54.Would you give up your eyes to fly?
家に帰ってから、まず心配したのはマリアだった。
衝動のままにラスティアラ誘拐作戦の準備を進めたせいで、彼女を家に置いて来てしまった。ただ――
「おかえりです。ご主人様」
予想に反して、マリアはいつも通りの様子だった。
夕食の準備をしていたので、何気ない話をしながら一緒に食事をした。
「…………」
僕はマリアの心境を探ろうとして、思いとどまる。
できれば、マリアの問題はラスティアラが帰ってくるまで先延ばしにしたい。
ラスティアラの問題と違い、いますぐ死人が出るような問題ではない。緊急性において、明確な差があった。
いまは割り切って、ラスティアラ誘拐作戦に集中すると僕は決める。
そして、その夜は寝室にこもり、延々と例の新魔法の練習に時間を費やしていく。食べる時間も惜しんで、MPが切れるまで試行錯誤し続ける。
その果て、疲れ果てた僕は泥のように眠った。
◆◆◆◆◆
――聖誕祭当日。
日も昇っていない早朝に、僕は目を覚ます。
身体が習慣づいているのもあるが、緊張で目が覚めてくれたようだ。
ちなみに、家を出るのは日が昇ると同時を予定している。
ディアに聞いた話では、儀式は朝の内に終わり、昼には聖人ティアラが国民にお披露目されるらしい。なので、それに合わせて早朝からの開始だ。
最後の時間を使って、僕は居間に軽い朝食をとりに行く。
――そこには、マリアがぽつんと一人で立っていた。
僕は驚く。
マリアには「どうもしない」と言ったままだ。なのに、このタイミングで顔を合わせるとは思っていなかった。こちらは彼女の目が覚めないうちに、ラスティアラを連れ戻そうと思っていたのだ。
マリアは無表情のまま、こちらを見つめ、ぽつりぽつりと言葉を零す。
「やっぱり、行くんですね……。ご主人様……」
何もかもわかっている様子だった。
僕の行動と思考を読んで、この時間に僕を待っていたのだろう。ここに来て何も話さないわけにもいかず、僕はマリアに指示を出す。
「……すぐにラスティアラと一緒に戻ってくる。だから、マリアはここで待っていてくれ」
それをマリアは無表情で受け止める。
うんともすんとも言わない。
「その後は違う国へ逃げることになっているんだ。マリアは――」
――どうする?
と聞こうとして、僕は思い直す。
それでは、マリアはついてこなくてもいいと言っているようなものだ。
マリアのコンプレックスを刺激するのは間違いないし、なにより彼女の気持ちを考えれば、ここで「どうする?」と聞くのは薄情すぎる。
ここはマリアを強く必要としていることを伝えないといけない。
「――マリアも一緒に行こう。三人で逃げよう」
はっきりと言った。
一緒に居ようと。
しかし、マリアの無表情は変わらない。
無表情のまま、彼女は口を動かす。
「逃げる……? なら、この家は……?」
家……?
ここで家の話が出るとは思わなかった。
僕としては一時しのぎでしかないこの家を捨てるのに躊躇はない。マリアは違うのだろうか。
「残念だけど、この家は捨てるしかない……。もったいないけどね……」
僕は捨てると断言する。
そこでようやく、マリアは表情を変える。
「……い、嫌です」
震えていた。
震えて、酷く悲しそうな顔を見せる。
「え?」
マリアを刺激しない会話ができていると僕は思っていた。しかし、そんな僕の手応えも虚しく、マリアは感情を荒立てていく。
「行かないでください、ご主人様……。お願いします。お願いだから、行かないでください……」
そして、マリアは顔を歪ませて懇願する。
彼女が、こうも僕の行動を阻害するのは初めてのことだった。
「マリア……? 一体、どうしたんだ……?」
「行けば、二度と届かなくなる……。置いていかれる……」
マリアの表情は悪化の一途を辿り、果てには、いつかのラスティアラのような底知れぬ狂気までも露にしていく。
僕は慌てて、優しい声で落ち着かせようとする。
「いや、だから一緒に行こうって言っているじゃないか。絶対に置いていかない。約束する。僕がマリアを置いていくわけがないだろう?」
「嘘です。三人で逃げても、きっと、私はそこにいない……。いてもいなくても変わらない……。そんなの私は嫌ですっ!」
「……っ!!」
ハイなラスティアラを相手にしているときのような会話だった。言葉の表現が飛躍しており、会話のキャッチボールができていない。
マリアが正常でないことを確信し、その原因を僕は思索する。
その間も、彼女は喋り続ける。
「なんで……? なんで、ラスティアラさんを助けるんです? 好きでも何でもないんですよね……?」
マリアは僕のラスティアラに対する好意を問う。
つまり、これは嫉妬の結果なのだろうか?
