470.開戦
『流星』が迷宮を貫き、大地が縦に揺れる。
スノウ様の後ろ姿を、私は見送った。
その本気の叫びも、しっかりと聞き届けた。
おそらく、彼女が言いたかったのは「誰か一人に頼らず、みんなで頑張ろう」ということだろう。
強者の論だと思う。
レイディアント家に生まれて、連合国一の『獣人』と呼ばれる私でも「こんなことができるのは、あなただけだ」と言いたくなる。そもそも、過去のスノウ様も「みんなのようにはやれない」と、安易な激励は拒否していた。
その身勝手な『竜の咆哮』は、連合国中に響いた。
当然ながら、連合国の誰もが揃って、心打たれたなんてことはない。
ただ、それでも――
「あれが、スノウ・ウォーカー様……」
呟くのは、後方のギルドの人たちではなく、『魔石人間』の一人。
彼女の飛翔した『道』に目を奪われ、憧れているように見える。
その無限に降り注ぎ続ける蒼と翠の魔力の粒子を、遠くに並ぶギルドの面々も見届けている。
幼き頃の彼女を思い出す勇気と力強さを見て、顔を綻ばせる――のではなく、覚悟を決めた表情を浮かべるのは、ギルド『エピックシーカー』の古参たち。
付き合いの長いギルド『スプリーム』の面々も、ライバルギルドの熱気に釣られてか、似た顔つきとなっていた。
スノウ様の叫びは、遙か高みからの強者の論だったかもしれない。
しかし、確かに『終譚祭』で必要な言葉だった。
「……ふう」
私は「助かった」と安堵の一息をつく。
スノウ様の真の実力は、地上だと災害でしかない。
おそらく、いまので「ちょっと本気で剣を振った」「ちょっと本気で移動した」の二つのみ。
まだ「ちょっと」だというのに、力の規模が違いすぎる。
だから、私は「見ていてください」と止めていたのだが、終わってみれば周囲の死傷者はゼロ。
ラスティアラお嬢様の残した妹たちだけでなく、フーズヤーズの騎士や神官たちも守るべき味方だと、しっかりとスノウ様は識別してくれていた。
その事実が嬉しく、勝利と安心の余韻に浸り、やっと地震の揺れが落ち着いていく。
そして、降る魔力の粒子の中で、ゆっくりと立ち上がる影が見えた。
私たちと違い、怒りに震えて、『英雄』の後ろ姿を睨みつけている使徒だ。
「主の神殿に!! は、侵入って――くぅっ!! 貴様らあああ!! ――《ブラッド》ォオオオ!!」
残された使徒ディプラクラも無傷だ。
しかし、荒れていた。
無傷だからこそ、隣を通って行かれたのが、より屈辱なのだろう。
彼は感情のまま、手足を『樹人』のように植物化させ始める。
一歩進むごとに足元の浅瀬から血を吸い上げては、全身の血管を浮かび上がらせた。
老いの象徴である白髪が、赤黒く染まる。
さらには、周囲にあった草木が急激に枯れ始めて、反比例するかのようにディプラクラは生気を得て、少しずつ――若返っていく。
魔力だけでなく生気も漲らせて、一人で半壊した迷宮に向かって歩き始めた。
――ここからが、使徒ディプラクラの本番。
そう確信させる形振り構わない姿だった。
どよめく周囲には、目もくれない。
今日まで築き上げた『穏やかな老賢人』を台無しにして、前進していく。
すでに周囲の『血の騎士』を全て倒し終えていた私は、急いで動き出そうとする。
だが、その私よりも先に、『流星』に目を奪われなかったエルミラードが背後から声をかける。
「迷宮が神殿? あんなみすぼらしくて汚い神殿など、あるものか。あれは我が親友の後悔そのものだ。そして、未だに迷い続けているのだ。――泣いてもいる。必死に藻掻き続けてもいるな。『アイカワカナミ』とは、そういうジメジメした男だった」
「…………っ!」
本当に仕事ができる男だ。
その演説と挑発で、『狭窄』した使徒を振り返らせた。
自分にも『終譚祭』を崩す力があるぞと、放置できない危険性をアピールしていく。
「エルミラード・シッダルクゥウウ……! 邪魔じゃ! 力だけの巫女や『竜人種』よりも厄介なのは、おぬし!! 『終譚祭』を乱す不心得者め! 覚悟せよ! 必ずや、おぬしには神罰が落ちよう!!」
