88.死神
30層でローウェンとリーパーに出会ったあと、僕たちは共に地上を目指した。
取引内容を煮詰めながらの道中だったが、それでもモンスター相手に梃子摺ることはなかった。ローウェンの身のこなしは僕と比べても遜色はなく、30層のモンスターたちを完全に圧倒していた。
それに、危なくなればなんだかんだで、僕の中からリーパーが出てきて手伝ってくれる。
言い分としては「お兄ちゃんはアタシのものだし。ローウェンを殺すのも自分だから」とのことだ。僕たちに死なれると困ることは確からしい。
リーパーは僕たちの死角にいなければ実体化できないが、裏を返せば僕たちの死角を完璧に補ってくれるということだ。リーパーの鎌の攻撃力は高い。あのクリスタルゴーレムですら一刀両断できるので、十分な即戦力となってくれた。
ちなみに、もうリーパーは全裸ではない。魔力供給さえあれば、衣服の構成は可能らしい。僕とローウェンの提案で、いまは真っ黒な外套で身を包んでいる。
そんな死角なしの三人パーティーで、危なげなく20層まで辿りつく。
そして、《コネクション》を通って、『エピックシーカー』の執務室に移動する。
丁度、スノウが窓際でまどろんでいたところだった。いつもの民族衣装に戻っていたため、シッダルク家での用事は終わっていることがわかる。
《コネクション》から現れた僕たちに気づき、スノウは眠そうな目を擦ってこちらに目を向ける。
「……お、おかえり?」
スノウは疑問符をつけて、僕の後ろに目を向ける。
僕はローウェンを前に出して紹介する。
「えーっと、こちら、30層の守護者のローウェン」
「ローウェンだ、よろしく頼む。聞いての通り迷宮のモンスターだから、敬語も何も要らない」
ローウェンは手を胸に当てて、仰々しく頭を下げた。
スノウも反射的に頭を下げる。
「……ど、どうも。私はスノウ。よ、よろしく。……え? けど、えっと、あれ?」
事態が飲み込めないようだ。
それもそうだろう。守護者といえば、探索者の中では恐怖の対象としてしか見られていない。その守護者を名乗る奴が、いきなり目の前に現れれば誰でも焦る。
「簡単に説明すると、悪い人じゃないので連れてきた」
とりあえず、危険がないことを伝える。
まずは安全であることを理解するのが大事だ。
「……うわぁ」
しかし、スノウは信じられないものを見るような目で僕を見る。
僕の行動にドン引きしているのは間違いない。
「騎士として大成すればローウェンは死ぬらしいから、それに協力しようと思ってる。守護者は『未練』がなくなると消えるらしいよ。戦うよりもずっと安全だ」
僕は真っ当な理由の下、ローウェンを連れてきたことを伝える。
「……え、それを信じるの?」
「信じる。信じられるって判断した。――ローウェンはギルド『エピックシーカー』のお客様として滞在させるつもりだから、色々と面倒見てあげて欲しい」
「……えぇー?」
そして、道中で決めた取引の一端をスノウに伝える。
ローウェンを戦力として常に傍へ置くための手段だ。僕が例の二人組みに困っているという話をしたところ、彼は護衛を買って出てくれたのだ。ちなみに、リーパーも了承している。
僕は最低限のことをスノウに伝え終えて、外の暗さを確認する。太陽は沈み、あと少しで真っ暗になるところだ。
「あと『死神』にとり憑かれたから、色々と調べないといけないんだ。もう閉まりそうだから、ちょっと急いで行ってくる。ローウェンと待ってて」
確か、公的な機関の中に本を取り扱っているところがあったはずだ。
ただ、夜遅くなると入れなくなる可能性がある。僕は急いで、執務室の窓から飛び出していく。
「え、し、『死神』? だから、迷宮で一体何が?」
