499.百二十層に魂は待ち合わせる。たとえ、この身が溶け消えていようとも。
『第百二十の試練』が始まった。
舞台は100層であり、『闇の理を盗むもの』の120層。
僕とキリストの二人が、赤光の満ちた浅瀬を踏んで、赤か黒か曖昧な水飛沫をあげていく。どちらの足運びも『剣術』も、尋常ではなかった。
繰り広げられる剣戟は、両者ともに多腕によって化け物染みている上に、多彩。
様々な色の剣閃の軌跡が描かれては、次々と打ち付け合わされ続ける。
剣戟だけでなく、その響く音も異常だった。間違いなく、通常の騎士の決闘では聞けない多重音だ。乱戦でしかありえない剣の音色が奏でられていく。
その戦いの旋律を聞く僕は、不思議な感覚だった。
なぜなら、いま僕は自らの双剣に集中しているのみ。『魂の腕』を含めた身体の主導権のほとんどは兄様が握り、身体を動かしてくれているからだ。
俗に言う「亡霊に取り憑かれて、身体が乗っ取られている」という状態だ。
ただ、苦しさは全くない。身体を奪われるとか、僕が僕でなくなるとか、そういう負の表現も思い浮かばない。
兄様たちの言った「使っている」さえも、適切ではない。
――僕は信じて、合わせて、頼っている。
自分に出来ないことは任せている。
一人で出来ないことでも、みんなならば果たせる。
その一心で100層の戦いは続き、繰り返されていく。
はっきり言って、いまの剣戟はキリストが地上を確認する前と、ほぼ同じ戦い。焼き直しだ。
ただ、僕のときとは明確に違う点が一つあった。
二人の戦いながらの会話が、それを教えてくれる。
「『ふ、ふふっ、ははっ……! 少年、こうして剣を交えるのは久しぶりですね……!』」
「いまさら、この程度……! 魔力が戻った僕の相手じゃない……!」
「『しかし、少年! その戻った魔力と一緒に届く感情もあるでしょう!? 地上から少年を助けたいと、たくさんの気持ちが伝わってくる気がしませんか!? 私はします! こういう戦いには、それが付き物ですから!!』」
それは、楽しさ。
とにかく、兄様は嬉しそうだった。
戦っているというより、剣で親交を温め直しているかのように感じる。
その歓喜は僕まで伝搬して、自然と笑みが零れる。
対して、キリストは苦渋の顔。
先ほどと比べて、魔力は漲っている。
時間を稼いだことで、ダメージから回復しつつある。
しかし、心は酷く揺らいでいる。
時間を稼ぎさえすれば安定するはずだった心に、不安が満ちているのだろう。地上から送られてくる魔力の質が予定と違ったせいだ。
「気持ちがなんだって言うんです……! 何かの力に換わるわけじゃない! この決定的な魔力の差は、もう二度と覆らない!!」
「『少年は魔力の量が勝負を決めると思っているのですか……!? だといいですね! もし全てが魔力の数字通りに進むのならば、人生も物語も楽でよかった!!』」
「…………っ!!」
「『戦いを決めるのは魔力ではなく、いつだって『人』の気持ち! そして、いま私は地上のみんなに応援されている! 少年の剣から、その気持ちが伝わってくる!! この気持ちの尽きぬ限り、私の剣が負けることはない!!』」
「あなたは演劇中毒なだけだ……、『ラスティアラ』と一緒で……!」
晴れ舞台で興奮したハイン兄様は、どこかの少女に似ていた。
キリストは育ての親を通じて、『ラスティアラ』を思い出させられたのだろう。
見るからに剣は鈍り、楽しそうな兄様に押され始める。
キリストの抱える問題は多い。
まず間違いなく、いま地上から供給される魔力に、心を揺らがす不純物が混じっている。
つまり、更なる精神干渉の魔法を、ずっとキリストは受けている状態だ。