「神罰!? それはそれはっ! 素晴らしい! 期待して、待っているよ! ははっ、早く罰しに来て欲しいな! 次は負けないぞ、カナミ!! できれば、直接対決したいのが、僕の『素直』な本音! そうっ、ノスフィー君のおかげで、僕は僕の『素直』な気持ちも受け止められるようになった! いまなら、ノスフィー君の気持ちがよくわかる! カナミィ! ああっ、カナミッ! 僕と勝負だ!! 早く君を負かして、悔しがる顔が見たい!! ははっ、見、た、い、なぁああ!! はーっはははははは!!」
ディプラクラが天を指差すと、エルミラードは天に向かって待ち遠しそうに両手を広げた。
その仕草は、かつて私たちを洗脳していた『光の理を盗むもの』ノスフィー・フーズヤーズを思い出す。
「貴様っ、軽々しく口にするでない!! 気安くっ、神の名をぉ!!」
「ああ、そうだ! これは『アイカワカナミ』が言ったことだ! いつでも挑戦していいと約束したのを、僕は忘れていないぞ! だから、まだ勝負がついてもいないのに、勝手に行くのは許さない! いつか僕が君に勝つまで! 強くなるのはいいが、勝ち逃げだけは許さないぞ! ああっ、カナミ、聞いているか!? 君を許さない僕を見ているか、カナミィイ!!」
婚約者のスノウがいなくなった途端、エルミラードは絶好調過ぎた。
ディプラクラとは違う方向性だが、彼も「カナミ信者」と呼ぶべき熱狂っぷりだった。
そして、そのエルミラードの熱狂っぷりに対抗して、なぜかディプラクラは張り合い出す。
「ああっ、主よ!! どうか、こちらの声をお聞きください! このような不心得者を見る必要など、一切ありません! その御手を煩わせる前に、あなたの一番の忠臣であり盟友でもあるディプラクラが! このディプラクラが、エルミラード・シッダルクを排除し、神殿を荒らす狼藉者を処罰しに向かいます! どうか我らに神のご加護を!!」
「ああっ、カナミよ! どうせなら加護だけでなく、神罰とやらも頼む! 知ってるだろう!? せっかくの伝説の使徒様との決闘なのだから、僕は圧倒的不利から逆転がしたい!!」
「決闘じゃとぉ!? ははっ、時間稼ぎなどさせるものか! すぐに始末するぞ、不心得者め! ――《ウッドグロース》!」
「時間稼ぎ? ディプラクラ、何を言っている? まるで、こちらが負けるのが決まっているかのような物言いだ! 言っておくが、僕は勝てないと思って戦ったことは一度もない! 今日に限っては、カナミ相手にも必勝の予感だ!」
「また神の名を、軽々しく扱いよってぇ!」
敵と味方だというのに、とても呼吸の合った張り合いだった。
ゆえに宣誓などなく、自然と決闘の空気が生まれていく。
いま、ここで、目前の敵を排除したいという両者の利害の一致だ。
ディプラクラは必勝を祈願し、足元の血を吸い上げては、周囲の生命力を奪い、強化魔法を重ねかけ続ける。
エルミラードは必勝を予感し、自らの異形化した腕の毛並みを梳いては、揺らめく髪に白虹の魔力で靡かせる。
どちらも時間をかけて、決闘準備を進め始めた。
少し唖然とする。
二人の独特な空気に混じれず、少し離れたところから見る私。
その視界の端で、一瞬。
黒い影が通ったような気がして――
「――レイディアント君! それはいい!!」
素早い黒い影を追いかけようと、私が脚に力を込めるのを止められてしまう。
エルミラードが決闘相手から視線を逸らして、強い否定を叫んでいた。
先ほどまでの余裕綽綽の表情はなく、どこか焦った顔で首を振ってまでいる。
つまり、いま迷宮に向かったのは、シッダルク卿の知り合いということか? いや、違う。先ほどの『流星』に続いたということは、スノウ様の――
そうだ。
いないはずがない男だ。エルミラードが姿を現した際、彼が「見過ごせません」と言ったが、本当のところは――駄目だ。考えてはいけない。リーパーも言っていたことだが、下手に考えるから、読まれる。
