459.第百十の試練『恋』
今度の《ミドガルズフリーズ》は、《フリーズ》とは違う。
咄嗟の防衛反応でなく、しっかりと目的をもって構築をした。
ゆえに先ほどと違い、一瞬で相殺されることはなかった。
そのおかげで、やっと熱風に煽られながらの浮遊感は終わり、12層の地面に足をつけられる。
同時に、ぼたりぼたりと大粒の雨のような溶岩が、上から降り注いだ。
12層の変哲もない石造りの回廊に赤黒い川が流れ始めて、噴火した山の麓を歩いているかのような光景となる。
危険な状況だが、急ぎ視線を上空に向ける。
11層があったはずの空間で、激しく泳ぐ二属性の大蛇。
どちらも野生の生物のように動き、食らいつき合っている。
《ミドガルズフリーズ》は時間稼ぎの目的を達成してくれていた。
しかし、天井が異様に遠い。
10層と11層の地面がなくなり、三つの層が吹き抜けで繋がったからだ。
その眼球から得た情報と魔法《ディメンション》の感覚。どちらにも齟齬はなかった。
ならば、向こうに《ディメンション》の対策はないのかと思ったが、僕と同じく前方に着地したマリアの周囲は、まるで話が違った。
両足の触れた地面が溶ける。
熱による陽炎が立ち昇り、光が何重にも屈折している。
蜃気楼が発生しているようで、マリアの姿が異様に見え辛い。
なによりも、熱によって《ディメンション》が通りにくいのが、一番の問題だった。
駆け出しの探索者だったとき、20層付近の溶岩に《ディメンション》が通らなかったときがあったが、それに近い。
そのマリアが、さらなる炎を生成しようとしていた。
僕は『糸』を伸ばそうとして、引っ込める。
『繋がり』による説得・洗脳は諦めて――
「――《ディフォルト》」
足をつけた地面を、目一杯蹴った。
大きく後退しながら、空間も歪ませる。
マリアが、こうして止めに来るとはわかっていたこと。
ならば、当初の『計画』に沿うように物語を『調整』するだけ。
そのためにも、一旦距離を取る。
長引けば長引くほど、情報分析によって次元魔法使いの僕は強くなる。いまとなっては『執筆』によって流れを操ることも可能――という狙い以上に、マリアの熱の特殊性によって、距離は必須だった。
僕の身体が異様なまでに汗を滴らせている。
暑さにやられたわけではない。
おそらく、いま迷宮内は本来の20℃前後から二倍に跳ね上がって、40℃前後。
現実的な真夏の暑さ程度――なのに、《魔力変換》の『質量を持たない細胞』で保護され過ぎて、1000℃を超える火炎を歩いても問題はない僕の身体が、発汗していた。
つまり、マリアが魔法の炎で熱しているのは、常識の中にある温度ではない。
魔法の温度――もしくは、魂の温度とでもいうべきものが、激しく加熱されている。
「それに……」
僕は逃亡の二歩目を蹴り、方向転換して、12層の回廊の一つに紛れ込みながら呟く。
広がる熱が特殊ならば、その熱源はさらに特殊。
「――《フリーズ》」
呟けども、直接マリアの炎と触れ合った《フリーズ》は、もう発動しない。
『火の理を盗むもの』の『忘却』だ。
『血陸』出発前夜に、『代償』を支払い切ったからだろうか、マリアは『呪い』を見事にコントロールしていた。
本当に理不尽だ。
ゲーム好きからすると、魔法を忘れさせるのは禁じ手の一つ。いや、先ほどの反応から、マリアがゲームをよく知らないのはわかっているが――何にせよ、僕には解決策があるので、まだ致命傷とはならない。
「――《フリーズ》」
滑空するような大きな三歩目を踏みつつ、二度目の呟き。
ひんやりと冷気を、僕の身体に纏わせていった。
確かに、魔法《フリーズ》を僕は、一度『忘却』した。
しかし、いま魔法《フリーズ》を、一から覚え直した。
一朝一夕どころか一瞬一秒で、それができるから僕は『世界の主』となれる。
それでも、長時間炙られ続けての『忘却』は避けないといけないだろう。
マリアの一番の狙いは、魔法でなく『ラスティアラ』の思い出の『忘却』。
