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踊る電柱  作者:
桜姫
4/21

 目を覚ますと、そこは僕の自室だった。

 ん、目を覚ましただと?

「おはよう、昌」

「お早うございます、姉さん。何故(なにゆえ)僕の部屋に?」

 布団の枕元に正座する女性は僕の実姉だ。今日はアルバイトがないのだろうか。

 姉は十人の男のうち八人は振り返りそうな微笑をたたえた。無論、血を分けた弟たる僕は何の感慨も抱かないが。

「昌、昨日、お友達に担がれて帰ってきたんだけど、覚えている?」

 姉の話をまとめるに、僕は花見中に気絶したらしい。

 既に太陽は高くなっている。姉が朝方、僕の学校に電話して欠席の旨を伝えてくれたそうだが、宵の口から昼間まで眠りこけていたのだろうか。いくら生きるか死ぬかだったとしても、軟弱なことだ。

 姉さん、人喰い桜を見に行ったことはありますか、と尋ねようかと思ったのだが、やめた。いくら姉が僕と同じ(いやむしろ、僕よりよほど筋金入り)で人ならざる者を見る人間でも、言わないでおきたかった。気絶くらいならともかく、殺されかけたことを話したくはない。

 携帯電話を開くとメール数件。いずれも昨夜の友人だ。

〔おーい、大丈夫か?〕

〔生きてるかー〕

柑和(かんな)さん美人だな!〕

 柑和というのは、姉の名前である。僕は深々とため息をついた。脱力したのだ。

「それじゃあ昌、わたしはちょっと出かけるから」

「行ってらっしゃい」

 それからまた強い眠気に襲われ、僕は意識を手放した。


 喉が酷く渇いて目が覚めた。思えば丸一日以上何も飲み食いしていない。窓の外は既に薄暗いが、普段帰宅する時刻まで数時間ある。中秋の日没は早い。

 台所までふらふら歩き、行儀は悪いが薬缶から直接麦茶を飲んだ。流石に脱水症状があるらしく、軽い頭痛がある。

 両親は仕事、姉は外出。母屋の祖父母は僕が学校にいると思っているだろう。無作法をとがめる人はいない。僕は冷蔵庫を漁り、コンビニから買ってきたと思われるサンドウィッチをくわえた。立ち食いをしながら居間まで移動し、テレビの見える位置に座る。ところが片手にサンドウィッチ、片手にリモコンでしばし何も考えずにいるとふと、机上に紙が置かれているのが目に付いた。

 その紙は書き置きのようで、内容が頭に入ると同時に僕の手から、リモコンが落ちた。

〔噂の秋桜を見に行きます。by柑和〕

 いやいや姉さん、秋桜の噂なんて僕は耳にしていませんよ。春キャベツと言えば春のキャベツですが、秋桜は桜ではありません。コスモスです。ええ存じていますとも、姉さん貴女、桜のつもりで書いたでしょう。昔から姉さんは言葉の選択がおかしいのです。天然と言います。

 と、僕の脳内は現実逃避を始めたが、かろうじて残った理性が警告している。

 姉は人喰い桜のもとへ行ったのだ。

 外は既に薄暗い。あと三十分もすれば、電信柱がくねくねする頃合だ。


 自転車をこぐこと十分弱、ようやく村外れまで至った。既に日は沈んだ。

『男……娘……殺す』

 昨夜聞いた(感じた?)不気味な声が、再び響いてきた。今度は「娘」が足されている。二十歳前の姉は正しく娘だ。

 桜の木の下には、女性が二人いた。一人は紛うことなき我が姉で、桜の幹に手を当てて瞑目している。

「姉さん早く逃げてください!」

 少し離れた所から叫ぶと、姉は驚いたように振り返った。黒髪と桜が絵になる様だが、そんなことに頓着している場合ではない。徐々に暗さが増しているのだ。

 姉の傍らにもう一人、少女がいる。歳のころは小学校の高学年ほどに見えるが、驚くべきことに、桔梗柄の着物姿だ。少女も驚いたらしく、大きな瞳をさらに大きくして僕を凝視している。

『娘逃げる。男、殺す』

「姉さん、聞こえているんでしょう!」

 僕の声が聞こえるだろう、ではない。姉にはこの不気味な声も聞こえているはずなのだ。どういう理屈なのか、姉と僕にだけは聞こえる。

 こうなったら、無理にでも連れ帰ろう。姉の腕を掴むと、

『お前、叫ぶ』

明らかにそれは、僕に向けられた声だった。

「どういう意味だ?」

『人、叫ばない。お前、叫ぶ』

「僕は人間だ」

『ぼく、喰わない』

「は?」

『喰わない』

 拍子抜けというか、混乱していると、誰かが僕の袖を引いた。見ると、着物姿の少女だ。僕をおびえたように見上げている。

「違うの」

 消え入りそうな声でそう言われ、その言葉の意味を咀嚼する前に僕は息を呑むこととなった。少女の儚げな容貌が、更に色素を薄くしたのだ。平たく言うと、少女が透けた。

 電柱が踊りだした時より遥かに、僕は動顛した。

「君は……」

 幽霊なのか。続ける前に少女は、桜の根元を指差した。何かを訴えるように僕と姉を交互に窺う。

 そして、消えた。

 桜は沈黙した。


 不意に姉がため息をついた。

「ここに来れば何か分かるかもしれないと思ったけど、駄目だった。でも昌なら、あの子が言いたいことを分かってあげられるんじゃない?」

 姉さんは何を知っているんですか。声に出す前に姉は補足した。

「少し前からね、あの子が私の周りにいたの。何かを言いたいみたいなんだけど、どうしても分かってあげられなくて。でも昌は賢いから、あの子を助けてあげてほしいの」

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