すぐに私は苦手な計算や思考は止めて、エルミラードのすぐ後ろまで駆け寄り、声をかける。
「……すみません、シッダルク卿。あなた方の素晴らしい計画を、私の不甲斐なさが邪魔してしまったようです」
ここまでのエルミラードの雄弁には理由があった。
彼がこれだけの人数を引き連れて、大げさな演出をしてまで隠したかったものを、わざわざ私は目で追ってしまった。
「いや、レイディアント君……。別に構わない。事前に示し合わせた訳ではないから、仕方ない。誰もが予測しない事態にするのが、カナミの『未来視』に対抗する術ということは……基本的に、こっちも向こうも、みんなが大混乱するのが大前提だ」
気にするなと笑い、前向きに私をフォローしてくれる。
その輝く長い髪と白虹の魔力もあってか、どこかお嬢様を思い出してしまう。
様々な理由があって、私は唇を噛んだ。
「お互い、悔やむことが多いな。だが、いまだけは前を見よう。汚名返上の機会が、この『終譚祭』に多く残されてある。特に、クウネル姫を捕らえるという大仕事は、我々にしかできないことだろう」
「クウネル姫? 私が全ての『血の騎士』を倒したときには、すでにいなくなっていましたが……。ディプラクラ様を簡単に見捨てて」
「そういうところが面倒なんだ。もし僕たちが今日、クウネル姫を乗せたクエイガー君を捕えられなかった場合、非常に厄介なことになる。たとえ誰かがセルドラとカナミを倒せても、彼女が地上にいる限り、何度でも『終譚祭』は繰り返される」
その情報交換の間も、目の前では使徒ディプラクラが、さらなる変異をし続けている。
初老を抜けて、妙齢の男を経て、さらに若く。
生まれ持った特殊な身体に魔法を重ねて、考えられる限り最高の個体に到達しようとしている――が、そんなものは眼中にないと、エルミラードは私だけに聞こえる声で、ぼそぼそと話す。
「あの『吸血種』の姫は、カナミの最後の保険だ。なにせ、地上全てを委任するに相応しいと、『未来視』で選ばれたのだ。真に千年の時の脅威を秘めているのは、伝説の使徒でなく、彼女だろう。なにせ、あのティアラと同じく、邪魔者が寿命で死ぬまで待つ忍耐力がある」
向こうの主力であるカナミとセルドラすら上回り、例のカナミの妹や聖人ティアラに近いという評価。
言っている意味は分かる。
彼女だけは戦いでなく、別の土俵で勝負している。
その千年の人脈と財力を駆使し、圧倒的な宣伝広告を用いて、勝ち負け関係なく『終譚祭』を成功に導こうとするだろう。
いまのスノウ様の英雄っぷりも、『強い人』『弱い人』の分別も、所詮は無数にある尺度の一つでしかない――という現実を見せてくるのが、クウネル・クロニクル・シュルス・レギア・イングリッド。
「戦いは、まだまだこれからということですね」
「ああ、まだだ。ここまで順調だからこそ、まだ僕たちは、全くカナミの『計画』を超えられていない。僕も含めて、ここまで全て、まとも過ぎる」
「私も同感です。ノスフィー様の言っていた『都合のいい未来を引き寄せる魔法』を振りほどくには、もっともっと大きなアクシデントが起きないと……」
「一応、その心当たりはある。だが、まずは目の前の問題を解決してからだな」
その視線の先では、強化魔法を終えたディプラクラが、先ほどのエルミラードを真似るように悠然と立っていた。
肩を揺らして「ははは」と笑う姿に、もう老人だった頃の面影はない。
背丈は二メートルほどあり、顔つきは赤黒い長髪を垂らした中性的な美青年で、非常に目を惹く。
だが、それ以外が異形過ぎて、美青年であることが逆に気持ち悪かった。
胴体と比べて、手足が異常に長い。手足の関節が三つもあり、常人よりも三倍長く見える。胴体とのサイズ比は昆虫を思わせて、バランスが非常に悪い。その肩には血濡れた枝葉が伸びていて、頭の上に巨大な光輪。遠目に見るだけならば、長身の男性寄りの天使と見紛うかもしれないが、私には歪な化け物にしか感じなかった。
そして、その神を求めて彷徨う双眸を見ていると、もう彼が本来の目的を覚えているかすら怪しい。