ただでさえ重なっていた精神干渉が、さらに積み上げられていっている。
当たり前だが、心の乱れは戦いに大きく影響する。
特にアレイス流の『剣術』は、心身の一致が重要だ。
キリストの戸惑いや迷いに比例し、見るからに氷剣の冴えが失われていく。
そして、そのキリストの劣勢を見て――
「『くくっ、はははっ』」
舞台の隅。
視界の端で、あれだけ堂々と『試練』の開始を宣言した男が、呑気に笑っていた。
黒い泥を纏って、手に剣を握って――そして、動かない。
兄様と同じく、楽しそうだ。
ただ、観戦するだけで、一向に戦いに参加する気がない。
そのパリンクロンをキリストは一瞬だけ睨んで、呟く。
「あいつ……!!」
怒っていた。
キリストは僕たちと戦いながら、ずっと後衛のパリンクロンに注意を割いている。
しかし、あの男は臨戦態勢に入っておきながら、魔法一つ飛ばそうとしない。
馬鹿にされていると思ったのか。
煽られていると思ったのか。
何にせよ、キリストはパリンクロンの態度に憤慨して、戦いながら叫ぶ。
「パリンクロンッ……!! 僕を舐めてるのか……!?」
「『舐める? ははっ、まさか。この世界を救うという一大事に、俺は俺の最善を尽くしてるぜ? むしろ、カナミの兄さんが俺にビビりすぎなんじゃないか? その剣聖だけに許された間合いに入った瞬間、俺は細切れだ。――だから、大丈夫。俺は、何もしない』」
「こ、このっ……!!」
そんなわけないだろうと、さらにキリストは警戒を強めていく。
本当にパリンクロンは状況に合わせるのが上手い。間違いなく、兄様の前衛の戦いの隙を突くという戦法で、その上でしっかりと存在感を主張できている。
キリストが警戒する分、こちらの剣戟は緩い。
パリンクロンは立っているだけで、キリストの集中力を削いでいた。
だから、圧倒的なステータス差で完勝できるはずの剣戟が、いつまで経っても押し切れない。
その歯痒さと苛立ちをキリストは、そのまま言葉に換えていく。
「邪魔をするなぁああっ! 世界を救う邪魔をっ!!」
キリストは大義名分をかざし直す。
ただ、こちらの戦意を削ぐ目的ではなく、自分を奮い立たせる為だろう。
その戦意高揚の叫びを、パリンクロンは許さない。
口論は自分担当だというように、呟き出す。
「『世界を救うって? カナミの兄さんが? へえ……』」
「何がおかしい……!」
「『いや、何もおかしくはないさ。俺は他のやつらと違って、『異邦人』様が人柱になってくれることは歓迎してるからな。他所ものが勝手に俺らの『代償』を立て替えてくれるって話だぜ? 別に放っておけばいいだろ、ははっ。……だから、俺が納得いってないのは、その前だな』」
僕たちが必死に剣を打ち合わせる近くで、剣を持っていない手を顎に当てて、まるで探偵のように思索し始めた。
ただ、その姿と振る舞いは胡散臭く、思索の振りをしているだけにしか見えない。
「『世界を救う。……まるで、いま俺たちの世界は救われていないみたいな話だが、俺には実感がないな。なにせ、俺が生きた世界は最高だった。救う必要なんてないほどに、晴れ渡っていた。ずっとな』」
「おまえなら分かっているだろう!? もう状況は最悪なところまで来てる!」
「『まあ確かに、カナミの兄さんの言う通り、状況は最悪なのかもしれないな……。あと少しで世界が救われないことになる……としたら、まず俺たちが謝らないといけないだろう。その最悪の状況の責任が、俺たちにはある。あの無責任に死んだラスティアラ・フーズヤーズを育てた俺たちに』」
パリンクロンは自らの胸元に手を当てて、責任の所在を告げた。
それを聞いたキリストの表情は固まり、声が小さくなる。
「ラ、『ラスティアラ』は……、いま、関係ない」
