491.『理を盗むもの』の倒し方
もし彼女と出会えなかったら、いま僕は100層にいなかったかもしれない。
出会ったのは、一年前の『舞闘大会』の後。
いまのように、カナミと真っ向から敵対していたときのことだ。
あの人との大切な縁を手繰り、詠む。
「――『空に声を満たして、私は世界を救いたい』『一緒に祈ろう。いま血を繋げ合わせて、真の魂の歌を響かせる』。――魔法《生きとし生きた赤光の歌『ハイリ・ワイスプローペ』》」
現代最後の『魔石人間』の名を、鮮血魔法として唱えた。
それは通常の鮮血魔法と異なる。
血から経験や記憶を降ろすだけではない。『血の理を盗むもの』の力を通じて、さらに次の領域へ昇華されている。
千年前、ファニアの研究院から積み重なり続けた『血術』によって、縁は繋ぎ合わせられ、魂と魂が共振する。
それは通常の振動魔法とも異なった。
「『――少年』」
振動が響く。
いままでの幻と違って、その出所は夢でなく、喉。
実際の僕の喉が震えて、肉声が100層に響き渡る。
千年前より続いた血の研究が、一つの奇跡を起こそうとしていた。
その奇跡を繋げた人物の名を、キリストは繰り返す。
「……ハ、ハイリ? ハイリ・ワイスプローペ?」
かつて『世界奉還陣』で溶けて消えた『魔石人間』の存在を感じて、キリストは戦いの手を完全に止めた。
思いがけない恩人に困惑しているのが、はっきりと見て取れる。
その名前の呼びかけに、僕の身体は反応する。
僕の意思ではない。体内に重なった別の魂が震えて、喉から振動が発せられる。つまり、僕の身体を借りて、ハイリさんが――
「『……少年、ずっと感謝しています。別の世界から訪れたあなたが、我々を手助けしてくれているのは嬉しいことです。しかし、少年一人に私たちの問題を押し付けるのは心苦しいということも、どうか分かって欲しい。……一度だけ、弟たちにチャンスをくれませんか? 必ずや、少年の本当の『未練』を叶えてくれるはずです。私たちの世界のみんなも『異邦人』様に負けていないところを、ここでお見せしたい』」
僕を身代わりにして、キリストを諭す。
それは同時に、この『世界』を生き抜いた者の代弁でもあった。
ただ、キリストは困惑を膨らませて、その声を受け入れようとしない。
「弟……? ハ、ハインさん? いやっ、どちらにしてもだ! これはファフナーの『魔法』で作り出している声! 幻聴に都合のいいことを言わせているだけだ! こんな振動、『本物』じゃ……、『本物』じゃあない!!」
『作り物』だと、力強く否定した。
確かに、その通りだ。
これはファフナーさんの『魔法』で作られた振動。
しかし、『作り物』だとしても『本物』と変わらないときもある。
これもキリストが教えてくれたことだ。
ずっと近くで、その背中を見てきたから、僕は知っている。
――『本物』かどうか決めるのは、いつだって自分自身だった。
生者の声も。死者の声も。
その真贋を決められるのは、自分の選択だけだから――
「『……『作り物』も『本物』だと、私は少年から教わりました。おかげで、『世界奉還陣』の中でも、私は私として生き抜くことができた』」
「…………っ! あ、あれは僕じゃない。千年前からの『糸』が、そうさせただけで……」
「『私も友も『糸』のことは知っています。千年前から仕組まれた運命に、絶望しかけたこともありました……。しかし、それでも越えられると、少年の生き様から私たちは教わったのです。生き抜きさえすれば、負けて叶うものもあると、少年が少年だったから伝えられた。だから――』……だから、僕は信じている。ハイリさんもハイン兄様も、まだ物語の結末を迎えていない。たとえ死して魂だけとなっても、まだ――」
身代わりで任せ切ることはしまいと、途中から言葉を継いだ。
そして、目を向ける。その瞳の先にあるのは、100層の中心に佇む玉座――ではなく、奥にある大海原。
赤光に照らされて、煌々と輝いている。
太陽はないけれど、朝焼けの海を思わせる不思議な光景だ。
薄紺の海の上には、薄橙の光が乗っていた。水平線は遠く、この世の果てどころか、『その先』まで続いていると確信させる。
この海こそが、本当の『最深部』。
一見すると水のように見えるが、これの本質は『階層』だ。無限とも言える濃い情報の層が、幾重にも重なっている。これが僕たちの生きている『世界』の核であり、全ての魂の溜まり場なのだが――
その『最深部』から、ずっと僕は感じていた。