これが知と中庸の使徒と呼ばれたディプラクラという男の――中身。
あの親しみやすい好々爺の姿は、生まれながら与えられた『表皮』であり、役割でしかなかったのだろう。
使徒の経緯は少しだけ聞いている。
その実年齢と精神年齢も推測できる。
生みの親に捨てられて、ずっと放置され続け、ここまで歪んでしまった中身を少しだけ私は憐む。
だが、すぐに考えを改めて、首を振った。
この中身は彼の大切な人生であり、誇りであり――私たちにとっても、大切なもの。
「あのディプラクラ様をスノウ様は説得して、仲間に引き入れようとしていましたが……。卿に勝算は?」
正直、スノウ様の強者の論よりも、このディプラクラ様の姿のほうが、カナミ攻略には必要となるだろう。だから、ラスティアラお嬢様は「誰か一人の一つじゃなくて、敵味方でもなく、『みんな一緒』に」と遺したのを思い出して、私は気を引き締め直す。
「いまから、迷宮探索を始める振りをする。だが、できれば使徒は決して倒すことなく、挑発し続けて、上手く大聖堂の別動隊と合流したい」
「大聖堂の別動隊……。了解しました。そこには丁度、私も用事があったところです」
暗に「自分では無理だ」と白状したエルミラードに共感して、協力を決める。
私もギルド『スプリーム』『エピックシーカー』の面々の前で、エルミラードと並び、変異した使徒ディプラクラと向き合った。
その周囲では、『魔石人間』と騎士たちが戸惑い、ざわつき続けている。
もう言葉はスノウ様が尽くしているので、私から言えることはない。
――あとは全員が、この『終譚祭』を全力で歩み抜くだけ。
その再確認と共に、視線の先の迷宮の裂け目から、さらなる血が溢れ出す。
さらに、一際大きな『竜の咆哮』が鳴り響く。
どうやら、向こうでも、そろそろ始まるようだ。
『竜人』と『竜人』の戦いが――
◆◆◆◆◆
私は飛翔し続けていく。
青い空を越えて。
迷宮の入り口を越えて。
自由のままに、どこまでも高く。
重力からも慣性からも解放された私に、もはや上下という概念はなかった。
真っすぐ迷宮を突き進み、『最深部』に向かって飛び続ける。
予想通り、迷宮内には、たっぷりの血が満ちていた。
最初は、私の知っている洞窟風の迷宮が残っているように見えた。だが、見知ったモンスターは一切見当たらず、『血の人形』の成り損ないのようなものばかり。さらに、層と層を隔てる床は非常に脆くなっており、突き破るのは容易だった。なので、容赦なく私は三十層ほど突き破り――それから先は、もう完全に血の海の底だ。
急造した張りぼての層すらなく、血の溜まった巨大な穴が空いていた。
その穴の中を、私は血を掻き分けながら、飛翔し続けている。
私からすると、無限に広がる赤い空を飛んでいる気分だった。
噂に聞く『血陸』が、迷宮と同化しているのだろう。
早く突破すべきだと、さらに翼を羽ばたかせ続ける。
あの《流れ星に願いを》発動から、ずっと私は加速し続けている。何度も『速さ』の限界の壁を突き抜けているのを、身体が感じていた。これが大陸の移動ならば、もう連合国から『本土』まで到達している距離を飛翔している。
――しかし、赤い空は終わらない。
両腕で頭部を守りつつ、泳ぐように尾も振り続ける。
羽ばたいて羽ばたいて羽ばたいて――
《――お父さん、お母さん、聞いて――》
声が聞こえた。
この高速移動でも、はっきりと聞こえる声に、私は驚く。
『なっ!?』
《――ねえ。どうして、私は生まれてきたの――》
その声に問いかけられ――いや、旋律がある。
これは歌だ。
急に血の海の中で、歌が聞こえ始めた。
奇妙な歌だ。
とても軽快で陽気で、暗くおぞましく、残酷。
《――お母さんは私を殺して。お父さんは私を食べた――》
魔法による振動だと、無属性に長けているから分かった。
そして、ただの魔法の振動でないことも直感する。
これは歌っているようでいて、魔法名を唱えていて、同時に『詠唱』でもある。