「ふむ、それは私から説明しよう。待っている間、暇だからね」
詳しい説明を聞こうとするスノウに対して、ローウェンが代わりに答えようとする。
「……え。あ、はい」
礼儀正しく説明しようとする守護者を前にして、スノウは大人しくなる。それを《ディメンション》で確認し、僕はラウラヴィアの街へ繰り出す。
そして、図書館に向かって全力で駆けていった。
◆◆◆◆◆
「――なにこれぇ! すっごい! これ全部本なの!? お兄ちゃん!」
30層からここまでずっと静かだったリーパーだが、ラウラヴィアの図書館に入った途端、急に元気になった。どうやら、ここまで本が並んでいるのを見るのは初めてのようだ。興奮を抑えきれないといった様子だ。
背後の死角でリーパーがはしゃいでるのを耳にして、すぐに《次元の冬》で魔力の供給を絞る。
「――う、うぁあ! な、なんで!?」
一応、迷宮外では浮遊するなと言い含めていたため、周りの人間には騒がしい子供が入ってきた程度にしか見られていない。
僕は実体を失ったリーパーに近づき、小さな声で話しかける。
「図書館では静かにしろ。じゃないと追い出される」
「トショカン? なんで、トショカンだと静かにしないと駄目なの?」
リーパーは僕を真似て、小さな声で答える。
状況を察して声を抑えたことから、常識がないだけで言い聞かせればわかってくれる子のようだ。
「リーパー、図書館も知らないのか?」
「アタシに期待しちゃ駄目だよ、お兄ちゃん。私はローウェンを殺すことしか知らないからねっ」
どこか自慢げだった。
ローウェンを殺すという使命に誇りを持っているように見える。しかし、その一方で、よくできた兄を自慢しているかのようにも見える。
二人の仲がいいのは、もう確定だろう。
「……おまえ、生まれて何歳だ?」
「ん、一年も経ってないよ?」
「はぁ……」
僕は溜息をつきながら、ちょいちょいと指を動かして、リーパーを外に導く。
「いいか、リーパー。いまから、僕は図書館で本を借りてくる。それまで、ここで待ってろ」
「え、えぇ!? アタシだけ、ここで待つの!? ねえ、教えてよ、トショカンのこと!」
図書館の外から出たら、すぐにリーパーの声は大きくなった。
図書館内まで届いていそうで、はらはらする。図書館の中で大声を出さないということは守っているものの、それ以外の応用はできなそうだ。
「あとで教えてやる。おまえのための本も借りてきてやる。だから、大人しく待っててくれ。いい子だからさ」
「いい子? うん、アタシいい子だよ?」
リーパーは「いい子」という言葉に反応して大人しくなる。
そして、少しだけ考えにふけったあと、リーパーはゆっくりと頷いた。
「……わかった、待ってる」
「あ、あぁ……」
思いのほかに素直だ。
リーパーは道の端に座り込んで、砂を人差し指で弄って遊び始める。普通ならば、ただの暇つぶしでしかない砂遊びだろう。しかし、リーパーはそれすらも楽しそうだった。もしかしたら、地上の全てが物珍しい可能性がある。
ある程度の時間は持つと僕はわかり、急いで図書館の中に入る。
係員に声をかけて、『童話』と『呪い』についての本を探してもらう。
『影慕う死神』の童話も、『呪い』について書かれている本もすぐに見つかった。どちらもメジャーな存在で、見つけるのは容易だったようだ。
まず、童話のほうを《ディメンション・多重展開》で速読する。
この童話は古くから口伝され続けたもので、多くの人々に浸透しているらしい。この世界で童話と聞けば、最初に『影慕う死神』が出てくるほどのようだ。
当たり障りのない話だった。暗いところでは気をつけましょう程度の教訓を促す、僕の世界でもありそうな童話だ。