しかし、マリアは冷静で我慢強い性格だ。ここにきて、こうも何もかもを爆発させるというのは違和感を覚える。
僕の行動に問題があったせいで爆発したのかもしれない。けれど、マリアの恋心を見抜いていたラスティアラもアルティも、こうも切迫した状態のようには話していなかった。
恋心といっても、誰もが小さなものという認識だった。
「なんでって……。ラスティアラは仲間だろ? あいつは、これからの迷宮探索に必要な仲間なんだ」
「これからの迷宮探索に……? これからのって、どこまでのですか!?」
僕は宥めるように答えたが、マリアはとうとう声を荒げさせて、僕に詰め寄ってくる。
「行けば、きっとラスティアラさんは助かってしまいます! そうなれば、また……! また同じ! 私は迷宮の奥になんか行きたくない! 行かなくていいじゃないですか! この家で穏やかに暮らせれば、それだけでいいのに!!」
そして、いままで溜めていたであろう文句をマリアは吐き出していく。
けれど、それを僕は認めるわけにはいかない。それは僕の生きる目的・意味に関わるのだ。僕は宥めながら、自分の意思を示す。
「マリア、落ち着いてくれ……! 僕が迷宮の奥に行くのだけは変えられない……」
「欲をかいてます! 奥になんか行かなくても、10層くらいで安全にお金を稼いでいれば、普通に! 幸せに暮らせます! 私はそれがいい! それにはラスティアラさんはいなくてもいいじゃないですか!!」
マリアは声を大きくして、荒れ狂う。
明らかに、いつものマリアではない。
僕は意を決して、マリアに近づき、その肩を両の手で握りしめる。しっかりと握り、目と目を合わせて、逸れた話を戻していく。
「いま、そういう話はしていないだろ? いまは、このままだとラスティアラが死んでしまうから、助けるって話をしてるんだ。マリアは、ラスティアラが死んでもいいのか……?」
マリアの両目は潤んでいた。
涙を溜めて、僕を睨んでいる。
しかし、僕の渾身の説得が効いたのか、徐々に手から伝わってくる力みが薄らいでいく。
そして、弱々しく目を伏せて、言葉を返す。
「……ラスティアラさんは、いい人です。……死んで欲しくありません」
「そうだろ。マリア、落ち着くんだ……。ラスティアラを助けないと……。あいつは仲間だ」
マリアの身体から力が抜けていくのがわかる。
これで、ようやく、マリアも落ち着いて――
「仲間……? 仲間だから? ご主人様はそれだけのために、命を懸けて助けに行くんですか?」
「あ、ああ……」
それを肯定した瞬間、マリアの身体から異様な圧力を感じ取る。
その正体が魔力であることを直感し、僕は半歩だけ後ずさる。
「仲間だなんて、そんなの……。そんなの、嘘です。それだけの理由で命を懸けてだなんて、おかしい。……そうです。おかしいです。ご主人様はいいところを見せたいんでしょう? あの人にっ! ご主人様は、私じゃなくてラスティアラさんの前で見栄を張りたいんだ! あの人がいないときは、私のために格好つけてくれていたのに!!」
叫ぶと同時に、マリアの身体から炎が噴出する。
僕は咄嗟に後退し、腕を交差させ、炎から顔面を守った。
その交差させた腕の隙間から、マリアが炎の剣を構築しているのを見る。
明らかな戦闘用の魔法を視認し、僕は困惑する。
「…………っ!!」
炎の剣を携えたマリアが、ゆらりと、こちらに近づいてくる。
――戦いになる。
直感でだが、それが僕にはわかった。
しかし、僕は『持ち物』から剣を取り出すことなく、素手で迎え撃つ。
マリアの急変に思考が追いついていないのもある。なにより、武器を持ってマリアを攻撃するという選択肢だけは選びたくなかった。
僕は魔法を展開しながら、マリアの手首を取りにいく。
押さえ込むためには、剣を持つ手を無力化しないといけない。
