、幼少期の記憶と重なった。
(……そうだ……間違いない……!)
(クロノォッ! 落ちちゃうよぉ!!)
(クロノッ! 飛べっ!)
(もう、カオス、頭、おかしくなりそう……)
精霊達も絶賛混乱中だが、クロノは一つの確信をした。風の力を纏い、崖崩れで落ちてくる岩は避けながら、上へと飛び戻る。
そして、シア=エウロスの背後に着地した。
「……何よ、あんたも死にたい?」
正直怖い、怖いのだが、言わなければならない事があった。
「昔、俺は崖から落ちたことがある」
「は?」
「その時、鳥人種に助けてもらったんだ」
「……俺の夢のきっかけ、始まりだった」
「忘れるもんか、あんただろ、俺を助けてくれたの!」
ピュアに会った時から、その面影をピュアに感じていた。クロノはきっとそうだと思っていたのだ、ピュアの母親こそ、自分を助けてくれた恩人だと……。
「……その銀髪……あー……」
「あーあー……あー……?」
「あっ!? デフェール大陸で!?」
シアも何かを思い出したようだ。
「そう、ジパングの近くでだ」
「あー! あの時のちびっ子かぁ! 大きくなったねぇ」
「そっかぁ………………じゃあ死のうか」
……え?
目の前の鳥人種は、その翼を広げて空に飛び立った。その目は、獲物を狩る狩人の目だ。
「待ってくれよっ! 何でそうなるんだっ!」
「俺はあんたにお礼とか、聞きたいこととか! 沢山……」
「あたしはね、人間への恨みで四天王になったんだよ」
「人間が嫌いで、憎くて、その思いで四天王まで上り詰めたんだよ」
「昔の記憶なんて、あたしにとって汚点なの」
「人間を助けたとか、思い出すだけで震えが止まらないの」
「あたしの汚点の象徴、ちゃんと消さないとね?」
言葉で止まるような、目じゃない。
空気が震え、周囲の岩が何かに切断された。
(……無理だっ! 勝てない!)
(どうするっ!? どうするっ! どうすればいいっ!!?)
今まで無茶ばかりしてきたクロノでも、今回は流石に手に負えない。どうあがいても絶望のこの状況で、クロノに出来る事は、足掻く事だけだ。
「あたしに救われた命だもんね? 黙って差し出せ、人間」
その言葉と同時、クロノの右肩が何かに切り裂かれた。痛みすら置き去りにして、クロノの体が血に染まる。
生存率は、小数点以下だ。