少々物騒な表現もあったが、そう珍しいことでもない。僕の世界だって、童話の原典は恐ろしいものが多い。特に注意すべきだとは思わなかった。
結局、わかったのは『影慕う死神』は『視界から外すと襲い掛かってくる死神』ということだけだ。弱点もなければ、解決法もない。
仕方がなく、次の『呪い』の本を手に取る。
埃を被った古い魔法の本だ。
遥か昔は、多くの『呪い』の魔法が盛んだったらしい。しかし、聖人ティアラという人物が魔法の基礎を築いたあと、廃れていった類の魔法らしい。
聖人ティアラの魔法と違って、『呪い』は多くの対価を必要とする。そのため、自然と人々は『呪い』を排他していったと書かれている。
少し読み進めただけでも『呪い』の使い勝手の悪さがわかる。
まず、MPだけでなくHPも消耗するところから実戦的ではない。体調を害し、寿命を削り、病に陥る場合もあるらしい。失敗すれば身の破滅。そして、基本的に人を呪わば穴二つで、呪いが自分に返ってくることも多々あると書かれている。
この説明が正しければ、『影慕う死神』の術者は僕で、対象はローウェンになる。つまり、『影慕う死神』はローウェンどころか、僕をも殺す可能性のある『呪い』ということだ。
僕は厄介なやつを拾ったと嘆息しながらページをめくっていく。
すると、『呪い』の例の欄に『死神』という言葉を見つける。
見たところ、例の数は少ない。
過去に廃れたのもあるが、禁術に指定されているという理由もある。しかし、運良く『死神』の『呪い』の説明がこの本には記されていた。
『死神』の『呪い』が確認されたのは千年前。とある戦場が最初らしい。
この出だしからして、信憑性がないと僕は思った。この世界の文化レベルで、千年前の出来事を正確に伝えられる気がしないからだ。しかし、読まないよりかはましだと思い、読み進める。
千年前、人とモンスターが争う大きな戦争の最中、一体の『呪い』の魔法が確認される。『呪い』は進撃する騎士団の中心に突如現れ、多くの兵を殺した。その『呪い』は剣を刺しても、魔法で貫いても死ななかった。そして、霧のように消えては背後に現れて、いくつもの首を刈り取っていく。まさに、『死神』としか言いようがなかった。
最後は、とある無名の騎士が『死神』と相打ったところで話は終わっていた。
『死神』の滅し方は、唯一つ。死角からの攻撃にあわせて剣を振るうこと。
無名の騎士は自らの首と引き換えに、『死神』の首を落としたのだった。
その後、『死神』の『呪い』は二度とこの世に姿を現さなかった――と書かれている。
僕は本の情報が不十分であることに舌打ちする。
そもそも、『死神』の話の引用先が『地方の神話』になっている時点で信用に足りない。なぜ、この『死神』を『呪い』と判断できたのか、どうして『死神』は一度しか現れなかったのか、その『死神』の術者は誰だったのか、大事なところがいくつも抜けている。
これ以上調べても意味はないと僕は悟り、立ち上がる。
係員の人を呼び、子供向けの絵本を『エピックシーカー』の名義で借りて外に出る。
外から、二人分の幼い女の子の遊び声が聞こえてきた。
そこには見知らぬ女の子と遊ぶリーパーがいた。
魔法の黒い霧を出したり消したりして、女の子を楽しませている。
「うわぁ、すごい。黒いもやもやが一杯っ。本当に魔法使いなんだね、お姉ちゃん!」
女の子は目を輝かせて、黒い霧を追いかける。
けれど、リーパーは僕が現れたことに気づき、霧を消した。
「――あ、うちのお兄ちゃんが来ちゃった。ごめんね、もう遊べないや……」
「えぇー。お姉ちゃん、もっと遊ぼうよ」
女の子は不満そうな顔でリーパーに近づく。そして、去るのを引きとめるために、その手を握ろうとする。
それをリーパーは、びくっと震えて避ける。