「『ないわけがない。なぜか誰も言わないから、あえて俺から言わせて貰おう。どう考えても、この状況はあいつのせいだ。ラスティアラ・フーズヤーズがカナミの兄さんを追い詰め過ぎたのが原因だ』」
そう断言した瞬間、剣戟の音色が完全に途切れた。
キリストは後退る。
しかし、その明らかな隙を兄様は突け狙うことなく、同じく一歩下がって様子を見守った。
キリストは激昂していた。
こめかみに血管が浮くほどに怒っているが、パリンクロンの挑発に乗るまいと呼吸を深くして冷静になろうとしている。
「っふー……、っふー……」
だが、早々に落ち着けるほどの余裕はなさそうだ。
キリストは興奮した獣のような呼吸で、自らの大切なものに容易に触れた男を睨み続ける。
「『あいつのミスは、二つ。ティアラという大悪党に騙されて、その『執筆』に乗ったこと。そして、ヒタキという侵略者に絆されて、その人生を助けようとしたこと。この二つさえなければ、まだ事態はマシになってたんじゃないのか? ラスティアラが生きている未来だって有り得ただろう。……なのに、あいつは誰彼構わずに協力し散らかした。しかも、その理由は俺が考えるに、おそらく――』」
不出来な生徒を相手するように分かりやすく、ボディジェスチャーを交えながら説明していく。ただ、その全ての仕草がオーバーで、キリストの感情を逆撫で続ける。
「『ティアラの書いた脚本が、大変ドラマチックだったからだ。しかも、自分の最期は、とてもロマンチック。それなら、別に死んでもいいかな……と、残される者の気持ちを考えずに、あいつは軽い気持ちで死んだ。それでいて、間違いなく、死後も悪びれていない。あぁ、本当に最悪過ぎるな……』」
最後に左手で頭を抱えて嘆く――振りまでした。
その明らかな挑発に、キリストは静かに言い返す。
「……違う。『ラスティアラ』は完璧だ。みんなの理想そのもので、この世で最も立派な女性だ」
「『あれが完璧で、立派? ははははっ、それだけはないだろ! なにせ、あいつはカナミの兄さんに合わせて、頭がおかしいように作られた『作り物』だ! さらに、ここにいる教育係たちは、故意に不手際を重ねて、演劇中毒にしてやった! なのに、なぜかカナミの兄さんたちは互いを理想の主人公たちと惚気合っていたみたいだが……、それは絶対に違う。どちらも、頼りなくて不安しかない子供なんだよ。――だから、こんなことになってる』」
そのわざとらしい身振り手振りの果て、この『終譚祭』と『試練』を楽しそうに示した。
堪らず、キリストは一度は持ち直した冷静さを投げ捨ててしまう。
「な、なったから、どうした!? いまは誰が悪いかの話じゃない! どうやって、この世界の問題を解決するかだ!」
「『いや、ラスティアラを嫌いにできれば、それで話は終わりなんじゃないかと思ってな。……なあ、カナミの兄さん。馬鹿正直に【最も愛する者は死ぬ】なんて『呪い』と付き合う必要はないと思わないか? 俺は「『代償』の踏み倒し」を提案するぜ。俺はおまえら二人のことが好きだからな。どうにか、生き残って欲しいんだ』」
その乱れたキリストの叫びに、パリンクロンは優しい声色で返した。
つまり、これは敵意あっての言葉じゃない。
協力したくて相談に乗っているだけ。
頼りない二人に、自分の知恵を貸したい。
そうパリンクロンは主張したが、当然ながらキリストは跳ね除ける。
「嘘をつくな……! そもそも、嫌いになるなんてことは……、無理だ。僕たちの愛は『証明』だ。『呪い』は絶対に覆らない。これだけは、永遠に――」