「――魔法《ディメンション・決戦演算》、魔法《フリーズ》!」
僕は魔法《フリーズ》で部屋の中の炎を弱めながら、マリアに接近する。
それに合わせて、マリアは炎の剣を上から振り下ろした。
炎の剣を半身になってかわし、炎の剣を持つ手を掴みに行く。しかし、マリアの『目』は、それを予測しきっていた。
すぐさま、炎を纏ったもう片方の手を伸ばし、僕の手を掴んで阻む。
炎が僕の手を焼き、僕は硬直してしまう。
「――熱ぅっ!!」
その硬直の隙をついて、マリアは炎の剣を斬り上げようとする。
しかし、それはあっけなく宙を斬る。
剣での接近戦において、マリアに勝機は絶対にない。僕はステータスの筋力のままに力をこめて、マリアの手を振り解き、背後に回る。
その身のこなしの速さにマリアは追いつけず、さらには両腕を取られ、後ろに手を回される。そのまま、僕はマリアごと倒れこみ、彼女を床に押し付けながら『注視』で状態を確認する。
【ステータス】
状態:混乱4.23
間違いない。
マリアは正常じゃない。それも、外的要因からの影響で正気を失っている。
普通の生活をしていて、ここまで混乱が溜まるとは思えない。魔法かスキルの影響を受けたに違いない。
僕は記憶の中で、それを行いそうな人物を思い返し、マリアを押さえつけたまま叫ぶ
「マリア、良く聞け!! 最近、パリンクロンとかいう騎士と会ったか!?」
「パ、パリンクロン――?」
「いつかの奴隷市場でおまえを落札した騎士だ。人を観察するような目で見てくる、背は僕より少し高くて、商人のような格好をした、怪しいやつだ!」
「そんな……! そんなことより……!!」
マリアはさらなる炎を噴出することで、僕を下から焼こうとする。
僕は魔法《フリーズ》を強化して、それに耐える。
「マリア、何かの魔法にかからなかったか!? ありえないほど混乱しているぞ!」
「魔法……!? 混乱……!?」
僕は密着したまま、魔法《フリーズ》に全魔力を費やす。
昨日から魔法《フリーズ》の練習をしていたのが幸いし、冷気のコントロールは完璧だ。マリアの炎を弱め、さらには彼女の身体に灯った熱をも奪い去っていく。
文字通りに頭を冷やさせて、僕はマリアに落ち着くよう説得する。
その方法は思いのほか、効果的だった。
冷気と共に、マリアの身体から力が抜けていき、落ち着いていく。
「そうだ、落ち着け……。ゆっくりと、深呼吸して、落ち着くんだ……」
マリアは僕の指示通り、荒々しくだが、深呼吸を繰り返す。
そして、すっかりとマリアの身体が冷え切ったとき、彼女は我に帰った様子を見せる。
「え……? え、あれ……?」
「大丈夫か、マリア……。落ち着いたか?」
【ステータス】
状態:混乱0.44
マリアの混乱は、熱を失うと共に消えていった。
そのことから、マリアの炎に原因があったのではないかと僕は疑う。
それならば、一番の容疑者は――それを教えたアルティだ。
しかし、こんな強引な手段が有効とは思えない。こんなことをしても、マリアのためにはならない。マリアの恋の応援をするとしても的外れ過ぎる。
何らかの理由で僕の命が目的だったとしても、マリアくらいの力では、こうやって取り押さえられるのは目に見えている。
僕はアルティの目的を断定できず、奥歯を噛み締める。
「す、すみません……! 私なんてことを……!」
それを見たマリアは、しおらしくなって僕の下で謝り続ける。
「いいよ。わかってる。混乱のせいで心にもないことを言ったのはわかってる。謝らなくてもいい……」
そう言いながらマリアの上から退こうとして、窓から朝日が差し込んできているのを感じる。
それを見て、これの犯人は、ラスティアラの救出を妨害することが目的ではないかと思い至る。
しかし、自分が救出をしようと思いたったのは昨日で、それを知っているのはマリア、ディア、アルティくらいだ。
やはり、アルティが……?