続いて、『計画』や『終譚祭』などの『忘却』。
――これから僕が作る『魔法カナミ』に影響が出る『忘却』は絶対に許されない。
だから、基本的に次元魔法でなく、覚え直せる汎用の属性魔法で戦うべき――と三歩目と共に、方針を決めたところで、魔法の感覚が一つ消えた。
「…………」
いまの三歩の間で、僕の渾身の《ミドガルズフリーズ》は敗北したようだ。
大陸を凍らせるほどの冷気が、問答無用で食われたのがわかる。
さらに後ろから吹き付ける熱風から、氷蛇を食い終わった炎蛇が僕の追跡にやって来ているのもわかる。
炎蛇に追いつかれはしない。
頭に迷宮の地図は入っている。
とはいえ、一度でも道を間違えたり、足を止めれば――
「――――っ!?」
足を止める。
四歩目の先にて、火の玉が浮いていた。
鬼火や狐火かのように見えるものが、数十個。
見たことがあった。
これはマリアが失った目の代わりに使っている『炎の目』。
まだ『第百十の試練』開始から数秒なのに、この数だ。
事前に、僕が逃げるであろう先に準備されていたのだ。
よく見れば、球体だけではない。
ひし形に四角形に立方形に、様々な形状の炎が浮いている。
これも見たことがある。
あの反射板のような炎は確か、ディアと一緒に共鳴魔法を使っていたときに浮かばせていたもの。その役割の答えは、ひし形の炎が人の口のように動き、発声される。
「――《フレイムアロー・守護炎》」
回廊の奥で、闇を埋め尽くす光が膨らんだ。
慣れ親しんだ魔法の光線が、曲がり角の先から現れ、いま見ていた反射板に当たり、進行方向を変えた。
ディアの《フレイムアロー》かと思ったが、その光線の色は白でなく赤く、魔力の質も違う。
マリア一人で再現している。僕は限界まで身体を反らし、捻らせて、その光線を胴体に掠めさせた。
すぐさま、次の攻撃に備えようとするが――照射は続いていた。
ディアと違い、この光線は途絶えない。
雑に放って終わりでなく、正確に同じ威力で維持し続けて、魔法を細く収束させて、熱く、強く、まるで糸のように光線が空間に一本張られた。
「――《熾天の繊炎》」
スッと、反射板が動き。
光線が糸鋸のように、空間を僕の身体ごと切断しようと動き出す。
乱雑に何度も、五回ほど往復したが、それも全て避け切る。
もうそろそろ十秒ほど経過する。
戦闘の勘も少し戻ってきて、やっと十層からの急展開に一息つけそうなときだった。
「そこですか。――《フレイムフランベルジュ》」
「――――っ!」
息を呑む。
マリアの姿は見えないが、いまので完全に場所を捕捉・確認されたのだろう
ただ、聞こえたのは、炎の剣の魔法名。
いま浮いている火の玉たちのどれかが、剣の形になるのか?
常に答えは、炎となって返ってくる。
「…………?」
背中から急激な温度の上昇を感じた。
特殊な魔法や魂の温度でなく、今度はしっかりと通常の温度も上がっている。
バーナーで炙られて、肌が焦げ出す感覚。
灼熱と呼ぶべきものが誕生する熱波を、僕は感じ取っていた。
冷や汗と共に、振り返る。
同時に、地震。
縦横に大きく迷宮が揺らがされ、限界を超えて温度は上昇していく。
なんとなく、次に何が起きるのかがわかった。
――これは、マリアの『冒険』の総決算だ。
流れを作る側になってから、色んな世界のルールや意味を僕は理解できるようになった。だから、いま例の視線が、僕でなくマリアを見ているのは、一種の儀式となっているからだとわかっている。『第百十層の試練』と彼女が言ったのは、ただの冗談ではない。自分の人生を『代償』として放つという前口上だったから、マリアには魔力的支援がある。
そのマリアに相応しい魔法。
最初に掘り起こされる記憶は一年前。『世界奉還陣』の中心でパリンクロンと戦ったとき、大陸を削いだ炎剣。あの天を貫き、雲を蒸発させて、大陸を溶かして、地図を変えた一振り。
いや、あのとき以上だと、マリアは宣言している。
それを、こんな密閉空間でやる気か?