「『覆らないと誰が言った? 確かめたのか? とりあえず、実験してみようぜ? 嫌って生き返して……それから、また『証明』は取り直せばいい。別に愛し続けることも、死に続けることもない。『相川渦波』と『ラスティアラ・フーズヤーズ』は、これから嫌ったり愛したり、死んだり生きたりして、上手く世界を騙していけばいい。それで全部解決だ」
「…………っ!!」
その雑に提案された解決法は、『強い人』ならでは過ぎた。
パリンクロンの愛の価値観は、キリストと大きく異なっている。貴族や英雄に愛人は付き物で、嫌ったり仲直りしたりは調味料程度の感覚。
さらに言えば、生死の価値観も大きく異なっているのだろう。
かつてハイリさんは否定し続けたが、もはや魔法で疑似的な蘇生は可能と確信している様子だ。だから、パリンクロンは「死んだり生きたり」と、軽く口にできる。
それは余りに観点が違い過ぎて、キリストには選べない提案だった。
ただ、パリンクロンにとって本気の提案だと、その声色から伝わってもくる。
パリンクロンは大事なことを隠しても、嘘はつかない性格だ。もしかしたら、試す価値はあるかもしれないと、キリストが僅かに動揺したのが僕からでも見て取れた。
しかし、すぐにキリストは首を振る。愛とは、そう簡単なものではない。もっと神聖なものだ。嫌いになればいいと理性で判断しても、絶対に本能は許さない。なにより、ラスティアラから嫌われる時間を想像するだけで恐ろしくて、死にたくなる――という思考が透けて見える表情をしていた。
そのキリストに向かって、僕の口からパリンクロンのフォローがなされる。
「『少年。パリンクロンと私は、あなたを追い詰めに来たわけじゃありません。お礼をしたくて、ここにいます。……この『試練』は、私たちのお嬢様を本気で愛してくれたお礼なのです』」
いま僕たちは剣を向かい合わせて、『試練』を課している。
しかし、先んじられた110層と同じく、これはただのお礼だと主張された。
「…………っ!」
キリストは即座に否定することができなかった。
マリアという前例を思い出してか、さらに困惑を増していく。
「『かつて、少年は私に言いました……。自分の望むものは迷宮の『最深部』にあり、それは私に用意できないと……。だからこそ、ここでもう一度だけ、聞かせて欲しい。全力で願いを叶える準備が、私たちにはあります。……いま、少年が本当に望んでいるものは何ですか?』」
優しく語りかける。
家族のように温かく、兄のような安心感があった。
ただ、先ほどのパリンクロンも含めると、僕は「飴と鞭の尋問」という言葉が浮かぶ。 もしかしたら、生前の二人が繰り返してきた得意技なのかもしれない。
僕みたいに、口荒くキリストを責めるだけではない。
二人は二方向から、それぞれの厳しさと優しさで引っ張り、キリストの心を解していっている。
ずっとキリストの心は追い詰められていた。
今日だけの話ではない。ボロボロになり続けた心と身体が、弱々しく震えては、迷いに迷って、いま『第百二十の試練』によって、本音が一つ引き出される。
「僕は『ラスティアラ』と……、普通の『幸せ』が欲しい……。世界を救ったあとは、あいつと一緒にずっと……、『幸せ』に暮らし続けたかった……」
それは僕たちに答えたのか。それとも、自分自身に思い出させようとしたのか。
確かめるように、キリストは以前から言っていたことを繰り返した。
パリンクロン相手と違い、キリストはハイン兄様相手は本当に素直だ。
それを聞いた兄様は、一瞬だけ『後悔』で動揺して――しかし、揺らぐことなく受け取って、褒めるように返す。
「『……少年、『最高』の答えです。そして、今度こそ私は首を振らない。必ず、用意してみせます。その『奇跡』を』」