縁という名の黒い線を伝って――いや、グレンさんが、死して魂だけとなっても、あの『黒い糸』で僕まで繋げて伝えてくれているから、はっきりと分かる。
「まだ、あの『最深部』で待ってくれている。……『本当の世界の主』が現れるのを」
「ハインさんたちが『最深部』で……、待っているだって……? ありえない。そんなこと、絶対にない……」
「キリスト、よく見てくれ。あの『最深部』はどう見ても、一人で行くような場所じゃないだろ。あれこそ、頼れる仲間とパーティーを組んで攻略すべき『本当の迷宮』じゃないか?」
「だからっ、さっきから何を言ってるんだ!? もう迷宮は終わりだって、作り上げた僕自身が言ってる! なのに、訳の分からないことばかりっ! ライナー、君もファフナーと同じなのか!?」
「ああ、僕もご先祖様と同じ『ヘルヴィルシャイン』。……だから、『最深部』に恐れるものは一つもない。あそこで待ってくれている人たちと一緒なら、きっとライナー・『ヘルヴィルシャイン』はどこまでも楽しく、行ける。たった一人で行こうとしてるキリストよりも、ずっと先まで――」
ありのままの感想だった。
100層の大海原を見渡していると、恐れよりも興奮が勝る。
子供の頃、人生で初めて海を見たときの感覚に近い。まだまだ世界は広く、未知で一杯と知り、わくわくが止まらない。新たな楽しい『冒険』が、100層から始まるような気がする。
もちろん、その旅路に苦難は多いだろう。
しかし、一人じゃない。
と明るく『最深部』を見る僕に向かって、キリストは首を振る。
「もし仮に……、僕から力を奪って、あの暗闇の海に誰かが待っていたとしても! その誰かを、『世界の主』という仕事に巻き込むことになる……! 終わりもしなければ感謝もされない人助けを永遠に繰り返し、『魔の毒』を調整するだけの存在に成り下がる……。楽しいわけがない! そんな『不幸』っ、誰かに広げる必要もない! 『地獄』に落ちるのは一人だけで十分だ!!」
仕事、不幸、地獄と。
キリストは暗い表情で、あの明るい大海原を見続ける。
だから、向いていないのだ。
合っていないと、早く気づいて欲しい。
人助けに終わりがないのも感謝がないのも、決して暗い話ではない。
むしろ、見返りがないからこそ、それでも頑張った自分が誇れる。
自分で自分を褒められる人ならば、人助けは逆にお買い得な『幸せ』なのだ。
誰かを助けている限り、どんなに辛い場所だろうとも明るく楽しく、前を向き続けられる――から、かつて孤児だった僕は『ウォーカー』でなく『ヘルヴィルシャイン』に引き取られた。
紅の双剣を強く握り締めながら、それを伝える。
「あんたはそう思うかもしれない。……けど、ファフナーさんは違ったはずだ。たとえ『地獄』のような場所だとしても、誰か一人助けられるのならば、それを『幸せ』だと感じられるような人だった!」
「ファフナーは狂ってた! いもしない『大いなる救世主』を演じ続けたせいで、ぐちゃぐちゃに『幸せ』と『不幸』が混ざった! 僕のせいで、どんな場所と相手だろうと人助けするようになってしまった!」
「ああ、ファフナーさんはなったんだ……! あんたと出会えたおかげで、やっと憧れの『本当の騎士』になった! だから、その僕たちが、『最深部』を怖がるあんたの代わりに行く! 頼む、キリスト……。人助けが趣味のヘルヴィルシャインから、一番の『幸せ』を奪ってくれるな……!!」
「しゅ、趣味……? は、ははっ、ライナーもぐちゃぐちゃだ! 狂ってる! もう完全にファフナーと同じだ!!」
ライナー・『ヘルヴィルシャイン』としての本心をぶつけたが、全力で否定されてしまう。
ただ、その否定こそが『世界の主』に向いていない証明だ。
ずっと主は「みんなの『幸せ』が、自分の『幸せ』」かのように振る舞っていた。まるで騎士道の『理想』の姿だったが、それは妹さんによる『作り物』だった。キリストは生まれながらに人助けが好きだったわけではない。
――ただ、優しかっただけ。
かつて迷宮で僕や奴隷の命を救ったときから、ずっとそうだった。
キリストは生まれながらに弱いから、弱い人たちと深く共感できた。
苦しんでいる誰かを見ていると、自分も辛く感じる人だった。
だから、追い立てられるように人助けをし続けた。実際のところは「人助けが楽しい」じゃなくて、「人助けをしないと苦しい」だったのだろう。
そして、その強迫観念は、いまや「手の届く全人類を助けないと苦しい」まで悪化してしまっている。その切っ掛けとなったのは、やはり――