と脳裏に、常識的過ぎる意見がよぎった。
やるに決まっているから、マリアだ。
「――ア、《零度の衣》!!」
こちらも目一杯の魔力を注ぎこみ、氷を生成する。
氷のイメージは、防護服。
それも、マグマなどといった過酷な探索をする際に使われる隙間のない代物。
分厚い氷によって、全身を完全に覆われたとき。
もう立っていられないほどの地震となっていた。
さらに、四方八方から泡の立つ音が聞こえ出す。
空間を形成する石材たちが、見るからに沸騰していた。
続いて、あちこちの天井がどろりと溶け出して、その中から勢いよく火炎が噴出する。その火炎が《フレイムフランベルジュ》の刃先だと理解すると同時に、地面も壁も、いま僕が見ている全てが、柔らかいチョコクリームを押し退けるように溶けていった。
もはや、マリアの《フレイムフランベルジュ》に物質的な障害など関係ない。
「…………っ!!」
最終的に、視界全てが真っ赤な火炎に呑み込まれた。
また浮遊感だ。
僕の身体は《零度の衣》が守っている。だが、守られていない足場は斬られて溶けて、なくなった。
炎の海に呑み込まれるというのが、比喩でなく実際に起こる。
海の中を泳いでいる感覚などあるわけない。
ただ、幸いなことに、炎の勢いが少しずつ通り過ぎていくのを感じる。
――これは、巨大すぎて全容を把握できない炎剣の一振りだ。
そう信じて、僕は《零度の衣》を『忘却』する覚悟で、魔力を込めて、防御し続けた。
そして、炎の海に揉まれること、数十秒。
終わりは訪れる。
炎剣を振り抜かれ終えたとき、僕の身体は地面に打ち付けられた。
かなり高いところから落ちたようで、弱っていた《零度の衣》は衝撃で砕ける。
生の手足で地面をつき、その泥のような感触に状況を察していく。
顔を上げると、迷宮に似つかわしくない空間が広がっていた。
広い。
とにかく、広い。
というよりも、もう外にいるのではないかと思えるほどに、僕の周囲には何もなくなっていた。
蒸気や煙だけが立ち昇り、奇妙な形の雲が上空に発生している。
さらには、見渡す限りに赤黒い溶岩が、雨上がりのあとのように広がっては、ぶくぶくと泡立っている。
迷宮の材質に魔石が多く使われているためか、地面の表面が硝子のように煌いているところが多い。
僕は無事だが、地獄に送られたのかと錯覚しそうになる。
しかし、よく目を凝らして、しっかり現実を確認していく。
遠くに、奇妙な縞模様の絶壁を見つけた。
その積み重なった地層は、迷宮の層。
炎剣の切断面が見えたおかげで、まだここは迷宮内であると確信できる。
だが、ごっそりと。
大体20層分近く、炎剣の一振りで焼き削がれたようだ。
積み重なった地層を数える限り、現在地は30層を超えたくらいだろうか。
あの七色に輝く鉱石のエリアに入っているかどうかもわからない。
という状況を考える暇もなく、続く魔法名。
「――《焦熱世界の骸炎》」
もはや、口となりえる炎はどこにでもある。
魔法名の宣言と共に、上空で蒸気と煙の雲の中に、巨大な炎の球体が発生した。
燦々と輝く白い炎。
魔法の太陽。
網膜を焼かれながらも直視すると、その太陽の中心部に術者のマリアが浮かんでいるのが見えた。
自在に高熱をコントロールしていく結果、あっさりと飛行能力を獲得している。とはいえ、高速移動はできないようで、綿毛のようにゆったりと下へ落ちようとしていた。
太陽は網膜だけでなく、息切れする肺も焼いて、臓器さえ超えて魂まで焦げ付かせようとする。
だが、この太陽の炎は、やりすぎだった。
そして、落ち過ぎだ。
遠くにある絶壁――つまり、迷宮の切断面から、蠢く黒点が複数見えた。
飛行能力を持つモンスターたちが生息エリアを破壊され、怒り、動き出していた。