「『奇跡』は起きません……。この『最深部』は、ただの貯蔵庫。誰も僕に勝てないし何も起きないと、もう未来は決まってます……」
「『そんなことありません。なにせ、今回は前と違って、場所がいい』」
きっぱりと言い切り、周囲を見回した。
この『最深部』という舞台に無限の可能性を見出し――そして、懐かしむ。
兄様は話しながら思い出しているようだ。
一度、キリストとハイン兄様は迷宮内で決闘をしたことがある。
そのときの経験を活かして、今度こそ勝敗と未来を変えようとしている。
「『少年を置いて、勝手に一人で行ってしまったお嬢様は、必ず私たちが叱り、連れ戻します。だから、あとのことは任せて欲しい。我が弟ライナーと、『ヘルヴィルシャイン』に……』」
先ほど僕が提案した解決策に、補足がされる。
そこにパリンクロンからも、後ろから追い打ちをかけるように足される。
「『言っておくが、カナミの兄さん。俺の提案が駄目なら、ハインの弟の提案がベストだ。……結局、カナミの兄さんが『幸せ』にしたいのは、ラスティアラと自分の二人だけ。ここまでやってきた手助けは全部、自分自身の『安心』の為でしかなかった。いくら『魔の毒』で手を増やして伸ばそうとも、届くのが二人だけなら……、世界を救うなんて到底無理な話だ。向いていない』」
パリンクロンには珍しく、優しさを感じた。
合わせて、僕の身体は歩き出す。
「『私たちが必ず、もっといい未来を見つけると誓います。こうして、『みんな一緒』に、力を束ねていって――』」
提案しながら、前に進んでいく。
剣戟が再開されようとしていた。
しかし、まだキリストは惑い、迷い続けている。
「もっといい未来を……、『みんな一緒』に……?」
どれだけ身体が魔力で漲ろうとも、心が連戦で弱りに弱っていた。
すぐに、その『魔獣の腕』で氷剣を構え直そうとするが、その動きは拙く、鈍い。
氷剣が一つ、心の迷いを表すように溶け出して、気化し始めているのも確認できた。
その僕たちに合わせて、奥に立っていたパリンクロンも静かに動き出していた。
掛け声もアイコンタンクトもなく、完全に呼吸を重ねて、キリストを挟み込もうとする。
互いに、いまが最大の好機と捉えていた。
互いに、心から信頼し合ってもいた。
どちらかが消滅しても、残ったどちらかが必ず渾身の一撃を叩きこむという覚悟がある。
ただ、その信頼の挟撃を、カナミは――
「そんなもの、もう必要ありません。――『地獄の悪霊は罪過を囁いた』『生者の足引く手を断ち切ろう』。――《ディスタンスミュート・エクソシス》」
二人の信頼を恨んで、断ち切ろうとする『詠唱』と共に、魔法を唱え終えた。
同時にキリストの『魔獣の腕』が、さらに濃い紫色で発光する。
初めて聞く魔法名だった。
おそらくは、いま即興で構築された新魔法。
『詠唱』と魔法名から、ハイン兄様とパリンクロンという悪霊を祓い、僕とシアから切り離す意図を感じた。
そして、その即興でありながら最高の特効魔法が振るわれる。
ここまでの剣戟が嘘のような『速さ』で、ハイン兄様と僕の剣は全て打ち払われた。
その上で、濃い紫色の光を纏った氷剣が一振り、僕の右手の甲を掠め斬る。
「『――――ッ!?』」
速かった。
つまり、ここまでキリストが剣で攻め切れなかったのは、『演技』。
キリストは圧倒的優位だろうとも、油断なく自分の強みを活かし、必勝の瞬間まで待っていた。戦いながら、口論しながら、その裏では冷静に《生きとし生きた赤光の歌》に対抗する魔法を準備していた。その結果――
「『くっ――!』」
全身の生皮を剥がされたかのような痛みで、僕は立っていることすら困難となる。
僕たちの重なった魂が無理やり分離させられかけた――と気づいたときには、膝を屈して、全ての剣を地面に突き立てていた。
