465.ディアブロ・シスその2
気持ちのいい朝を迎えた。
眩しい快晴の青に、打ち上がり続ける多彩な花火。
朝の陽射しが降り注ぐ魔力の雪に乱反射して、煌めいている。
お祭りならではの不思議な空の下、俺は大きめの外套で顔を隠して、ヴァルトの市場を通り抜けていき――途中、お祭りを楽しむ人たちとすれ違った。中には「あれが欲しい」「俺も欲しい」とねだる姉弟の子供がいて、両親と思われる男女が「今日だけだぞ」と答えていた。
その光景を、やっと俺は穏やかな気持ちで見ることができて。
懐かしみながら一刻ほど歩き、目的地に辿りつく。
フーズヤーズ大聖堂では昨晩、大々的な集会が行われていたらしく、神官たちは忙しそうに歩き回っていた。
だが、俺が顔を明かして「シスに会いに来た」と堂々と宣言すると、すぐに面会は許された。
事前に上から、言い含められていたのだろう。
俺は最奥の神殿まで案内される。ただ、人払いが行われたようで、中に一般客は見当たらずに、騎士と神官たちのみだった。
少しだけ懐かしい。
綺麗に切り取られた立方体の空間に、一定間隔で石柱が立ってある。床と壁は鏡のように磨き上げられて、厳かな空気を強調する。入口から祭壇まで赤いカーペットの道が敷かれて、その両隣には来客用の長椅子がいくつも並んでいた。
一年前、俺は賓客として、その長椅子に座っていた。
祈祷用の似合わない服を着せられて、いまかいまかとカナミがやってくるのを待っていたが――今日の俺は真逆。
安物の外套の下には、迷宮探索用の装い。使い込まれた革の手袋と胸当てに、神殿に相応しくない武骨な剣を佩き、後ろの腰には薬の入った袋や小道具を下げている。
この姿で、今日俺はカナミを迎えに行く。
そのつもりなのだが、赤いカーペットの上に立った俺を取り囲む騎士たちは、それを許しはしないだろう。包囲する騎士を見て、ぼそりと俺は呟く。
「……これだけか」
ざっと見たところ、五十人程度。
広い神殿を全く埋め切れていない。
戦力の少なさに、俺は顔を顰めた。
新しい『元老院』たちが出てこない。
騎士たちの淀みない動きから、指揮系統は上手く機能している。近くで『元老院』の誰かが、隠れて指揮していると思いたい。だが、代表格であろうクウネルは俺との対決を避けて、下の『政務資料室兼コネクション保管所』から別の場所に移動した可能性が高そうだ。
どうにか移動先の情報を読み取れないかと、周囲の騎士たちをつぶさに観察し続けていると、神殿の隅にある出入口から足音が鳴る。
シスが姿を現した。
そして、ゆっくりと神殿の壇上に登っていく。
騎士たちは仕える使徒の登場に、一斉に騎士の礼を取った。
俺とシスを結ぶカーペットの上を妨げるものはなくなり、壇上に立つシスと目が合う。
ステンドグラスを通り抜ける光のせいか、後光が射しているように見えた。
使徒の神聖さを纏ったシスは、静かに語り出す。
「落ち着いてるわね、ディア。私が中にいた頃と比べると、本当に成長したわ」
情報収集に余念のない俺を見て、そう評した。
「……まあ、そりゃあな。これでも、色々と修羅場をくぐってきたんだ。なんだかんだで迷宮探索者として、もうベテランだ」
褒められたので、少し自慢してみた。
ただ、成長してるのはシスもだろう。
早朝の厳かな神殿内で、シスは淡い光を浴びながら、ゆったりと話す。
「そうね。もうあなたを超える迷宮探索者は、この連合国にいない。確か、最後に潜ったのは、大体80層くらいだったかしら? ……本当に、もう終わり間近だったわ」
「そうだな。だから、たぶん、今日にも俺は『最深部』に辿りつくと思う。それで子供の頃から憧れ続けた『冒険』は、終わりだ」
「子供の頃から? ……ああ、村の教会にあった娯楽小説ね。そういえば、あればっかり読んでいたわね。ちょっと懐かしいわ」