他にも、様々なモンスターたちの恨みをマリアは買ってしまったようだ。
あらゆる層から、熱に刺激されたモンスターたちが、白い太陽に押し寄せそうとする。
だが、未だ維持されていた《ミドガルズブレイズ》が、マリアの傍に控えている。
太陽の紅炎のように跳ねて、その巨大な顎で近づくモンスターたちを食らった。
そして、そのモンスターたちを燃料にして、その炎蛇は太る。
食らって、大きくなった。さらに、分裂もする。八つ首の蛇となり、四方からやってくるモンスターたちを美味しそうに平らげていく。
これは、狩りだ。いや、食事か。
とにかく、迷宮のモンスターたちが、効率よく狩られている。
これはマリアの『魔の毒』の回収作業と理解したときには、魔法の太陽は一回り大きくなり、落ちてくる速度が増していた。
まだまだモンスターは残っている。
火属性に耐性を持つモンスターは特に生き残り、《ミドガルズブレイズ》の先にいる術者に襲い掛かろうとしていた。
右からは、浮遊する炎のエレメント系のボスモンスター。
左からは、黒い馬車の手綱を引く首なしの黒騎士。
【モンスター】フレイムスコール:ランク26
【モンスター】ディープデュラハン:ランク45
このモンスターたちならばと、一縷の希望を持って見守ったが、
「――《フレイム》」
八つ首の蛇の内の二頭が、形を変えて人の腕となった。
太陽から生えた巨人の腕のような光景。
その腕はマリアの意志のままに動き、火属性に耐性を持つモンスターを掴んだ。
炎の手に包み切ったが、火属性の耐性のせいで燃やすことはできないようだ。
ただ、迷いなく腕は、ゆったりとこちらに向かって動き――投げつけてくる。
「――――っ!!」
遥か上空の出来事だったので、投げるモーションはゆったりとしていた。
しかし、その見た通りの速度ではない。
圧倒的な上位の存在によって投げ飛ばされたボスモンスター二匹が、恐ろしい精度で僕の身体に向かってくる。
ボスモンスターたちのランクは、さほど高くはない。だが、その質量は僕を簡単に包み込めるほど大きい上に、マリアの特殊な炎を纏い、速度がついている。
まともにぶつかれば、常人ならば四散。僕でも、ダメージがありえる。
「――ローウェン!」
剣に『魔力物質化』を加えて長さを増して、到達前に両断した。
しかし、続けざまに、追加のボスモンスターたちが投げつけられてくる。
丁度いい丈夫なボール程度に、マリアは思っているのだろう。
次々と、下にいる僕に向かって放る。
その間も、太陽の肥大化は続いている。
向かってくる飛行型モンスターを食らいつくし終えたあとは、貪欲にも《ミドガルズブレイズ》たちが迷宮の切断面に向かい、中へと侵入していった。そして、獲物の巣を食い荒らすかのように隅々まで、各層にいるモンスターを焼いては、『魔の毒』を集めては吸収していくのを《ディメンション》で感じ取る。
広範囲魔法の乱獲により、太陽は大きさだけでなく、熱も増す。
そして、遠くにいるはずの僕の足場が、また地面がチョコレートのように溶けて、身体が宙に放り出される。
どろどろとした溶岩と共に落ちていき、下の層に足をつけたと思えば、またすぐに足場は柔らかくなる。
――溶けて溶けて溶けて、僕は下へ下へ下へ。
ずっと太陽は肥大化しながら落ちてきている。
けれど、これではいつまで経っても、僕には届かない。
近づけば近づくほど、足場が保たずに僕が下へ遠ざかるからだ。
どこまでもどこまでも炎だけが大きくなっていくだけ。
途中、何もない階層に足をつけて、底が抜けた。
おそらくは、いまのは『木の理を盗むもの』アイドの40層。
『風の理を盗むもの』ティティーの50層まで辿りつくのは、時間の問題だろう。
冷や汗が増す。
際限のない加熱に、僕の身体は耐えられる。