掠っただけで、《生きとし生きた赤光の歌》が解け掛けて、この痛み。
だというのに、僕の目の前では――
「『がっ、ぁああアアッ!!』」
キリストの背後から近づいていたパリンクロンの胴体に、《ディスタンスミュート・エクソシス》を纏った大きな『魔獣の腕』が突き刺さっていた。
いつの間にか、溶け出していた氷剣が一つ消えている。
その空いた腕を、黒い泥で出来た身体に這入れて、その『筋力』で持ち上げていた。
キリストは笑みを浮かべる。
『演技』を止めて――
「……はは、あはははは。ハインさん、最後はこうやって挟撃してくるって、最初から分かってました。もちろん、挑発に乗った僕が迂闊にパリンクロンに近づくのが一番だったでしょう。僕が甘い誘惑に屈するのが二番だったでしょう。しかし、僕は我慢し切った。……この魔石の『奪い合い』は、僕の勝ちです」
ここまでの会話全てを『話し合い』ではなく、『奪い合い』と表現した。
そして、それに勝利したのは自分だと宣言して、目の前で膝を突いている僕に止めの追撃を――することなく、まずキリストは大きく跳躍する。
《ディスタンスミュート・エクソシス》の力と大きな『魔獣の腕』で、黒い泥の身体からシア・レガシィの小さな身体を抜き出してから、万全を期して距離を取ったのだ。
術者であり依り代であるシアは、パリンクロンというボスモンスターの核のようなものだ。それが取り出されて、残された黒い泥が人型を保てずに崩れ出す――
その奥、十メートルほど離れた浅瀬にキリストは着地して、まずは一人目。
キリストは最も危険な敵の止めを優先していく。
まず眠るシアの身体を優しく横たわらせた。おそらく、《ディスタンスミュート・エクソシス》で僕と同じ激痛を味わって、気絶しているのだろう。
そのシアの胴体に、『魔獣の腕』の一つを伸ばす。
僕が渡した『闇の理を盗むもの』を取り返して、完全に無力化する気だ。
キリストは話しながら、入念に《ディスタンスミュート・エクソシス》でシアの身体の中を弄って――
「これで……、終わりです……。もう、これでいい。終わりにして、いいんだ……、…………。…………――え?」
弄り続ける。
呟きながら十秒近く、《ディスタンスミュート・エクソシス》を浸透させて、その目を見開いた。
「な、なんで……」
ない。
と気づいたとき、キリストは顔を上げた。
そして、先ほどまで戦っていた僕たち二人に、視線を戻す。
そこには《ディスタンスミュート・エクソシス》で膝を突いた僕と兄様――だけではない。
残っていた。
先ほど崩れ出したところで、なんとか人型を保っていた黒い泥の塊。
『中身』であるシアを失いながら、その『表皮』は動き始める。
頭部の空洞から、振動が出る。
もう誰かの身体を借りた代弁ではなかった。
「は、ははっ。ははははっ……。ちゃんと俺との戦いを覚えて、成長してるな……、カナミの兄さん。だが、俺が突っ立ってただけのわけないだろ? ずっと『表皮』に移す準備をしてたんだ。カナミの兄さんと同じで、大事な姪っ子の安全が最優先だからなぁ……」
『表皮』だけとなった人型の黒い泥――パリンクロン・レガシィそのものが喋り、笑いつつ、その崩れかけていた身体を直立させた。
つまり、話しながら裏で即興の魔法の準備をしていたのは、パリンクロンも同じ。
おそらく、千年前の『血術』か『呪術』を駆使して、『中身』のシア・レガシィから危険な『闇の理を盗むもの』の魔石を移して――
いま、『表皮』が、パリンクロンとして『本物』となっていた。
反則的な裏技。
ただ、そのふざけた魔法を見たキリストは、笑う。