「なんだ。あのときから意識があったのか、おまえ」
「少しだけね。あなたが中々レベルを上げてくれないから、全然表に出られなくて、ずっとやきもきしていたわ」
使徒特有の一方的な語りをしない。
シスは声を張り上げることなく、こちらに対して聞く耳をちゃんと持っていた。
おかげで、遠くで打ち上がる花火の音がよく聞こえる。
さらに、祭りの喧騒や演奏も。
厳かな神殿で語るシスを讃える伴奏のように流れている。
その耳を澄ませる俺を見て、シスは警戒を強める。
「本当に落ち着いてるわね。まるで、こうなることがわかっていたみたいに……。ねえ、ディアは主の『計画』を、いつから見抜いていたの?」
「んー、難しいな。……もうカナミ駄目っぽいなって、はっきり意識したのは温泉旅行あたりだな」
「温泉旅行って……。『血陸』攻略前の? ほぼ直前じゃない」
「ああ、ほんと直前だったんだ」
例の『最後の戦い』を超えてから、カナミが苦しんでいたのは誰もが薄らと感じていたことだ。だが、シスの望む答えに相応しいのは、温泉旅行だろう。
あの温泉旅行の日、俺はマリアたちと一緒に、『終譚祭』について話し合った。
そして、ラスティアラの言っていた「最後の敵」を一致させて、この祭りに待つ戦いを予期し、覚悟を決めた。
それは、どれだけ困難な戦いが待っていても、決して諦めないという覚悟なのだが……あのとき、こうもマリアは言っていた。
馴染みの仲間たちと露天風呂に浸かりながら、「――でも、もしカナミさんが変な気を遣って、この温泉の話し合いを覗いてなかったら、話は別ですね。すごく楽な戦いになるかもしれません」と冗談めかして、笑っていた。
そのマリアの読みを、俺は信頼している。
もちろん、スノウもリーパーも。当然、ラスティアラも。
みんなを信頼しているから、こうして俺は安心して、一人でシスに会いに来た。
その俺の内心を読んだように、シスは頷く。
「そう……。覚悟して、一人なのね。でも、どうして、まずここに来たの? あなたなら、真っすぐ『最深部』に向かいそうなのに」
「もちろん、すぐ迷宮には行くさ。けど、ただカナミのところに行くだけじゃあ、駄目らしい。色々準備しないと駄目なんだ」
シスは純粋な質問を続けて、俺は偽りなく答えていく。
というより、俺とシスは交渉や駆け引きに向いていないので、そうする他ないと言ったほうが正しいかもしれない。
「準備? へえ……、どんな準備がいるの?」
「俺は余り頭がよくないから、ラスティアラの遺言は全部理解できなかった……。けど、なんとなくはわかってる。あれはたぶん、忘れものがあっちゃ駄目だってことだ」
行くだけでいいなら、既に行っている。
しかし、目を閉じれば、思い出のラスティアラが俺を止めるのだ。あの最期の夜も、彼女は「『みんな一緒』だよ」と繰り返して、笑っていた。
「忘れものね。……もう『終譚祭』は始まってるというのに、随分と悠長なこと言ってるのね」
「別に焦る必要はないって、マリアに教えて貰ったからな。だから、俺は俺らしく、全力で止めるだけだ」
「……止めさせないわよ。いえ、もう主は止まれないのよ。新生するレヴァン教と『神聖暦』は、これから永遠に続くわ」
止めるという言葉を聞き、シスの顔に緊張が奔る。
すぐに両手を広げながら、自らが保護する宗教を説明していく。
「我が主に魔法《シス》として復活させてもらってから、ずっと私はレヴァン教を広める仕事をさせて貰ったのだけれど……。こんなに素晴らしい宗教は他にないわ。私の知る限り、最高で完璧な教えよ」
説得しようとしているのだろう。
できれば俺と戦いたくないと考えているのが、かつて一心同体だったからこそ分かる。