それだけのレベルと魔力がある。
――だが、迷宮が保たない。
ペースが速過ぎる。
10層で始まって、もう50層に到達する。
このまま、縦に向かい続けるのは不味い。
マリアの太陽を『最深部』まで連れて行けば、全てが台無しとなる。
千年前から始めた『迷宮』も『理を盗むもの』も含めて、何もかもの『計画』が燃えて、『忘却』して、終わってしまう。
間違いなく、この落ちてくる太陽の終着点は、迷宮の終わりにある『最深部』を見据えている。僕ごと燃やし尽くすのを狙われている。マリアの「それがなかったら、話は全部終わりじゃないですか?」という気軽な提案が聞こえてくるような気がした。
そんなわけあるかと、僕は上空の太陽を再度睨みつける。
――瞳のような赤い太陽。
スキル『炯眼』が、しっかりと乗っている気がした。
僕の負傷も『忘却』もしたくないと考えが見抜かれている。
剣を持つ手でなく、本を持つ手に力が入った。
『計画』のことを考える余りに、ジリ貧になっている。
もう『忘却』とか『計画』とか『魔法』とか、後先のことを考えている場合ではない。
覚悟を。
勇気を出せ。
前だけ見ろ。
太陽に向かえ。
『炯眼』を超えろ。
『最深部』に到達する前に――
「――やっと見ましたか、カナミさん。本当に、余裕なんですから」
近くの小さな焔が、声を漏らした。
マリアの嬉しそうで優しい声色に、僕は少しだけ不満げに上空の太陽を見つめながら答える。
「……見てるよ。ずっと見てるし、余裕もない」
一ヶ月前の『第八十の試練』のセルドラと同じことを、マリアも言う。
しかし、いつだって僕はみんなと向き合っていると、言い返した。
「そうでしょうか? ずっと見てたのは、たぶん……、ふふっ」
軽い調子で話す。
ここまでの全てが戦いではなく、ちょっとしたじゃれあいに過ぎないかのように、笑う。
いまの僕たちの立ち位置が、太陽と奈落であっても、いつものマリアだった。
「カナミさん。この『第百十の試練』は、あなたの四肢を燃やして、私のものにしたいなんて馬鹿な願いじゃありません。一年前とは状況が違いますからね。……だから、一言だけで構いません。『最深部』も『計画』も、『ラスティアラ』さんも『世界』も、いまだけは関係ない。もし本当に目が見えて、耳が聞こえて、わかっていらっしゃるのならば、今度こそ誘ってあげて欲しい。それだけで、『試練』は終わります。」
『計画』を止めるのではなく、誘って欲しい……?
何を、今度こそだ……?
この一言は、絶対に間違えてはいけないと思った。
だから、僕は考えた。『並列思考』『分割思考』『収束思考』だけではない。最悪、陽滝の『逆行思考』も駆使して、最後の頁にある『答え』だけでも得ようとする。
しかし、その一考するという僕の行動に対して、マリアは――
「――『人は肉体に生きるのではない』――」
『詠唱』し始めた。
「…………っ!?」
迷いがなさ過ぎる。
即答できなかったら、詠むと決めていたのだろう。
おそらく、僕が一考したということは思い当たりがなく、反則的な方法で『答え』を作り出そうとしている――と、事前にマリアは決め付けていた。
正解だ。いつもマリアは、その『炯眼』で真実を見抜く。
そして、自分の信じる道だけを、焔と共に突き進むのは、いつ見ても――
悔しい。
羨ましい。
優柔不断で、考え過ぎで、臆病な僕と比べて、余りに格好良すぎる。
これだから『ラスティアラ』だって、マリアばっかり見る。
「――『心に灯った炎に生きる』――」
その『詠唱』も、ここまでの見たことのある魔法と同じく、聞いたことがあった。
一年前、マリアと一緒に聞いた。
しかし、それが魔法を補助する『詠唱』として使われたのは、未だ一度もない。