どこか共感を覚えているのか――パリンクロン・レガシィのように喋り、笑いつつ、その屈んだ身体を立ち上がらせていく。
「……は、ははは、あはははは。……悪くない。むしろ、いい。パリンクロン、人質なしで、もう僕が手加減すると思うなよ? これで、僕はおまえを容赦なく殺せる……! もう一度、殺してやれる! それだけだっ!!」
キリストの笑顔に、殺意が満ちていた。
主には珍しい表情だ。その特別な人にしか向けられない感情に、パリンクロンは笑みを深めていく。
その顔は『血の人形』と同じだというのに、一目で歓喜と分かった。
「ははっ、ははははっ!! ああっ! もちろん、そう来ないとなぁ! これで、俺も容赦なく次の手に移れる! さあ、次々行こうか……! ここまで待った分、手札は豪快に切れる!!」
本気で殺し合えるのを心底喜んでいた。
言葉だけ拾えば、それはこれまでにない殺伐とした会話だろう。
しかし、どちらも自らの『理想』過ぎる展開に浮ついて、その声を跳ねさせていた。
そして、すぐさまパリンクロンは、次の手札を切る。
それは『詠唱』を謡うように。
まるで『糸』を手繰るように。
とある続きが、歌われていく。
「いま、シアから俺に魂は繋げられた……。そのシアはティーダから繋がり……、そのティーダはレガシィから繋がり……、そのレガシィは誰から繋がっていた? さあ、血を遡ろう。円環の理を紡ごう。ここまで全ての血脈が『代償』だぜ。――『いま血を繋げ合わせて、真の魂の歌を響かせる』。――魔法《生きとし生きた赤光の歌》『ロミス・ネイシャ』》」
この100層に満ちている『血の理を盗むもの』に働きかけた。
シアに自分が呼ばれたように、次はパリンクロンが呼びかけたのだ。
次から次へと。
線を引くように、魂という点が繋がれていく。
そして、その鮮血魔法で黒い泥の身体に降ろす名は、『ロミス・ネイシャ』。
千年前、ファニアの領主として、『魔障研究院』にてキリストの敵として立ち塞がった男。
常人でありながら、最も『理を盗むもの』たちと縁を深めた男。
その男が、いまパリンクロンの魂と『闇の理を盗むもの』を通じて――
「カナミの兄さん、俺の『試練』の復習は、ここからが本番だ。そして、最初の招待客は、なんと俺の――『ああ、分かっている。我が末裔パリンクロン・レガシィよ。……私は讃えよう。間違いなく、貴様こそがネイシャ家とレガシィ家の最高傑作であり、真の意味での『神童』だろう』」
パリンクロンの軽薄な言葉を遮ったのは、黒い泥の空洞から聞こえる新しい振動。
僕の知らない声だった。兄様も知らない。
しかし、キリストは違ったようだ。
パリンクロンに匹敵する怨敵を前にしたかのように、身を強張らせてから、その名前を繰り返す。
「ロミス……、ネイシャ……!」
「『ふんっ。ここがヘルミナ・ネイシャの言っていた源泉で……、光神様は相変わらずか。ならば……』」
忌々しそうに鼻を鳴らして、まず顔を地上に向けた。
キリストには目もくれず、その先にいる協力者たちに向かって、恭しく礼をしていく。
「『使徒ディプラクラ様、使徒シス様……。こうして、私がいるのは、あなた様方の祈りのおかげでしょう。その振動は、必ずや彼の方にも――』『――あぁ、俺にも届いている。パリンクロン・レガシィまで通じたのだから、いないわけがない。この使徒レガシィが、カナミの兄さんとの遊びをすっぽかすだろうか? いや、それはない。それだけは、ありえないことだ。く、くくっ――』」
ロミスに続いて、その黒い泥の『表皮』から聞こえるのは子供の振動。
どちらかと言えば、こちらのほうがパリンクロンに近い声質だった。
そのどこか胡散臭い声と共に、上げた顔がキリストに向けられる。
じとりと粘つくような視線だった。