さらに、『代償』の支払いだけでなく、何かを取り立てる『呪い』のようにも感じる。
間違いなく、初めて経験する魔法だった。
学院だけでなく、『竜人』の叡智でも探索者の経験でも、『歌魔法』に該当するものはない。
おそらく、最新か最古――もしくは、その両方を満たす魔法だ。
身の危険を感じて、どうにか対抗しようとするが、すぐに無意味だと悟る。
血の海全体に、歌は伝搬している。
いかに『竜の咆哮』『竜の風』を発しても、必ず鼓膜を揺さぶられる。
《だから、柄付き雑巾に液体モップ――、血液を齧り数えた場の掃除道具に――》
その防御不可能の歌は、徐々に狂い出した。
歌詞が理解できない。
いや、単語一つ一つの意味はわかるのだが、歌詞の意味を見出すことができない。
そして、ただでさえ読解不能だった歌詞に、さらに足されていく不快な雑音。
《――床下を悔■ては絞ったよ――》
《――嗤■群がる蠅を■■■炙■■■――》
《――教えて、そう教え■れたから■■だ、死■■死んだ死■だ死んだ――》
雑音に塗れて、狂っていく歌。
狂って狂って狂って、狂い抜いた先。
《――■■が死んだのは、おまえのせいだ。スノウ・■■■■■』
聞こえる。
急に理解できる。
私の名前が呼ばれた。
『――――っ!?』
聞き覚えのある声だった。ないはずがなかった。
なぜなら、その声は――
『――スノウ・■■■■■よ。ああ、どうして……。どうして、里を出た。おまえが外に出さえしなければ、里が滅びることはなかっただろう。誰も死ぬことはなかった。おまえが殺したのだ――』
幼き日、死に別れた肉親の声だった。
そして、輪唱のように竜の里の親族たちの『――どうしてだ?』という声が続き、重なっていく。
それだけではない。
さらに時代を跨いで、別の声も積み重なる。
『――スノウちゃん。どうして、英雄になろうと? 君が名誉と栄光を求めて、生き急がなければ……。あの日、ギルドメンバーたちは誰も死ななかった。みんなは、君に殺されてしまったんだ――』
また死者の声。
幼き頃に所属していた『エピックシーカー』ギルドマスターの声だ。
当然のように、その奥からは『――おまえさえいなければ』という死したギルドメンバーたちの声が重なり、とうとう――
『――ねえ。どうして、私のところに逃げてきたの? あなたが私の村に逃げ込まなければ、誰にも狙われることはなかった。あなたを奪い合う争いに巻き込まれて、私たちは――』
過去に亡くした親友の声。
私がウォーカー家から逃げた先にいた小村の少女の声だ。
当たり前だが、そのときに犠牲となった村民たちも『――死んだ。おまえのせいで死んだ』と重なる。
振動が、赤い空の全てに満ちていく。
逃げ場はない。
耳を塞いでも、無意味。
四方八方から全身を叩く振動も続いている。
私は発生源を探して、周囲を見回した。
もう迷宮らしさは一切ない。
赤く染まった空――いや、ここは血の海の底だと、私のせいで死んだ『血の人形』がたくさん漂っては蠢いて、ずっと呪詛を吐き続けているのが見えた。
ここまでの私の熱と勢いを冷まさせるように。
地上での英雄ごっこを嘲笑うように。
私の失敗によって、死んでいった人たちが私を責め続ける。
いま、私の飛翔は人類史上最高の速度と言っていい。
なのに、周囲の『血の人形』を振り切ることができなかった。
飛んでも飛んでも飛んでも、赤い空は狭苦しくなり続けて、『血の人形』は近づいてくる。
異常な閉塞感の中。
『血の人形』たちの手が伸びる。
あんなにも遠かったのに、こんなに速く飛ぶ私の足を、あっさりと掴まれる。
そして、下へ。
私は上に向かって飛翔んでいるのではなく、下に沈んでいるのだと引きずり込もうとするのは、滅びた故郷へ誘う声――
『――もし、おまえがいなければ、私たちは生きていたのだ。きっと『幸せ』にだってなれていた――』
『…………』
振り払おうとは思わなかった。
聞かない振りもしない。
――だって、その手は温かい。