「いい宗教だって俺も思う。けど、最高で完璧とまで言われるとな……。そうか?」
「そうよ。だって、このレヴァン教は『本物』よ? 偽物と違って、確かな加護がある。千年前では『魔の毒』に苦しむ人々を救い、生活を豊かにする神聖魔法を広めて、現代ではパリンクロンや陽滝といった敵たちから世界を救った。ただ、《レベルアップ》させるだけじゃない。様々な恩恵を人々に与えてくれる」
マニュアル通りの説法ではない。
シスの心からの布教だと、言葉にこもる熱から伝わってくる。
「それは、なぜかしら? 他の宗教と違って、新生レヴァン教は『本当の神』がいるからよ。だから、祈ったら祈った分だけ、しっかりと返ってくる。……ねえ、ディア。こんな宗教が他にある?」
このレヴァン教に比類するものは、大陸のどこにもないだろう。
それは否定できないと、俺が首を振って応えると、
「そうっ、他にないわ! ……ずっと、なかったのよ。でも、私たちはやっと……、やっと長い苦しみの末に見つけた! それは偽物でも紛い物でもなければ、気休めでもない! 『本当の神』を、私たち使徒が見つけた!!」
次第に、シスの視線が宙を彷徨い始める。
その先にいると信じているのだ。
「いえ、私たち使徒じゃなくて、この『私』ね。目を閉じれば、この使徒シスの功績をすぐ思い出せるわ。正義の使徒だった私は、いつも同じ言葉を繰り返していた。「世界を救う礎になれるのは、とても誉れ高いことだ」と、まだ神じゃなかった頃の主に向かって、何度も言ったわ。何度も何度も何度も、「主に犠牲になれ」と言い続けて……。ついに、その私の言葉が、主を……」
ここにいないカナミを見つめて、シスは口元を緩めた。
笑っている。ただ、眉尻は下がっていた。
「――この『私』が、『主』を『本当の神』にした」
誉れ高そうな笑顔だった。
ただ、同時に懺悔するかのような表情にも見えた。
シスは布教を続ける。
「千年前から色々なものを犠牲にして、犠牲にして犠牲にして犠牲にして――たくさんの礎を築き――とうとう世界を救うという使命を、私は果たした。ちゃんと『最深部』まで見届けて、前の主に褒めても頂いた。一言だけだったけれど、確かに褒めて頂いたの……」
「……シス、よかったな。色々あったけど、おまえが頑張ってたのは、俺もよく知っている。これで、おまえの使徒の使命は、やっと終わりを――」
「違うわ。まだ終わりじゃない」
労いは遮られた。
シスは複雑な笑顔を崩して、決意に満ちた鋭い顔つきとなる。
「まだ使命は続くわ。使徒の使命には、続きがあったの。……その続きとは、新たな主を守ること」
「……守ってくれって。あのカナミが、そう命令したのか?」
「いいえ。ただ、『最深部』の主の姿を見て、そう私が心に誓っただけ。これは誰かに命令されたからじゃない。この使命の続きは、『私』の意思で選んだ私の道」
元主のノイすら関係ないと、あのシスが言い切る。
さらに、視線の先にいるカナミに向かって、宣誓する。
「ゆえに使徒シスは命尽き果てるまで、この身全てを新たな主に尽くし、守り続ける」
後光が眩しい。
初めて見るシスの姿だった。
だが、俺の人生で初めて見る姿ではない。
シスは使徒という枠組みを超えた大事なものを、ついに手に入れたのだろう。
新たな心の支えを得て、命懸けで自分の選んだ道を突き進もうとしている。
そのカナミを捕まえて離さない姿は、どう見ても俺そのものだったから――
「そうか。『私』の意思でか。なら、仕方ない。……やっぱり、俺がシスだったのは、運命だったってことだ」
「運命……? ディア、何を言ってるの?」
その俺の妙な返答と表現に、布教を空振りしたシスは首を傾げた。
一言で説明できないことだが、俺は俺なりに伝えていく。