「ほ、本当にごめんっ。駄目なんだ。それがアタシのルールだから。……もう遅いから、帰ったほうがいいよ」
「……うん、わかった」
リーパーの様子を見て、女の子は諦める。
「またね」
「うん」
そして、二人は手を振り合って、別れを告げあった。
女の子が見えなくなったのを確認して、僕はリーパーに話しかける。
「『術者である僕』と『対象者であるローウェン』がいないところでは普通の女の子なんだな、リーパー。悪い、邪魔したみたいだ」
「ううん。そんなことないよ」
リーパーは静かに首を振った。
僕はゆっくりと思ったことを口にする。
「あのくらいの子となら問題なくコミュニケーションが取れるんだな。意外だ」
「こみゅにけーしょん?」
「ああ、一緒に遊べるってことだよ」
「一緒に遊ぶ? ローウェンとだって、遊んでるよ?」
「いや、あれは違う。あれは遊びじゃない」
「遊びじゃない?」
「リーパーは楽しいかもしれないが、ローウェンは楽しくない。遊びってのは、双方が楽しいことを言うんだ」
「へえー」
リーパーは僕の言ったことを聞き、何度も頷く。
それが僕は意外だった。出会い方が悪かったせいか、もっと狂気的で話の通じない相手だと思っていたが、誤解なのかもしれない。
「なんだ、思ったより素直だな。おまえ」
「なんでだろう。お兄ちゃんの言う事は、すごくわかりやすい。ローウェンの言う事は、すごくわけわからないのにねっ」
「いや、ローウェンの言っている事も普通だと思うけど……」
「なんていうのかな、お兄ちゃんの言葉は私の身体に染み込むの。あの人と同じ魔力だからかな。すっごく、私の心に響くっ」
「同じ魔力……。そうか……、そうなのかもな」
僕の言葉は理解できて、ローウェンの言葉は理解できない理由。それはリーパーがそういう風に創られたからかもしれない。
術者の言うことは聞き、対象者には耳を傾けないように創られたのならば納得がいく。意思のある攻撃魔法ならば、そのくらいは組み込んでおかれていても不思議じゃない。
ただ、それはすごく不愉快なことだった。
リーパーは魔法だ。人じゃない。
しかし、それが非人道な行為であると、声を大にして叫べる。
自分でも驚くくらいの怒りがこみ上げ、いつのまにか握りこんでいた拳から血が流れる。
「どうしたの、お兄ちゃん……」
「いや、なんでもない……」
僕は血の流れる拳を後ろに回して、作り笑いを浮かべる。
リーパーの気を逸らすため、僕は適当な話題を頭の中で探す。
「……というか、なんでおまえは僕を「お兄ちゃん」って呼ぶんだ? 僕の自己紹介はおまえも聞いていただろ? 僕は相川渦波って言うんだ」
「うーん、なんでだろ……。お兄ちゃんはお兄ちゃんって感じがする。そう呼んじゃだめなの?」
「いや、別にいいけど……」
断る理由はない。
リーパーは僕をお兄ちゃんと呼んでもいいくらいの外見で、僕もお兄ちゃんと呼ばれるくらいの年だ。何も問題はないはずだ。
何も問題ないはずなのに、少しだけ胸が締め付けられた。
「お兄ちゃん」と呼ばれることが苦しかった。
僕は首を振って、その感情を振り払う。
「それじゃあ、戻ろう。絵本を借りてやったから、ローウェンあたりにでも読んでもらえ」
「絵本!? あの絵本かぁー! ありがと! あ、でもトショカンについてはちゃんと教えてよ。このくらいじゃ、誤魔化されないんだから!」
リーパーの手を引いて、僕は『エピックシーカー』に戻っていく。
「はいはい、道すがらに教えてやるよ」
「ふふっ、この世界も楽しそうなものが一杯。アタシは楽しいよっ」
暗い道の中、僕たちはおしゃべりしながら歩く。
遠めで見れば、僕たちは兄妹のように見えるだろうか。
それが堪らなく心地よくて、同時に堪らなく不安だった。