この程度なら、精神魔法などなくとも、ずっと私は自分で聞き続けていた。
自らの意思で長年確認し続けてきた。
だから、短く「うん」と頷いてから、その声に応える。
『――私は守れなかった。助けられなかった。私のせいで、たくさん死んだ』
変えられようのない事実だ。
私の足を掴んだ手は、『なかったこと』にできない。
『――私は恨まれている。嫌われている。きっと、死ぬまで呪われ続ける』
これも、『逃避』ようのない事実。
だから、私はカナミとラスティアラに出会うまで、ずっと飛び立てなかった。
『それでも、頑張りたいんだ。諦めずに、空を向きたい。だって、きっと私の知ってる大好きな人たちは、私が蹲ってる姿なんて見たくない。どこまでも飛び続ける私の姿を見ていたいって、そう、信じてる――』
世界に満ちているのは呪詛ばかりじゃないと、私は仲間たちから教えて貰った。
だから、いまならば、遥か遠くの幽かな声だって聞こえる気がした。
それは――
『スノウよ、高く飛べ。一族の誇りを持って――』『君こそが、僕たちの求めた本当の英雄だから――』『だから、どうかスノウちゃんには、私の分まで幸せになって欲しいな――』
都合のいい『幻聴』か。
それとも、魂の『繋がり』か。
誰にも一生分からない。
自分が選ぶだけ。
でも、そう言ってくれる人たちは確かにいたのだと、私は覚えている。
死して、私に想いを託したみんながいた。
その大好きだった人たちに信じられていたことを、私は信じ続けているから。
『ごめん!! みんなの分まで、私は飛翔くよ! だから、どうかずっと呪い続けて! そのまま、私を離さないでっ!!』
そう叫んで、さらに飛ぶ力を強める。
捕まって引っ張られるのではなく、逆に引きずってやろうと強く、高く、上へ。
上へ上へ上へと、飛翔し続ける。
この身が燃え尽きるまで飛んでやると、私は覚悟を決めて――
「――ああ、スノウさん――」
ここまでの魔法めいた歌や声とは別に、全く新しい振動が聞こえたような気がした。
それは「信じられていることを信じる私を、ずっと信じていた」という声。
私と最も親しくて、優しくて、懐かしい声が返ってきて――
――突き抜けた。
また柔らかい壁を一つ突き破った感触と共に、赤い空が一気に晴れる。
そして、視界一杯に広がるのは、黒い石の壁。
その中央には一人の男が本の山に囲まれて、立っていた。
蒼い髪の『竜人』。
つまり、ここが――
すぐに私は戦場を把握する。
とにかく広大で、薄暗い。
高さは、迷宮20層分ほどか。
横幅は、見果てぬほどに遠い。
空にある黒い石の壁を――いや、迷宮の地面を観察すれば、ガラス化した部分や焼け焦げた跡があちこちに残っている。
その激戦の痕に、私は恐ろしさよりも誇らしさが勝る。
義妹マリア・ウォーカーの名残だからだ。
だから、確信もできる。
――ここが、99層。
答えを出して、視線を戻す。
中央に立つ男が、私と同じくらいに巨大な翼を広げようとしていた。
男と目が合う。
同時に、喉を震わせる。
「――魔法《フライ・ロスソフィア》」
「――魔法《フライ・ロスソフィア》」
魔法名の振動が、肩と背中を通り抜けて、広げた翼を大きく震わせる。
高速の振動によって、翼の輪郭がぶれた。
高熱を発し、禍々しい魔力が渦巻く。
触れるだけで破壊する振動兵器と化していく。
――飛翔用でなく、戦闘用の『竜の翼』に変異した。
さらに私のほうは翼だけでなく、手足にも変化が現れる。
皮膚から昇る血の煙が『竜の鱗』となり、籠手やすね充てのように保護して、内部の手足はセラさんやエルミラードのように肥大化した。
その両者の変異は、過程で発生する余波だけで上級魔法の《ドラグーン・ウェイブ》や《インパルス・ハウリング》に匹敵する衝撃を四方に迸らせる。
規模でいえば、連合国が軽く吹き飛ぶ威力。
だからこそ、ここまで私は溜めてきた。
溜めて溜めて溜めてきて――
――いま、解放する。
私は『流星』の勢いのままに、飛び蹴る!