「俺が使徒シスの転生先になったのは、必然だったんだろうな。俺は生まれながらに『私』だったから、あの日にカナミと出会って、迷宮に誘った。……確かに、あれは『俺』から誘ったんだ」
魔力の雪が降る夜だった。
あの日、まだレベル1だった俺は、酒場で働くカナミを連れ出した。
千年前のシスと、やったことは変わらない。
「シス、カナミを追い詰めたのは『私』だけじゃない。『俺』も使徒の使命を果たしていた。それは運命の『繋がり』だったと、俺は思っている」
「……それは違うわ!! 運命!? 本当に何を言ってるの!? ディアに使徒の使命は関係ない! だから、後悔することだって一つもない! 主の言葉を忘れたの!? ディアはディアよ! 罪も責任も、一つだって――……っ! あるわけない! 全ては『私』だけの話! 少し考えれば、当たり前のことでしょう!?」
咄嗟に、シスは俺を庇った。
ただ、その庇う言葉の中に「後悔」「罪」「責任」が混ざっていることに途中で気づき、酷く動揺する。
そのシスの言葉に、すぐ俺は同意して、話を続ける。
「ああ、罪も責任もあるはずない。俺もそう思う。ただ、それは、シス――」
あの日、カナミを迷宮に連れて行ったことを悔やみはしない。
カナミと俺が出会ったのは間違いじゃなかったし、『なかったこと』にもしない。
そう思っているから、まず俺は大聖堂に来た。
「シス、おまえもだ。おまえも俺と同じなんだから、罪も責任も感じなくていい。……使命を果たしたおまえは、もう使徒じゃない。そういうのは全部、ここで終わりにしようぜ」
今日一番の目的を口にした。
ただ、それは予想通り、シスにとって受け入れがたく、徐々に表情が険しくなっていく。
「もう使徒じゃないですって……? この私が?」
「ノイってやつのところにカナミを連れて行ったなら、もう使徒の役割は終わりだろ? もう、ただのシスだ」
「ディア、あなたでも言っていいことと悪いことがあるわ。まだ私は使徒よ? これまでも、これからも、ずっと私は使徒シス。ただのシスなわけがないわ……! ずっと特別な存在で、対等な相手なんてこの世にいない……! いなかったのよ!」
シスの『使徒』は、俺の『剣士』と同じなのだろう。
もう意味はなくとも、その役割にこだわり続ける。
その気持ちがわかるから。
対等の友達として、俺はシスを誘う。
「シス、俺が止めると言ったのは、カナミでも『終譚祭』でもない。……おまえだ。俺はおまえと一緒に、カナミのところに行きたい」
ただの名前を繰り返し呼び、俺は右腕を――魔力で固めた義手を伸ばした。
さらにカナミを真似るように、シスを口説いていく。
「最後に一度だけ、『ディアブロ・シス』を復活させようぜ。二人で一緒にカナミを捕まえて、引っ張って、連れ出してやるんだ。きっと驚くぞ」
「そ、それだけは……、絶対にさせないわ! だって、主は行くのよ? 『最深部の先』へ! 誰も行けなかった領域へ! そこでみんなを『幸せ』にしてくれる! 主自身も! 元主のノイ様も! 私も、あなたも!! みんなが『幸せ』になって、世界は救われる! その完璧な結末を、邪魔する気!?」
俺の目的を知り、シスは顔を何度も左右に振った。
両の拳を力一杯に握りしめては、自らの正義を力説し続ける。
「『幸せ』は自分で手にするものだって、俺は読んだことがある。必死に手を伸ばして、やっとの思いで掴み取るから、代えがたい価値を持つ。……そう本には書いてあって、間違ってなかったことを俺は『冒険』で確認した。ただ無条件で降って湧いてくるような『幸せ』なんて、すぐ普通になるだけだ。いつまでもみんなが有り難く、神に祈り続けてくれるわけがない。その内、必ず『呪い』になる」