――先に覚悟を決めたのは、マリア。
逆に僕は覚悟が遅いと、そう年下のマリアに叱られているような感覚と共に、見上げた太陽が変色していく。
赤い太陽の温度が爆発的に上昇して、青く染まる。
ただの青一色じゃない。
『詠唱』と共に、青く蒼く碧く、多様な青が混ざっては燃え盛る。
温度による変色ではないだろう。
『魔の毒』を吸収しているから、これは魔法の変色だ。
ただ、それさえも正確じゃないと思った。
想いの色。
なにより、ここまで歩んできたマリアの人生の色。
次第に青から白へと、色が透き通っていく。
白い太陽が燦々と、詩を詠んでいく。
「――『私は世界から忘れられた』――」
来る。
これから、『火の理を盗むもの』アルティの本当の『魔法』が放たれる。
いや、違うか。
これは、マリアとアルティの二人。
『マリア』の本当の『魔法』。
――この『第百十の試練』は、これを受け止めなければ終わらない。
10層で対峙したときから、ずっと予感していた。
いつだって、『試練』では相手の人生をぶつけられてきた。本当の『魔法』を受け止めなければ、真に想いを受け継いだと言えるだろうか?
「――『火を点けては嘘を吐いてきた』『誰かを私は愛している』――」
もはや、太陽は肥大化しすぎて、ただの真っ白な天井となっていた。
汚れのない純白の炎壁が、少しずつ迫ってくる。
迷宮全体を燃やしながら、削りながら、落ちてくる。
ただ、魔法の対象としている僕の足場も、溶けて、抜けて、落ちていく。
だから、なかなか距離は縮まらない。
炎が強過ぎて、近づけば近づくほど、対象の僕は遠ざかる。
その僕を追いかけて、熱は無限に増していく。
何もかも燃やして『忘却』させて、自分さえも燃やして『忘却』させて。
遠ざかって、遠ざかって。
いつか誰も名前の知らない空の太陽となる。
そんな魔法の名が響く。
「――魔法《灰かぶりの失くし炎》」
迷宮の底が抜けていき、ついにはティティーの50層も超えて、すぐ隣に風のエレメント系モンスターが飛んでいるのが見えた。しかし、白い炎壁からの光を浴びて、熱されて、モンスターは燃える――のではなく、光の粒子となって消えていった。
そして、魔石となって、僕と一緒に下へ落ちていく。
たくさんのモンスターが消えて、たくさんの魔石が降り注ぐ。
それは地上の『終譚祭』の魔力の雪のようで、まるで別物。
魔石の純度の高さと美しさに、僕は目を奪われる。
ただ、迷宮のモンスターを『想起収束』させる術式の構築を崩して、魔石としただけではない。
ティアラと僕の《ディスタンスミュート》よりも無駄なく、余分なものを削ぎ落とし、魔石だけとしていた。
決して魂まで溶かさないのは、その『魔石化』は『忘却』を主軸としているからだ。
この炎は、魂以外の全てを薪とする。
だから、あの太陽に囚われれば、永遠に『忘却』し続けるだろう。
もう何も思い出すこともない。
もう新たに思い出となることもない。
最後は灰でなく、あるがままの自分だけを残す。
純粋で無垢な魂だけとされる。
――浄化の炎。
これが『火の理を盗むもの』の本当の『魔法』。
攻撃魔法ではない気がした。
もし、この炎がほんの少しの光と熱ならば、きっと回復魔法と呼べるからだ。
焚き火程度ならば、身体と心を一緒に暖めてくれて、嫌な記憶を薄めてくれるだけ。
辛い人生を乗り越えるための応援が、『忘却』の本質――だったとしても。
もはや、この上空を埋め尽くす純白の炎壁。
本来は優しいものだとしても、余りに強くなり過ぎて、遠ざけるしかない太陽となってしまった。
――《灰かぶりの失くし炎》が、僕に向かって落ちてくる。
落ちて落ちて落ちて行きつつ、これが『答え』だと。
積年の感情であると、少しずつ教えられていく。