【スキル】
固有スキル:最深部の誓約者
素体1.00
ハイリさんを身体に降ろした状態で、《鑑定》を併用して、見えたスキル名は『素体』。
先ほどは『???』だったはずのものが、短時間で変化していた。
事前に仲間たちから「ラスティアラ・フーズヤーズは『異邦人』というスキルが見えていた」と聞いた話から、二つ目の『???』は見る魂によって変わると確信する。
おそらく、ラグネさんと似た性質。相手の魂を『鏡』で映し、『理想』の名に変化して、そのスキル名通りの力を得る――
とまで推察して、本当に妹さんは面倒な『作り物』を残して行ったと文句を付けたくなる。
ただ、種さえ分かれば、もう見間違えはしない。
削ぐべきものを見据えて、真っすぐキリストを見つめ続ける。
それを見つめ返す主の瞳は揺れていた。
「人助けをしていれば、それで『幸せ』だって……? ははは、ライナー……、僕は知ってるよ。その物語の主役を騙るような言葉が、この世で最も罪深い『詠唱』だ……! その都合のいい言葉に、みんな騙されて、期待させられて、裏切られて、苦しんだ! アルティ、その最初の犠牲者が君だったろう……!? そんなこと言わずに、もっと僕を恨んでいい! 口だけで何も救わないやつは赦すな!! だよなっ、セルドラ!? 僕みたいな欠陥品は苦しみ続けて、少しでも世の為人の為になってから死ぬべきだ! 『本当の英雄』になれないなら、せめて『偽りの神』として死ぬまで――ああっ、結局はそういうことなんだ! やっぱり、あらゆる意味で僕が『一番』神に相応しい! この僕が『世界の主』になるのは……――ッ! 何も間違っていないっ、ローウェン! この道を進むのが、僕の『一番』だっ!!」
振り払うように、キリストは否定と自己否定を繰り返す。
こちらの言葉を『詠唱』だと主張するが、こちらから聞くと、その自虐こそが『詠唱』だ。
『理を盗むもの』は弱ると、『詠唱』で持ち直そうとする傾向がある。そして、その『詠唱』で更に弱って、また『詠唱』に頼るという悪循環に陥る。
その厄介な習性がキリストも同じと分かり――しかし、その厄介な『理を盗むもの』を救う方法は、もうキリストから教わっているから――容赦なく、心からの言葉をぶつけて止めにかかる。
「どこがだ……! いまのあんたを見て、誰が『一番』なんて思うかよ! 少なくとも、たった一人で『不幸』になりたがっているあんたよりも、僕たちのほうが絶対にいい未来を見つけられる!」
「いいや、違う……! だって、父さんは言ってた……! 僕なら誰よりも上に行って、『一番』になれるって……! それがみんなの『幸せ』で、僕の『幸せ』でもあるって……! 僕は『一番』になって、『ラスティアラ』という『幸せ』を手に入れる!!」
瞳と声を揺らした末に、またキリストは『ラスティアラ』と縋るように叫んだ。
もう心のぶつけ合いに耐え切れないようだった。
自分から言葉による時間稼ぎを始めておきながら、まだ息が整っていない状態で戦いを再開させようと動き出す。
『理を盗むもの』の定石通り、その不相応な力で全部誤魔化そうとする気だ。
だが、その歩き出そうとした瞬間。
がくりと。
キリストは片膝を曲げて、姿勢を崩した。
「……なっ!?」
続いて、その身から溢れる紫の魔力が、急激に萎んでいく。
キリストの枯渇寸前だった魔力の更なる減少は、『魔獣の腕』にも影響を及ぼす。
八本腕の半分が霧のように溶けて、魔力の粒子になって掻き消える。
ついに『半魔法』どころか『半死体』さえ保てなくなってきた。
癪だが、これもあいつから聞いた通り。
こちら側の作戦が、ようやく稚拙ながらも成立していくのを確認して、僕は100層の赤光の空を見上げた。
「……キリスト、『終譚祭』からの魔力供給が減ってるようだな。あんたがよく見ていなかった間に、地上の形勢が変わってきてるんじゃないのか?」
作戦を続けるべく、挑発する。
すぐにキリストは、こちらの挑発の意味を理解したようだ。
僕の視線に釣られて、その双眸を上に向けた。
そして、曲げ折った膝を伸ばして、『魔獣の腕』を再構築しながら強がる。
「地上の形勢が変わるくらいは『計画』通りだよ……。いまのは少しタイミングが悪かっただけ……。ライナーを倒す為の魔力は、十分過ぎるほど残ってる」
「ああ、いまのは少しタイミングが悪かっただけかもしれないな……。ただ、その『少し悪いタイミング』が、いまの一回で終わりだと思うか?」
「…………」