上手く反論できているとは思わない。
ただ、使徒として各地を回った経験が、ただ祈って祈られての関係では共倒れになると言っている。実際に俺は倒れて、この連合国までやってきた。探索者としての経験でも、絶対に間違いだと言っている。
「それはつまり、人々が『幸せ』に慣れるって話かしら? いいえ、慣れることはないわ。その程度の問題、すでに主はセルドラやクウネルで実験して、解決済み。どれだけ論じても、常に主が流れをコントロールする限り、『計画』に隙は生まれない」
「カナミ一人だけが『幸せ』じゃないって隙がある。そんなやり方じゃあ、いつか絶対にカナミは倒れる」
「いいえ、主も『幸せ』になるから平気よ。『最深部の先』で『幸せ』になるって、そう私と約束してくれたの」
「まだ『幸せ』じゃないってことだろ、それは。……そもそも、案外カナミは約束を破る。その場だけ誤魔化す悪い癖もある。今回も、「俺の傍にいる」って言ってたくせに、あっさり行ったしな……」
言い合いになる。
そして、意地の悪いことを言っている自覚はある。
だが、確認のためにも、もう少しだけ続ける。
「そ、そんなことない! 主は約束を守る! いまも『切れ目』を通じて、ちゃんと傍にいてくれているわ! 『終譚祭』のあとも、魔法になって私たちを見守り続けてくれる! 主は千年前の私との約束を、きちんと守ってくれた! 私に本当の『魔法』を見せてくれた! 今度も、約束を守ってくれる!!」
「そうやって、カナミは仲間にも恰好いいところしか見せようとしないから、すぐ限界を迎えるんだ。それが原因で大事なときに弱くて、負けてばっかりだ」
「弱い!? 主は強いわ!! 本当にすごいのよ!? 使徒を生んだノイ様をも、超えた存在よ!? その私の真の主を、馬鹿にするな……! 主を馬鹿にするのだけは許さない! ディア、たとえあなたでも許さないわ!!」
シスは服の裾を掴み、ぎゅっと強く握り締めながら、そう叫んだ。
その仕草を見て、どれだけカナミが好きなのかが確認できた。
やっぱり……。
ここに来て良かった……。
――俺の一番の絆は、シスだ。
だって、俺もそう思ってる。
俺だって、カナミを強いと思ってる。
本当はすごいって尊敬してる。
きっと約束だって守ってくれると信じている。
カナミを馬鹿にするやつは絶対許さない。
その『繋がり』を強く感じるから。
ラスティアラが言っていた『みんな一緒』の中に、シスもいると確信できる。
当たり前だ。
あのラスティアラの『みんな一緒』が、俺たち仲間とだけ?
そんなに狭いはずがあるか。ラスティアラは俺の知る誰よりも心が広くて、俺がどんなに錯乱していても、笑顔で受け入れてくれた人だ。
その尊敬するラスティアラを真似て、俺はシスと本心をぶつけ合う覚悟を決める。
同じ人を好きになったからこそ、殺し合ってでも、もっと言い合おう。
その戦いの先に強い絆が生まれると、俺は知っているから――
――だから、今日必ず、俺はシスと一緒に、カナミのところに行く。
戦意が伝わったのだろう。
シスは震えながら、悔しげに口を閉じていく。
そして、目の前にいる俺から視線を外して、俯きながら周囲に知らせていく。
「みんな、聞いて……。残念だけど、ディアの説得はできなかったわ。彼女は私を迷宮の『最深部』に、引き摺ってでも連れていく気よ。その上で、我らが神も倒す気でいる」
その発言によって、神殿内に緊張が走る。
神を信じる敬虔な者たちが集まる場所だからこそ、その緊張は只ならない。
「もちろん、神が倒れることは絶対にないわ。けど、私の巫女は新生レヴァン教を祝福する『終譚祭』を崩す可能性がある。絶対、迷宮に入れてはいけないわ。神の儀式を邪魔させちゃ駄目……!」
そう宣言したところで、シスの纏う魔力が変質した。