「レ、レガシィ……!? おまえも、やはりここで……!!」
その新たな魂の登場に、キリストはロミス以上に警戒した。
ただ、使徒レガシィはマイペースに、まずは自分たちのやるべきことを次々とこなしていく。
「『では、ロミス。俺もおまえを讃えようか。千年かけて、確かにおまえの血は俺の願いを叶えた。ゆえに、使徒として『契約』を、いま履行する。――【もう一度だけ機会が欲しい】。その千年の願いを、ここで叶えてやろう』」
そう言って、黒い泥の腕を、その胸に突き入れた。
そこにある魔石を強く握りながら、次はロミスが話していく。
「『私を見ているか、ティアラ・フーズヤーズ……。この物語は決して、おまえの血の力ではない。この赤光の100層を見ろ。フーズヤーズではなく、我がファニアの育てた『魂の理を盗むもの』の血によって、舞台は完成し、いま真の領主が帰ったのだ……! ……ただ、それさえも、おまえは自らの脚本通りだと笑うのだろう。ただ、それでも、私は――』『――ああ、そうだ。それでも、ロミス。重要なのは、勝ち負けじゃない。負けて叶うものもある。『人』の強さとは、生き抜くことで、次に受け継がれていくこと。それを、俺たちは――』」
話す先はキリストだけではなかった。
いま、パリンクロンという器を点にして、様々な魂の道が交わっているのを感じた。
あらゆる運命が束ねられていき、その果てに。
やっとロミスとレガシィは――
「『――私たちは、知った。――血術《ライン》』」
一つの魔法を唱え終えた。
ここまでキリストは、次々と変わる魂たちの話に追いつけていなかった。
しかし、その魔法名だけは別のようで、口を挟む。
「そ、そのセリフ……。まさか……、『ラスティアラ』が……?」
いまの宣言に『たった一人の運命の人』との関わりを感じて、「ありえない」と呟き始めた。
「『そして、ティーダ。おまえも聞こえているか? ……あの日、私はおまえを恐れて、その手を払った。あのときから、ずっと私は挑み続けた。たった一つの目標を目指し続けた。それを、いま、おまえに伝えたい』」
いま、握りしめている魔石は『闇の理を盗むもの』ティーダ。
ファニアの領主ロミス・ネイシャは、彼と幼馴染だったと聞いている。
かつては殺し合いも騙し合いもしたが、確かに友だったとも知っている。
その関係は少しだけ、兄様とパリンクロンに似ていると思った。
そして、そのロミスが、ここまでの『理を盗むもの』たちにも負けないほどに強く、願う。
「『――私は『呪い』を超える。どんな『呪い』だろうとも、『人』ならばいつか必ず打ち勝てると信じているからだ。たとえ相手が世界だろうが神だろうが、『人』に打ち勝てないものはない』」
「…………っ!」
キリストは絶句する。
このロミスの言葉に関わっているのは、ティアラかラスティアラか。
誰のメッセージが乗っていて、誰に向けられているのか――
「『だから、ティーダ……。また手助けを頼む。今度こそ、私は『呪い』に負けない。おまえの手は払わない。必ず、繋げる……! 今度こそ二人で、何にも邪魔されず、生き抜いてみせる……! そこの男に勝って、それを示す……!!』」
かつての友に協力要請しつつ、胸に入れたのとは逆の黒い泥の腕を、前に伸ばした。
それは大切な幼馴染に向かって、死して尚伸ばし続けた腕。
「『『――もう友は裏切らない。この復讐の戦いを、我らの信頼の証とする』』」
ロミスだけではない。
二人分の振動が重なっていた。
そして、その黒い泥の人型は動き出す。
その人外の顔が見つめているのは、キリストと屈している僕――いや、ハイン兄様も見ていると分かり、呼応するように身体は少しずつ動き出す。