しかし、それだと目的が噛み合わない。アルティはラスティアラに対して、何の恨みもないはずだ。
「すみません、すみませんすみませんすみません……。ご主人様……」
僕が推理している間も、マリアは謝り続ける。
とりあえず、彼女を落ち着かせないといけない。
「謝らなくていい。それよりも、大丈夫か? 見た感じ、混乱はかなり収まったけど」
僕はマリアの頭を撫でて、自意識の確認を行う。
「はい、もう全然……。本当にすみません、私……」
マリアは何が起きたのかわからないといった様子だ。しかし、記憶は残っているようで、とにかく自分のやったことを謝り続ける。
落ちついてはきている。
これならば留守番くらいはできるだろう。
だが――
直感的にだが、嫌な予感がする。
しかし、時間がないのも事実だ。もう日が昇り始めている。
このタイミングを逃せば、ラスティアラが危ない。
僕は苦虫を潰しながら、選択する。
おそらく、これから先、ずっと後悔するであろう選択を――
「マリア、いまから僕はラスティアラを連れてくる。すぐだ。すぐ帰ってくる」
「は、はい……。ご主人様がそう決めたなら、もちろん……」
恐ろしくマリアは素直だった。
先の混乱のせいで、萎縮し切ってしまっているようだ。
「それまで、マリアはこの家で待つんだ。鍵を閉めて、絶対に誰も入れるな」
「誰も、ですか?」
「ああ、僕でもだ。僕は窓を破って入る。玄関からは誰も入れるな」
念には念を入れて、マリアに言い聞かせる。
本当ならば誰か信頼できる人に預けたい。しかし、適切な人物が思いつかない。
酒場で待ってもらおうかと思ったが、いまとなっては店長よりもマリアの方が強い。
僕は仕方がなく、マリアを一人で家に待たせることにした。
おそらく、ラスティアラ奪還は電撃戦だ。
その短い時間ならば大丈夫のはずだ。
「わかりました。何があっても、誰も入れません!!」
マリアは、その『目』で僕の考えていることを察し、誰とも接触しないと誓う。その双眸には確かな知性が宿ってあり、さっきのような狂いはない。
これならば大丈夫……のはずだ。
マリアも心配だが、ラスティアラはいまにも死んでしまうところだ。緊急性において、僕はラスティアラを取らざるを得ない。
「じゃあ、行ってくる……。マリア」
「……はい、いってらっしゃいです。ご主人様」
僕はマリアに背中を向けて、動き出す。
急いで家から出て、フーズヤーズに向かって走る。
別れの間際、マリアの顔に浮かんだものを振り切ってでも、僕は走るしかなかった。
僕は『持ち物』から大きめのストールを取り出し、首に巻きつけて、顔を鼻まで隠す。無駄だとは思うが、できるだけ人相を隠す。わかる人にはわかるが、わからない人にはわからない。それが理想だ。
朝焼けに照らされたヴァルトの町を走り抜け、国境を跨いでフーズヤーズに入る。
フーズヤーズでは、こんなにも朝早いというのに多くの人が歩いていた。
その誰もが、今日行われる聖誕祭の参加者だろう。みんな、浮き足立った様子で大聖堂に向かっている。
一週間もかけて行った前祭が、人々の気分を最高潮にまで促している。親子連れから老夫婦まで、誰もが大聖堂での聖誕祭の期待を口々に話す。
そんな人たちを掻き分けて、大聖堂に向かって全力で走る。
途中、肩がぶつかった人に謝りながら。
これから自分が起こすことを心の中で謝りながら。
僕はフーズヤーズの大通りを駆け抜ける。
そして、数の多い番地を、順に数を下げるように抜けて――あと少しで一桁の番地に入るところまで来る。ここまで来れば、大聖堂も目に入る。
僕は大聖堂を目で確認しながら大通りを走り、その先に異様な魔力が昇っているのを感じとった。
大聖堂からではない。
その外に――いる。
人混みに紛れて、大通りの真ん中に立つ男が一人。
男はこちらを睨むように見つめていた。
ハイン・ヘルヴィルシャイン。
金の短髪を靡かせる風の騎士だった。
それを僕は無視することはできない。
数多く待ち受けているであろう騎士の中で、この人だけは無視するわけにはいかない。
ゆっくりと走るスピードを下げて、僕はハインさんの前に出る。
いつの間にか、人だかりが割けていた。
僕とハインさんの滲ませる空気が、周囲の人を避けさせる。
ハインさんは最後に会ったときと似た格好をしていた。だが、異常なほどに汚れていた。泥に塗れ、斬り傷があちこちにあり、裾は擦り切れ、服のあちこちが破れている。
両の指に嵌めていた指輪は、残り二つ。
剣も片方を失っているようだ。
ステータスを見るまでもなく、満身創痍ということがわかる。
満身創痍のハインさんは、ゆっくりと近づいてきた僕に語りかける。
「やっと来ましたね、キリスト君……」
ハインさんは僕を待っていた。
今日、このとき、僕がここを通ると確信していたのだろう。
それがどういった意味を持つのか。
通さないために、ここにいるのか。
それとも、逆の理由か。
もちろん、僕はどちらが正しいのかを確信している。
今日という日までに、ラスティアラを国から追い出そうとしたのは、僕が知る限りは彼だけだった。
だから、迷いなく進む。
手の届く距離まで近づき、ハインさんと向かい合う。
『十四日目開始』