白く発光し始めて、指向性を持ち、背中から扇のように広がっていく。
天使が翼を広げるかのように美しく、よく目を凝らすと魔法陣の模様が描かれているのが見えた。
神殿のステンドグラスから差し込む陽光と合わさり、本当に神々しい。
天から神の加護を受けていると、誰もが信じられる姿だった。
そのシスがゆったりと手を持ち上げて、指先を俺に向ける。
「みんな、私が力を貸すから、優しくディアを捕縛してあげて。私の巫女は凄まじい魔法を使うけど、室内だと全力では使えない。もし追い詰められて使ったとしても、全く同じ魔法で私が必ず『魔法相殺』する。だから、その間に、どうか早く……」
神聖なる使徒から、指示が出された。
そして、カナミの魔法による流れのせいか、迷えども足を止める騎士は一人もいない。
控えていた騎士たちが近づいてくる。
とはいえ、全員ではない。
精鋭と思われるのが、五人だけ。
まず柔らかい口調で話しかけてくる。
「ディア様、失礼します。進言したいことがあれば、『終譚祭』のあとで」
「あなた様はただの巫女ではありません。使徒様と同様に……いや、それ以上の存在だと思っている騎士は多いのです」
「この距離で、この人数。どうか、ご抵抗はなさらずに。誰もあなたを傷つけるつもりはありません」
忠告と共に、先頭を歩く貴族出身らしき騎士の手が伸ばされた。
すぐに俺も手を伸ばし返す。
貴族騎士の右手と俺の右義手が合わさった。
同時に視線も合わさり、俺の微笑が騎士の瞳に映る。
貴族騎士は小さく嘆息する。
俺が降参したのかと、安心したのだろう。
すぐさま紳士が淑女の手を引くように、優しく奥へ誘おうとしてくれる。
ただ、その優しさに対して、申し訳ないが俺は力を入れる。
それは数値にすれば、レベル59。
『筋力』は15.00を超える。
人外の膂力をもって、不意を討ち、貴族騎士を上空に放り投げた。
矢を放ったかのように軽々と天高く、重さ七十キロはあろう男性の肉体が打ち上げられる。
「――――っ!!」
その迎撃に対して、他の精鋭騎士たちの行動は迅速だった。
俺の膂力に目を見開きつつも、降参する気なしと判断して、同時に疾走し始める。
前方から、さらに四人。
常人ならば目にも留まらぬ『速さ』で距離を潰し、捕縛しようと腕を伸ばしてくる。
その全ての腕を、俺は大きく身体を反らして躱した。
同時に左足の先を跳ね上げさせて、直近にいた二人目の騎士の鳩尾にめり込ませる。肺の空気が押し出され、悶絶しつつ蹲る騎士――の左右から、俺を抑え込もうとする残りの騎士たちが近づき、手を伸ばす。
さらに俺は、頬が床につきそうなほどに身を反らして、また躱した。
身体の反れ具合は、限界も限界。
普通ならば倒れる体勢だ。
だが、魔力で固めた義足のおかげで、倒れることは決してない。
左義足は形状を変えて、床を貫き、根を張り、俺の全身を支えていた。
おかげで、その無茶苦茶な体勢から、攻撃に転じられる。
まず手を伸ばし切っている三人目の騎士の腕を、両手で掴み、背負い、神殿の壁に向かって投げた。四人目の騎士は躊躇なく剣を抜いていたが、その白刃を右義手で掴み、握り折ってから、左の拳を顎に入れて気絶させる。
五人目の騎士は、かなり出遅れていた。なので、直近で悶絶していた二人目の騎士の胴体に回し蹴りを叩きこみ、吹き飛ばし、五人目の騎士ごと剣の間合いから追い出した。
そこで、最初に上へ投げた一人目の貴族騎士が落ちてくる。
流石は精鋭の騎士で、神殿の天井を足場に跳躍して、加速した上に魔法まで唱えていた。
「巫女様を捕らえろ! ――《ウォーターフィッシャー》!!」
しかし、選ばれたのは、水の網の魔法。
まだ捕縛を優先とは、本当に紳士的だ。