「セルドラァア! 邪ッ、魔ァアアアアアアア――――!!」
それをセルドラは笑いながら――
「くはっ!! くははははっ!! あぁっはぁっ、あーっははははははハハハッハッハッハァアアア!! 煩いくらい聞こえていたぞ! ここまで! そりゃあ身構えて準備して、立ち塞がって邪魔もするさぁ!!」
受け止める。
『竜人』と『竜人』が衝突した。
ここまでの全ての振動を軽く上回る衝撃波が、99層一杯に満たされる。
それは隕石落下のようで、広い空間の空気全てが押し退けられていくようで―一
無音となる。
時間が止まったような気がした。
そして、一拍遅れて、揺れ動き出す99層。
当然ながら、地面どころか空間全てが、前後左右に荒々しくシェイクされた。
セルドラの周囲にあった本の山は粉々となり、足を付けていた石の地面には大きなクレーターが生まれた。
「――――っ!」
浅い。
私は星に風穴を空けるつもりだった。
なのに、たった一メートルほどの深さのクレーターが、街一つ分くらいの範囲しかできていない。
セルドラが間で相殺しているにしても、異常に地面が硬い。
ただ、その硬さが、この先に居ると私に教えてくれる。
居るから、守っている。
千年前、『北』の女王――ティティーお姉ちゃんを守った男が。
現在、『世界』の王――カナミを守る男が。
あの二人を「守る」と豪語できるだけの実力を持つ『竜人』が、いま、ここに立ち塞がっている。
このセルドラ・クイーンフィリオンは、伝説も伝説だ。
いましがた地上で、伝説に残る英雄として振る舞った私を、この男はあらゆる意味で上回っているだろう。
そのセルドラは私の飛び蹴りを受け止めて、嬉しそうに「あははっ」と笑う。
同時に、厭らしそうに「くははっ」とも嗤う。
何もかもを楽しそうに愉しそうにタノしそうに「あはは、くはは、くふふ、ふはは」と、取ってつけたような『作りワラい』を続けている。
この男も「また失敗したのだ」と、私だから感じ取れた。
先ほどの呪詛とは比にならない『呪い』で、その心は折れたのだろう。
だから、もう流されるまま、楽をし続けたい気持ちはよくわかる。
「セルドラ!! あなたがカナミを守る門番!?」
「そうだっ、我が末裔!! いや、『里の一幼竜』たちが末裔よ!! この最も欲深き種族が一人セルドラ・クイーンフィリオンが、99層の門番を神に任されている! 『最強』の生物である俺を破らなければ、我らが神に謁見する資格はないと知れ!!」
自己紹介通り、彼は『理を盗むもの』の中でも、『最強』。
――だからこそ、私がやる。
ここまで『理を盗むもの』相手に逃げ続けてきたスノウ・ウォーカーが、最後に『無の理を盗むもの』セルドラ・クイーンフィリオンを打ち砕く。
その物語の決着を、どうか読んで欲しい。見て欲しい。知って欲しい。
この瞬間のために、今日まで私は温存されてきたってことを、いま!!
「いい目だ! 『血陸』の精神干渉を受けて、全く萎えていない! 残念だったなぁ、ネイシャ!! この愛らしき末裔スノウ・ウォーカーは、俺と戦う運命にあった! 我らが神の聖なる『紫の糸』によってぇえええ!!」
『流星』の勢いを失った私の身体が、ふわりと浮く。
すぐさま、私は身体を捻りながら、右腕を大きく振りかぶった。
「だからこそ、あなたは私がぶっ飛ばす! セルドラァ!!」
「ああ! 来いよ、本気でっ!! おまえが本当に『英雄』だっつうんならなあああぁあ!!」
相手がセルドラだからこそ。
私は生まれて初めて、本気で殴りつけることができた。
※現在、「好きラノ」さんで2020年上半期ライトノベル人気投票中です。
「異世界迷宮の最深部を目指そう13」と「異世界迷宮の最深部を目指そう14」をどうかよろしくお願いします。