「僕は思わない。これからも絶対に続く。これまであんたが助けたやつらが、ここにいるあんたを助けたいと願い続ける限り、ずっとだ」
善因善果であるが、これも自業自得。
それを僕は、みんなの代表として100層で、『詠唱』のように詠んでいく。
「この『少し悪いタイミング』が積み重なって……、少しずつあんたの『計画』をずらしていくんだ。――あの『竜人』スノウの大震動は、迷宮にいた僕まで届いた。彼女を慕うギルドの探索者たちは、その咆哮に心打たれ、同じ道に続こうとするだろう。その背中に憧れて、『魔石人間』たちのだれかが追うかもしれない。特にエルミラードさんの背中は大きくて、追い易い。ラスティアラと親しかった騎士たちも、次々と『終譚祭』の裏側に気づき始めるはずだ。あんたに忠誠を誓っていたセラさんが裏切る姿は、何かがおかしいと思うのに十分過ぎる。そして、大聖堂のディアだ。あそこには、いま、我が不肖の姉が――」
こちらに流れはあると、観客がいるつもりで長々と詠んでいく。
それにキリストも負けじと、流れを取り戻そうと詠み返していく。
「それも全て僕の『計画』通りだ、ライナー。君が姉のフランリューレ・ヘルヴィルシャインを信じて、頼り、今日まで隠していたのは最初から知ってたよ。……だが、彼女は君と違って、必ず僕を選んでくれる。なぜなら、そういう風に生まれながら出来ているからだ。その血の流れを作ったのは、千年前のティアラ・フーズヤーズ。フランちゃんは僕に幼馴染のトラウマを思い出させて、克服するために作られた存在だったんだよ。だから、絶対に【『水瀬湖凪』と同じように、『相川渦波』の味方となる】。……最初から、これを僕は知ってた。だから、これからどうなるかも分かってる。『最後の頁』まで、ちゃんと僕は視えてる。だから、僕の『計画』は絶対で確実で、間違いなくて……。なのに、どうして……? 陽滝、僕はお前の望み通りの僕になったのに……!? どうして、そんな顔をするっ!?」
だが、『元の世界』の幼馴染の話が出た瞬間、キリストの『詠唱』は崩れた。
崩したのは明らかに、同じ『元の世界』出身の妹さんの振動。
いまのキリストは『水の理を盗むもの』ヒタキの悪癖を、その『鏡』で丸々映し出している状態だ。未来が分かり切っているせいで、『最後の頁』だけ読んで判断している――という道を先んじた妹さんが協力してくれているのを、僕は確認した。
つまり、これでみんなだ。これまでキリストが共感して、助けて、『親和』した『理を盗むもの』たち全員が、いま僕の力になってくれている。
「あんたは『理を盗むもの』たち全員を、『鏡』で映してきた……。けど、いま、その『鏡』に罅が入って、みんなと同じ間違いを繰り返そうとしているんだ。みんなが止めようとするのは当たり前だろ……」
「同じ間違いを……、止める? 違う。僕は何も間違ってなんか……」
「本当にフラン姉様が苦手なんだな、キリスト。どう考えても、姉様は味方のときのほうが厄介だったろ? あれだけ付き纏われて、どういう人だったのかをもう忘れてるのが最初の間違いだ。あの最高に面倒な姉様なら、必ずあんたの味方として、あんたの足を引っ張ってくれる」
忠告の振りをしながら、見上げた赤光の先にいるであろう姉を自慢する。
ついでに、いまキリストの『計画』にないイレギュラーが起きていると言わんばかりに、不敵な笑みも浮かべておいた。
キリストは僕の視線に釣られて、上に目を向けて呟く。
「フランリューレ・ヘルヴィルシャインが……、どういう人物だったか……」
二人揃って、地上に思いを馳せる。
同調行動に弱いというのもあるが、時間は向こうの味方だからだろう。キリストは『魂の腕』の解析や魔力回復を考えて、フラン姉様の確認に時間を割くのを選択した。
本当に、主の性格と戦術は分かりやすい。
これで、もっと時間を稼げる。
キリストの『計画』ほど壮大ではないが、こっちにだって作戦はあるのだ。
二か月も各地で相談して、例の第二迷宮で組み立てて、その奥で専門家から助言を貰って、みんなで作り上げた作戦だ。
その作戦の通りに進んでいるのを確認――は主と違って出来ないから、ただ僕は信じるのみ。
いま、地上でフラン姉様は、僕の信頼に応えてくれている。
大聖堂のディアとシスの戦いは、ついに決着を迎える。
そして、『世界の主』に心酔している使徒たちこそが、さらなる『少し悪いタイミング』を生んでくれると――
地上に移ります。
短めですみません。セルドラファフナー編と比べて、まったり進行になります。