俺は回し蹴りを終えた体勢から、右義手を掲げる。
しかし、魔法を使うわけではない。
魔力で構築された右義手を長く鋭く変形させて、迫りくる水の網を斬り裂き、そのまま貴族騎士に向かわせた。
だが、切っ先が届く前に、騎士は突風を発生させて、真横に移動し、神殿の壁に張り付く。
見覚えがある魔法運用だ。
若さからして、ライナーの友人かもしれない。
一通りの戦闘が終わり、魔力の粒子が神殿に散り舞う。
一息ついたことで状況に理解が追いついたシスが、驚愕の声をあげる。
「な、なっ……? どうして……!?」
接近戦が弱点だという認識があったのだろう。
それは距離を取っている騎士や神官たちも同じようで、与えられた情報の修正を頭の中で必死に行っているのが、表情から伝わってくる。
そして、まだシスは『魔法相殺』のタイミングを待ち構えて、動かない。
ありがたいことだ。
ならば、俺は『魔力物質化』を操って戦うだけだ。
師から聞いた話によると、この『魔力物質化』は『剣聖』を多く輩出するアレイス家に伝わる技術で、騎士の奥義の一つらしい。
正直、俺が使えない道理はない。
それどころか、ずっと俺は無意識に、この奥義を使い込んでいて、次の領域まで踏み込んでいる。
自らの身体を見直す。
限界まで胴体は捩じれて、顎先は天井に向き、いまにも倒れそうな体勢で静止している。
左義足が『魔力物質化』の上級応用によって、腰あたりまで魔力を根のように張り巡らせ、身体のバランスを安定させている。
右義手は『魔力物質化』の初歩運用によって、長く鋭い剣となっていたが、その刀身をゆっくりと縮ませていく。
ここまで力強く流麗に運用できるのは、一年前から日常的に使っていたおかげだろう。
それと『最後の戦い』で、『水の理を盗むもの』ヒタキが見せてくれた手本のおかげでもある。
俺は掲げられたままの右義手の切っ先を見つめて、こんなときだというのに感慨深さを感じる。
本当に、俺は成長した。
変わりもした。
でも結局、いま俺が掲げているのは『剣』でなく、『剣の形をした魔力の塊』。
思えば、ずっとこれに振り回されてきた人生だった。
その異常な魔力ゆえに、故郷の村に帰れなくなったのが、全ての始まり。
使徒と呼ばれ続けて、自分を見失い、逃げるように連合国の迷宮に辿りついた。
そこでレベル1のカナミと出会って、仲間のみんなと仲良くなった。あとはシスに身体を奪われたり、大事な人を失ったり、最終的には世界の危機に立ち向かったりして、その日々は本当に――
「――本当に、苦しかった。けど、楽しい『冒険』でもあった。それは『まるで、昔読んだ英雄譚のようで』――」
思わず、言葉が出た。
詠んでしまった。
周囲を囲む騎士たちが息を呑み、警戒を増していく。
想像以上の敵の強さに、戦術を見直しているのだろう。
ずっとこちらは不安定な体勢で隙だらけを演出しているが、引っ掛かってくれそうにない。俺にはオーバーなところがあって、フェイントや誘いこみが下手だという師の忠告を思い出して、諦める。
右義足の固い魔力を膨らませ、変形させる。
腰から背中まで覆いながら持ち上げて、ゆっくりと胴体を起こしていく。
肉体に頼らず、魔力だけで体勢を直立に整えた俺は、『剣の形をした魔力の塊』をアレイス流『剣術』で構えた。
※宣伝
6/25にコミカライズ『異世界迷宮の最深部を目指そう2』が発売です。
表紙はディア。中身もディア一杯。表情豊かな彼女の『冒険』の始まりをよろしくお願いします。
そして、書籍『異世界迷宮の最深部を目指そう14』も6/25に同時発売です。
過去最高に刺激的な表紙なので、確認してくださると嬉しいです。
ラストバトルに入りましたが、決着は遠く、いわゆる溜め回が続きます。
すみません。